ちょち
2024-03-05 14:25:07
1769文字
Public 狂聡
 

狂聡連載4


「ほんまに『ハリーポッターのとこに上がる階段』や……
 国民的人気洋画であるハリーポッターシリーズだが、あいにくたまにテレビで放送しているのを横目で見たことくらいしかない。そんな聡実ですら、ああこれはハリーポッターのなんかやなとわかる魔法っぽい謎のオブジェ越しに見えるのは、雨に烟った四色の布が垂らされたなんだかファンタジー風の建物だ。そういえば、赤坂で常設のハリーポッターのミュージカルがやってるという話はどこかで見かけたが……あれここやったんか、と東京に住んで一年以上経っているのに今更に知る。
 その日は朝から雨だった。
 せっかくの誕生日やのになあ、と聡実はため息をついた。今日1日はヒマだったので、せっかくだし出かける前にちょっとした自分へのプレゼントで少し遠くのケーキ屋にケーキでも買いに行こうかと思っていたのに、そんな気力もわかないままゴロゴロダラダラしていたら家を出る時間になってしまった。
 最寄りの駅から電車に乗ってしまえば待ち合わせの場所までは濡れることはないのだが、なんとなく雨が降ると外に出るのが少し憂鬱になる。
 でもまあ、狂児に会えるしな。
 ……と、一瞬思って、だから何!?と自分で振り払った。
 なんか会えたら嬉しいみたいやん!……あれ?でも恋人やから嬉しいでええんやっけ。よくわからん。
 本当に、よくわからない。最近の聡実は自分の気持ちを持て余している。そもそも今日もなんなら30分も早く来てしまった。あまり来ない場所で移動時間の計算を大幅に見誤っただけなのだが、すごい楽しみにしているみたいで、なんだか気持ち悪い。
  4月の雨の日は肌寒くて、聡実は少し身震いした。薄手の上着着てくればよかったかなあ……と後悔する。
 そういえば、初めて会った日も雨だった。あの日は梅雨どきでむしろ蒸し暑かったが。汗と湿気で張り付いたワイシャツに透けた刺青が、怖かったけどちょっと綺麗だなとも思ったのを今でも鮮明に覚えている。いきなり初対面の中学生を拉致るヤクザ、今思うと僕が紅の前奏42秒の間に110番してたら完全アウトやったやろ。
 でも、あの時通報も逃げもしなかったから今がある。人の縁って不思議なものだ。
「さむ」
 小さく呟いて縮めた肩に、少しタバコの匂いが染みついたジャケットがかけられた。
 驚いて顔を上げた聡実の視界に見慣れた大きな影が落ちる。
「聡実くうん」
 聡実の嫌いなうすら笑いが見下ろしていた。
「いや、早ないですか」
「それはこっちのセリフやけど」
 狂児がハハハと笑う。何がおもろいねん、と聡実は眉を寄せた。
「こっちで親父に頼まれてた仕事はよ終わったから、店の下見でもしよかと思って早めに来たんやけど。一応確認したら聡実くんもうおるし」
「僕は電車の乗り換え多いから、遅れんようにしよと思ったら計算間違えて早よ来すぎただけ」
 ぶっきらぼうに言う聡実に、狂児はウンウンと深く頷いて心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「別にちょっとくらい遅刻してもなんぼでも待つのに、遅刻せんように家出てくれたんやなあ」 
 ニヤニヤが腹立たしく、なんとなく靴先を蹴飛ばす。
「聡実くん、誕生日おめでとう」
 不意に真面目な声で言われて、頬が熱くなるのを感じた。
…………ありがと」
「これ、プレゼント」
 やたら高級そうな包みだった。細長い箱だが腕時計などではなさそうだ。モン……ブラン……?確か、万年筆のブランドだったか。
「え、ありがと……
「組長から」
「なんで!?!?!?」
 さすがに全力で突っ込んでしまった。本当になんでだ。
「いやあ、店に話通してもらうのに聡実くんの誕生日でて話したら、もうあのボウズもハタチかーいうてニコニコしてて。次の日これ渡されたわ〜。まあオヤジからしたらもう孫みたいな感じなんやろなあ」
 いや、普通に怖い。孫ちゃうし。どこの世界に身内でもないヤクザの組長に誕生日プレゼントをもらう大学生がいるのだ。
 でも素直に受け取っておかないと、いりませんと突き返すのもそれもそれで怖い気がする。
「はあ……ようお礼言うといて下さい」
「うん」
 ほな行こかと促されて、聡実は狂児の大きな背中を見上げながら『ハリーポッターのとこに向かう階段』に足を踏み出した。