氷紀
2024-03-10 23:19:33
10360文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

矜持と願いと

『この愛の行く手には』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
髪とか妖力とか術がどうこうとかそのへんは全部捏造なのでご承知置きください。
ちょっとバトルも書いてみたかった。


 ちいさいのの手を引きながら、僕は長い下り坂をゆっくり歩いていく。
 岩場の中に開かれた道は、そこそこ広い。夜だけれど、特に明かりの類は持たなかった。射し込む満月の光が途絶えても、僕らの目なら大丈夫だから。

 かつて黄泉平坂と呼ばれた場所――今もそう呼んだって構わない、でもそう呼ぶ人間も妖怪も、もうほとんど存在しない。
 何故なら、今の時代の人間たちは地獄の存在をほぼ信じていないし、妖怪たちにとって黄泉平坂とは『閻魔大王が支配する世界への入り口』の名であって、特定の地形を指すのではない。閻魔大王がいなくなった今、そこにあるのは地形の模造品でしかない……と、考えている奴らが多いのだ。

 今の地獄とは、閻魔大王と呼ばれた神格が、最後の力で作り上げた領域のことだ。父さんはその領域の上に、友の意志を継いでやりたいと願って、知りうる限りの妖怪や神格たちの力を借りて、かつての地獄が担っていた『魂の輪廻』を再現するしくみを構築した。
 しかし、裁きを下す神格はいない。だから今の世界では、死んだ人間も妖怪も、死のあとには容赦なく、己の魂に相応しい道『しか』選べない――誰にも裁かれないということは、誰にも許されないということだ。そうして最後は己で己を定めるしかない厳しさに、誰もが死んでから直面する世界になってしまった。

……ちいさいのに、話したことありましたっけ。僕の父さんはいなくなる前日、この黄泉平坂とその向こうの場所に行っていた、って」
 僕が問いかけたら、ちいさいのはふるりと首を横に振った。
 そうか、ゲタ吉にしか話していなかったか――なら話しておいた方がいいだろう、ちいさいのにも。

「もう随分前のことです。お前が来るより、ゲタ吉がくるより、ずっと前。……あの日、僕はこの霊毛の羽織を父さんに貸しました。父さんはコレに乗って、いつもの通り、地獄を司る術式のしかけを見回って、家に帰ってきました。本当に、何も変わった素振りはありませんでした。何度思い返しても……いつもの茶碗で風呂に入って、いつも通りにおやすみなさいと挨拶をして。何も、変わった様子なんかなかったんですヨ」

 記憶を追いながら、歩いていく。
 満月の日にしか使えないとある術を、ちいさいのに贈る為に。

「でも次の朝、父さんはいなくなっていました。書き置きもなければ、外出した様子も、侵入者なんかの様子もない。風呂用の茶碗だっていつも通りで、ただただ唐突に、父さんの姿だけが消えたンです。それからずっと、僕は父さんを探しています……いえ、探していました」

 ちいさいのが息を呑んで、僕の方を見上げてきた。聡い子供だ。僕は前方に視線を定めて、黄泉平坂の先を睨む。

「あの日から今日まで、誰も僕の父さんを見ていません。よく似た別の妖怪と勘違い、って目撃談なら何度かありましたけど……でも、ゲタ吉が来て、お前がきて、高山と沢城が来て。父さんがどこへ行ったかは分からなくても、何をしたのかは分かってきました」

 馴染みの妖怪たちに聞き回って、人間の世界の噂にも耳を傾けて、それでも父さんの行方は分からなかった。手がかりすら、何も。
 それで僕が最後に疑ったのは、父さんが別の世界へ行ってしまった可能性だった。彼岸と此岸の接点である、この仮の地獄のしくみを作り上げる側にいたのなら、何かの事故で違う世界へ吹き飛ばされてしまうことは、充分に考えられるから。

