はるの
2022-08-08 22:31:53
23234文字
Public スタートレック
 

思うよりたくさんの愛情

全年齢|AOS カーク・スポック|2021.3.3|STBの前、5年探査2年目くらいの、ファザコンをこじらせてるジムと、スポックをこじらせてるスポックの話。



Side.K


 エンタープライズをぐるりと回って機関部までやってくると、一角にささやかな人だかりができていた。クルーから投げられる挨拶に応えつつも立ち止まり、カークは不思議に思って首をひねる。どうしたもんかと考えていると、ちょうどいいタイミングでセキュリティルームが開いたので、カークは難なくチーフを捕まえた。
「スコッティ」
「キャプテン。どうした? 見回り?」
「うん、食堂で濃い衆にもまれてきたところ。ところであれ、チェコフだよな?」
 あれ、と指差した先、人だかりを細かく説明すると、集まっている5名はすべて女性である。そして彼女たちは、柱に埋もれるような形で座り込んでいるゴールドユニフォームを取り囲んでいるように見えた。ちらりと脚線の向こうに見えた顔は、愛すべき最年少ブリッジクルーで、なんだか落ち込んだ様子である。
 スコットはそちらを確認すると、ああ、と面倒そうな表情を浮かべた。
「振られたらしくて。休み中、部屋でひとりになるのが嫌だって、何故かここに来た」
……ま、うだうだするには、ブリッジはちょっと目立ちすぎるからな」
 最悪、痴情のもつれによるトラブルかもしれない、と思案していたカークとしては、苦笑いを浮かべるしかない。かわいらしい理由でよかったと安堵していると、スコットは手持ち無沙汰に持っていたスパナを空中で1回転させた。
「ほら、髪型ばっちりキャプテンが、俺をクビにしたときがあったでしょ」
「何年前の話を持ち出してくるんだ」
「別に責めるためじゃないよ。あんとき、パーシャ坊やにここのチーフを任せたでしょ?」
 痛い思い出を突然掘り返され、カークは顔をしかめる。けれどスコットは特に気にした様子もなく、トコトコと寄ってきたキーンザーにスパナを放った。彼はくるくると放物線を描いたそれを難なくキャッチすると、じゃじゃーん、とでも言いそうな雰囲気で自慢げに掲げてくる。
 カークはしかめっ面を解いて、思わず笑ってしまった。
「一生懸命、精いっぱい、頑張って、キャプテンの無茶を聞いてる姿がかわいかったって、うちの連中は坊やに甘いのよ」
「無茶で悪かったな。でも、チェコフならできると思ってのことだぞ?」
「俺のほうがよっぽどあんたの無茶苦茶を聞いてきたんだけどなあ」
「お、待った、嫉妬か? かわいいな~」
「シンプルに不満です。今までのご無体をひとつずつ並べましょうか?」
 もちろん、スコットへの無茶振りに関しては、他の追随を許さない自覚がある。なんとなく、このまま続けるとドツボにはまりそう、という予感がして、カークは迅速に逃げ出すことにした。今後も期待しているぞ、という堂々とした顔で彼の肩をぽんと叩き、足早にチェコフの元へ向かう。背後から訛りの強いスラングが聞こえてくるが、華麗にスルーしてレディたちに声をかけた。
「キャ、キャプテン」
 道を開けてくれた彼女たちの先で、チェコフはめそめそした顔を持ち上げる。驚いたことをそのまま伝える、くりくりの両目がかわいらしかった。
「こんなにかわいいのに、なんで振られるんだろうな」
「かわいいけど、優柔不断なんですよ、キャプテン」
「かわいいけど、はっきりしないの。すぐに目移りするし」
「かわいいけど、幼稚なのよね、自分のことしか考えてなくて」
……うん、君たちが彼をものすごく愛していることは分かった。いろんな意味で」
 しみじみと疑問を述べた途端、彼女たちから寄ってたかって繰り出された回答に、カークはたじろいで1歩後退した。冷や汗を感じつつ、かろうじて笑みを浮かべる。チェコフは「ひどいですぅう」などと言いながらもまんざらではない様子で、逆にお前のその胆力がすごいわ、とカークは半ば感心するような心境になった。
