夜明 奈央
2024-05-05 13:25:18
14831文字
Public 中太小説
 

明日も、君と

社会人中也×理系(化学系)大学院生太宰の現パロ中太。ナチュラルに付き合ってる乱与が出てくる。みんな+2歳の世界線。続き→いつまでも、君と
2022年9月3日初出

 太宰治がその日の実験ノートをまとめながら時計を見ると、午後10時を回ったところだった。そろそろ帰ろう、と考えていると、同じ研究室の先輩――与謝野晶子から声を掛けられた。
「太宰、そろそろ帰ろうと思うんだが」
「ああ、私ももう帰ります」
「なら妾はあっちの戸締まりしてくるよ」
「ありがとうございます」
 短く確認し合い、手分けして研究室を閉めていく。日中付けっぱなしになっている各機器の電源を落とし、薬品庫やいくつもある研究室の扉を施錠する。そうして戸締り消灯を全て終わらせ研究室を出ると、廊下はひっそりと静まり返っていた。非常口表示の光だけが薄暗く辺りを照らし出している。近隣の他の研究室はもうみんな帰ってしまっているのだろう。いつものことだった。
 灯りを付けても良いのだが、また消すのも面倒であるし、見えない程の暗闇でもないのでそのまま連れ立って歩き出す。向かう先は2人が通学に利用しているこの大学の最寄駅だ。
 その間、2人の間にはぽつりぽつりと当たり障りのない会話が交わされる。
「今日は泊まらないんだな」
 与謝野が揶揄うように落とした言葉に、太宰は肩を竦めて答えた。
「流石に2日連続で研究室に泊まるのは勘弁願いたいので」
「違いない」


 昨夜、太宰は研究室に泊まっていた。最近は特に急ぎの実験などもないので帰ろうと思えば帰れたのだが、興が乗って気付けば終電の時刻を過ぎていた。
 この学校にはシャワー室があり、研究室内には仮眠に使えるソファも備え付けられているため、1〜2泊程度なら特に支障はない。さらにそれを知っている太宰は歯ブラシや充電器、果ては着替えなども置きっぱなしにしているので、まあいいか、程度の軽い気持ちでよく研究室に泊まっている。
 他の人は嫌がって余程でない限り泊まりはしないのだが、太宰からすればそこまで嫌がる理由がわからない。むしろ帰るのが面倒で泊まる日があるぐらいだ。
 とはいえ寝るのに適した環境というわけでもないので、学会前などの本当に切羽詰まっている時以外はなるべく帰りたい。


 太宰と与謝野は福沢諭吉が教授を務める研究室――通称福沢研――に所属する大学院生である。太宰は修士課程2年生、与謝野は博士後期課程3年生であった。
 この学校では大学院に進む学生は決して少なくない。2人とも学部生の頃から福沢研に所属しており、そのまま進学したため、付き合いは3年目になる。取り立てて趣味嗜好が合うというわけではなかったが、朝から晩まで実験に明け暮れ、時にはディスカッションをし、時には研究室をあげて開催されるBBQや旅行に参加する中で、交流は自然と生まれるものである。
 しかも、修士課程修了後就職予定の国木田独歩とは違い、博士課程へ進学予定の太宰は与謝野と共に福沢の受け持つ授業のアシスタントや後輩指導等を頼まれることが多く、福沢研に所属する数多くの学生たちの中でも特に懇意にしている方であった。


 建物の外に出ると、空は雲ひとつなく晴れ渡っていて、満月に近い大きな月が静かに夜道を照らしていた。最近食べて美味しかったお菓子の話や日中の後輩の失敗談、来週の授業アシスタントの話など、尽きぬ話題を繰り広げながら最寄駅へと向かう。
 駅に近づくにつれてコンビニや居酒屋が現れ、十分に明るいと思っていた月明かりも目立たなくなっていった。
「今日金曜日でしたね」
「そうだったねぇ」
 それまでしていた駐輪場に住み着く野良猫の話がひと段落したところで酔った学生に突進され、つい感想を漏らしてしまった。そこかしこに飲み会終わりであろう学生やサラリーマンの集団が見える。
 今日は一般的には休みの前日である。だが、土曜日も稼働している福沢研では違う。
 配属されてすぐの頃は「休みが1日しかないなんて!」と文句を言ったものだが、数ヶ月もすれば気にならなくなるものである。だからこの話題はそこで流れるものかと思われたが、意外にも与謝野はその話題を引き継いだ。
「あんた、金曜なのに恋人はほったらかしてて大丈夫なのかい?」