 だから僕は、この仮の地獄のしくみを徹底的に調べた。父さんが何をしていたのか、その一番根本の部分から、読んだ本を積み上げ、歩き回って、話を聞いて、と地道に。
 ひとりで出来ることには限度があったけれど、とにかく時間はあった。だからひたすら祈るように調べ続けた。お陰で術だの何だのにやたら詳しくなってしまったけれど、その甲斐あってだいたい見当は付いた。

「その結果、僕は今、『父さんを探している』とは言えなくなってしまったんです。どこへ行ったか知りたい、とは相変わらず思いますけどネ。でも、探して連れ帰りたいとは……言えなくなってしまったンですよ。あ、これは皆にはないしょですよ? 特にゲタ吉には」

 ちいさいのがこくりと頷く。
 少し前に、ゲタ吉にカマをかけてみたことがあったけれど、予想通り、あいつは毛の先ほども気づいていなかった。当然と言えば当然だろう、あいつも頭が悪い方ではないけれど、僕とは明らかに視界が違うのだから。
 黄泉平坂の先は、まだ開けてこない。

「全ての発端はきっと、僕が戦う力をろくに持たずに生まれたこと……です」

 もちろん並の人間には負けないし、そのへんの妖怪に絡まれたとき、自分の身を守るくらいのことならできる。でも、ゲタ吉や沢城や高山のように、巨大な何かの向こうを張って戦う力はない。

 そこから導かれた答えにたどり着いたとき、思ったのは、ゲタ吉とちいさいのの『組み合わせ』の時点で気づくべきだった――だ。それなら高山と沢城は巻き込まずに済んだはずで、そこで全てを片づけてオシマイにできたこと。僕が鈍すぎたとも、馬鹿だったとも言える。
……
 ちいさいのが、僕の右手を握り直した。僕の右手の指三本をぎりぎりで握っている、ほんの子供の手だ。その左手には白と黒で編まれた組紐が巻かれている。
 父さんの望みが何だったのか、かなり確度の高い予測が立ってしまった今、僕が最優先で成すべきことは――このちいさな手を、この世界で握っていてやることだった。図らずもゲタ吉の望みと同じ、とも言える。

 そもそも今こんなところにいる理由には、術の都合に加えて、ちいさいのの身の安全を思えばこそ、というものもある。僕の知る限り、一番安全なのがここだ。今頃あの廃寺のある街の付近では、ゲタ吉と沢城と高山が巨大な妖怪を相手に暴れていることだろう。その結末がどうなるのであれ、僕はちいさいのを離してはいけない。

「今ゲタ吉たちが倒そうとしている巨大な西洋妖怪、……確かどこぞの術師はオースタンと呼んでいましたが、父さんはきっとオースタンの出現を予測していたんです。現れて、放置すれば、ろくでもない被害が出るだろうって――でも、この世界の『鬼太郎』である僕には、そんな代物と戦う力はありません。でも父さんはどうしても、何とかしたかったんでしょう」

 ちいさいのはいつもと変わらず、黙って聞いている。
 手を握る力は変わらない。

「これも、僕の予想ですけど。……父さんは時空を司る何者かと取引をしたンです、オースタンと戦う手段を作る為に。だから一人目に来たのが、ゲタ吉だった。あいつの力が無茶苦茶なのは、ちいさいのはもう何度も見てますよね」

 はっきりと深く、頷く動き。
 ゲタ吉の力については、おそらくちいさいのが一番見ている筈だ。

 単にゲタ吉と一緒にいる時間が長いから、という理由もあるけれど、それ以上にちいさいのが狙われやすいからだ。
 幽霊族の血肉は、多くの妖怪にとっては至上の美味で、食らえば大きな力を得られる。僕が無事なのは、いくつか術を駆使して『まずそう』に見せているからというのと、霊毛の守りがあるからに他ならない。おいしそうな匂いが剥き出しで、守りも何もない、幽霊族の幼子なんて――そりゃア、狙われて当然なのだ。僕の世界で、幽霊族が種族としてはもう滅亡状態になっている、その要因の一つだろう。
 そういう訳でゲタ吉は、それはしょっちゅう湧いてくる『ちいさいのを狙う奴ら』を撃退するのが日常だった。相手が人間だったら殺しはしないものの、逆に言うなら殺す以外は、というやつである。

