はるの
2022-08-08 22:31:53
23234文字
Public スタートレック
 

思うよりたくさんの愛情

全年齢|AOS カーク・スポック|2021.3.3|STBの前、5年探査2年目くらいの、ファザコンをこじらせてるジムと、スポックをこじらせてるスポックの話。



Side.S


 この通信がおそらく最後になるだろう、と彼は言った。



 急遽、というほどでもなかったが、長期のプランには入っていなかった惑星への寄港について、スポックとしては特に思うところはなかった。現時点では、先を急がなければ何らかの危険が発生するような航行にはなっていない。マッコイが必要だというのであれば、それは本当に必要なのであろうし、地球に似た惑星、と聞いてわずか郷愁を感じたことも否めなかった。
「スポック、着いたらどうする? 挨拶一緒に行くか?」
 宇宙港への接続処理を行いながら、カークは軽い調子でそう言った。外交に政治的不安のある惑星への上陸であれば、随行する場合も多いのだが、今回の寄港は、地球人風に言うなら『ちょっとドラッグストア行ってくる』だ。
「いえ、私は船に残ります。ですが、必要であれば連絡を」
「残る?」
「はい、通信の確認がありますので」
「ふうん」
 カークも当然、随行が必須とは考えていなかったのだろう。分かったよお、と変に間延びした返答をして、キャプテンチェアをくるりと回した。しゃんとしろ、という注意を添えようか、迷ったタイミングで惑星拠点から通信が入る。その一瞬で、彼は数々の業績を粛々と積み重ねてきた宇宙艦隊の大佐然とした顔つきになった。彼のこういった点に関して、最近は一瞬でも判断に迷うと、たちまちに手遅れになってしまうことが多い。いや、彼がしゃんと大佐を務めてくれるのであれば、それに越したことはないのだが。
 惑星との連携は司令部に任せ、スポックは科学部の各チームと引継ぎを行った。だが、連邦の大型ハブ港になっているような惑星は別として、今ここで自分たちがやれることはほとんどない。ほとんどない、と確認するだけのやり取りをして、スポックは彼らを地上へ送り出した。楽しそうにしている面々の表情を見ていると、やはりなんだかんだ言ってマッコイは優秀なのだろう、と思う。
「スポック」
 呼ばれて振り返った。移動する人々の流れに反して、ウフーラが駆け寄ってくる。
「はい」
「今回も一旦巣ごもり?」
「巣ごもり、という表現は不適切ですが。はい、一度通信をまとめます」
「ニュー・ヴァルカンからはどんどん離れてるもの、仕方ないわ。分かった、でも私の助けが必要なら言って」
「ありがとう、ニヨータ」
「キャロルと遊びに行くから。コミュニケーターで」
「承知しました」
 向こうからゆっくりとした足取りで、キャロルがやってきた。おそらく気を遣ってのろのろと歩いているのだろう。彼女のからかうような眼差しに気を取られていると、ウフーラはこちらの頬にキスをして、ぱっと離れていってしまった。
「ミスター・スポック」
「ドクター・マーカス」
……あなたたち、なんでいつも対峙するとき、ちょっと臨戦態勢になるの」
 あきれたような笑いをこぼして、ウフーラはキャロルの肩を叩いた。さらりと美しい髪を流して、彼女はそのまま人の流れに乗っていく。
「なんでかな?」
「私に攻撃の意図はありません」
「ならよかった」
 顎のラインで切りそろえられたブロンドがおかしそうに揺れた。彼女だけがここに留まったということは、きっと話があるのだろう。スポックはそう考えて、背筋を伸ばし、手を後ろに組んだ。静かに待機していると、キャロルはやはりその碧眼をいたずらっぽく細めてみせる。
「ジムは?」
 そして問われた内容に、少し眉を寄せてしまった。
「キャプテンのご予定でしたら、拠点担当者との顔合わせが用意されています」
「そう。ドクターは患者につきっきりだし、きっとそのあとはひとりね」
……どうでしょう。彼は現地で〝ご友人〟を開拓するのが非常に堪能だ」
 彼がひとりになるとしたら、とスポックは考える。カークはいつも、誰かと笑っているような印象だ。5年探査に出て、行動範囲が限定されているから最近はおとなしいものの、きっとその本質は変わっていないだろう。寄港先のゲートを出て、物珍しげに艦隊制服を見つめる女性に対し、明るく声をかける風景はもう見飽きるくらいに見てきている。
 素直にそう伝えたはずだった。けれどそれを聞いたキャロルは、なんだか驚いたような、どこか非難するような視線を据えてくる。
……中佐」
「なんでしょう」
「ジムの誕生日がどんなか、あなたは知ってる?」
――は?」
「いいえ。それでは失礼します。ニヨータの休暇は私がいただきますので」
 キャロルは突然そんなことを言い、一方的に宣言をして、ぱっと踵を返してしまった。ほとんどウフーラと相違ないそのきびきびとした歩き方を見つめながら、スポックは小さく首を傾げる。文脈の整合性が壊滅しているとしか思えなかった。彼女の言いたいことがまったく理解できない。
 地球人が誕生日ごとに生まれを祝うことを、スポックは自分の家庭における習慣によって理解している。母は、いつでもスポックが生まれた日を祝い、同じ日が幸福な状態で何度も繰り返されることを祈った。スポックが大きくなると、自分も相当頑張ってあなたを生んだのだし、命を落とさず今ここにいることを、ついでに一緒に祝ってもいいよね、と茶化すように言ったりもした。スポックとしては、既に存在する自分が存在していることを祝う、というウロボロス的発想を今ひとつ領得できなかったが、彼女がひとり、そのやわな体ひとつでヴァルカン社会を生き抜いて、今まさに生存しているということは、確かに祝うに値すべきだろうと思った。だから、誕生日はどちらかというと、母のための日という印象が強い。
 カークの誕生日を、もちろんスポックは知っていた。そして自分の誕生日を、彼も知っている。そういった情報共有の流れで、彼は以前、こう言った。
 ヴァルカン人って、誕生日なんか祝わないよな?
 そうです、と答えれば、彼はなんだか嬉しそうに笑った。あれ以来、誕生日に関する何かを彼と話した覚えはない。



