らい
2017-07-29 23:03:22
12007文字
Public レオいず
 

リコルダンツァはもう弾かない

レオいず(+つむぎ)/お弁当と思い出にまつわるもどかしい二人の話


 時計の秒針がぐるりと輪を描いて、11の文字盤を踏みこえる。
 ご~、よん、さん、に~、いち!頭のなかのスペースシャトルが発射して、昼を知らせるチャイムが鳴りひびいた。ぎゅるるるる、と悲鳴をあげる腹の虫ともこれでおさらば、待ちに待ったランチライムのはじまりである。


「うう~っ、お腹すいた~っ!」


 片腕を放り投げて、机の海にダイブする。水泳のクロール体勢さながら「お腹すいたぁ」と嘆いていると、頬に固い感触をおぼえた。レオはすぐさま姿勢を起こして、ぱちくりと瞳を瞬かせる。授業のあいだに一度も開かれることはなかった教科書が、無言で居座っていた。
 机に置かれている教科書は、もはや腕枕に添えるだけの漬物石状態となっている。昔からそうだ。学校の授業に真剣に耳を傾けたことはない。黒板を叩く白のチョーク、ノートに走るペンの産声、教科書をめくる紙の息吹。些細な日常に落ちているひとかけらの旋律ですら、レオの霊感を刺激するには充分な要素だった。文字情報を一般教養として吸収することは、確かに重要だけれど。それ以上に、全身から溢れる想いをいつだって形にしていたいのだ。
 脳内に降臨したワンフレーズをノートに書き連ねたり、渾身の曲名を箇条書きにしてみたり。授業中はそういった創作活動に費やしている。だから教科書なんて、ほとんど使うことはなかった。


「長きに渡る空腹戦争を勝ち抜いたおれ、おつかれっ!」


 教科書を机の奥にしまいこみ、労いの一言とともに短い息を吐く。授業から解き放たれた解放感に胸がおどる。鼓動のステップがとまらない。
 レオは天井を目がけて腕を伸ばすと、両手をグーにまるめて、後方にふんぞりかえった。ところが、『バキッ』と"なにか"を粉砕するような音に覆いかぶさって、「あだっ」と”誰か”のうめき声が聞こえたので――頭上に疑問符を浮かべながら、ぽかんと口を開けてしまった。

 んぁ?なにがなんだかよく分からんけど、敵の急所にクリティカルヒット!そんなSEが聞こえたぞ!そして、指の骨がちょっと痛いな!わはは!なんだ、これ!――レオは腕を投げたまま、首を逆さにして振り返る。ところが椅子の背もたれがじゃまをして、天井の明かりが視界いっぱいに降りそそいだ。
 ちがうちがう、そうじゃない。おれが見たいのは、得体の知れない不気味な効果音の正体だ!――もういちど姿勢を正して、今度は身体ごと横に向きなおる。そうして背後を見やると、青黒い頭が、机に突っ伏していた。


「ひどいですよ~、月永くん!」


 青黒い頭こと、青葉つむぎが眼鏡をはずして、涙ながらに訴えている。どうやら、手の甲が鉄拳となって、つむぎの顔面を直撃してしまったらしい。弓道部で鍛えた必中スキルが、まさかパンチ攻撃に適用されるとは。よりにもよって、的ではなく人間に。それも、顔のど真ん中に。レオは「あらら」と失笑しながら、痛がるつむぎに顔を寄せる。


「ごめんね、オバちゃん!悪気はなかったんだけどなぁんか当たっちゃった!」
「ううっ……。俺だって、これでもアイドルなんですからね?あいたたたたた……


 両手で顔面を覆いながら、つむぎが呻いている。レオは頭を抱えて、「おれとしたことが!」と嘆いた。


「おれが言うのもなんだけど、なぁ~んか痛そうな音したもんな。おれの指の骨もジンジン痛いもん。ああっ、空手部にお邪魔して、遊び半分にかわらを割ろうとしたときの痛みが思い出されるっ!『生半可な覚悟でやろうとすんじゃねェ』って、クロにもこっぴどく怒られたっけ~わはは!」
「俺の顔は、かわらより硬くないですけどね。ちなみに人間の部位で一番硬いのは、歯らしいですよ。モース硬度っていう硬さの単位を表す基準、月永くんは知ってます?モース硬度でいったら、歯は10段階中7段階で―――
「なるほど!わからん!」
「はぁ……。最近、だぁ~れも俺の話を聞いてくれないんですよね……。まともに聞いてくれるのは、宙くんだけです…………まぁ、とりあえず眼鏡が無事だったので、不幸中の幸いってやつですね。あはは……


 つむぎは苦笑いを浮かべて、「ほら、大丈夫でしょう?」と傷ひとつない眼鏡を披露する。優しい温度をまとった垂れ目が、ふにゃり、と和らいだ。
 眼鏡をはずしているつむぎは、なんだか別人にように見える。裸眼のつむぎを見るのは久しぶりのことかもしれなかった。レオの記憶が正しければ、確かつむぎがfineで活動していたころの話だ。そういえば、初めて会ったときも眼鏡は着用していなかった。病院の前で、ぐうぜん鉢合わせて――どうして病院にいたんだっけ?だれと?なんのために?記憶の森に足を踏みこもうとして、やはり止めた。レオは右腕をさすりながら、つむぎを観察する。


