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はるの
2022-08-08 23:03:28
31734文字
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スタートレック
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バラ色の人生
全年齢|AOS spirk|2021.6.19|年齢を重ねて引退したジムとスポックが、郊外の家でのんびり一緒に暮らす話。ふたりの未来をフリ~~~ダムに捏造しています。
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ポロン、ポロン、とたどたどしいピアノの音が聞こえてきて、スポックは一瞬瞠目した。
「ジム?」
思わず、リビングに踏み込みながらそう呼べば、ピアノから手を離したのはジミーである。彼はしんなりと眉尻を下げると、いたわるような笑みを見せた。
「ジムじゃなくてすみませんね」
「言い方に含みがありますね」
「だって。ジムはいないだろ? 忘れちゃうほどさみしがってる?」
「本当に、ジムの良くないところをすっかり写し取ってしまいましたね、あなたは」
にやっとからかうような表情で席を立つ彼を見やって、スポックは軽く嘆息する。制服の裾を引いて居住まいを正す彼の姿は、まるでまぶしいものだった。
「これから出発ですか?」
「いや、明日。スポックに見せて懐かしさにむせび泣かせろ、っていうジムの指令を受けてるだけ」
そう言って、ジミーはぱっと両手を広げると、自分を見せびらかすように体を左右にひねった。
デザインはマイナーチェンジしているが、間違いなく懐かしい、艦隊のアカデミー制服である。むせび泣くことはもちろんしないが、いくらでも郷愁に浸れるような、胸に迫るものが確かにあった。
得意げな顔をする彼と目を合わせる。身長は、まだ自分のほうが高かった。
「お母さんは?」
「んー
……
、うん。まあ、あんまり。父さんが折れたから、自分もしぶしぶ何も言わない、って感じ」
「そうですか」
「まだ軍隊に入るって思ってるみたい。そんなことないのにな」
「いいえ、あなたは命を落とす危険と向き合うことになります。お母さんの心配はもっともです。ですから、必ず、死なないこと」
まっすぐに、その澄んだ目を見つめて伝えれば、彼はぱちりとまばたきする。
そして、自信なさげにそっと眉をひそめると、遠慮がちに目を伏せた。
「
……
俺は、あんたたちみたいに優秀じゃないし、テストだってぎりぎり受かって、親も怒らせるし、命を落とす危険って聞いて今ちょっとびびってるし」
「ジミー」
「やっぱ、間違いかな。俺が選んだことって。探査船に乗ってみたい、なんて子供みたいなわがままでこんなこと」
ふらふらとさまよう視線は力なく、彼のこれまでの葛藤を思い起こさせた。スポックはそっと彼の肩に触れて、顔を上げさせる。
脳裏に母の面影が浮かんで、そっと自分に溶けていった。
「あなたが、どんな道を選ぼうとも
――
、あなたを誇りに思いますよ」
その言葉を聞いたジミーは、再びぱちりとまばたいた。
それからゆっくりと、柔らかく微笑みを浮かべる。その許されたような表情に、スポックも許されたような気持ちになった。
ぽん、と軽く肩を叩いてやれば、彼は小さく吹き出して笑う。
「ありがとう、スポック」
「どういたしまして。向こうに着いたらアキによろしくお伝えください」
「おーっと、誰だそれ? 俺に黙って先にさっさと入学しやがったやつのことなんか知らないな」
「あなたたちはまだ喧嘩をしているのですか。彼も言いあぐねたと言っていたではありませんか」
「どんだけあぐねようと黙ってたことに変わりない。そうだな、向こうに着いたら、とりあえず真っ先にあいつの眉毛でもむしりにいくか。俺がどんな道を選ぼうとも誇りに思っててくれよな」
「妙な応用を効かせるのはやめてください。そういう意味で言ったのではありません」
