聡実はとりあえず狂児を部屋に押し込め、バタンと乱暴にドアを閉めた。狭い玄関なので土足で上がりそうになっておっとっととふらついた狂児が慌てて靴を脱ぐ。
聡実がドアを背にして上目遣いに狂児を見上げた。
「なんで来たん」
「……会いたいって、言うてくれたから……」
怒ったような顔で目を伏せる聡実を見ていた狂児が、少し考えてから再び口を開いた。
「うそ。俺が会いたかったからや」
少し目を丸くする聡実に、狂児が苦笑いを向ける。
「あとほんまに、ちゃんと会って謝っとかなあかん気がして。ごめんな」
「なにがごめんなん?」
「何がって……」
「何について謝らなあかんかもわかってへんくせに」
意味深な聡実の様子に狂児の顔が若干引き攣る。
「えっあの、酔っ払って迷惑を……かけて……?」
「…………」
自分より小柄で細身の相手の無言の圧力に、狂児が少し後退った。
「待って、俺そんなやばい事しました……?」
思わず敬語になる。
「狂児」
「はい」
「キスして」
「え……」
何が何だかわからないが、さすがに今聡実の要求を拒否する理由もないので狂児は聡実の顎を取って唇を重ねた。いつもより少ししっかりと唇を合わせた深く長めのキスをして、そっと離すと聡実が口元を押さえながら睨みつけてきた。
「そういうんやなくて」
「ん?」
「昨日みたいな……」
「きのう」
……はい。はい?
狂児はなんて?と言わんばかりの表情を浮かべた。そしてしばらく固まっていたが、やがて突然激しく目を泳がせて頭を抱えた。
「あ、ああ〜〜〜〜〜〜!?」
「ちょっと思い出したか」
「いやうん、待って、なんかおぼろげに、そう、ア〜〜〜〜〜」
意味のわからない唸り声を上げてうずくまってしまう。ともあれあの狂児が珍しく心底動揺しているので、聡実も少しは溜飲が下がった。
「かなりその、無理矢理しようとしたね……?」
ちょっと泣き笑いのような顔で仁王立ちの聡実を見上げる。
「しましたね」
「そうかあ〜〜!」
取り返しのつかんことしたと言わんばかりに狂児は項垂れた。
「いやほんまごめん…ごめんやけど、服はネクタイ解いて胸元開けてくれてたくらいで他はそのままやったし、その」
「未遂です」
「良かったー!!」
畳に倒れ込む狂児を、何が良かったんや、と聡実が呆れた顔で見下ろす。でも、あからさまに動揺で目を白黒させる狂児を見ていたら、腹立つよりおもろいが上回ってきた。
「ふふっ」
「え、何、なんで笑うん」
「いや狂児もシラフでそんなパニクることあるんやと思って」
「そらある……まってシラフでってどういう意味!?」
うっかり口を滑らせてしまったがそこまでのネタバラシはいつか意趣返しをしたい時のために取っておくことにして、ナイショです、と聡実は笑った。とはいえ録音くらいしとけばよかったが。
「それはそれとして」
「うん?」
「そういうことしたいって、思ってくれてるんやん」
「あ、あー……」
それはそう。
本当に無理矢理犯してしまわなくて良かったが、酔った勢いで我を忘れてとはいえそういう種類の欲を聡実にぶつけようとしたという事実は少なからずショックであると同時に、そうかやっぱりタガが外れたらやるんやな俺は……とひとごとのような謎の得心があった。
大切にしたいというのも間違いなく本心だ。それでも、綺麗事や倫理観で覆い隠しきれない欲がここにある。大切にしたいという気持ち以上に、この子の全てを余すところなく、誰にも譲らず自分のものにしたいと思っている。
しばらく頭を抱えて考え込んでいた狂児が、その場に胡座をかいて聡実に手招きした。
「おいで」
呼ばれて、聡実がちょっと不貞腐れたような顔をしたまま狂児のそばに座り込む。
圧の強い顔が近付いてきて思わず聡実が目を瞑ったら、そっと眼鏡が外されて再びキスされた。
トントンと促すように唇を舌先でノックする。あ、と聡実は頭の隅で昨日のキスを思い出して、恐る恐る口を薄く開いた。
伺うように優しく入り込んでくる舌は、昨夜のそれとはまるで違う。そっか昨日のはあれや、さっきのヤクザやん、と聡実はドアを無理矢理こじ開けて入ってこようとした先ほどの狂児を思い浮かべた。
歯列をなぞるようにゆっくりと這い回る舌になんとも言えないくすぐったさを感じて、それにまだキスされながら鼻で息をするのが難しくて、息苦しくなってしまう。逃げようとしたがいつの間にか大きな手で後頭部をがっつりと掴まれていて逃げられない。
なんとか酸素を求めて大きめに開いた口の端から唾液がこぼれた。
「ん……んっ」
狂児の顔が離れる。
「ごめん、苦しかったか」
聡実が、はあ……と息を吐いてぼんやりとした顔で見つめ返してくる。親指で薄く開かせた唇から唾液が伝っていて、驚くほど扇情的だった。
「聡実くんは、いつの間にそんなやらしー顔するようになったん」
「は……?なに言っ……」
大きな手がトレーナーの中に滑り込んでくる。くすぐったそうに身を捩るのを器用に封じて乳首に指が触れたところで、一瞬ぴくりと震えた聡実がハッと我に返って狂児を押し返した。
ん、と狂児が眉を寄せる。
「ごめん、やっぱりまだ嫌か」
「いや、じゃなくて、その」
「ん?」
「ここボロアパートで壁めっちゃ薄いから……これ以上はちょっと」
ああなるほど、と狂児が舌打ちする。そういえば外の物音もやたら聞こえていた。
「声が漏れたら隣近所に聞こえるし、そんなことなったらもうここ住まれへんから」
困ったように言いながら脇に置かれていた眼鏡を掛け直す聡実に、狂児がにまにまとタチの悪い薄笑いを浮かべる。
「隣近所に声漏れるほど感じてくれるつもりなんや」
「アホ!」
その辺に放置されていた教科書で叩かれた。
「ごめんごめん。せやな」
狂児が立ち上がって着衣を整える。
「ごめん、ほな俺一旦大阪帰って仕事片付けてくるから」
「なんや、やっぱり仕事ほっぽってきてるやん」
「ハハハ。次いつが休みかLINEで送っといて」
「……わかった」
玄関先で見送ると、去り際に狂児が振り返ってまたちゅっと唇を合わせた。ほなまた、あとで連絡する……そう言ってドアを閉めようとした聡実に、狂児が耳元で囁く。
「今度来た時、またちゃんとホテル行こ」
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.