ちょち
2024-03-05 20:49:00
3559文字
Public 狂聡
 

狂聡連載 6


「聡実くん〜〜〜〜ほんまごめんなああああ……
 赤坂の高級ホテルのダブルルームで、高そうな絨毯の床に土下座して号泣するおっさんと、それを冷ややかに見下ろす男子大学生。
 ……いや、なんやねんこれは……
 聡実は盛大なため息をついてその場にしゃがみ込んだ。


 話は、1時間ほど前に遡る。

 お腹いっぱい美味しい中華をごちそうになって上機嫌で狂児について行った聡実は、これまた高級そうなホテルに案内された。ここの最上階のバーラウンジに予約入れてあるから、と。
 少しロビーで待たされ、戻ってきた狂児と一緒に上階専用のエレベーターに乗り込んだ。
「どこ行ってたん?」
「チェックイン」
「え」
 スッと狂児が指に挟んだカードを取り出す。
「部屋、取ってるから」
 急に心臓の音が大きくなった気がした。狂児が目を合わせずにぽつりと言う。
「あのー……、なあ」
「はい」
「ほら、お酒飲むからな。もう夜も遅いし、聡実くん家まで遠いやろ」
「はい」
「嫌やったらなんもせんから……
 珍しく赤くなってモゴモゴと言い淀む狂児に、ああ、と聡実は唇を噛み締めた。