 持ち直すため、パン、とひとつ軽く手を打つ。ぱっとこちらを見るチェコフに、カークは頼もしく胸を張った。
「前に君がナンパの仕方を教えてほしいと言ってきたとき、俺は断ったと思う」
「あ、はい。嫌われてるのかなと思いました」
「突然そこ行っちゃうのやめなさい。理由は君がまだ10代だったからです」
「今は好かれてるなって思ってますよ!」
「まぶしいなこの子……。というわけでチェコフ、この百戦錬磨のキャプテンが、女の子の誘い方を教えてやろう。だから元気出せ?」
 周囲のレディたちがしらっとした圧力を寄せてくるが、カークは努めて軽い調子でそう言った。冗談だと思って笑ってくれるならそれでいいし、もし本気に取られたとしても、それはそれで真剣に取り組めばいい。どうも彼は恋多き男であるようなのだが、しかして彼女たちの評価は自分のそれに相違なかった。いつか痛い目を見て思い知るより、もう少しおとなしいやり方をあらかじめアドバイスできれば、彼のためにもなるだろうと思ったのだ。視界のすみで舌を出してブーイングのポーズをしているスコットについては、あとで彼秘蔵のスコッチを盗み出してやることで手打ちにする。
 チェコフは、びっくりしたような顔つきだった。
 けれど、やがて言われたことを飲み込めたのか、遠慮がちの、ちょっと困ったような笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、キャプテン。あなたの気持ちはとても嬉しいです」
「よかった」
「でも僕は、その、テンポラリーな恋人じゃなくて、パーマネントな関係を求めているので……
 だから、キャプテンのやり方はちょっと……、と、もはや可憐な表情で、チェコフはきっぱりとお断りをしてくれた。
 一瞬、思考が飛んだカークは、とりあえず、にっこりと笑みを作る。
……そうか」
「ざ、ざ、ざまぁ……!」
「おいうるさいぞスコット少佐!」
 そうか、としか言いようがなかったキャプテンの姿にスコットが爆笑して、機関部はなごやかな笑いに包まれた。



 機関部からまたぐるりと回って、次はラボを冷かしていく。定期的に実施しているこの船内巡回では、先ほどのように馬鹿な話をすることもあるが、もちろん真面目な話をすることのほうが多い。できるだけ気安いように、話しかけやすい振る舞いを心掛けて。呼ばれれば応え、自発的に話すタイプでないクルーには、自分から挨拶を投げて。初めの頃は、全員の名前と配属場所とシフト状況をパッドに広げながら歩いたものだが、今ではこの賢い板もただのファッションになっている。
 ファイブ・イヤー・ミッション。
 最初の6か月は、ほとんどお祭り騒ぎだった。次の6か月を使って少し落ち着いて、1年も経つ頃には、おおよその対応に困ることはなくなった。
 クルーは5年間変わらないものと思っていたけれど、実際はそうでもない。研究成果が認められて専門のアカデミーに招かれる、といった明るいニュースと共に去る者もいれば、やむを得ない家庭の事情で不本意ながらも故郷に戻される、という者もいた。一番きついのは、やはり事件や事故による死亡で、最初、カークは死体袋を前に、どうしていいか分からなかったほどだ。
 想像もしていなかったのが、定期の適性検査によって不適合が出されるケースだった。船内は広いとはいえ密閉空間であり、またその終わりもはるかに先だ。最初の3か月で、数名の不適合が出た。それより長期の探査航行を経験している者であっても、である。乗船期間が伸びるほどにその数は減っていったが、精神的なものから、何らかの原因による持病の悪化まで、その理由はさまざまだった。一度、不適合で艦から降ろされることになった若い士官に、泣いて乞われたことがある。どうか船に残してほしい、今は一時的に参っているだけで、航宙は自分の夢だった。毎日ちゃんと楽しいし、食欲もちゃんとある、だからお願いだ、キャプテン。そのようなことを泣いて乞うほどに精神が破綻しているのだ、という言葉を飲み込んで、カークは背中を撫でてやることしかできなかった。マッコイが、こういったことを医療主任である自分の責任だと考えていることもやるせなかった。
