夜明 奈央
2024-05-06 10:39:14
4093文字
Public 中太SS
 

虎の嗅覚/聴覚

直接繋がってないけどなんとなく同じ世界線
1ページ目 嗅覚:うっかり知らない方がいいことに気づいてしまう敦くん
2ページ目 聴覚:後輩に聞かせる趣味はない太宰さん
2022年10月2日初出

虎の嗅覚

 探偵社の始業時刻5分前。国木田がまだ来ない太宰に苛立ちを募らせ始めた頃、扉がガチャリと開いた。
「おはよー」
 間伸びした挨拶と共に太宰が入ってきた。
 国木田が「もっと余裕を持って出社しろと何度も言っているだろう」とすぐさま怒りをぶつけるが、「今日は遅刻しなかったんだからいいでしょ」と堪えた風もなくのらりくらりと躱している。

 しょっちゅう遅刻する太宰だが、時折こうして始業時刻に間に合うように出社してくる。といってもギリギリであることには違いないのであるが。
 頻度はまちまち。ざっくり平均すると週に1回程度になるのだろうが、2〜3日続くこともあれば1ヶ月程ないこともある。それに何か特別な事情があるのか、ただの気まぐれなのか、乱歩以外に知る者はいない。

 太宰が敦のすぐ近くを通り過ぎて自分のデスクへと向かう時、ふわりと鼻腔を擽った匂いに敦は「まただ」と思った。
 太宰が時間通りに出社する時、決まって同じ匂いが漂ってくる。消臭スプレーにほとんど掻き消されたその香りに気づいている者は、きっと敦だけであろう。
 特徴的な煙草の匂い。身近に喫煙者がいないので絶対とはいえないが、それは街のあちこちにある喫煙所の前で嗅いだことのあるどの煙草の匂いとも違っているので、おそらく珍しい種類なのだろうと思う。
 太宰本人が吸っているわけではなさそうなので、その珍しい煙草を吸う誰かと会っているのだろうな、と勝手に思っている。
 それが誰か、全く興味がないといえば嘘になる。
 最初にその煙草の匂いに気づいた時、「またどこかの女性なのだろうな」と思ったのだ。だが、回数を重ねても匂いは一向に変わらなくて、今ではきっと違うのだろうと思っている。
 ふらふらと根無草のようにあちこちの女性に声を掛ける太宰は、その代わりと言うのか、1人の女性と長続きしているのを見たことがない。
 太宰のことなので、もちろん敦の把握し得ないところで懇ろの女性がいたって何もおかしなことはないのだが、1人の女性を大切にする太宰などどうしてもあり得ないと思ってしまう。こう言っては太宰に怒られてしまうかもしれないが。
 だからたぶん、何かの取引とか情報交換とか、そういうビジネス的な関係で定期的に会う相手なのだろうなというのが敦の予想だった。
 太宰が気まぐれに時間通りに現れる件について、探偵社で1度だけ話題に上ったことがある。その時に乱歩から「下手に突かない方が身のためだよ」と忠告を受けているので、正解かどうかはわからないのだが。
 知りたいのは山々だが、この得体の知れない先輩は何を隠しているのかわかったものではないので、乱歩の言う通り何も言うべきではないと判断して、心の中だけに留めている。


 そんなある日。国木田と2人、依頼人のところへ出掛ける途中のことだった。
 1本向こうの路地裏が嫌に騒がしいのを感じ取ってちらりと覗くと、黒ずくめのスーツに身を包んだ男と目が合ってしまった。どこかで見たことのある小柄なその男は一瞬だけ目を見開いた後、躊躇うこともせず敦たちの方にずかずかと歩いてくる。
 咄嗟に誰だったか思い出せずに記憶の糸を必死で辿っていると、国木田が敦を庇うように1歩前へと進み出た。
「ポートマフィアの五大幹部が何の用だ」
 ああ、そうだ、ポートマフィアの。確か中原中也とかいったか。
 敦が脳内で豆電球をぴこんと光らせるのと、中原が数歩離れた距離で立ち止まるのはほぼ同時だった。
「別に、そっちがうちの邪魔しねぇなら用はねぇよ。停戦協定中だしな」
「そうか。こちらもうちの邪魔をしないなら用はない」
「なんだ、ならかまやしねぇよ」
 あっさりと会話は終了した。敦たちが様子を伺っているので邪魔をされないか危惧しただけなのだろう。
 中原が外套を翻してこちらに背を向けたと同時、風が起こってふわりと嗅いだことのある匂いが鼻腔を擽った。
 あれ、これ、と思ったと同時に好奇心に負けた口が「あの!」と声を発していた。
 中原が「あぁ?」と柄の悪い声を出して半身だけ振り返る。
 国木田が「この馬鹿」とでも言いたげな目で敦を制するが、口に出してしまったものはもう取り返しがつかなかった。
「え、えと、あの、」
 しどろもどろになりながら、何と言えばいいのか必死に考えるが、咄嗟に上手い言葉などそう簡単に浮かぶものではない。
「その煙草、銘柄は何でしょう」
 結局、出てきたのは不審極まりない質問で、中原が一気に警戒心を引き上げたのがわかった。
 返答次第では今にも殺すとでも言いたげな眼光で鋭く睨みつけられる。芥川の視線も十分人が殺せそうなレベルだと思っていたが、五大幹部ともなればそれ以上なのか。竦み上がって指先まで凍りついた。
 国木田もポケットの手帳を掴んで臨戦体制だ。
 こんな真っ昼間の街中で一触即発の雰囲気を生み出してしまったことにガタガタと震えそうになるのを必死で押しとどめる。
「それ聞いてどうする気だ」
「すみません!何でもありません!」
 すぐさま謝って後退りしようとするが、竦み上がった足はまんじりとも動かなかった。
「いいから質問に答えろ」
 こちらに1歩、2歩と威圧感を与えるように緩慢に近づいてくるのが恐怖でしかなくて、敦は正直に答えることしかできなかった。
「だ、太宰さんから時々同じ煙草の匂いがしてて」
 ぴたり、と中原の歩みが止まったことに安堵して、続きを一気に捲し立てた。
「他で嗅いだことがない匂いだったので、気になって!ただそれだけです。すみません、ありがとうございました!」
 敦は自分でも何を口走っているのかわからないまま漸く動くようになった足で脱兎の如く駆け出した。
 後ろから「おい、待て敦!」と国木田の声が追ってきたが、動き始めた足はすぐに止まることはできなかった。
 残された国木田と中原は臨戦体制のまましばし睨み合う。
 大きな爆弾を投下したことに逃げた本人は気づいているのかいないのか。先に空気を弛緩させたのは、中原の大きなため息だった。
「ここでやり合ってもお互いメリットねぇだろ。解散しようぜ」
 中原がすぐにでも飛びかかれるような構えの姿勢を解いたのを確認し、国木田もポケットの中で握っていた手帳から手を離す。
 お互いゆるゆると臨戦体制を崩し、戦闘の意志がないことを示していく。
「じゃあな、さっき聞いたことは気にするな」
 言い捨てて今度こそ踵を返してカツカツと遠ざかっていく足音を聞きながら、国木田は突然降って沸いた情報をどう咀嚼するべきかと頭を巡らせるのであった。

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