 自室に戻って、コンソールを起動する。画面をスクリーンに展開して、保存しておいたレポートを開いた。その一覧を眺めながら、スポックはしばし考え、一度ワークデスクから離れる。お茶を作って戻ってきて、ゆっくりと椅子に座りながらマグカップに口をつけた。
 ここに寄港した時点で、惑星が持つ基地局のネットワークには自動的に接続されている。アクセスポイントに溜まっていた大容量のデータファイルは、すでにおおむねダウンロードされたあとだった。
 エンタープライズが航行するのは、基本的には深宇宙の、未開の遠い星界である。遠距離での通信の場合、ビーコンやテキストなどの軽いデータであればやり取りできたが、音声や映像といった重いデータは届けるのに時間がかかった。届かないことはないのだが、破損するケースもあり、スポックは基本、ほかのクルーと同様に、重要度に応じて『局留め』にしている。あらゆる連邦加盟惑星を経由して、安全にデータを送受信するのだ。
 そのようにして、スポックはニュー・ヴァルカンと定期的にビデオレターをやり取りしていた。
 受信者はミスター・スポック、そして送信者ももちろん、ミスター・スポックである。
 電子の集合体で構成されたメモリーの中の〝自分〟は、いつでもごく穏やかに、ヴァルカン星の復興に関する情報を共有してくれた。全体の計画とマイルストーン、進行状況とリスケジュールの可否、出てきた問題とその解決策。急がない事柄であればこちらの意見を伺うこともあったし、それによってなされた成果は必ず仔細に報告された。それから、彼による所感も。
 取り残された人々が何を考え、どう不安に感じ、いかに克服しているか。ひとり残された父がどのように暮らし、何に慰められているのか。
 地球が非常に親身に協力してくれること。あの青い星に浮かぶ郷愁を、この新しい星にも芽生えさせたいということ。
 ヴァルカン星を消失に至らしめた自分の失敗を、今でも悔やみ、心乱れるときがあるという秘密を。
 彼はかけらも包み隠さなかった。当たり前のように感情を解釈し、それが存在することを自然に伝えてきた。それは宛先が〝自分〟だから、今更隠す必要もないのだろうと思っていたが、最近は違うような気がしている。
『ジムは元気かね?』
 彼のビデオレターは、必ず最後にその問いが入る。
 気になるのであれば、カークにも同じようにビデオを送ればいい話である。最初これを聞いたとき、このレターで取り扱う話題に適さないと思ったし、もう少し言うことがあるだろうと思った。実際、そのように添えて返信をしたし、カークはその後、じじポックからビデオレターをもらった、と嬉しそうに話していた。
 けれど、その後のレターにも、同様の雑談が入っていた。ジムは元気かね? 君たちの航宙が実りあるものであることを祈っているよ。ごく穏やかな、自分がしたこともないような、温かな皺の寄る目元をさらして。
 ジムは元気ですし、元気がありあまりすぎてこの前肉食植物に頭から突っ込みました、と勢い任せに返信したこともある。髪がちょっと溶けたと言って彼は嘆いていたが、正直それどころではなかったし、マッコイからは雷が落ちた。おそらくあれを動力源にして、1光年は移動できる。そんな見解を付け加えたことを覚えている。
 そうしたやり取りの中で、ふと、悟ったことがあるのだ。
 その慈しみに満ちた口調で。瞳に宿る光の優しさで。
 彼は、本当に、心の底から、ジム・カークと共に星をめぐり、宇宙を旅する航行が、スポックの充足であり、平安であり、幸せだと信じている。
 未来から来たスポックが、出会った当初からふたりが共にあるようにと言うのは、当然、彼が今後起こりえることを知っており、そのために意図された忠告なのだと思っていた。明言できない何か重大な理由があって、そこにふたりが居合わせないと宇宙が消失するような。最初はそう考えていた。それが、論理的な帰結というものである。
 けれど、おそらく、そうではない。
 ただ彼は、まるで証明された定理のように、それが正しいと〝感じている〟だけなのだ。
 ――ジムは元気かね?
 もちろん、言葉のとおり、良き友人であるらしいカークの様子を窺う気持ちもあるだろう。けれど、これは〝スポック宛て〟のビデオレターだ。彼から自分に宛てたものだった。彼から自分への、いたわりの言葉だった。
 スポック大使は、スポックが幸福であることを、いつも熱心に祈っている。母が息子の誕生日を祝ったように。まるでありふれた、地球人のように。
 そのような考えに至ったとき、スポックは胸が詰まる思いだった。彼は自分で、別世界の自分で、自分の分身のようなものだと思っていた、その前提があっけなく崩壊する。そして何もなくなった、その凪いだ海のような場所には、〝ただのスポック〟が立っているのだ。
 違う経験をして、違う選択をして、違う人生を送っている。
 それならばもう、自分たちは、まったく別の異なる個体と識別するべきだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。
「同じ存在である我々ですが、あなたの友人にあなたはなれない。なれるのは、私だけです」
 撮影したものの彼に送るかは決めかねている、そんなことを言う自分が、このコンピュータには記録されている。
「ですから、私は私であることを、とても誇りに思っています」
 別の個体だからこそ、ふたりの間でできること。ジム・カークが教えてくれた、少しエキゾチックな、とても素敵な考え方だ。