 ときおり連邦の拠点に寄港し、欠員と補充を繰り返す。明るくぴかぴかした表情で希望を胸にやってくる新クルーたちを、辛気臭い顔で迎えるわけにはいかない。言うまでもなく、新しく家族が増えることはいつだって嬉しかった。少しずつ積み重ねたエンタープライズの業績に伴い、ずいぶんと能力の高い人員が配属されてくることもあったし、アカデミーの同期と思わぬ再会を果たして、すでに乗っている同期たちとささやかな飲み会を開いたこともある。
 白紙の星図の辺縁に点在する高文明惑星を、チェコフは非常にうまくつないだ。これに関してはスコットが、燃料不足やエンジントラブル用にせっかく作った緊急動力回路を使う余地がまるでない、と不謹慎な理由で嘆いたほどだ。
 溜め込んだ調査結果とサンプルを転送し、船の整備と補給をして、また未知の星域に足を踏み入れる。楽しい惑星や尋常じゃない恒星、うまくいかない交渉やラッキーが続いた観測、ブルーなこともあればハッピーなこともあって、たぶん、これが『普通のこと』なんだと分かってきた頃には、そろそろ2年になっていた。



 父親の享年と同じ歳になったとき、カークは純粋に驚いた。
 なんとなく、そんな歳まで生きていないだろうと思っていたからだ。
 これは別に卑屈であったり、ネガティブな発想から来るものではなく、ただ本当に、小さい頃からぼんやりと、父の年齢を超えることはないだろうと思っていた。希死念慮があるわけじゃない、ただ事実としてそうなるだろうと、どうせろくでもない理由で野垂れ死ぬんだろうと、本当に、なんとなく。
 だからカークは、自分の持てる体のすべてを使い切ってやろうと考えたのだ。まるで短距離走者のように。全身に矢を突き刺したままアドレナリンだけで戦った武蔵坊弁慶のように。80年は無理でも、30年ならいけると思った。がむしゃらに爆走して、火球のように燃え尽きる。誰にも何も残してやらない。自分のためだけに自分を使い切って、死ぬ日のために生きるのだ。それはひどく魅力的な思いつきで、カークはその日、体の内側すべてを心の内燃機関に突っ込んだ。兄が家を出ていった日だった。
 あれからずっと、そのようにして生きてきた。常に感情を燃やし、反骨心を動機にして、向かい風にこそ乗っていった。
 そうして手に入れたのが、このエンタープライズだ。
 楽しい宇宙に、素敵な船で、頼もしい仲間と、気の置ける親友。誰も知らない星を探して、新しい文明に出会って。
 隣の部屋へ行けばスポックがいて、さよならじゃなくておやすみと言う。
 とても平和で、穏やかで。ブルーなこともあればハッピーなこともある、ごくごく『普通の生活』。
 たぶん、そんな暮らしの中で、いつの間にか内燃機関が消沈してしまったのではないかと思う。
 だからこんなにも、改めて驚いているのだ。
 クラシックカーをぶっ飛ばして吠えたあの頃の自分が、まるで置き去りにされてしまったようで。



 ラボを冷かしたあとは、さすがにブリッジへ戻る予定だった。思ったより時間を食ってしまったことに気づいて、スポックの小言が確定したなとカークは思う。まあ、よほどのことがない限り、自分にとって彼のあれは子守歌のようなものなのだが。なんて本音を言えば、かの秀麗なヴァルカン人は、その能力をフル活用して上官を叱りつけてくるだろうけど。
 ふと、視界に何かが留まって、カークは足を止めた。
 科学士官の専門グループがちょっとした打ち合わせに使用するような、小さなミーティングルームである。在室の表示はなかったが、ドアが少し開いていた。半開きになってしまったから空室表示になっているのだろうが、なんとなくどこか変だと思う。そして、自分のそういった直感は、大抵の場合信頼できた。
 ドアに触れて軽く押せば、扉は難なくスライドする。壊れたわけではなさそうだ、とドア口を目でたどると、足元にコルク栓が転がっていた。どうもこれを挟み込んで、空室を演出したらしい。カークはそれを拾って、そっと匂いを嗅いでみた。果実酒の芳香が鼻腔をくすぐる。
