氷紀
2024-03-04 01:10:49
11926文字
Public 迷い込んだ彼らの話
 

この愛の行く手には

『こうして僕は248年を~』の続き。CPは高沢+若干ゲタ←墓。
沢くんとゲタくんを突き動かす愛の話。


 新月の夜、空は一面の闇だ。
 僕と高山先輩がここに飛ばされてきてから、六回目の新月だった。空気がざわついている。墓のの言う『モノ』が確かに近づいてきているのが、だんだん感じ取れるようになってきた。
 人間の街の明かりに掻き消されて、星は見えない。

 つまりまだそれくらいには、この世界の人間の数は多いけれど――墓のが言うには、おそらく、いずれろくでもない理由でこの街は闇を取り戻すだろう、とのことだった。ここ数十年というもの、この国の人間の数は減る一方だから、あと何十年かしたら妖怪の方がのさばり始めるだろう……と。突き放したその口調は、どこまでも他人事だったのを覚えている。人間にも妖怪にも、ついでに神格や精霊の類にも“一切肩入れしない”墓のの態度は、僕の知る限りずっと一貫していた。それがいいのか悪いのかは分からない、でも、飛ばされてきた先にいたのがそういう『鬼太郎』だったことに、僕がかなりほっとしているのは事実だった。きっとゲタ吉も同じように感じてるだろうな、とも思う。

 からんころん、と足元で下駄が鳴る。
 墓石が並ぶ風景は、元いた世界の墓地と大差ない。僕たちが寝起きしているのは、墓のの拠点でもある、とある街外れにある廃寺だ。
 これも墓のから聞いた話だけれど、ここは元はごく普通の檀家寺だったらしい。しかし数十年ほど前、この付近一体の街が戦災で焼け、この寺は檀家と住職を失って、後継もおらず、難しい事情があったお陰で他の寺院の下に入ることもなく、放置されていたという。そこへ墓のが勝手に入り込んだのだ。

 街の音は届いてこない。かすかな風が頬を撫でていく。墓地の一角に植えられた柳の枝がふわりと流れるその下を、僕はゆっくりと歩いて通り過ぎる。寝間着かわりの紺色の浴衣で、ちゃんちゃんこは寝起きしてる部屋においてきた。何となく、重たく感じてしまったから。
 この墓地には、人魂も陰火もない。人間の想いも妖怪の想いも完全に枯れ果てた、石の群れだ――想いの去った墓標はただの石なのだと、僕はこの世界に来て初めて知った。景色の見た目は同じでも、そこに宿るモノは。