 恋人とは、太宰が学部生の頃から付き合っている男――中原中也のことだった。太宰が今も通い続けている大学で出会い、紆余曲折ありつつも交際をスタートし、4年が経とうとしている。
 といっても、学部も異なる中也と与謝野の間に面識はない。太宰は恋人がいることを隠していないので、時々こうして揶揄うネタにされるだけだ。
 詳細は話していないし話す気もないので相手が男だということは言っていないが、与謝野にはバレているような気がする。他人が隠したいことを詮索するようなデリカシーのない人ではないので確認したことはないが。

「なんですか、藪から棒に」
「あんたの相手、土日休みなんだろ?家に来たりしないのかい?」
「今日は来ませんよ。飲み会だって言ってたので」
「ふーん」
 詰まらなそうな声を出す。到着した駅で改札をくぐりながら、続けて尋ねてきた。
「最近会ってはいるのかい?」
「まあ、それなりに」
 当たり障りのない答えを返し、一緒に与謝野が利用する線のホームへ向かう。太宰の自宅方面とは逆方向であるのだが、一緒に帰る時は基本的に電車に乗るところまで見送ることにしている。与謝野より自分の方が終電が早いので、終電狙いの時だけは例外であるが。
 今日が初めてでもないので、与謝野も何も言わない。ただ、この時ばかりはさっさとここで別れてしまおうかという気持ちになった。
 あまり突かれたくない。お互い学部生だった頃には毎日のように部屋を行き来し、半同棲のような生活を送っていたが、今では多くても週に1〜2回しか会っていなかった。
 それすら、タイミングが合わずにここ1ヶ月程はなくなっている。

「付き合い長いからって油断してると横から掻っ攫われるよ?」
「あはは、気をつけます」
 あまり会っていないことをあっさり見抜かれ、苦笑いする。誤魔化そうと向かいのホームに先程入ってきていた電車に目をやると、そこで車内からこちらを凝視している人物とはっきり目が合った。
 目を見開いて固まる太宰を訝しんで与謝野も同じようにその電車を見るが、特に変わったものはない。すぐに発車のアナウンスが響く。扉が閉まり、電車がゆっくりと動き始め、やがてホームからいなくなるまで見送ってから、太宰はようやく口を開いた。

「あー、たぶん、浮気、してると思われたみたいです」

 目が合ったのはたった今話題に上っていた太宰の恋人であった。与謝野には無言で背中を叩かれた。


***


「それでは、鈴木くんの新しい門出を祝して!一本締めで締めたいと思います!それでは皆さん、お手を拝借!」
 酔っ払いの幹事が陽気に声を上げる。イヨー パンッ
 掛け声に合わせて柏手が打たれ、すぐに拍手へ。近くにいた人間から、鈴木はもみくちゃにされながらも嬉しそうに笑っていた。
 中也は今夜、同期の結婚を祝福すべく開催された飲み会に参加していた。学生の頃から付き合っていた彼女とついこないだ入籍したのだという。
 彼女の話は今までにも時々聞いていたのだが、写真を見せてもらったのは今日が初めてだった。結婚祝いだからとみんなで遠慮なく惚気を要求しまくったのだ。デレデレと嬉しそうに見せられた写真に写る鈴木の彼女、改め奥さんは美人で、場は大いに盛り上がった。「おい、友達紹介してくれよ」とか「お前にはもったいない」とか、本気だか冗談だかわからない台詞が飛び交っていた。

 それを同じように囃し立てながら、中也の脳裏に浮かんでいたのは鈴木の奥さんに負けず劣らず美人な自身の恋人のことであった。それがわかったのか単に揶揄いたいだけなのか、「お前はどうなんだ」と矛先を向けられ、逃げるように「向こうはまだ学生だから」と言うと今度は相手について根掘り葉掘り尋ねられてしまった。
 その時にはみんなとっくに酔っていたので遠慮がなかったのだ。
 会社で男と付き合っていると噂されるのは勘弁願いたいので、写真を見せろという追及をどうにか躱し、当たり障りのない説明をする。
 だが「今年卒業するけど、まだ進学するつもりらしい」と言ったところで幾人かから憐れみのような目を向けられてしまった。代表した1人に「いいのか?」と恐る恐る尋ねられ、「まだ若い」「好きなことをやらせてやりたい」「お互い子供が欲しいわけじゃないから急ぐ必要はない」などと説明すると、一同は釈然としないながらも「お前が納得してるなら良いけど」と引いていった。
 中也はそれに安堵しながらも、内心では自分を嘲笑っていた。
 何故なら、それらはずっと自分が自分に言い聞かせてきたことだったので。