 1歩中に入れば、ドアは静かに閉じられた。
 明かりはついていない。宇宙を映す船窓から差し込む、エンタープライズ自身のエネルギーによる青白い光がその限りだ。
 その大きなガラスに身をゆだねて、床に座り込んでいたのはキャロルだった。
……よりによってあなた?」
 少し皮肉げな形に唇をゆがめて彼女は笑った。立てた両ひざの脇に、開けられたワインの瓶と、浅くその赤を残したワイングラスが置かれている。
 カークはひょいと眉を上げて、おどけたようなポーズを取った。
「大歓迎だな」
「悪い意味じゃないの。ただ、あなたって本当に」
「本当に?」
――いいえ。別にさぼってるわけじゃないからね。今はオフだから」
 肩をすくめて傍らを見下ろすキャロルは、努めて明るく振舞っている。ぱっと見でも上等と分かるワインのラベルを見て、カークは少し考えた。それから、こちらも明るく振舞って、ごく何気ない調子で彼女の隣に座り込む。
 なんとなく、デジャヴがあったのだ。
「もしかして、誕生日?」
 そう訊くと、キャロルは疑い深い眼差しを向けてきた。
「もしかして、クルーの名前と所属以外にも、そんなことまで把握してるの?」
「いや、さすがに誕生日までは覚えないよ、個人情報だし」
「じゃあ、どうしてそう思うの」
「さあ? ただ」
「ただ?」
……俺の誕生日も、こんな感じだから」
 そっと微笑んで、秘密を共有するように小声で告げる。目を見張ったキャロルには構わず、カークは彼女のひざを越えて腕を伸ばし、傍らのワイン瓶を勝手に持ち出した。ラベルを撫でながら、生まれ年? と訊けば、彼女はひとしきり驚いたあと、目を閉じて長い溜息をつく。
「クリスティンはこういうのにやられたわけね」
「何の話?」
「なんでも。そうよ、生まれ年。今日は私の誕生日」
「そうか、おめでとうキャロル」
「あなたもこんな感じなの?」
 わけが分からない、という顔を少しだけしかめて、キャロルは首を傾げた。カークはそれににこりと笑って、今度はグラスを持ち出してくる。彼女のひざに手を置いて身を乗り出し、座り直しながら肩を触れさせれば、キャロルはあきれた顔で額に手をやった。わざとらしいスキンシップをわざとだと判じてあしらってくれるような女性には、正直安心してしまう。
 カークはグラスに少しだけワインを注いで、彼女に掲げた。合わせるグラスがないので仕方なく、ワイン瓶と涼しい音を立てる。
「キャプテン、勤務中では?」
 キャロルのそんな注意に口角を上げて、カークはそれを飲み干した。フルーティで、優しい甘さだ。それでも舌には深く渋い味わいが残る。
「いい酒だな」
「つまり、あなたは誕生日毎、勤務中に飲酒を?」
「スポックみたいな言い方やめろよな」
 カークは笑って再びワインを注ぐ。そしてもう一度瓶とグラスを重ね合わせると、それをキャロルに手渡した。
 彼女は不機嫌そうに受け取り、こちらの笑顔をしばらく見つめる。それから結局、仕方ないな、というふうに笑って、素直に口にしてくれた。
「ケルヴィン事件は有名だから。誕生日を祝ってくれる人もいるけど、だいたい気を遣われる。そういう顔をさせたくないから、大っぴらには言わないし、友だちは察して何も言わないでいてくれる」
 ほとんど言葉にしたことがない内情を、カークは形にして差し出す。なんとなく、必要だと思ったからだ。その直感が正しいことと、できれば思い違いであってほしいことを、同時に祈った。キャロルはワインを飲み干して、グラスを静かに床に置く。
「ボーンズはそういうの全部分かってて、誕生日の前にこうやってふたりで祝ってくれる。だから、『俺もこんな感じ』」
「あなたはそれが、一番嬉しい?」
「一番?」
「私にそれをしてくれるってことは」
 優しく微笑んで、キャロルはこちらを覗き込むように両ひざを抱えた。カークは口元をむずむずさせて、やっぱり我慢できずに頬を緩める。そんな様子に、彼女はより一層笑みを深めた。
「ドクター・マッコイらしいわ」