 あてどなく歩いていたら、不意に、背後に気配を感じた。振り向いてすぐ姿を捉えられたのは、僕らの目が闇夜を見通せるから。
「あれ、……高山先輩?」
「沢城くん」
 同じ『鬼太郎』の名を持つひとは、少し驚いたような顔で応じてきた。どうやら先輩は、墓地の南側にある、離れの建物から出てきたところだったらしい。僕が彼を先輩と呼ぶのは、僕には絶対できないことをやっていて、そのすごさを呼び名に込めたい気持ちがあるからだ――それに、周りとの関わり方も、穏やかな振る舞いも、いざというときの思い切りも、とても頼もしい。
 僕は絶対にああはなれない、……そう思う。
 高山先輩の足元でも下駄が鳴る。格好は僕と一緒だった。
「眠れないのかい? 今日は早く休むって、さっき……
 駆け寄りつつ問いかけてくる先輩に、僕は小さく頷いた。先輩の目にも、僕の姿ははっきり映っているだろうから。
……空気が、何だかざわついてて。寝付けないんです」
 何もない、墨色の夜空へ目をやる――でも西へ目をこらせば、ほんの微かに月の影があるのが見えた。今まさに沈んでいこうとする、黒い月が。
「そうだね、まだ具体的な妖気じゃないけど、空気がうるさいのは僕にも分かる。墓のの言うこと、本当なんだな……
 先輩も同じく、空へ目を向けた。
 そのまま数秒の沈黙。風が石の群れを吹き抜けていく音。
 同じ風が僕と先輩の浴衣を揺らして、去って行った。
「先輩は、南の離れで何を?」
「墓のと話してた。地獄の鍵のこと」
 先輩が胸に抱えている、地獄の力を呼び出す鍵。非常に強力な代わりに、体に酷い負担がかかる――先週、僕はその鍵の力と、そのあと寝込んだ先輩の姿を間近で見ていた。
 暗い月に視線を固定したまま、先輩の声が続く。
「先週のあのとき、元の世界の地獄じゃなくて、こっちの世界の地獄から炎を喚んでたらしくて……話したっけ、これ勝手に使うと閻魔大王に叱られるって」
「前聞きました」
「だよね。……だから今回も、てっきり怒られるかと思ったんだけど。驚いたよ、この世界、閻魔大王がいないんだって」
 とっさに信じられなかった。でも墓のが嘘をつくとも思えない。
 続く先輩の声は、風の中でもはっきり聞こえてきた。
「墓のが言うには、地獄って領域はある、でもそこを束ねる神格がいない状態、なんだって。この世界で前に戦争があったとき、地獄でも戦争がおきて、それで……一回、地獄そのものがパンクしたんだってさ」
 ソレは一体どういう状況なのか。想像しようとしてはみたものの、あまりにも有り得ない状況すぎて、上手くいかない。
 僕の内心の混乱を余所に、先輩は静かに語り続ける。
「深手を負った閻魔大王が、辛うじて血の池とか針山とかを再生させるところまではやった、でも――この世界の人間たちは『死後に生前の行いを裁く神格の存在』を信じなくなっていたから、それで閻魔大王の力が尽きてしまったんだって」
 更に数秒考えて、やっと理解した。それは神格と呼ばれる存在が共通して持つ、最大の弱点だ。神格は人間が信じるから存在する。信じられなくなったら力は弱まる。そして完全に忘れられてしまったら消滅する。妖怪と違って、時間が経つだけでは復活しない。人間に思い出してもらわなくてはならないのだ。
 この世界の閻魔大王は元々かなり弱っていて、そこに無理を重ねた結果、消滅したってことだろう。……やっぱりちょっと、僕からすると信じがたい気持ちだけど。
「でも先輩、そんな状態だったら、地上が亡者だらけになるんじゃ……
 無論、そんな状態にはなってない。むしろ、墓石から人魂の気配が枯れ果てるほど、この世界にいる亡者の類は少なかった。
「一応、領域はしっかり分けてるらしいよ。墓のの父さんが、それぞれの境界だけはずっと維持してたんだって。術の仕掛けとか総動員で……今は墓のがそれを引き継いでるんだってさ。だから、ほら」
 先輩が視線で、墓石の方を指した。
 言わんとすることは分かる。死者の想いが宿らない、からっぽの石の群れ。
 死者の魂を地獄へ無理矢理引き込む力が働いているから、その分、さまよう者も少ない、ということだったらしい。だとすると、それを可能にするのにどれくらいの規模の仕掛けがいるのか? そう考えて、僕は思わず呟いた。
……墓の、大変ですね」
「でもそのお陰で、今この世界なら、墓のの許可さえあれば地獄の力は使いたい放題。だから、地獄の鍵に少しだけ、術式を加えてもらったんだ」
 先輩が自分の胸に手を当てた。その奥にある鍵を、確かめるように。
「この世界の地獄の力を自由に引き出せるようにっていうのと、あと万一暴発させても、あっちの地獄とうっかり繋がらないように、っていうのと。……助かるよ、お叱りで牢屋はもうカンベンだ」
 先輩は明るい声音を作って、僕に向かって笑いかけてくれた。
 それでも、僕はとても同調できなかった。
……良かった、んですか。それで」
 その力を使えば酷く消耗することも――元の世界との繋がりを失うことも。
 先輩にとって、それはどれほどの苦しみになるだろう。でも先輩はそういう気持ちを教えてはくれない。暗闇の中で感じる気配も、透き通ったまま変わらない。
「構わないさ。きみと一緒にいる為なら、……約束しただろ」
 やわらかな笑みを含んだ、事もなげな口調。
 僕は密かに自分の手を握りしめた。

 僕と先輩だけの、秘密の約束。
 『互いに、互いの世界へ帰る方法が見つかるまでは、一緒にいること』。

 その約束を欲しがったのは、僕だった。
 先輩の姿を見ていたら、誰だって分かることだろう。あちらの世界で多くの妖怪たちに慕われて、認めた相手の為なら平気で己を犠牲にするような――家族にも仲間にも平等に愛を注げてしまう透明な心に、特別という名の爪あとを残すのがどんなに難しいことか。
 だから僕は、そんな約束を押しつけた。僕が帰れるまで先輩も帰るな……なんて、先輩の世界を人質に使ったようなものだ。でも僕は、そんなことをしてでも、できるかぎり長く先輩と一緒にいたかった。
 先輩はきっと、元の世界に帰れば、僕のことは思い出さなくなっていくだろう。仲間の為に、妖怪たちの為にと走り続けるに違いないから。二度と会えない僕が、その心に入り込む隙間なんかあるわけない。
 それでも僕は先輩の心に残りたかった。

 今も、よく覚えてる。ここに来て少し経った頃のこと。
 ちいさいのがさらわれて、その主犯が『妖怪を操る人間』で、僕と先輩は人間の方を捕まえに行ったんだけれど、その人間が思いの他強かったのだ。
 先輩はあの人間を殺す気で行けば、無傷で済んだはずだった。でも、僕の目の前だったからという理由で武器を手放して、大怪我をしたのだ。