 少し前、太宰は進学するつもりなのだと言った。ゆくゆくはどこかの研究員になりたいらしい。
 別にそれはいい。夢があるのもそれに向かって努力するのも素晴らしいことだと思う。中也にはなりたいものもやりたいことも取り立ててなく、卒業するから仕方なく就職したようなものなので、余計にそう思うのかもしれない。

 けれど、進学して、それから?博士課程を終える頃にはお互い27歳だ。今はともかく、その頃にはそろそろ、将来のことだって考えるべきだろう。
 だがおそらく、その後もすぐに生活が落ち着くことはない。運良く民間企業にでも就職できれば良いが、教育機関に残るなら次に待っているのはポスドクや特任助教などの短任期の仕事だ。それだっていくらでもポストが余っているわけではないから、日本全国、下手すれば海外も視野に入れて就職先を求めることになる。

 太宰は中也とのことをどう考えているのだろうか。要領の良い太宰のことだから、なんだかんだ上手いことやるのではないかという期待もあるが、太宰にその気がなければ話は別だ。
 今のところ別れる気はなさそうだが、かといって中也とこれからもずっと、などということは全く考えていないように見える。


 飲み会を終えて仲間と別れ、1人になった瞬間に抱えていた不安がどんどん湧き上がってきて、途方もない気持ちになった。最近会っていないから余計に不安になるのかもしれない。
 そう思うと急に太宰に会いたくなってきて、会いに行こうと思った。連絡はしていないが合鍵は貰っているし、おそらく帰りは遅いだろうが明日は休みなのでどうにでもなる。こんな風に突然訪れることも別に初めてではない。たまに研究室に泊まり込んでいるのは知っているが、その時はその時である。酔った頭では深く考えていなかった。

 電車に乗り、できるだけ余計なことを考えないようぼんやりと窓を眺めていた。明るく照らされた車内からは、暗い外の景色は見えない。ぼんやりとした酔っ払いが写るだけだ。
 そうしていくつかの駅を通り過ぎたところで太宰が現在通っている、自分の母校でもある大学の最寄駅に到着した。開く扉と乗降する客を見ながら「ここで太宰が乗ってきたりしねぇかな」と期待するが、そう都合良くいくはずもなかった。
 そこまで期待していたわけでもないので先程まで見ていた窓に視線を戻す。明るい駅に到着したことで、窓の外が見えた。

 と、向かい側のホームで仲睦まじく談笑する男女が視界に入った。女の方は知らないが、男の方は見覚えがある。なんせ自分の恋人であるので。
 信じられない思いでそれを凝視していると男――太宰がこちらを向いた。おそらく中也の存在にも気付いただろう。中也の方を向いたと同時にぴたりと動きを止めて、隣の女が何事かと声を掛けているようだったがそのまま硬直していた。
 中也は何か言おうとして口を開いたが、届くわけがないことに気付いて呼気だけが溢れ落ちた。

 誰だ、あの女。その言葉だけが中也の頭の中をぐるぐると支配し続けていた。


***


 太宰は自宅アパートの前で、自分の部屋に灯りが付いていることを確認してため息を吐いた。今朝、家を出る時には消したはずなので、中也が来ているということであろう。
 太宰の家の鍵は、太宰が持つものと中也が持っているものの2つしかないし、そもそも中也が自宅に帰るならあの電車に乗っていることはない。
 どう説明すればわかってくれるだろう。与謝野と駅で別れてからここに来るまでの間、脳内で色んなパターンのシミュレーションを延々と繰り広げている。なんで本当に浮気していたわけでもないのにこんなに動揺してるんだ。心の中で毒づく。

 理由はわかっている。最近の中也は嫉妬深い。毎日のように会い、お互いの交友関係も概ね理解していた学生時代はむしろもっと妬いてくれないものかと思うぐらいに大らかだったが、今では違う。
 不安なんだろうとは思うが、どうするのが正解か太宰にはわからなかった。


