氷紀
2024-02-26 22:15:11
9927文字
Public とある息子たちの話
 

とある脱線息子の猶予期間

ゲ謎派生パラレルワールドの〓×6期の👹
『とある脱線息子の記憶』の続きです。〓くんも無傷じゃない。


 幅が少し細くて、指の長い手。
 僕の手で全部は握れなかったから、そのひとの人差し指から薬指を握り返す。

 歩く道の風景も看板も、僕が元いた世界とあまり差がない。ただ遠くに見える風景からして、東京ではなさそうだ、と思う。それでも結構大きな街だ。
 そのひとの手を握ったまま、コンビニの天井の隅にある鏡を見上げた。映った自分の姿は、むこうの世界にいるときとはだいぶ違う。髪の長さは腰と背中の境目くらいだし、来ている服も足元も、通販で買える量販店の一式だ。元の服だと目立ちすぎるからと、そのひとが用意してくれたものだ。余裕のあるサイズのボトムと、長袖の黒いTシャツ、あとは軽い素材でできた灰色のパーカー。靴下と運動靴のサイズまできっちり合っていたのは驚いた。僕が寝ている間に測ったんだろうか。

 軽い電子音がする。レシートはレジの前の箱に放って、そのひとは携帯端末を上着の内ポケットに突っ込んだ。ご先祖様の霊毛を編み直した上着だから、多分大丈夫なんだろうけど――もし普通の上着だったとしたら、その状態で体内電気を使えば、端末はひとたまりもないだろうなと思う。
 そのひとの着ている濃紺のジーンズと黒いシャツは、多分今の僕の服と同じ店で買ったんだろう。明らかに違うのは靴だった。革製の、とても頑丈そうな紐靴。かなり使い込んでいるらしく、よく見ると焦げ茶色の表面に細い傷がいくつも浮かんでいる。
「そうだ、少し寄り道していってもいいかな」
 二人分の飲み物と食料、それから切れかけだったという石けんやら洗濯洗剤やらが入った袋を片手に持ったまま、僕は黙って頷いた。