 乱れもなく再生される映像の中で、彼はこちらから送ったプログラムが役に立ったことを語り、ありがとうと言い添えた。まるで物柔らかな、いつもどおりのレターだった。そうして彼は、マグカップからお茶を飲み、ほっとひととき腰を落ち着ける。服の趣味はほとんど同じだった。ゆったりとした、暗い色のローブが揺れる。
 ジムは元気かね? の時間だった。
 けれど彼はその代わりに、この通信がおそらく最後になるだろう、と言った。
『君たちに会えなくなると考えると、ひどく悲しい気持ちになる。こんなにも身を切るさみしさを覚えるのは久しぶりで、少し対処に苦心している。星の消失とは違って、もう少し、独善的な性質のものだ。そしてそれは、君たちも同じだろうという確信が私にはあるよ。うぬぼれでなく』
 ごく穏やかな、自分がしたこともないような、温かな皺の寄る目元をさらして。
 いつもどおりの優しさで、彼は静かにそう語る。スポックは、まるで縦穴に落ちたような、自分がどこにいるか分からなくなるような混乱を覚えた。こちらを見つめるスポックは、苦心などと言いながら、そのかけらも表には出していない。
『だから、どうかジムにも伝えてほしい。私はとてつもないさみしさを覚えているが、あまりおそろしくは感じていないんだ』
――何故」
『何故かは、君なら分かるだろうと思う』
 まるでこちらの言葉を聞いているかのように、スポックは柔らかく言葉を継ぐ。これが撮影されたのはいつだろう、とスポックは考えた。報告されたニュー・ヴァルカンの状況と、映像データが経由される拠点数、データが真空を走る速度、すべてを総合的に勘案して。
『会いたい人がいるんだ。だから、安心してほしい』
 その言葉を聞いて、めまぐるしく演算していた頭が完全に停止する。
 そのまま論理は吹き飛んで、あとはもう、何も考えられなくなった。
 自分もいつか、こんな複雑さで、こんなにも優しく、笑うことができるようになるのだろうか。
 初めて、ヴァルカン人の微笑というものを見た気がする。そう思った。呼吸がしづらくて、はあ、と大きく肺を動かす。
『それでは、ミスター・スポック』
 まばたきひとつで雰囲気を変えて、彼は居住まいを正した。そして茶目っ気のある、いたずらっぽい光をその双眸に宿す。
――Good Luck』
 初めて彼と邂逅したときの、あのやり取りをなぞるように。彼はヴァルカン・サリュートを掲げ、映像はそこで終わった。



