心の丈は深海よりも

MHRウ教×ハ♀。相思相愛。
微妙に本編ネタバレあり。

闘技場の物置の清掃をする師弟であり恋人同士の2人。
何気ないやり取りの中でふと『ウ教はどれだけ自分を想ってくれているのだろうか』が気になってしまうハ♀。



「え…………ッ!?」

早く。

早く、動かないと。

そう思ったのだが、周りを大きな箱物に囲まれていて、立ち上がらなければ移動ができない。
今から立ち上がっても、棚から逃れるには間に合わない。
棚を支えようにも、立ち上がって手を伸ばしたところで、この棚の重量に太刀打ちできるかどうか分からない。
狩場なら自分で何とかしなければいけないのに、どうして今は体が動かないのか。
せめて少しでも身を守ろうと、両腕を盾のように掲げる。

「ウツシ教官ッ……!!」

ぎゅっと目を閉じて、反射のように呼んだのは、愛する人の名。

その声さえかき消すように、がたがたがた、と棚の物がずれていることを告げる、恐ろしい音がした。
考えなくとも、棚に収納された大量の物が、全てこちらに雪崩なだれ落ちて来ようとしている音なことは明白だ。

(教官ッ!!)

固く、固く目を閉じたまま。
最後の悲鳴は声にすらならず。

襲ってくる棚から顔を背け、娘が痛みを覚悟した直後、ふわりと、音もなく。
疾風はやてが、温かく体を包み込むような感覚を覚えた。

「え……!?」

娘が薄く目を開くと、目の前は真っ暗で、けれど、とても優しい温もり。

ほどなくして、がたがたがた、と棚の物が、槍の雨のように容赦なく地面に打ち付ける音がした。

大量の埃が、鎮火後の白煙のように舞い上がる中、次第に静寂が訪れる。
静かになってすぐさま、彼女は目を開こうとしたが、それよりも早く鼓膜が震えた。

「大丈夫かい!? 愛弟子!」

焦りと、憂いを帯びた声。
そんな声が耳元に響いてきた時、ようやく視界が開けて、ようやく娘は理解できた。

彼女の目の前には、心配そうに覗き込んでくるウツシの顔。
彼は、棚に背を向ける形で愛弟子を抱きしめ、物の雨から身を守る盾となっていた。

来てくれた。
けれど彼がそこにいるということは、棚は、棚の物は、自分に降り注ぐはずだった痛みは、全て彼の背中に。

「ウツシ、教官っ……!?」

自分の声が震えていることに気付いた娘は、真っ直ぐ目の前にあるウツシの顔を見つめる。

「け……怪我ッ! 教官、怪我、は……!?」
「それは俺のセリフだよ! 怪我はないかい !?」
「ッ……!」

普段以上に焦りを滲ませたウツシだが、それは全て愛する人を案じるが故。
今の彼の姿が、むの中で、幼き頃に見たいつかの姿と重なる。
とても強く、頼もしく、大きな存在。

眉を下げて泣きそうな顔で、コクコクと何度も娘が首を縦に振ると、ウツシはぐっと顔を近づけてきた。

「本当の、本当に!? 俺に心配かけたくないからとかで我慢したりするのは、絶対にナシだよ!? 本当の本当に、痛いところはない!?」
「な、ないです……! ウツシ教官こそ、背中っ……い、痛いんじゃ……!? ごめんなさい、わたし、余計なこと……! た、倒れてきてた棚は……!?」
「大丈夫だよ。ほら、見てごらん」
「え……?」

ウツシがゆっくりと、娘を抱きしめたまま視界で体を横にずらす。

彼女の目に飛び込んできたのは、重力を感じさせないほと斜めになったまま固定された、先程まで倒れてきていたはずの、中身が零れて空っぽになった棚。

それは、鮮緑に輝く鉄蟲糸によって、まるでモンスターを捕らえた時のように、しっかりと固定されていた。ウツシの手腕だ。

棚が倒れて始めてから、ほんの数秒。
恐らく完全に倒れるまでは十秒もなかったはず。

ウツシの手は迅速に、正確に鉄蟲糸を操り、棚を頑丈に縛り付けていた。

(い……一瞬で、こんなに、正確に……!)

驚いた様子で棚を見つめたまま、娘はぱちぱちと目を瞬かせる。

誰にでもできることのように、さらりとやってのけるウツシだが、英雄と呼ばれるほどの実力を身に着けた彼女には、これがどれほど人間離れした技なのかがよく分かる。

おかげで、二人で棚の下敷きにならずに済んだ。

驚く彼女の頭を優しく撫でながら、ウツシはようやく、金色こんじきの瞳を細めて微笑んだ。

心底安堵したように、彼は小さく息をつく。

……怪我は無さそう、かな? 本当に良かった……! そこの棚、古くなったと思ってはいたけれど、まさか底板が抜けるなんて……ごめんね? ビックリしたろう」
「い、え……! わたしが変に体重をかけて壊しちゃっただけです、すみません……!」
「キミが謝ることは何もないよ、ここの管理者は俺だからね。古いものを放置してた俺の責任だ、怪我がなくて本当に良かった……!」