 『あそこで殺していたら、きみは二度と、僕に笑ってくれないよね』。
 血まみれの体で痛みをこらえて笑う姿が、僕の目に焼き付いてしまった。

 元の世界の誰にも抱かなかった感情が、先輩に向かってしまっている。何でそんなことを望んでしまったのか? 理由は説明できない。言葉にしたら、した側から全部嘘になってしまう。
 だけど唯一、何か言葉で語れることがあるとすれば、きっと先輩が僕にとって『絶対に有り得ない筈のモノ』だからだ。僕には先輩の心の在処が掴めない。分からない。同じ血と名を持ちながら、先輩の魂はどこまでも真っ直ぐに澄んでいる。
 掴めないと分かっていながら手を伸ばしてしまう気持ちを、僕は先輩に出会って初めて知った。

 そんな僕の心を知る由もなく、先輩は真っ直ぐ僕を見る。
「僕も一緒に戦うって決めたのは、あくまで僕の選択だ。きみが背負い込むことじゃない。でも……一つだけ、教えて欲しいことがあるんだ。沢城くん」
 先輩の視線と口調は、穏やかでも真剣だ。また静かな吹きすぎる。
「きみはどうして、そこまで徹底的に人間の味方をするんだい。人間のお義父さんが愛してくれたから、って前に言っていたけど……だったら尚更、そのお義父さんという人間は、君が苦しむのは望まないんじゃないのかい?」
……何を、いきなり」
 問い返したら、先輩は一瞬だけ口ごもった。
 だけど瞬き二つの間に表情を立て直して、また問いかけてくる。
「僕には、それがどうしても分からないから。だってここはきみの世界じゃないだろう。この世界の人間がどうなったとしても、きみとは本来何の関係もない。命を張る理由だってないはずじゃ」
「違う」
 記憶にある限り初めて、僕は先輩の言葉を途中で遮った。

「関係があるとかないとか、そういう話じゃないんです。僕は『人間を守るもの』でいなくちゃいけない、そうでなかったら……僕はただの災厄になってしまう」

 先輩が視線で続きを促してくる。
 どこまで話せるか分からないけど、必死に言葉を探した。
「前は、そんなこと考えもしませんでした。でもこの世界に来て、墓のとゲタ吉とちいさいのと会って、もし僕にお義父さんがいなかったらって……考えて。人間に優しくあってくれっていうお義父さんの願いは、人間を守る為じゃなくて、僕を守る為のものだったんだって、やっと気がついたんです」
 ゲタ吉がちいさいのから離れようとしない理由も、多分これだろう。
 父さんとお義父さんを失った『僕』がどれだけ危うい存在になるか、僕と同じところから始まっているゲタ吉は、本能的に勘づいているに違いない。
「幽霊族は老いず、死なず、持つ力は人間を遥かに上回る。その僕が人間を恨んで殺そうとしたら、どれだけの数を殺せるか。……そうなれば、どれだけの憎しみが生まれるか」
 人間を見捨てる理由になりそうなものは、いくつも記憶にある。
 泥田坊、ほうこう、万年竹、おどろおどろ、後神。人間と妖怪の間に憎しみが生まれれば、相応の結果になってしまう。それでも僕が辛うじて踏みとどまっていられるのは、お義父さんの願いがあったから。
 それに、時には上手くいくことだってある。白山坊。のっぺらぼう。猫仙人のときだって、分かってくれた人間は確かにいた。そして何より――犬山まな。自分の手を同族の血で染めながら、怒りと痛みを引き受けながら、僕はまだ人間に絶望することができずにいる。
「お義父さんの願いは、僕が“その道”に行かないよう、守ってくれているんです。だからそれは、……その願いにだけは、絶対に背いちゃいけない」

 言葉になったのはそこまでだった。先輩の視線は静かなままだ。
 根本的なところは伝わらないだろうと思う。妖怪として能う限り人間を守ると決めて、同じ方を向ける妖怪たちと共に歩んできた先輩には。
 そう思っていたから、続く言葉を聞いても、僕は大してショックは受けなかった。
「やっぱり、よく分からないな」
 でも、と続く声はとても真摯だ。
「人間を守ることが、きみにとってとても大事なんだろうってのは、よく分かったよ。その願いがあるからこそ、そっちの世界の“鬼太郎”が、今のきみの形になったんだろうって」
 先輩の腕が伸びてくる。僕は逆らわなかった。
 僕たちみたいなの以外には誰も見通せない暗闇の中で、先輩の手が背中に回るのを感じる。僕より少しだけ、温度の高い手。
「生きた世界が違いすぎる、だから分かるなんて言えない。だけど、僕はきみに笑ってほしいと思う。それだけは、最初から変わってないから」
「高山先輩、」
「ごめん、上手く言えない」
 腕の力は強くて揺るぎないけれど、先輩の声はかすれていた。
 抱き寄せられてしまっているから顔が見えない。
「一個だけ信じて、沢城くん。……約束は守るよ。絶対に」
 僕は先輩を抱きしめ返そうとして――できなかった。
 このひとは、たとえ相手が僕でなくても、同じ状況なら同じように言うだろうって思ってしまったから。だから僕の手は、先輩の浴衣を半端に掴んだだけだった。
……ありがとう」
 辛うじてそれだけ、口にした。