「ロングアイランドアイスティーです」
 細長いコリンズグラスがふたつ並べられる。
 ロング……なに?と思わず聞き返しそうになった聡実だったがギリギリ思いとどまった。
 狂児がグラスを取って、聡実に乾杯を促す。高そうなグラスにビクつきながら聡実もグラスを取って向き合った。
「聡実くんのハタチに乾杯。ほんまにおめでとう」
……ありがとうございます」
 チン、と軽くグラスを合わせて、小さくひとくち口に含む。甘めのレモンティーのような風味だった。
「あ、おいし」
「ほう、イケるクチやん」
 ふふ、と聡実が笑う。
「もう大人やし」
「うん、そうやな」
 狂児もグラスのカクテルを飲みながら、ふう、とひとつ息をついた。
「聡実くん、あのな」
……うん」
「俺は別に……聡実くんを、子供扱いしたいわけちゃうんやけど」
 じっ、と次の言葉を待つように、狂児の顔を見る。初めて会った頃に比べると当たり前に随分老けたが、相変わらず顔強いなあ……とぼんやり思った。
「その証拠になあ。このカクテル、ロングアイランドアイスティー。わかる?リピートアフターミー」
「ロングアイランドアイスティー?」
 いや、急に何!?と思いながらも素直に従う聡実であった。
「そう。このカクテルはな、知り合いのバーテンに教えてもろたんやけどな。いわゆるレディーキラーって言われてるカクテルの一種で」
「えっ殺すん!?」
「いや……。飲みやすいやろ、ほらこの通り」
 ニヤニヤ笑ってグラスを転がした狂児が、多めのひと口をごくりと飲み干す。釣られるように、聡実も口を進めた。
「ちょっとお酒っぽい味はするけど、紅茶みたいで、甘くて美味しいです」
「うん、うん。これはな、この味に騙されるけどめっちゃ強い酒やねんで。せやからな、オンナを落とすために飲ませる酒やねん。聡実くんも、こういうの飲ませてくる男にはほんま気いつけなあかんで〜〜」
 いやお前が頼んだんやろがいと思いつつ、ハア……と頷く。
「聡実くんは素直でかわいいし押しに弱いからなあ……
「っていうか、狂児さん」
「ん〜〜?」
「オンナを落とすために飲ませる酒なんやったら……なんで自分も飲んでるんですか」
 ガシャーン!!
 その瞬間、狂児が椅子ごと倒れた。
「お客さま!大丈夫ですか!?」
「ええ……
 聡実はもはやビビるより普通にドン引きしている。そういえばこの人自分で下戸って言うてたやん……
 これ急性アル中とかじゃない?やばいやつ?と一瞬ヒヤリとしたが、よく聞くと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。
「すみません、大丈夫です……よかった、グラス割れへんで……
「いえこちらはお気になさらず……!」
「申し訳ないんですけど部屋取ってあるんで、誰か男のスタッフさんの手借りれますか」
 確かさっきこのへんに入れてたよな、とスーツのポケットを漁ってカードキーを探し出す。すぐに飛んできてくれた別のホテルスタッフが、狂児を部屋まで運ぶのを手伝ってくれた。
 入口でここまでで大丈夫ですと告げてスタッフが帰っていくのを見届けてから、部屋を開けて狂児を押し込む。
 とりあえずなんとか部屋に運び込みベッドに投げ出すと、冷蔵庫からこれまた高そうなガラス瓶入りの外国製のミネラルウォーターを取り出し、蓋をあけた。
 ベッドの上で狂児がウウウン、と唸るのが聞こえる。起きてはいるようだ。
「狂児さん、水のめる……?」
 まだ電車あるし、復活しなさそうならこのままベッドに捨てて帰るか……と思った瞬間、急に覚醒した狂児が跳ねるように起き上がった。
 驚いた聡実が手に持っていた水をひっくり返す。
「えっ何!?びっくりし……
 ガッと手首を掴まれて、信じられないくらい強い力で抱きしめられた。
「ちょ、な」
「聡実、好きや」
 この流れで!?と思ったが、急に言われてさすがに怯む。今まで言われた「好き」の中であまりにも一番まっすぐだったから。
 だが、それがいけなかった。いくら体格差があっても相手はぐでんぐでんの酔っ払いで聡実は若い男性だ、初動を間違えなければ簡単にかわせたはずだが。
「聡実……
 ぐるん、と視界が回転したと思ったら強い力でベッドに押し付けられた。
 何すんねんと抗議しようとした口が塞がれる。キスは初めてではなかった、軽くチュッとしたことは何度かあるが、明らかに聡実の知らないキスだ。驚いて薄く開いたままだった唇に舌が捩じ込まれる。タバコの臭いがした。
 いやや、と思った。
 狂児とキスするのが嫌なわけではない。いわゆる大人のキス……も、いつか抱かれるのであれば想定内だった。でもなんかこんな勢い任せみたいなのは普通に嫌だ。ていうか、こんなんレイプやん。
 そもそもこの男明日忘れてるんちゃうか……と思ったら、めちゃくちゃに腹が立ってきた。
「ん……む、ん……っ」
 ええ加減にせえ!!
 力一杯足を腹にぶち込んだら、狂児が呻いて腹を押さえて離れた。
 あと少しズレたら急所をやっていたところだ。そうならなかったことに感謝してほしい。
「アホ!!ボケカス狂児!!死ね!!」
 さすがに聡実も強い酒を飲んでいて一応は酔っていたのだろう、そこからは歯止めが効かず、自分でも考えられないほどの罵詈雑言が止まらなくなった。マジでこのクソカスヤクザ、百ぺんくらい死んでこい。怒鳴れば怒鳴るほど怒りが湧いてくる。
 ありとあらゆる悪口で怒鳴りつけ続けていたら、それを座り込んでぼーっと聞いていた狂児が突然泣き出したのだ。
「ごめ………ごめん、さとみくん、きらいにならんとって……
「いやなんで泣くの!?」
「聡実〜……好きや、好きやねん……
「はあ……
 急に冷や水を浴びせられたみたいな気持ちで聡実は床に土下座する狂児をぽかんと見下ろした。なんやこれ、どうしたらええねん。大きなため息をついてその場にしゃがみ込む。
「さとみくんに嫌われたら、俺は生きてかれへん……
「いや嫌ってへんし、ちょっと怒っただけやし」
「俺はわかってんねん、俺は、聡実くんの人生の異物やって」
 子供のようにしゃくり上げながら、狂児が続けた。
「ほんまは適当なとこで、離れなあかんってずっと思ってて……聡実くんが俺を好いてくれてるのもわかってる、でもまだ若いからなんぼでもやり直しきくし、俺が身を引いたらその時は怒るし悲しむかもしれんけど……でもな、俺があかんねん、聡実くんがおらんと俺があかん……
 ぼろぼろと情けなく泣きじゃくる、父親ほど年上のヤクザの男に翻弄されている。確かに、普通の大学生の人生ではないのだろう。
「僕かて会わへんかった高校の3年間も狂児のこと忘れたことなかったよ」
「ごめん、ごめんなあ聡実くん……聡実くんの人生、俺がめちゃくちゃにした……
 そんなん、最初からやんと思った。あんなに当たり前のように土足で上がり込んでおいて、酒に酔ったくらいで今更謝られることにも腹が立つ。
 そんなことないよだなんてとても言えない。
 でも、じゃあなんであの雨の日に僕を見つけたの。なんであの会場で他の誰でもない僕をカラオケに誘ったの。
 あの時からずっとめちゃくちゃにされている。
 そして聡実はそれを嫌だと思ったことなんてただの一度もないのに。
「狂児のアホ」
 そう言って、聡実は赦しを乞うように自分を見上げる男の唇に自分のそれを一瞬だけ重ねて立ち上がった。
「電車まだ動いてるから、僕もう帰ります」