「ゲタ吉とオースタンが一対一なら、結果はほぼ間違いなく“相打ち”です。だから、オースタンが出てくるまでゲタ吉にこの世界に留まってもらえば、目的は達成できるというのが父さんの考えだった……はずです、多分。ゲタ吉が来た当時は、僕もまだそこまで考えが至りませんでしたけど、もし何かのきっかけで気づいてたら……どうしたかナ、僕は」

 そう、……僕は、ゲタ吉を捨て駒にはしたくない、と思う。思うようになってしまった、と言ってもいい。ここまでは素直に認められる。
 でもはっきり言って不覚だった。あいつ自身に入れ込むつもりなんかなかったし、当初は本当に、廃寺の居候以外の何者でもなかったはずだった。その距離感がおかしくなったのは、ちいさいのが来てからだ。
 己自身以外のほぼ全てを失った状態で現れたちいさいのを、ゲタ吉は全力で守ろうとした。まるでちいさいのが、大切な誰かの忘れ形見でもあるかのように。僕はその姿に思いきり絆された。……そこまでは、ギリギリ認めてもいい。
 でも、それ以上のことを直視する勇気は未だにない。あいつとの関係性が決定的になってしまうのが怖かった。廃寺の居候兼悪友という、何とでもごまかせる曖昧な関係でいたい、少なくとも今はまだ。

「ともあれ、次に来たのがお前です、ちいさいの。オースタンが出てくるまで、確実に、ゲタのをこの時空に留める為に――ゲタのを『帰さない』理由が必要だったから、ゲタ吉の心を留められる誰かが必要だった。はっきり言ってだいぶ酷いやり口ですけど、マア、僕の父さんの頭ン中は完全に妖怪なんで……でもここで予定が狂ったんです」

 そう、ここで僕が気づいていたら、高山たちは巻き込まずに済んだ筈だった。ちいさいのに肩入れするのはほどほどにしておけ、とゲタのに言ってやりさえすれば――
 でも、たとえ気づいていても言えなかったかもしれないな、と思う。
 何しろ、ちいさいのを抱き上げたゲタ吉の横顔に、僕自身がかなり深刻に絆されてしまったので。

「その予定外ってのは、いわゆる“程度”です。ゲタのがこんな組紐を編めるほど、お前に入れ込ンじまったことですヨ。あときっとお前も、ゲタののことを、同じくらいには……そうですよね?」

 ちいさいのが全身の力を込めて頷いた。
 僕の右手を握る、小さな左手。その下の手首に巻かれた一本の組紐に、とんでもないものが込められている。黒と白の二色で編まれているのは、“守らねば、離すものか、誰にも渡すものか”……という、祈りと呼ぶにはあまりにも凶暴すぎる思念。人間でも勘のいい奴なら感じ取れるだろうか。比較対象があるとすれば、子育て中の母熊の気配とかそのへんだろう。

「こうなると、ゲタのは捨て身では戦えない。ちいさいのの為に生き残らなければと、どうしても願ってしまうから。結果として、父さんの最初の条件である『この世界を守る力』が足りないことになる。そこを補う為に巻き込まれたのが、高山と沢城」

 どこまでが父さんの意志なのかは、確かめようもない。父さんの願いは最初の最初だけで、あとは全て何かの偶然によって、願いに呼応する『都合のいい糸』が撚り合わされただけなのかもしれない。でも、その都合のいい偶然、つまり奇跡を誘発させるのが、およそ術と呼ばれるモノの本質だ。

 そこをさっ引いたにしても、父さんの手管だと考える理由はある。巻き込まれたのが全員『他の時間軸の鬼太郎』である、つまり、『我が子に当たる存在』であることだ。違う世界の、自分に最も近しいものを、願いに沿うように己の世界へ配置する――その為に父さんは何を対価にしたのか。考えられる候補は多くない、僕に何も言わないまま消えたのも……その対価の一つだと、考えれば。