 まだ体の状態が完全じゃない。人通りの多いところに出たら、ほんの少し目眩がした。歩くのに困る程ではないけど、少し僕の歩調が落ちたのに気づいたのか、そのひとは人間の少ない方に進路を変えてくれた。お互いに黙って、手だけを繋いで歩くうち、景色はどんどん街から離れていく。
 気がつけば、街を見下ろす位置にある、公園のような場所に出た。小学校の体育館より少し大きいくらいの芝生の地面に、二つ東屋があって、その二つを円で繋ぐように小道が走っている。遊具はなかったから、公園というよりもむしろ広場と呼ぶべきなんだろうか。
 そのひとは僕の手を引いたまま、その東屋を通り過ぎて――更にその向こう、広場の後ろにあるちょっとした林の中へ足を踏み入れていく。道は整えられているから、この林も広場の一部なんだろう。
 その証拠のように、林に踏み込んですぐの位置にも東屋がある。広場の東屋に比べて随分古びていたけれど、落葉が積もったりはしていないから、ちゃんと管理はされているらしい。
 水の流れる音が聞こえてきて、近くに川が走っていることを知る。昼下がりの太陽の下、柔らかな木漏れ日が東屋に注いでいた。
 そのひとはごく慣れた仕草で、古びた東屋の長椅子に腰を下ろす。ちょうどカドのところだ、きっと定位置なんだろう。僕も直角に並ぶ形で、コンビニの買い物袋を抱えて座ったけど、足が地面につかなかった。
「さっきの、飲み物だけ……
「どうぞ」
 買い物袋の中からペットボトルの緑茶を取り出して、渡す。
 空気がとても柔らかい。人の暮らす街からそんなに離れていないのに、一体どうしてこんなに――そう思っていたのが顔に出たのか、そのひとは小さな笑みと共に呟いた。
「ここさ、ちょっとだけゲゲゲの森に似てるだろ?」
「はい、でもどうして……こんな場所なのに」
「あの広場を作った奴が、相当鋭いタチだったんだろうな。水も風も光も、土地の元の流れをそのまま生かすように作ってある。だから……街で疲れたときは、よくここに来るんだ」
「そういえば……、どうして、街で暮らしてるんですか」
 その問いは、自然と口を突いて出た。
 気配があまりにも僕自身に近いから、そのひとに対して何か疑問を抱くことがほとんどなかったけれど、よく考えたら何も知らないに等しいのだ。あまり込み入ったことは、もしかすると知らない方がいいのかもしれないけど――
 そのひとは、苦笑交じりに答えてくれた。
「森は、父さんに任せておけるから。だから僕はもうしばらくの間、気兼ねなく煙草吸ってたくてサ」
 僕は、そうですか、とだけ応じたけれど、その声音の裏にあるものは痛いほど分かる。分かってしまう。だってそのひとは、いつかの未来の僕自身だから。
 紺色の箱の煙草を手放せない理由なんて、一つしかないじゃないか。
「それに、……もうだいぶ前のことなんだけどサ。妖怪同士で大喧嘩が起こって、僕が仲裁に入って、でも上手くいかなくて殴り合いになっちまったことがあるんだ」
 こん、と小さな音がした。
 そのひとが靴のかかとで、東屋の床を叩いた音だった。
「結局、喧嘩両成敗でカタをつける羽目になって、そのときに妙な武器で足をやられたんだ。右足は単に折れただけで済んだけど、左足が酷くて。膝から下、全部潰されるみたいな感じで、こう、人間で言うなら粉砕骨折ってやつ。それで……戦場で立てなくなりゃアどうなるかなんて、言う間でもないよな?」
 そのひとの手がペットボトルのキャップを閉めた。
 また一つ、こん、と音がする。
 頑丈そうな靴の理由は、もしかして――頭をよぎった予感を裏付ける言葉が、聞こえてくる。
「むちゃくちゃにやられて、ぎりぎりで父さんが助けてくれたけど……、体が治ってからしばらく、反射的に足をかばう癖がついちまってサ。お陰で下駄が上手く使えなくなって……それで、父さんに返したんだけど。そのときの父さんが、あんまりにも酷い顔、してて」
 そのひとは、笑うしかない、という顔で笑った。
 痛みを辿るような声音に、僕はただ聞き入るだけだ。
「父さんが僕のこと心配してくれるのは、分かる。でも、僕が森にいたら、父さんも僕も窮屈な思いをするのは、間違いないから。……森を出るとき、本当はこっちも父さんに渡そうと思ったんだけど」
 こっち、と示すように触れたのは、今は上着に姿を変えているご先祖様の霊毛だ。軽く握られた指の陰影が、木漏れ日と共に、黄色と黒の表面に踊る。
「外で暮らすならそれだけは持って行け、って。だから父さんには少し霊毛を解いて、組紐を作って分けた。……今危ないのは、どっちかといえば父さんの方なんだけどなァ。分かってンのかな」
 最後は少しだけ、愚痴めいた口調だった。
 こっちの父さんが具体的に何をしているのかは、聞かない方がいいんだろう。聞けば聞いただけ、こちら側に引き込まれやすくなってしまうから。だから僕は、そのひとのことだけを問うことにした。
「怪我、今は……大丈夫なんですか」
「ああ。痛みが引くのにも、あと足かばう癖が抜けるのにも、ちょっと時間はかかったけど。もう痛くもないし……それに、お前の怪我に比べたらなァ」
 そのひとの気配が近づく。僕の頭の真横、柔らかな口づけが落ちて、離れた。少しだけ体がすくんだけど、その柔らかさは心地良く染みていく。