 今すぐヴァルカンに帰りたいと思った。
 彼に会いたいと思った。彼の残した痕跡をたどって、彼のように立ちたいと思った。ほんの少しでも、自分の〝古い友人〟に近づきたい。宇宙艦隊のことをすべて忘れて、まるで本能のようにそれだけを思った。
 故郷に帰りたいと発想することは、別に今に限った話ではない。復興計画に重大な問題が起こったときは、ごく堅実な方法でニュー・ヴァルカンへの出向を検討したことがあるし、彼が見せてくれた現地の景色に強い郷愁を覚えて、非現実的な帰郷プランをまるで冗談のように考えたこともある。
 何度もある。そのようなことは。けれどそのたびに、スポックはカークを思い出すのだ。キャプテンチェアに座って挑戦的に見上げる双眸を、嬉しそうに笑ってこちらの胸を叩くしぐさを、まるで泣き出しそうな情動のまま、そっと指先に触れたことを。彼から無条件に与えられる、そういった信頼は、いつでも自分の郷愁を吹き飛ばしてきた。艦隊の存在を忘れさせる故郷の存在をも無力化する、強力な引力が彼にはある。
 けれど今は、ただ取り残されたようだった。
 あと10年は生きると思っていたのだ。突然すぎて、まるで見捨てられたように感じる。空虚にぽつんと放り出されて、0ケルビンの温度で冷やされていくようだった。そう考えると、自分はずいぶんと彼に甘えていたのだろうと自覚する。
 そこには、宇宙へ出る自分の代わりにヴァルカン復興に携わってくれた、というわずかな負い目も含まれるだろう。けれど、そんなことさえ些末である。きっと、こんな自分を抑えていられたのは、思うよりたくさんの愛情を、彼から受けていたからだ。
 ヴァルカンのことで頭がいっぱいになる自分に、わずか恐怖を覚える。
 彼の献身的な贖罪について、怒涛のように考えがめぐる。
 このような精神状態で、今までどおりにしていられるとは思えなかった。きっとそのうち何かが破綻する。ずるずると未練をため込んで、そのうち彼らを裏切るのではないか。
 そんなことになるくらいなら、その前にけじめをつけたほうがいいのではないか。ふと、そんな考えが脳裏をよぎる。
 カークと共にいることを望んだ彼も、カーク自身が不幸になることは望まないだろう。
 彼が愛し、自分も愛した、ジム・カークがキャプテンを務め、スポックが副長として傍らに立つ、この船でのすべての営み。
 この聖域を、傷つけてしまう前に。