「それにしても、めずらしいな」
「えっ、何がですか?」
「眼鏡をはずしてるオバちゃんが、めずらしい!」


 ぐい、と顔を近づけると、つむぎは顎に指をそえながら「ああ~」と間延びした相槌を打つ。


「言われてみれば、そうですね。学校では、あんまり外しませんし。プールの授業ぐらいですかね、あとは食堂でラーメンを食べるときぐらいかな?」
「ふぅん。眼鏡がもたらす印象効果ってすごいな!眼鏡がないと本当にオバちゃんかどうか、疑わしくなる!」
「眼鏡が本体みたいな言い方やめません?」
「だってさぁ。なんかこう眼鏡がないと、オバちゃん要素がアブダクションされちゃったみたいで……。なんとも表現しがたい不安に駆られるな……
「あはは、月永くんったら。レジェ作曲の暗い日曜日を聞いたひとみたいな辛気くさい顔で俯かないでくださいよ、傷つくじゃないですか~!」
「あああ~っ、暗い日曜日の話は気が滅入るからやめてくれ!辛気くさい顔どころじゃなくなるっ!カーテンを締めきって無心で曲を大量生産してた頃のトラウマを蘇らせるっ、悪魔の一曲だ~っ!」


 ぐあぁ、思い出したくもない~!でも、思い出しちゃった~!不登校時代のおれのばか!ばか!レオは頭を抱えて天井を仰ぐ。「俺、今なんか地雷を踏みました?」と慌てるつむぎに、レオはようやく我にかえる。


―――とにかく!眼鏡はアイデンティティだって、いつかどこかでケイトが熱弁してた!」
「あっ、さすが敬人くんですね~。眼鏡にかける情熱は、世界王者級ですって、俺イコール眼鏡の方程式は、どうしても揺らがないものなんですかね~……?」
「うんっ!やっぱり眼鏡をかけてないオバちゃんはオバちゃんに見えないっ!おまえ本当にオバちゃんか!?俄然怪しくなってきたぞっ、がるるるる!」
「い、一時的に眼鏡を外してるだけなのに!ひどい!失礼!全力でボケてくる!天才って怖い!」
「わはは、もっと褒めたたえてくれ!そうすればおれは、歴史的傑作の一曲を現世に残すことができるから!」
「あはは、ペンを出してる。この世に曲を残すのはいいですけど、壁に書かないでくださいね。ただでさえ、B組は『奇人の巣窟』だなんて呼ばれてるんですから」


 つむぎが眼鏡をかけなおして、柔らかい笑みを向ける。あっ、やっぱりオバちゃんだった!オバちゃん、ごめんね!――手と手を合わせて頭を下げると、つむぎは「いえいえ」と大げさに両手を振る。


「大丈夫です、俺まったく怒ってないですよ。というか別にどうってことないです。夏目くんに常々、痛烈な腹パンで殴られてますしね。これくらい、日常茶飯事なんです。昔から、慣れっこですよ~」
……よちよち……
「えっ、どうしてそうやって俺のことかわいそうな目で見ながら頭を撫でるんですかっ?もしかして同情してくれてますっ?」
「だって、ボコボコに殴られるのは痛いじゃん
……妙に悲しそうな顔をしますね……?」
……うっちゅ~!」
「かと思ったら、急に満面の笑みでダブルピースする。最近の子、テンションの振れ幅が凄まじすぎて意味が分からない……
「わはは。笑う門には福来たるって、ママが教えてくれたから!」
「相変わらず三毛縞くんとは仲良しさんですね~?」
「ほぉら。オバちゃんも笑って笑って!」
「あはは。ありがとうございます。月永くんが楽しそうにしてると、俺もとっても嬉しいです」
「おお、感謝されてしまったっ!なぁんか良いことしたきぶん!」
「ふふふ。あっ、でも、ほんとうに心配ご無用ですからね。夏目くんは、照れ屋さんなだけで―――ほら」


 瀬名くんみたいに。つむぎが困り顔で笑う。
 セナみたいに。――白黒の鍵盤が奏でる不協和音が、頭の奥でダン、と響きわたる。薄暗い幻聴が、ホールいっぱいに聞こえたような気がした。
 レオは弾き終えたピアノから遠ざかるように、つむぎの頭から手を離す。糸の外れたあやつり人形みたいに、力をなくした指先が落っこちた。急に重たくなってしまったように感じて、それきり持ちあがらなかった。


「最近は、お昼はあんまり一緒にいないようですけど。昔はよく一緒にお弁当、食べてましたよね。こんなことを伝えるのもおかしな話ですけど、月永くんと瀬名くんがふざけあってるの、外野から見ていてとっても微笑ましかったんですよ」
そう?」
「はい!……たまには、A組の教室に遊びに行ってあげたらどうですか?瀬名くん、きっと喜びますよ」
……そうかな。おれは」


 ぎゅるるるる、と食欲の獣が鳴きわめく。レオは腹部を押さえながら、「いっちぬけた~」と立ちあがった。一秒でも早く、からっぽの胃を満たしてしまいたかった。腹の底に沈んでいる鬱々とした感情のすべてを、きれいさっぱり打ち消すように。


―――そういうわけで、おれは旅立つ!バイバイ、オバちゃん!」
「はい、いってらっしゃい~。俺は、ちょっと手芸部に用があるので、そっちに顔を出しますね~」


 にこやかに微笑むつむぎに手を振って、レオは教室を飛びだした。瀬名くん、きっと喜ぶと思いますよ。つむぎの台詞を、幾度もループさせながら。


(『きっと』って、不思議な言葉だよな。ときどき、空気の抜けた風船みたいに頼りない言葉に聞こえるよ)