不破
2024-03-27 22:36:02
4680文字
Public 空戦
 

#18




 夜。HUDで展開した端末が視界の端に表示する時計が19時を回った頃、日の沈んだケーニヒスベルクの歓楽街。遠く聞こえてくるアストライア・オラクルの歌声を耳にしながらも、雨というわけでもないのに手に傘を携えて進む。情報によると、標的は先のマーケットで買い出しの最中らしい。この殺しを、後ろ暗い暗殺者アサシンとしての最後の仕事とし、妻と娘に伸びる魔の手を振り払うため、アレンは通りの角を曲がった。
 広くない通り。その路肩に停められている車高の低い黒い車。コルベットと呼ばれる車種の、速度を出すための形状をした車だ。標的が私用車として使用しているもので間違いない。

「まったく、嘆かわしいこと。メルゼブルクに名を連ねる伯爵がジャンクフードにお酒ばかりなんて」

 と、店から出てきたばかりだったらしい。凛とした女性の声が聞こえ、アレンはそちらに目をやった。声の主である、紙袋を胸の前で抱えた小柄な女性。ニオ・ダヴェンポート少佐が車の前側から助手席側へ回り込んでいく。その間に、ダヴェンポート少佐と連れ立って店から出てきた人物が鬱陶しいと言いたげに低い声で唸った。フュゼ・ナイトレイ大尉。この仕事に置ける標的にして、おそらく真っ当な人間ではない人物。車のロックが解除されたことを告げる為に点滅したハザードランプを確認したらしいダヴェンポート少佐が助手席のドアを開いた。
それを横目に、アレンは足音に気を配りながらも、足早にナイトレイ大尉に近づきつつ手にしていた傘から細身の刀剣を抜き出した。
 魔術、「ミーム・デコヒーレンス」。アレンの常時発動型の反認識術であり、これがある限りアレンの存在感は限りなく無となり、印象にも残らない。これ以上なく暗殺に向いた魔術だ。標的だけでなく、車の向こうにいるダヴェンポート少佐もこちらの存在に気が付かない。この魔術を駆使して、これまでに何人もの標的を殺めてきた。今回も同じだ。
 手にした刀剣を構え、なにも知らぬ標的の心臓を背後から狙う。この人物に恨みなどない。故にこの刃に乗る感情はなく、ただ冷たい鋼を振りかざす。黒いコートの後ろ姿目掛けて引き込んだ刃の切っ先が一直線に伸びていく。その切っ先が黒いコートに触れ、標的の背中に食い込まんとした瞬間だった。まるでその刃に合わせたかのように、標的が身体を翻した。切っ先が捉えたと思ったばかりの背中が刃と同じ速度で同じ方向へ動き、横にずれて切っ先から離れていく。

「なっ……?」

 空を切る切っ先に目を見開きながらも、アレンは咄嗟に溢した。その瞬間、右頬を衝撃が襲った。揺れる視界の中、標的と目が合った。月のような金色と、深い夜のような紫色の目は真っ直ぐにこちらを捉えている。ぞくりとした感覚を覚えながらも、頬を襲った衝撃に押されて左側へ倒れ込んだ。

「くっ……!?」

 手をついた歩道が視界に広がった瞬間、アレンは失敗を悟る。すぐさま離脱を決め、転がるようにして受け身を取り、歩道を駆け出した。間髪入れず背後から数発分の銃声が追いかけて来、左足を激痛が襲った。

「うっ! くそっ……!!」

 次元が違う。切っ先が自分の身体に触れた瞬間から反応して回避を間に合わせるなど、速いなどというレベルの話ではない。反射と同等かそれ以上の反応速度。しかし反射にしてはあまりにも正確な身のこなしで反撃までこなしてみせた。ついこの間まで平和だったリベルタリアにここまで戦いに順応した人間などそう居るものではない。
 左足を引きずりながら走り、路肩に停められていた車の窓を刀剣の柄で叩き割って車内に手を突っ込み、ロックを解除するとドアを開いた。車の運転に自信はないが、この足で逃げ切るにはこれしかない。端末に忍ばせている簡易なハッキングプログラムを走らせて強制的にエンジンを掛けると、アレンはシフトレバーをドライブに入れた。