申し訳なさそうな様子で「ごめんね!」と呟いたウツシは、また優しく、尻もちをついた体勢のままの娘を抱きしめた。

今度は彼女の盾となるような気迫あるものではなく、愛する人の存在を、無事を確かめるような、壊れ物を抱くような優しい抱擁。

「きょう……かん……!!」

そっと、ウツシの大きな背中に優しく手を回しながら娘も同じように、彼の存在を確かめるように抱きしめたが、ハッとしたように背中に置いた手に力が入らない様に意識する。

「き、教官こそ本当に……本当に、背中とか……痛いところは、ないんですか……!?」
「大丈夫だよ、棚にあったのは軽いものばかりだったからね」

ぎゅう、と愛する女性を強く抱きしめてから、ウツシが「キミは優しいね」と付け足し、嬉しそうに彼女の目を見て微笑んだ。

ゆっくりと体を離した彼は、大丈夫、の言葉の証明のように軽やかに立ち上がる。
それからすぐに、娘に向けて優しく片手を差し伸べた。

「大丈夫? 立てそうかい?」
「あ…………ありがとう、ございます

あまりにも大きく、逞しい、ウツシの手を取った娘の胸が、甘く切なく、きゅう、と締め付けられる。

彼の手の温もりから、彼の想いが、彼がどれほど自分愛してくれているかが、伝わってくるようで。
少し前の自分の思考が、心底恥ずかしくなった。
ウツシが具体的に、どれだけ自分を想ってくれているか気になって、不安になるなど。

(わたし……! なんてこと、考えて……!)

恥ずかしくて、情けなくて、震えが止まらなかった。

自分が心の底から、誰よりも愛する彼は。
彼の身を逆に案じてしまいそうになるほど、迷いも、躊躇ためらいも、そんなものは一切見せることなく。
その身をていして守ってくれるほどに、深く、深く、心の底から愛してくれている。

(あなたが傷つくのは嫌なのに……わたしは……!)

わたしは、あなたが大好き。
わたしは、あなたも守りたいのに。

真逆のことをあなたにさせて、それでようやく、あなたの想いの丈を実感するなど、愚の骨頂。

今のことで、こんなにも怖くなるほど、わたしはあなたが大切なのに。

立ち上がってすぐ、 娘はウツシの胸に飛び込むように抱きついた。

「わあっ!? えっ、えっ!? ま、愛弟子……!?」

突然、彼女が胸に飛び込んできてくれた喜びに、ウツシが瞬間沸騰手の如く頬を赤くする。
だが、すぐに彼女が微かに震えていることに気づき、心配そうに表情を曇らせた。

「愛弟子? どう、したの……?」
……ごめんなさい……!」
「えっ……?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

細い、細い、娘の詫声わびごえ

どうして謝るのと聞こうとして、ウツシは言葉を呑んだ。
明らかに壊れた棚のことではないし、彼女があまりにも小さくなって、更に震え始めたから。

「愛弟子……? どうしたの……俺は、大丈夫だよ……?」

優しく、娘の背中を大きな手で撫でながら、ウツシが穏やかに囁く。

里でも王国でも英雄と呼ばれている彼女がこんなにも小さく、細く、力を込めればすぐに壊れてしまいそうなほど、華奢きゃしゃで、繊細に感じられるのは、恋人として二人きりでいる時だけ。

何を不安に思っているのだろうかと、ウツシの胸は切なく締め付けられる。
何も謝ることなどないという想いを伝えたいのに、浮かぶ言葉の何もかもがちゃちに感じられて、声にならなかった。

彼女に、今の自分の心の内側の全てさらけ出して、捧げることができたなら。

そんなことを考えながら、ウツシは落ち着かせるように腕の中の愛する人の背中を撫でていた手を、頭の方に移動させた。

娘の体は、ウツシの腕の中にすっぽりと収まってしまう。

あまりにも愛おしかった。
こんなに震えていることが可哀想なのに、力になれないことがもどかしいのに、確かに愛おしい。
その震えを取り除けるのはきっと自分だけだと、自惚うぬぼれても良いのだろうかと、考えてしまいそうになる。

ウツシは改めて、娘を優しく抱きしめ直した。

……愛してる。愛してるよ、愛弟子……!」
「わ……たしも……! わたしも、愛してます……!」

ウツシの胸に顔を押し付けたまま呟いてから、娘がゆらりと顔を上げる。
その瞳は湖面のように潤んで、ウツシの金色の瞳を真っ直ぐ射抜いていた。

どちらからともなく見つめ合って、吸い寄せられるように顔を寄せ、唇が重なろうとした。
まさに、その瞬間のこと。

「凄い音がしましたが、ご無事ですか!?」
「怪我人はいるかニャー!?」

場の空気を吹き飛ばす、慌てた女性の声とアイルーの声と、重なり合う足音。
娘とウツシはすぐさま、その声の主がヒノエとゼンチであると確信した。

棚から物が雪崩た音を聞きつけてやって来たのだろう。
すぐに慌てて互いに身を離した二人だが、時既に遅く。

「凄い音でしたが、どなたかいらっしゃって……あら?」
……ニャアァァ……

声の主は案の定、里の受付嬢ヒノエと、彼女の隣には里の名医であるアイルーのゼンチ。
二人は、正しくは一人と一匹は、娘とウツシが抱き合って見つめ合い、自分の足音によって離れた瞬間をしっかりと捉えていたようだ。

