HAZURE_Mapo
2024-03-24 21:21:44
3943文字
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ヒナゲシ

CPアシュプリ。他にボーマン。別れの話。次頁に後日譚載せています。何でも許せる方向け。

 この日は満月だった。
 しかし幾つもの厚い雲が空を覆い、月見と言うには風情に欠ける夜だった。

 修行のためにエクスペルの各地に点在し、紋章剣士としての腕を磨いていたアシュトン。
 この日は数ヶ月ぶりに大都市クロスを訪れた。修行の最中でも資金調達のために小さな集落で依頼を受けることはあったが、人口密度が高い街に入る機会はなかった。
 全てはプリシスに会うため。
 彼女がもっとみんなの役に立つ機械を作りたいと、日々研究し努力していることを知っていた。だから自分も彼女に見合うようにならなければと、自らの剣技を日夜研鑽していた。
 互いに好意を持っているのは分かっていたが、恋人と言うまでではない関係性。このままで良いと思う気持ち半分、これ以上の関係性に駒を進めたいと思う気持ちが半分だが、この均等は常にほんの少しどちらかへ傾くため、心の天秤は安定していなかった。
 そんな彼女から伝えたいことがあると連絡があった。通常だと連絡はプリシスからすることは無く、大抵アシュトンから行っていた。何か見て欲しい機械でも完成したのか、理由は定かではないが、とにかく彼女から連絡が来たことに心躍っていた。
 しかし、一つだけ懸念があった。
 待ち合わせに指定された時間が夜だった。
 何故暗い時間なんだろう、昼間ではいけなかったのか、明るい時間から会えたのなら一緒に過ごす時間が長くなってもっと良かったのに、そんなことを思って広場にあるベンチに座り、プリシスを待っていた。


「あたしね、地球に行くんだ」
 久しぶりの挨拶もそこそこに済ませ、アシュトンの隣に座ると開口一番、プリシスはこう言った。
 その告白は、アシュトンにとって寝耳に水だった。
「えっ、地球?クロードの故郷の?」
 裏返りそうな声でアシュトンは尋ねる。
「うん。地球でもっと機械について勉強したいなって。クロードも応援してくれてるし、レナとレオンも一緒に行くから、寂しくなんてないよ。むしろ楽しみかも」
 アシュトンは心臓の鼓動が大きくなるのを感じていた。地球がエクスペルからどれほど遠い惑星かクロードから聞いていた。一度行ってしまったら次に会えるのは少なくとも数年後。連絡も今より格段に取れなくなる。それほど遠くに大切な人が行ってしまうとは思ってもいなかった。
……いつ、エクスペルを経つの?」
 精一杯の冷静さを装ったつもりで今度は違う質問をする。
「明日。だからどうしても言っておきたかったんだ。よかった、アシュトンと会えて」
 なんで、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ。疑問系が頭の中で渦巻く。重大な情報を短時間に聞かされ混乱しているアシュトンは、すぐ隣にいるプリシスの顔すら直視出来ない状態に陥った。

「あと、もうひとつ伝えるね。ちょっと耳貸して」
 プリシスは穏やかな笑みを浮かべて言ったが、やっと見る事が出来たその表情にアシュトンは嫌な予感がした。
 これ以上辛い事など聞きたくない。
 そう思っている事など露知らず、お構いなしにプリシスの方からアシュトンに近づき、耳元でそっと呟いた。


 ぐやぐやなんじをいかんせん


「え……どういう意味?」
 全く聞いた事のない言葉の羅列にアシュトンはさらに狼狽えた。
 プリシスはその場にすっと立ち、動揺を隠せない彼を見つめながら返答する。
「あたしは自分から望んで地球に行くから、ちょっと本当の意味とは違うんだけど。レナとレオンもいるし。
 でも、そのくらいの気持ちで行ってくる。元気でね、アシュトン」
 何の気まぐれか、叢雲がその瞬間のみ避け露わになった月光がプリシスの背後を照らし、仄かな後光が差しているようだった。それがアシュトンには眩しく感じられ、彼女の鮮明な表情は分からなかったが、頬に一筋の涙が流れた事だけは分かった。
「じゃ、言いたいことは言ったから!おやすみ、アシュトン」
 いつものように甲高く陽気な声で別れを告げ、彼に背を向け走り出す。
 しかしアシュトンはすぐさま追いかけ彼女の手腕を掴み、その場に静止させた。
 微かな嗚咽が聞こえてくる。こちらを見ようとしない彼女から発せられたものだった。

……離して、アシュトン」

 プリシスは震える声を絞り上げた。
 嫌だ、と言いたい。そう言って抱き寄せたい。でもそうすれば二度はない。それを本能的に悟ったアシュトンは、力を抜いて細腕を解放した。
 自由になったプリシスはそのまま振り向かず、闇夜の中へ消えていった。

 山ほど掛けたい言葉があった。
 しかし声に出す事が出来なかった。
 これは夢なのか、夢であってほしいと願わずにはいられなかった。
 プリシスの温もりが残る掌を眺めつつも、アシュトンの目は徐々に正気が薄れてゆく。
 満月は分厚い雲に隠れてしまい、立ち竦む彼を照らさなかった。

 ◇

 数日後、アシュトンはリンガにあるボーマンが経営する薬局を訪れた。その表情は険しいものだった。
「おいおい、久しぶりに会ったと思えば、何そんなしかめっ面してるんだ。俺、お前に何かしたか?」
「ボーマンさん。博識であろう貴方に聞きたい事があります」
「ほぉ、買い被ってくれるねぇ。俺で良ければ言ってみな」
「『ぐやぐやなんじをいかんせん』ってどう言う意味ですか」
 ボーマンの纏う雰囲気が飄々としたものから重厚なものへと変貌した。
 少しの間考える素振りをした後、重そうに口を開いた。
……プリシスだな。あいつが地球の参考資料にとクロードから借りていた歴史書の中にその言葉が書かれていた。俺も興味があって借りて読んだ。
 あいつが言ったのは、『愚や愚や汝を如何せん』。意訳すると、国同士の争いの中で敵に四方八方塞がれ退路を絶たれた武将が、傍にいる恋人を想って詠んだ一文だ。
 恋人に何がしてあげられるだろうか、でもこの状況では何もしてあげられない、と言う苦しい心の内を詠んでいる。今生の別れの詩だ。
 こんな言葉を残すなんて、あいつらしくねぇな」
 聞き終えたアシュトンは、自らの意思とは関係なく下瞼に涙を溜めていた。
「なんで、何でそれを僕に……
「さぁな。でもあいつなりにケジメのつもりだったんだろう。お前にもう二度と会えないと思ったのかは知らないが。もしかしたら、あいつはこのまま地球に骨を埋める覚悟だったのかもしれないな。馬鹿だよな、地球に行ったって何とかなるってのによ」

「嘘だ、そんなの嘘だ……

 溜まった涙は下瞼を決壊し大粒の雫となって床に落ち、自身もまた膝を付いて崩れ落ちた。
 慟哭し嗚咽が止まらないアシュトンを心配し背中をさするボーマンは、異変に気付き駆け寄った妻のニーネと目を合わせ、落ち着くまで臨時休業の札を掛けてくれと指示をした。
 ニーネはすぐさま外に出て札を掛けると、ふと血潮のような赤色が咲き誇っていることに気がついた。
 それは薬になると言い軒先の花壇に植えていた、ヒナゲシの花だった。