 2階建木造アパートの1階、奥から2つ目。それが太宰が入学した時から住んでいる部屋だった。
 太宰がここに住み始めた頃には1番奥の部屋にも他大学の学生らしい男が住んでいたのだが、気が付いた頃にはいなくなっていた。その後は誰も入居していないので、ここ2年程は空き部屋になっている。
 1階なので、大して長くもない外廊下を数歩進めばすぐに玄関にたどり着いてしまう。鍵を差すのを一瞬だけ躊躇って、あまりもたつくと変に勘繰られるかもしれないとすぐに解錠した。
 できるだけいつも通りを装う。
「ただいま」
「おかえり」
 扉を開けるとすぐに狭いワンルームに中也が座っているのが見えた。予想通り不機嫌そうな顔をしている。すぐにでも問い詰められるかと思ったが、意外にもそれ以上何も言わなかった。
 太宰はそれなら今のうちに、とポケットの中身を放り出し、水を飲む。それから、この部屋にいる時の定位置である中也の隣の座布団に座ったところで、中也は重々しく口を開いた。
「なあ、なんであっち側にいたんだよ」
 棘のある言葉に身構える。あっち側とは自宅とは逆方向に向かうホームのことだろう。
「一緒にいた人、与謝野さんって言って、研究室の先輩なんだけど、あっち方面に帰るから送っていってただけだよ。今時物騒だからね」
「駅まででいいだろ」
「構内での痴漢も珍しくないよ」
「じゃぁ手前は毎日あの女のボディーガードやってるわけ?」
「毎日なわけないでしょ。タイミングが合った時だけだよ」
 なるべく刺激しないように、言い訳がましくないようにと努めているが、中也の声は硬い。じっと見つめられるのが居心地悪く、つい目を逸らしそうになるのをぐっと堪える。逸らすと疾しいことがあるみたいだ。
「君だって仕事場に女性の1人や2人いるし、遅くなったら送っていくぐらいするでしょ」
「するけど」
「一緒でしょ?君は良くて私はダメなの?」
「そういうわけじゃねぇけど」
 言い淀んで目を逸らされた。
 きっと疑っている癖に、「浮気してるんじゃないか」とか「あの女とはどういう関係なんだ」とか、そういった類の言葉は出てこない。いつもだった。
 中也が疑う相手となんでもないことは説明できるけれど、ただ一緒にいることを責められるとどうしようもない。最近はあまり会えていないから、中也より一緒にいる時間が長い人なんていっぱいいる。
「ね、中也が不安に思うようなことは何もないよ。あの人、研究室内に彼氏いるし、私に恋人がいるのも知ってる。っていうかお互い好みでもないし。私が配属された時からずっといるから、付き合いは長いけど、それだけだよ」
 疾しいことなど何もないのだと説明する。中也に信じてほしくて、思いが伝わればいいと思って手を握った。
 中也の視線がちろりとこちらに戻ってくる。
「別に不安とかそんなんじゃない」
「じゃあ何に怒ってるの」
 それには返事がなく、代わりに引き寄せられて唇が重なった。唇の表面だけを合わせて何度か角度を変えた後、舌が伸びてきたが、太宰の舌を1度舐めただけであっさり離れていった。
 額同士をこつんと合わせ、至近距離で囁かれる。
「なあ、指輪とか、買ったら付けてくれんの」
 思いがけない展開に太宰は少々面食らった。そんなことを言われたのは初めてだった。
「やっぱり不安なんじゃないか」
「そうじゃねぇけど」
 そっと握った手の薬指を撫でられる。中也の目は言葉とは裏腹に揺れていた。指輪ぐらいで納得するのなら付けてあげたいのだが。
「指輪はちょっと……
「なんで」
「実験中は危ないからできないし、外したら失くしそう」
「失くすなよ」
「そうだけど。でも日中はほとんどずっと実験してるから、貰っても休みの日ぐらいしか付けれないよ」
 ようやく浮上してきた中也の機嫌がまた下降するのを感じたが、こればっかりはどうしようもない。むしろ安易に承諾して失くした時の方が怖い。
 どうにか気を逸らそうと思考を巡らせる。
「そんなもの付けなくてもさ、君が痕、付けてくれれば済むんじゃない?」
 にこりと笑って中也の手を自分の服の中へ導いてやる。中也は釈然としないようではあったが、脇腹から背へと這っていく指先は満更でもなさそうだった。

「久しぶりなんだからさ、」
 続けるつもりだった言葉は中也の口の中に飲み込まれていった。
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