更に彼女とゼンチの視線は、物置部屋の状況を瞬時にぐるりと見回す。

斜めになったまま、鉄蟲糸に固定されている棚。物置の床に散らばった書類や、雑貨の数々。
室内に居た娘とウツシの、心做こころなしか赤くなっている頬と耳。

その光景で、察しの良い一人と一匹は顔を見合わせて、先程の焦った様子はどこへやら。
ヒノエがすっかり落ち着いた様子で、穏やかに微笑んだ。

「あらあら、こちらにいらっしゃったのは、お二人でしたか。どうやら、私たちはお邪魔をしてしまったようで……
「ニャアア……焦って損したニャ……

お邪魔。
その言葉に、娘とウツシは顔を見合わせる。一層頬を赤くしながら、真っ先に反応したのは娘が先だ。

「お、お邪魔なんて、そ、そんなことありませんっ! むしろゼンチ先生をお呼びしようかと!ウツシ教官がわたしを庇って、背中を痛めてしまって……!」
「あ、あ、大丈夫です! 俺の愛弟子はそれはもう心配性でして、そんなところも可愛いのですが! 俺は痛みは全く! 感じませんっ!!」

我先にと声をあげる娘とウツシの様子に、再びヒノエとゼンチが顔を見合わせる。
うふふ、と微笑ましそうに笑うヒノエの隣で、ゼンチが「ニャアア……」と深めのため息をついた。

「全く、困ったもんだニャ……! まあウツシは結構ムリする傾向があるし、念の為ニャ。後で診療所に来るニャ」
「えええっ!? 大丈夫ですよぉ! 俺、元気いっぱいですよ!?」
「まあまあ、ウツシ教官。この部屋の荒れ方から、何があったかはヒノエたちにも大体察しがついております。念には念を入れた方が良いかと思いますよ」

なだめるように「ね?」と告げたヒノエの笑顔に、ウツシではなく娘がほっとした様子で頷いている。

唯一納得できていなさそうなウツシが「でもぉ!」と声を上げようとした時。

パンッ、とヒノエが軽く両手を叩いて、自分の隣で変わらずに呆れた様子のゼンチの方へ、ある種、有無を言わさぬ陽光の微笑みを向ける。

「さて、それではそろそろ、私たちは退散しましょう。ここの片付けは引き続き、お二人で仲良く頑張って下さいね?」
「まあ、何でもほどほどにするニャよ」

お二人で仲良く、ほどほどに。

里の民たちの方が、本人たち以上に、本人たちがどれほど想い合っているのか、愛し合っているのかをよく分かっている様子だ。

どちらの言葉にも意味深なものを感じながらリラとウツシは、ばつが悪そうに顔を見合わせて頬を赤く染める。

穏やかな様子のまま「失礼します」と去って行ったヒノエに続いて「またあとでニャ」とゼンチはウツシを睨むように一瞥してから、去っていった。

再び戻ってきた、静寂。
残された娘とウツシは、また、顔を見合わせる。
何となく照れくさくて、互いに心臓を高鳴らせ、互いに声を出すタイミングを測っていた、のだが。

「まなでっ……
「きょうか……

何故、こうなるのだろう。
口を開こうとしたタイミングは、全く同じ。二人は同時に言葉を止めて、驚いたように小さく目を見開き、しばらく見つめあっていたが。
やがて同時に「ぶふっ!」と噴き出し、そのまま「あはははっ!」と楽しげに笑い合った。

静かだった物置部屋が、たちまち楽しげな男女の笑い声に満たされる。
心通い合っていればこその、迷いのない澄み渡った声。

……よおし、愛弟子! もう少し手伝ってもらえるかい? とりあえず、ここの片付けを終わらせてしまいたいんだ!」
「もちろんです、ウツシ教官!」

笑顔を交わし合ってから、軽く、ついばむような口付けも交わし合った後、二人は改めて、物置部屋の片付けに戻っていく。

それからは、非常になごやかな時間が流れた。

日常の中、思わぬ時に起こること。
咄嗟の行動には、心の深部が浮かび上がる。

強い想いは体を動かし、意識と理性は蚊帳の外。
想いが強ければ強いほど、ただ、大切な人のために。

二人はまた顔を見合わせ、優しく視線を絡めて微笑み合い、同時に確信する。

日々、互いに言葉で想いを告げてきたからこその確信。
自分たちの想いの丈を示すことに、言葉は、あまりにも非力であると。

想いの宿った眼差しは、優しく交互に想い人を包み込むように見守っていた。

@acadine