racmon
2024-04-02 18:23:24
9952文字
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過去無配まとめ

べったーからの移行です



『ナニワっ子ベイクオフ』

◯ロショウのパンケーキ

「簓、パンケーキ食べるやろ?」
 フライ返しを持った盧笙がバスルームまで訊ねにきた。「鍵締めるし、無駄やで」と俺に釘を刺しておいて、自分はひょいひょい覗きにくるのだから納得がいかない。しかも下心はまるでない。水も滴るイイササラをもっとよく見ろと思う。
……盧笙、これクレープやで」
 テーブルに用意されていたのは薄い生地をくるりと巻いて、そこに粉砂糖がかけられたものだった。隣には丁寧にレモンが添えてある。髪を乾かしながら想像していたものとはかなり違っていた。
「簓ぁ、知らんのか? こっちのパンケーキいうたらこれなんやで」
 天井を見る勢いでふんぞり返る盧笙は、イギリス通にでもなる気らしい。このお菓子の発祥から作り方まですべて説明してくれた。
「さっぱりしてて、食欲なくても食べやすいやろ?」
「うん。小腹空いた時にもちょうどええかも」
「俺らが知ってるパンケーキいうたら、分厚い座布団みたいなやつやん」
「ロケで行ったことあるけど、まあまあやでほんま」
「でもあれを生徒らはペロッと食べるらしいわ」
 そんな雑談をしながら、盧笙の手元では一枚二枚とどんどん焼き上げられていく。見惚れるほどに鮮やかな手つきだった。そのうち例の名物料理対決番組に出たいと言い出すかもしれない。そうなれば俺はこの国でも顔と名前を覚えてもらわなければ。俺は盧笙におかわりをおねだりして、その素朴な味を噛み締めた。



◯ロショウのスコーン

 盧笙は今日もキッチンに張り付いている。首から掛けるタイプの本格的なエプロンも、いつのまにか手に入れていた。近くのチャリティショップで購入したらしい。トコトン躑躅森盧笙、という感じだ。
「フラワー足りへんからちょっと買うてくる──おっと、フラワーいうてもお花ちゃうで」
 調子に乗る盧笙ほど見ていて楽しいものはない。イキイキとしていて、ずっとそのままのお前でいてくれと涙さえ出るほどだった。
 今日のお菓子はスコーン。俺のリクエストだ。備え付けのオーブンを使いたがる盧笙に提案すると、すぐにレシピを調べてくれた。
「うまいこと焼けてるやん」
「まあな。わりと簡単やったわ」
 ティーカップを持つ手が震える。盧笙の鼻がどこまでも高くなっていくのをクールに流すのもラクじゃない。
「クロテッドクリームとジャムの付ける順番で揉めるらしいで」
「なにそれ?」
「地域によってちゃうらしいわ」
「俺らにはようわからん話やな。そもそもこのクリーム自体その辺で見ぃひんやん」
「阪急の英国フェアやったらあるやろ。次いつやろ、絶対行く」
……お前しまいに手芸教室とか通いだしそうやな」
 隠居してからは養蜂でもするかと、遠い未来を眺めた。



◯ロショウの? ? ?

 目覚ましに香ばしい匂いが鼻をくすぐった。バターと小麦粉、甘さはなさそうだ。盧笙はついにパンにも手を出したようだ。帰国したらオーブンを買ってやるしかない。俺は焼きたての朝食をいただくため体を起こした。いい匂いだけを残して、盧笙の姿がない。クゥと腹が鳴る。つまみ食いはよくないが、出来上がりを見るだけなら許されるだろう。俺はコンロの上で冷まされた天板を覗き込んだ。
「ヒッ……
 俺はクロワッサンやデニッシュのようなものを想像していた。ふんわりとバターの甘さが優しい、そんな幸せを期待していた。目の前にあるのは飛び出した魚の頭。それも五つだ。パイ生地に溺れ、こちらを虚ろに見つめている。
「盧笙……俺に言えへん気持ちを料理にぶつけてるんちゃうか……
「あ、簓。起きたか」
 能天気な声で俺を呼んだ盧笙の様子はいつもとなにも変わらない。そのことが俺を切なくさせた。不満や不安があるなら、気にせずぶつけてほしい。
「おお見たか! これはスターゲイジーパイや!」
「ええ……?」
「これはイギリスのコーンウォールっちゅうとこの伝統料理や」
「ああ、そう……。盧笙が楽しそうでなにより……
「これはなかなか、やっぱりパイ生地やからな」
 腕を組んで唸る盧笙はほとんどシェフの顔をしていた。一度凝り出すと止まらない、そういう探究心や向上心は俺も見習いたい。
「どっか店で食べれたらとおもててんけど、調べてもこの辺あんまりなくてなあ。でも見た目はそれっぽいやろ?」
「いや俺だから、元を知らんねんて……はあびっくりした……
 盧笙は快活に笑いながら、新しいレパートリー候補のパイを振る舞ってくれた。
「うん、まあ、フィッシュパイやな。美味い」
「ちょっと味濃いめにしたからな。こないだのシチューの要領で」
「ああだからか。グラタンぽい感じもする」
 黙々と食べ続け、残った半分はまた昼に食べようと冷蔵庫へ仕舞った。ぼんやりテレビを見て、思い出したかのようにキスをして、布団でひとしきり楽しんだあと、気がついた。
「でも俺ら元の味知らんやん」
「俺も今おんなじこと考えてた。美味いか美味くないかだけでいうたらそンでええけど、俺は元々本場の味を知りたくて調べてたわけで──」
「ほなまた来なあかんな」
 食後で少し膨らんだ盧笙の腹を撫でる。くすぐったいと身を捩って、盧笙は俺の顎の下に頭をもぐらせた。
「ああ。次は海の近くの町とか行きたい」
「せやったら夏がええなあ」
 言葉も違えば生活様式も違うこの国で、俺たちはのびのびと過ごしていた。移り住むということはまずないだろう。魂がオオサカにあり続けることは変わらない。ただときどき誰かに、無性に、愛する人を自慢したくなった時。そんなとき、またここへ訪れたい。