 そのひとが僕に対して、こんなにも甘いのは――きっと、同じ痛みを知っているから。僕とそのひとはとんでもなく近い、ただ『父さんが体を取り戻した』分だけがズレている。だから、その落差が体の形の差で、戦った戦場の差になっている。そんな気がした。
 でも、と頭の中で疑問が揺れる。ただそれだけで、あそこまでのことができるだろうか。肌を重ねて、ぎりぎりのところまで深入りして、魂そのものに触れあって力を分けるようなことが。

 耳の奥に、今だけゆるして、という言葉が甦る。
 ギリギリの熱を秘めた、祈るような声。

……あの。もう一つ、聞いてもいいですか」
「ん?」
「今の話聞いて、やっぱり、僕とあなたは本当にそっくりで、やってることも、抱えてるものも、すごく近いんだろうなって思いました。でも、……
 この先を本当に言葉にしていいのか。迷ったけど、木々の間を吹き抜ける柔らかな風が、後押ししてくれた。
「だから、なおさら。どうして僕に、ここまでしてくれるんですか?」
 並んで座って、少し身を乗り出すように、そのひとの顔を見上げる。
 水の流れる音がする。
「想像できるから、共感できるから、で済む範囲は……あの夜に、越えちゃったような気がします」
 そのひとの目が戸惑うように揺れた。木漏れ日の下で見ても、四白眼の色は僕と全く同じ。髪の色は変わっても、目の色はどうやら変わらないらしい。
「そうだな……どう、言ったらいいんだろうな」
 続く長い沈黙を、風の音と水の音、梢の音が埋めていく。そうして結局言葉を選びきれなかったのか、そのひとの腕が僕を抱き寄せた。僕の額を自分の胸に押しつけて、その腕が少し震えているのも感じる。
 ……初めてだった。そのひとが震えているのは。
「正直に言うから、怒らないでくれよ。……昔の僕がずっと誰かに助けて欲しかったから、だと思う」
 あの夜と同じ音で、言葉が紡がれていく。
 僕はただ聞き入った。
「お前が初めて跳んできたあのとき……お義父さんがいなくなって、父さんの重荷にはなりたくなくて、……それでずっと泣けなかったあの頃の僕が、現れた気がしたんだ」
「うん」
「二回目だってそうだ。いくら強いからって、どうせ治るからって、……痛みを感じない訳じゃないのに。あの頃の僕も、眠れないほど痛くても、助けてなんて絶対言えなかった」
……うん」
「弱音を吐けば、父さんの重荷になる。辛いと言えば、お義父さんのくれた愛を裏切ることになる。……そうやって過去に置き去りにしてきたものが、全部まとめて目の前に降ってきたって……思ったんだ」
 息の引きつる気配がする。泣いてるんだろうか。僕はそのひとの背中に手を回す。大きさが違い過ぎるから、手のひらで覆うことはできないけど。
「情けない上に、未練がましいよなア。でも本音だ。あの頃の僕は泣きたかったし、痛かったし、……何も言わずに力を分けてくれるような、そんな誰かに側にいて欲しかった。ずっと」
 ぽろぽろとこぼれ落ちてくる言葉を、僕は黙って聞いていた。僕よりずっと大きな背中を撫でながら――そのひとが僕にしてくれたのと同じように。
「だから……僕に?」
「自分で自分を抱いてるようなモンだよ、最初っから」
 もし他の誰かから言われたら、身代わりにするなって怒りが湧く言葉……かもしれない。だけどそのひとは、本当に僕だった。生きる時間が違って、経験していることもきっと違って、体の形と髪の色も違うけど、心に負う痛みの形はぴったり同じなんだ。だって最初の最初、お義父さんからもらった愛の形が同じだから。
 そのひとの目に、僕の姿がどう映っていたのか、今更のように理解する。
 僕は抱き寄せる手に力を込めた。何か言おうとは思わなかった――そのひとの手が僕の髪を撫でて、あのとき撃たれた場所を掌でそっと包んでくれた。竦むような感覚が走るけれど、それをごまかそうとも思わない。

 太陽が夕日と呼べる色になるまで、僕とそのひとはずっとそうしていた。