 新しく発見した惑星は、緑が深く豊かであった。生い茂る自然と共にひっそりと、ヒューマノイドが暮らしている。
 彼らは森の一角にコロニーを作り、木を組んで家を建てていた。火も使うし、道具も使うが、理工的な機械は使用していない。いわゆる原始的な種族である。
 ひとつ、珍しい特色として、彼らは言葉を持たなかった。
 生体分析スキャンや、派遣した調査隊によって分かったのは、彼らが近距離の非接触テレパスを持ち、その影響で言葉を開発しなかったらしい、ということである。彼らは文字を書かなかった。図面も引かないし、規律を明文化することもない。彼らの意思は、常に彼らの思考コミュニティにプールされ、リアルタイムで引用される。理念や思想は概念のみが存在し、彼らは自然とそれを〝分かっている〟のだ。おそらくこういったメカニズムの解析も、言語文化しか知らない自分たちによる、一種の解釈に過ぎないだろう。テレパスというものを地球人がうまく理解できないように、これはきっと、そこに立つ者でなければ完全に理解しえない類のものだ。
 いくつかのチェックをしたのち、スポックは上陸調査に参加した。夜の景色がきれいだから、という理由で、カークに誘われた案件だ。観光でもするかのように未開の星に降り立つのは不謹慎だ、という指摘はしたものの、彼は分かった分かったと言って笑うだけだった。
 でも絶対、一度見たほうがいい、感動するから。
 彼がそう訴えたときの眼差しは、どこか切実で、スポックはそれ以上の言及を取り下げざるを得なかった。「なんか感動するから」などという非論理的な理由は、いくらでも是正ができたはずなのに。結局、ブリッジをスールーに任せ、ほか2名のクルーと共に、夜にまぎれて森に降り立ったわけである。
 重力は地球よりも軽い。高山病の注意喚起があったが、周囲は巨木に包まれていた。虫だと思っていた浮遊物の正体は、ポプラのような綿毛で、何らかの発光物質を含んでいるのか、淡く暖色に光っている。
 彼らのテレパスは独自の受容体によって成り立っているため、同種族間でしか授受されず、近づいても思考が感知されることはないようだった。けれど当然、気づかれるわけにはいかないので、細心の注意を払う。集落は、まるで森のほうが彼らのために場所をゆずったような土地だった。家々は踏み込まれてできた土の道によって接続され、その軒先や、道のあちこちに、小さなろうそくが灯されている。森で火を使うなど危険にも思えるが、この惑星環境では燃え広がりにくいのかもしれなかった。風よけか、延焼よけかは分からないが、ろうそくを囲っている容器は、ひどく緻密なつくりをしている。
 外には何人かの地元民がおり、互いにコミュニケーションを取り合っていた。
 もちろん、彼らは会話を行わない。スキャン結果でも、声帯がないことは確認済みである。だから、集落の中で彼らは、目を合わせ、微笑み、触れ合うことで、お互いに〝分かっている〟はずの感情を交換していた。テレパスで理解できることを、改めて表現するということが、彼らにとってどういう価値を持っているのかは想像できない。けれど、彼らは当たり前にそれをするのだ。
 個人の意思を開示する手段として、彼らは音と接触を用いた。
 彼らはそれぞれ、ひとつだけ、音の鳴る装飾をその身につけている。しゃらしゃらとささやかな音の鳴るイヤーカフスや、ころころと優しい音の鳴る鈴のついたチョーカー、金属でできているものもあれば、木や、石や、骨でできているものもある。彼らは一様に、そういったものを生まれたときに作成し、個人に紐づける文化を持っているようだった。場の全員の思考が常に混ざり合うような種族である、おそらく、そういったことで個体識別をしやすくしているのだろうと思われた。彼らはそれを、互いに鳴らしながら挨拶する。そうして、何か思うところがあれば、彼らは相手の手を取って、その身に指先を触れさせた。
 緻密に織ってある服や、腕に刻んだタトゥーや、細やかに編み込んだ髪を、何らかの法則においてたどらせる。そうすることで、思考プールから自分の意思を剥離するのだろう。たとえば、相手の手を取り、金細工の耳飾りから首元に滑らせた指を、自分の頬に置く女性がいる。それをされた男性は、彼女の三つ編みを生え際からゆっくりたどり、自分の音に触れさせたあと、同じ頬に手を重ねる。あれが、彼らの中では言葉であり、伝達というわけである。愛の告白でもしたのだろうか。
 接触を厭うヴァルカンの文化からすると、あまりにぶしつけで戸惑ってしまう。けれど、だからこそ、非常に興味深かった。
 ちらと隣を見ると、まるで愛おしげにそんな種族を見つめる、カークの柔らかな横顔がある。
 しばらく、その顔を見つめていた。視線に気づいたカークがこちらを向いて、目を細めて笑う。そうして集落の奥を指差し、こっそりと移動を始めるので、スポックはおとなしくそれについていった。