からっと軽口を並べながら、ジミーはピアノにそっと手を触れさせた。微笑みながら視線を落とし、譜面台に置かれた楽譜に目を止める。角のよれた手書きの紙は、カークがいつも天板に置きっぱなしにしているものだった。
「ジム、パリからいつ帰んの?」
「明日、艦隊本部に寄ってから帰ると聞いています」
「完全に俺待ちじゃん
……
。あのじいさん有名人だろ。公衆の面前で構われるの怖いんだけど」
「それはうまくやっていただくしかないですね。ちなみにアキのときは隠し子説が出回りました」
「じじい現役すぎんか? 想像力たくましいな先輩方」
「ジムの輝かしい負の業績がそうさせていると思われますので、これはジムの責任です」
後ろに手を組んで毅然とした態度でそう告げれば、ジミーはこちらを振り仰いでぐいっと口角を持ち上げる。
その意味ありげな表情に、スポックが首を傾げると、彼はふっと力を抜いて、少しだけ真剣な顔つきになった。
「なあ、スポック」
「はい」
「ジムは、本当にあんたのことが好きだよ」
「ええ」
「『ええ』?」
「知っています、という意味です」
「じゃあ、なんで
……
、なんで、恋人同士にならないんだ?」
「
……
ずいぶんと唐突ですね」
「ずっと不思議に思ってたんだ。だってスポックもそうなら、そうしたほうがジムも喜ぶんじゃないか? 結婚したっていいし、もっとそういう、特別な関係になったって」
アカデミーに入ったら、しばらくは戻ってこられないし、もしかしたらそのまま都心に居ついてめったに会えなくなるかもしれない。
きっとそんな思いで、彼は積年の懸念を打ち明けたのだろう、とスポックは考える。もしかしたらジミーにだけ、カークはままならない思いを話したのかもしれないし、ただ単にはたから見ていて、カークを幸せにする方法を一生懸命考えてくれたのかもしれない。
純粋な、カークへの厚情だ。そう思うと、笑みを作るのはたやすかった。
「
――
つまり、今は特別じゃないように見えると?」
特別な深い意味を込めて、殊更そう見えるように。
スポックはややからかうような色を混ぜて、艶っぽく自信ありげにそう言い放つ。
みるみる目を丸めたジミーは、ふわりと頬を赤らめた。
「うわあ」
「そういうことです。私たちは私たちの関係について、私たち以外の理解を求めていませんので」
「お、おう」
「どうぞ、お気になさらず。ジムが幸せかどうかは、直接本人に訊いてみてください」
「オーケー、分かった、若造が気軽に覗いていい深淵じゃないってことは致命的に理解した」
「致命するものではないと思いますが」
「いやいや。ほんっとあんたは、だいぶ面倒だけど、そこそこ優しい、かしこいおじさんだな」
ジミーは露骨に引いたような顔をしてみせると、元気にホールドアップして、思いっきり肩をすくめて笑う。
スポックは懐かしい思い出を繰りながら、だいぶ面倒でそこそこ優しい、とは? と言って小気味よく片眉を跳ね上げてみせた。
ひとりになったリビングで、スポックはカークの楽譜をじっと見続けた。
やがて、踵を返してレコード棚の前に立つと、中から目的のものを1枚取り出してくる。何も書かれていないケースから円盤を出して、ラベルに書きつけた曲名と演奏者の名前を確認した。
そっとプレーヤーにセットして、一番外側に優しく針を落とす。
ややこもったように聞こえるのは、音源が少し遠かったせいだろう。けれど、レトロでアナログな質感は、どこか温度を感じるように錯覚する。
ポロン、ポロン、と途切れながらもつながる音色は、あのときの穏やかさそのままだ。
スポックはレコードを回したまま、ゆっくりとソファに座った。夕暮れの空は甘いピンク色をしていて、庭先のあらゆるものはその輪郭を曖昧にしている。距離感をぼかすような薄暗がりに、ぽつぽつと満ちていく愛しさは、まるで奇跡のようにひそやかだった。
いや、奇跡など存在しない。つまり、このあまねく平和のすべては、ジム・カークの意思によって慎重に準備されたものなのだ。
スポックはほっと吐息して、そっと目を閉じてみる。そうすると、今もすぐそこに、彼が座っているような気がした。
あの変わらない眼差しで。いつもどおりの、よく晴れた日のように。
