racmon
2024-04-02 18:23:24
9952文字
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過去無配まとめ

べったーからの移行です

『願ってもない』

 この街は案外世話好きな奴が多い。ありがた迷惑ともいう。
 鼻の下に挟んでいたペンを、今度は手持ち無沙汰に回す。ぼんやりしている俺を見て、左馬刻が顎で催促した。言い出したのはてめぇだろうが、と目で訴えてくる。淡い藤色の紙を摘んで、宙に泳がせた。真剣に向き合ったところで、どうにもならない。どんなに強い力を持った神様がいたとしても、俺の願いを叶えられる存在なんていない。そもそも俺は、自分自身がどうなりたいのか分からないときさえあった。心にスコンと空いた穴だけが、いまの俺の確かなものだった。
 
 街のパトロールは腹が膨れる。なじみの店に入ると、いつもプラス一品をサービスでつけてくれるからだ。それが今日は唐揚げでもなければ、胡麻団子でもなかった。持たされたのは、笹と短冊だ。「妹や弟がいるんだろ?」店のオヤジは大雑把にそう言った。左馬刻はそれを無碍にはせず「ああ」と一言、頷いた。
 一郎と空却の関心は得られなかった。左馬刻は一郎に持って帰るように言ったが、案の定断られていた。
 
 五分、十分と、いつも通りの時間が過ぎていく。その中で、カラフルな短冊と揺れる笹だけが異質で居心地が悪かった。
「いやあ、暇やな!」
 振り向いた全員が、その二つのことなんて気にしていないように見えた。そう見せているのかも知れなかった。
「せっかくやし、なんかテキトーに書いてぶら下げたろうや!」
 左馬刻がやれやれと少し笑った。俺のこれは世話好きのすることとは違う。早く処理してしまいたかった。いつもと違う景色への違和感と、みっともないかすかな期待を。
 
 ただの遊びだと割り切れば、少年たちは重かった腰を上げた。ふざけながら、可笑しな願いごとを次から次へと書いていく。正しい姿だと思った。左馬刻は妹の幸せを願った。いまさら天人も知らないはずはないが、これは左馬刻にとっての決意表明なのだと思う。俺はというと、いざペンを握っても何も浮かばなかった。胸から全身にかけて充満する想いはあれど、言葉に変えられない。仮に簡潔に文字で表現できたとして、そこへ籠った念が細い枝に支えられるはずがない。
「簓さん、書けました?」
 三つの視線が集まる。柄にもなく、背中に汗が流れた。この中の誰よりも、俺が一番真に受けている。こんなものは大喜利だと思えばいい。俺はなるべく力を抜いて、ペン先を走らせた。
「ほい! できたよー」
「なんて書いたんすか?」
「ヒャハハ! どうせいつものくだらねえやつだろ!」
 受け取った一郎の手元を覗き込んだ左馬刻が首を傾げた。
「おい簓ァ。つまんねぇっつうかよ、こりゃあマジで意味わかんねぇよ」
 左馬刻の言うことは当然だった。書いたことに意味なんてないからだ。絶対に叶わないようなことであればなんでもよかった。
「エー! オモロいやろ!」
 空却だけが俺を真っ直ぐ見つめている。決して目を逸らしたりはしない。
「海と空がひっくり返って羽が生えた象が穴掘って潜るんやで⁉︎」
 左馬刻と一郎が顔を見合わせて呆れた笑いを浮かべた。
「こんな世界になってみ? 他のどーんな願いもいっぺんに叶ってまうで! ジブンら感謝しぃや!」
 やってられないとばかりに左馬刻が手を挙げると、あとの二人も散らばった。
 遊び倒して置き去りにされた紙切れは、あとで俺が燃やすとしよう。叶えられるもんなら叶えてみろと、そう強く願った。

   ◇   ◇   ◇

 俺は年間行事をきちんとおこなう家庭で育った。理想的だったかどうかはさておき、季節の移り変わりを体感できたのは両親のおかげだ。
 夏は七夕だった。リビングに呼ばれて、差し出された一枚の短冊に一つの願い事を書く。母の目が気になり即物的な内容は書けなくて、毎年それらしいことを捻り出すのが億劫だった。反抗することを覚えてからは『健康第一』と書き殴ってみたりもした。今になるとそれがなによりも大切だと思える。自分自身と、そして大切なひとの健やかな日々を願う。