 スポック大使のことを、結局、カークには伝えられていない。逝去が確定したわけではない、という事実を言い訳に、現実逃避しているのかもしれなかった。ふわりと浮かぶかすかな光に包まれて、森の中を歩いていく、しっかりとした背中を見つめていると、なんだかいてもたってもいられないような気持ちになる。彼にしがみついて叫ぶことができたら、少しは冷静になれるだろうか。けれど、そのような妄想ははしたなく、まして仕事中に考えることではない。
「スポック」
 立ち止まったカークが、小声で名前を呼ぶ。茂みに隠れて顔を出す彼に倣って、スポックは木々の向こうを覗き込んだ。
 低木の、大樹である。藤棚のようにも見えるが、花が咲いているわけではない。集落をつなぐ道の一番奥、そこはおそらく神聖な場所として認識されているのだろう。空が開き、まるで降るような銀河の星屑が、帯を引いてその木とつながっている。
 横に大きく広がった枝に、たくさんの装飾がつながってぶら下がっている。それらは小さな、音が鳴るもので、風が吹くと様々な音を立てた。
 装飾のひとつひとつは、彼らがひとりにひとつ、身につけているものに似たものだ。そう気づいたとき、ここがどんな場所なのかをスポックは理解した。
 ひとりの女性が、その場に佇んでいる。
 悲しげな彼女は長い間、その場に立ちすくんで逡巡していた。やがて手に持っていた首飾りから、ペンダントトップの小さなバンブーチャイムを取り外して、枝から連なる装飾の末端に括りつける。彼女がゆっくりと手を離すと、それは揺れて、かちゃかちゃと音を立てた。同時に強い風が吹き、大樹が一斉にさんざめく。
 ぶら下げられているのは、彼らが連綿と紡いできた歴史だ。この音色は、彼らが確かに生きた証である。圧巻の一言だった。
「お前に見せたかったんだ」
 カークは小声でそう言った。身をひそめるために縮めた距離が、何か特別な意味を持つように錯覚する。
「何故」
 応えたものの、少し掠れた声になってしまった。長時間押し黙っていたからだろう。それとも、彼らの文化にあてられたのかもしれなかった。カークはスポックの顎の先、ほんのすぐそばで、星影にふわりとまつげを揺らす。
「生きてることが、きれいだから――、なんか、だめだな。言葉にすると恥ずかしい。ちょっと違う気もするし。彼らみたいに、何も言わなくても伝わるなら、もっと簡単なのにな」
 カークはそう言って、肩をすくめて小さく笑った。
 彼の手を取り、指に触れさせ、首元をなぞって頬に沿えれば、もっと簡単だっただろうか。
 スポックはそう思ったが、口をつぐんだ。それから、ありがとうございますとだけ礼を言う。カークは嬉しそうに笑い返したけれど、その手が何かに触れることはなかった。



 言語で知識が蓄積されない文明において、ワープ航行技術を開発することは難しいだろう。文化の保存に不滅性がなければ、それ以降の革新はない。おそらく、この美しい種族が、この美しさを保ったまま、連邦の一員になる可能性は皆無だ。
 生物学的な観点において、彼らは非常に優秀な種族である。文字という概念をかけらでも与えれば、きっとあっという間に発展するだろうと推察できた。
 けれどきっと、そのプロメテウスの火は、この言葉にできない完全な世界を、すべて焼き尽くしてしまうに違いない。
 そうだとしたら、この星は未開のまま、このままにしておきたいと強く思えた。
 この美しい世界を、できるだけ損なわないように。――どうかこのまま。
 カークとスポックは、同じタイミングで船に帰還し、同じタイミングでメディカルチェックを受けて、同じタイミングで一度自室へ帰された。いつもなら一言二言くらいあるはずのカークは、無言で、ただ黙々と、仕事をこなし、歩いている。
 隣り合う自室の前で、それぞれのドアの前に立った。スポックが彼を見やると、同じタイミングで、カークも顔を上げる。
 目が合って、彼は何か言おうとして、結局一度、沈黙した。
 自室のドアをじっと見据えてから、再びこちらに顔を向ける。
「君がだいじだと言ったことを覚えてる?」
 突然の言葉だった。
 けれど、スポックはそれを覚えている。ずっと前、彼が命を落としたときに、泣いた自分を慰めたかった動機として、彼が提示した答えだった。
「はい。私もあなたがだいじだと返しました」
 だから、スポックはそう答えた。それを聞いて、カークはささやかに頬を緩める。
「俺は、今もそう思ってるよ」
「私も、今もそう思っています」
 お互いにそう言って、少しだけ見つめ合う。
 ゆっくりとしたまばたきを合図に、彼はにこりと微笑むと、ドアの向こうへ消えていった。
 スポックは、彼を吸い込んだスライドドアに見入ったあと、自分も自室へ踏み込んだ。