……証拠なんかないですけどネ、これで全部辻褄が合っちまうンです」

 僕はそう言葉を切った。
 思い浮かぶことはまだあるけれど、これはまだ口には出せない。

 目下の問題は、高山たちが片道切符だということ。元々、ただでさえ予定外の二人だ。喚ばれること自体については『オースタンを倒せるだけの力』の内に入るとして、その帰り道までは……どう考えても対価が足りない。
 少なくとも、父さん一人では。

 高山は待てばいずれ帰れるが、沢城は時限爆弾が仕掛けられたような状態だ。
 沢城の父さんが“息子が帰ってこない”ことを確信したら、沢城が元いた時間軸は逆流するだろう。少しでも戻されれば、戻った先からは始まるのは『別の分岐』で、そこには別の鬼太郎が存在することになる。つまり、今ここにいるアイツが戻れる世界ではなくなってしまう。
 そこまでは高山にも話した。でもまだ、僕しか知らないことがある。
 沢城の時空は、この墓場の時間軸からはかなり近い。釣り合うだけの対価を払えば、僕の術で帰してやることが、実は可能だ。でもあれだけの力を持った魂を渡らせるには、それこそ、術の対価として『同じくらいの魂をもった命』が必要になる。

 だから、ちいさいのを犠牲にすれば――でも、そんなことは、僕にはできない。
 母と片目を人間に奪われ、父と育ての親を神格に取り上げられ、先祖の守りも失い、その身の生きる場所を父さんの術の対価としてねじ曲げられたちいさいのから、その命までも取り上げることは、……僕にはできない。

 あるいはゲタ吉を犠牲にすれば?
 ……やれるわけがない。絶対に失敗する。
 僕が術のコントロールを失うだろうから。

 それならいっそ僕自身を、と考えたこともある。
 でもそれも、やっぱりできない。
 そもそも父さんが何でこんな無茶をしたのかと思えば。

 ちなみに高山は最初から除外だ。
 対価を払った結果あの鍵が野放しになったら、それこそ何が起きるか。

「ねェ、ちいさいの。僕は父さんと一緒に暮らしていけたら、それで良かったンです。人間と妖怪がいくら死のうが、人間の街が壊れようが、別の世界がどうにかなろうが……僕ァあいつらみたいな、正義の味方じゃアないんですよ、」

 黄泉平坂の向こうに、ぽかりと薄い明かりが灯るのが見えた。
 語りながら歩くうち、その光の穴はどんどん大きくなってくる。

「でも、父さんはそうは思わなかったみたいで。自分の身を引き換えてでも、他の時空の『鬼太郎』たちを巻き込んででも、僕の生きる世界を守ろうと……勝手ですヨ、本当。でも、きっとお前の父さんも、沢城たちの父さんも、高山の父さんも、僕の父さんと同じ状況になったら、同じことするんでしょうネ。息子の生きる世界を守ろう、って」

 光の穴の手前で、僕はちいさいのの手を握ったまま、足を止めた。
 かつては閻魔大王の城があったその領域には、今は違うモノが存在している。今日の本当の目的地はここだ。
 満月の日、輪廻の継ぎ目であるこの場所でだけ、可能になる術――僕の手で、魂をこの墓場の世界につなぎ止める術。

 あのときの、高山の言葉で決心がついた。
 ――ちいさいのが、妖怪と和することも難しい魂だというのなら。

「だから今から言うことは、僕というより、『鬼太郎の父』の意志だと思ってください。……ちいさいの、お前、こっちの世界で生きたいですか」

 ちいさいのは僕を見上げて、迷うことなく頷いた。

「本当に、そう言えますか。……二度と帰れなくても」

 言葉より遥かに雄弁な頷きが、もう一つ。
 ぎゅ、と強く握る力を右手の先に感じる。縋るように、しがみつくように。
 僕は同じくらいの力で握り返して、一歩、踏み出した。

 『鬼太郎』の未来が続く世界。
 ――それが望みなんでしょう? ねェ、父さんたち。