 乾燥しはじめた笹の葉がカサカサと音を立てた。譲り受けたと言えば聞こえはいいが、厄介払いに押し付けられたと言うのが正しい。
 勤めている高校の学区内に、老舗の学生服店がある。そこの店主から贈られたものだった。生徒たちを孫のように見守るその人は、張り切りすぎて多めに買い込んでしまったらしい。みんなが喜ばなかったわけではない。むしろ飾り付けなど、放課後に集まって満喫している様子も見た。とにかく、量が多すぎたのだ。一連の流れはなんとも微笑ましものだ。七月七日から二週間経っても、まだ職員室の隅に立てかけてあるのは気になっていた。
「躑躅森先生、よかったら」
 良いも悪いもない。けれど、俺は「じゃあ」と頷いてしまった。短冊は三枚だけで遠慮しておいた。

 最後の信号を渡ったところで、俺の第六感が働いた。今日は部屋の電気が点いている、気がする。
……大当たりや」
 直近に見た簓は、湿気で輪郭が曖昧になったような姿だった。可哀想でちょっと可愛い、そんな感じ。今日はどんな風だろう。俺は階段を駆け上がった。
 青々とした緑が眩しい。光合成したのかと訊ねると、簓は一度大袈裟に頷いてからメンテナンスへ行ったと答えた。
「元気そうやな」
「おかげさんで! 天気もええしな! せやけどなにより〜?」
 にじり寄るのを今さら追い払ったりなどしない。俺は腕を大きく広げた。
「ひっさしぶりの盧笙! そら元気にもなるっちゅうもんやで!」
 飛び込んできた体を抱きとめて、頬擦りする。嗅ぎ慣れた香水の中にほんの少し汗のにおいがした。
「お? 盧笙なんこれ?」
「ああ、七夕の残りもろてん」
 簓は俺にぴたりとくっついたまま、袋から突き出た葉を軽く引っ張った。簡単にぷつりと千切れる。
「ありゃ、枯れかけやん」
「捨てんのも面倒やったんやろなあ」
「ほんまに人がええやっちゃ」
 簓はその『人がいい俺』が好きなのか、言ったあとに軽くキスをした。
「短冊もあるで。お前の分も」
「そうなん? ありがとー」
 いそいそと取り出す簓は嬉しそうだ。なにかを一緒に楽しめる相手がいるのは俺も嬉しい。簓は名前の響きが笹と似ているし、もしかすると特別な思い出があるのかもしれない。
「なあ、最後に七夕したんいつ? 大人んなってからあんまりやらんよなあ」
 俺は何気なく言った。
「まあ長いことしてない、けど、ううん、した」
 一瞬ついた嘘に、簓は自分で顔をしかめた。言いたくないけど、言いたいという迷いが見えた。本当は俺に聞いて欲しいのかも知れないと感じた。
「どないやねん。そんときなんて書いた?」
……覚えてない」
「それも嘘やな」
 このスイッチが入った簓は少々扱いにくい。最近になってやっと、俺の前だけで見せる態度だと気づいた。それからはいかに簓の感情や表情を引き出すか、己の腕を試す機会になっている。
「へへへ……。ほんならさ、盧笙は? 願い事っていつもなんて書くん?」
「俺はある時期から『健康第一』としか書かんようになった」
「ワハハ! でもそれは大事やなあ!」
「せやろ? ──あ。いや、そういえば」
 俺は数年前のずるい自分をふと思い出した。教職を志望する学生向けの講習会でのことだった。とてもよい内容だった。ただ勉学についてだけでなく、導く者としての考え方を説いていた。会場を出ると、そこには笹と短冊があった。
「立派な教師になれますようにって、書いたことある」
「そうかあ」
「でもそれは願い事やなくて、自分で成し遂げるもんやとおもたから飾るのはやめた」
 当時の俺はその一枚目を財布にしまったのだ。二枚目は、ただ一人の男として、願う事しかできないもどかしさを書いた。
……飾ったのは、大事な人が元気でありますように、ってやつ」
 俺は簓を見つめる。これ以上は言わせるなよと、眉を寄せた。
「それってさ」
「ああ」
「そうなん?」
「『そう』の意味がわからんけど、お前がそう思うんやったらそうなんちゃう?」
 簓がおずおずと俺の背中に腕を回す。さっきの豪快さとはえらい違いで笑ってしまう。首の後ろまで赤くしていて、また愛おしいと思ってしまう。
「海と空がひっくり返って、羽が生えた象が穴掘って潜りだしても知らんで?」
 簓はごく小さな声で言った。なんのことだか俺にはさっぱり分からない。でも簓が泣いていたのでなにも言わなかった。ただ頭を撫でてやると幸せそうに笑った。