「いい人生だな」
一言、そう言ってみた。
言ってみたら、本当にそうだと、体全部が肯定するように熱を帯びる。
目頭を押さえて背もたれに体を預けると、素っ頓狂なカークの声がレコードから聞こえてきて、スポックは笑みをこぼした。
そっ、と鍵盤から手を離すと、カークが座っているソファのあたりから素直な拍手が響いてきた。
「めちゃくちゃ上手くなったよなあ、ピアノ」
「今失明してもこれだけは弾けますね。どうですか?」
「どうって?」
「この曲を課題として出したのはあなたです」
「あー、そうだっけ」
振り返ってみれば、明るく健康的なリビングで、カークはのんきに首をひねっている。スポックは未練気なく立ち上がると、そつなくカバーをかけてそっと蓋を閉じた。くるりと踵を返せば、カークはマグカップを持ち上げてこちらに杯を掲げる。そのからかうように弧を描く、美しい双眸と唇にしばし見とれた。
「
――
評価、要る?」
そんな表情で、意味深に、深い笑みでささやかれれば、スポックにできることはそう多くない。
目を伏せてから彼の隣に腰を下ろし、そっと肩を触れさせると、彼は楽しそうにくっつけた肩を丸めて笑った。
「正誤や優劣が意味持つ課題じゃねーからなあ」
「それを今言葉にするあなたの、途方もないずるさを実感しています。まるで宇宙のように果てがない」
「そんなこと言って、そういう俺が好きなくせに」
「お言葉ですが、このような私もどうせあなたは好きでしょう」
同じ口調で言い合って、同じように目を合わせれば、カークは少しあきれたような、降参するような、そんな声音で吹き出してみせる。
スポックは気を取り直すように、彼が用意してくれたおそろいのマグを取って口をつけた。
「おおむねのところを習得したと思われますので、そろそろ趣味を増やそうかと思います」
「ええ? 今から? 君の教養への投資は熱狂的ですらあるな」
「文化資本はあって困りませんから」
「今度は何? 絵とか? あ、物書き?」
「やはりそのあたりが通例でしょうか」
「じゃあさ、俺の話を書いてくれよ」
「あなたの?」
「そう。華麗なるジム・カークの人生、みたいな」
「フィッツジェラルドですか」
「逆らう船のように」
「『こうして僕たちは、絶えず過去に連れ戻されながらも、波に逆らう船のように、ひたすら前に進んでいくのだ』」
「はは。そうそう。いいね」
カークは適当なことを言って、伸びをするように背もたれにしなだれる。スポックは彼の手からこぼしそうなマグを取って、テーブルに置いた。
見上げるような眼差しは、実に楽しそうだ。
「でも、君が書くなら、立派な暴露本になっちゃうな。俺は世間で言われてるような立派なヒーローじゃなくて、本当はわがままで、好き勝手で、計算もできない無鉄砲、なんてことを書かれちゃうんだろ」
「そうですね、書くのであれば、ありのままを」
「絶対一番に読ませろよ、検閲するから」
むっとしたような顔をわざと作ってみせるカークに手を伸ばして、スポックは彼の頬に触れた。カークはまるで空気のように、こちらのたわむれを受けとめる。逆にすり寄ってくるくらい、ごく自然な触れ合いがあった。
たとえば、彼の人生を書くとして、とスポックは考える。
きっと、カークに読ませることは一度もないだろう、と思った。
彼のことを滔々と綴った文章など、恋文以外の何物にもならないだろうから。誰に読ませる気にもならない。
「さあ、どうでしょうね」
彼の真実は、自分だけが知っていればいいのだ。
きゅ、と頬をやわくつねると、カークは眉を寄せて首を振った。犬みたいなしぐさをする。
「どうでしょうねってなんだ、どうでしょうねって」
「始めるなら、先に絵画がいいでしょう。水彩、油、ペイントソフト」
「おっ。ヌードモデルやってやろうか?」
「着てください」
顎を引いてぴしゃりと言い放つと、彼はほがらかに口を開けて笑った。ばしばしと肩を叩かれて、スポックは眉の力を抜く。
穏やかな、昼下がりの午後。
いつもどおりの、よく晴れた日だった。
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