「宇宙一いいやつだよ。家庭を持つのは向いてないけど」
「全方向にお節介なのよ。あれで自分は地面が好きで安定してるって思い込んでるんだから、そのせいでパートナーもブチ切れたんでしょうね」
「見てきたのか、ってくらいに詳しいな」
「一緒に魚雷を解体した仲よ?」
「そりゃ、おみそれしました」
 おどけてぱっと両手を挙げれば、キャロルはおかしそうに口元を押さえる。
 そうしてしばらく笑ってから、彼女はふと、船窓に目を寄せた。
「私の誕生日は、いつも家族でパーティだった」
 ゆるくほどかれた口元はそのままに、ここではないどこかを見つめる眼差しがガラスに反射する。青白い光に透ける碧眼は、そのまま白く溶けてしまいそうで、ひどく曖昧な印象を受けた。カークは触れているお互いの肩を意識する。誰かが今ここにいる、ということが、少しでも彼女をなだめられるように強く祈った。
「お酒が飲めるようになると、パパは記念にワインを買ってくれた。仕事でいないときもあったけど、それをママとふたりで空けて、パパに大盛りで感想を言うの。飲めなくて残念でしたって、ママと一緒にからかうのが楽しくて」
 にこり、と微笑むキャロルの表情にも、カークは強い既視感を覚える。さみしくてたまらない、ひどい何かが詰まった風船が、内側でぱんぱんに膨れる感覚だ。
「ごめんなさい。あなたにこそ、こんな話はしちゃいけないのに」
「俺だからこそ、話せるんじゃない?」
「でも、あなたは……
「俺以外に言ったら、それこそ『ジム・カークが可哀想だと思わないのか』って言われるよ。だから、それは俺が聞く言葉だ」
 ぐい、と肩を押して、カークはゆっくりと微笑む。ただ温かくて、優しいだけの眼差し。そう伝わるように、努めて意識した。いつもマッコイがしてくれるような。あの彼の、雑だけど細やかな優しさを、今ここで体現できたらいいと願う。
 キャロルは、つられるようにして眉尻を下げた。
「あの人のことを許せない。本当に」
「うん」
――でも、好きだった。本当に。パパは優しくて……、本当に、それなのに、どうして……
 うつむき伏せられた瞳がうるむのを見て、カークはそばにある彼女の手を握った。同時にぎゅっと唇を噛み、泣き出さないようにこわばるキャロルを見て、手のひらを返して手のひらを合わせる。体を震わせているからか、湿っぽくて熱かった。少し力を込めて包めば、彼女は短く吐息する。
「もっとできることがあった。もっと。ごめんなさい、ジム」
「君はできる限りのことをしたよ」
「いいえ。――いいえ。私、うぬぼれてたの。パパは私のことが大好きだから、きっとパパは私の話なら聞いてくれると思ってた。パパは、私の話なら……、それだけの愛情があるって、私」
……キャロル」
「あの人を思いとどまらせるだけの愛情なんて、私は持ってなかったのに。私はもっと、努力するべきだった。ちゃんと彼のことが好きで、彼も好きな人たちに、もっと相談すべきだった。ママにちゃんと話せばよかった。パイク提督にも話せばよかった。他の親しい人たちにも……、そうやってみんなで止めていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。私が思うよりたくさんの愛情があれば」
 ついに決壊した双眸を見て、カークは自由な方の腕を伸ばした。キャロルの頭を自分の肩口に引き寄せれば、ぽつりとユニフォームに冷たさがにじむ。抱きしめても、抵抗はされなかった。けれど彼女は、すがることもしなかった。
「みんなを私が殺したの」
 去年の今日も、こんなふうに宇宙を進んでいたはずだ。カークはそう考えて、唇を引き結ぶ。
 そのとき、彼女はひとりきりで、こうしてワインを飲んだのだろうか。生まれたことを祝うワインで、生まれたことを呪うように。
「俺がへたをして降格にならなきゃ、クリスは艦長招集なんてされなかった、今も生きてたかもしれない、って考えたことがあるよ」
 カークがそう言うと、ぐっと頭に力が入る。起こそうとする体を押さえつけると、彼女は諦めて力を抜いた。
「そんなのは、屁理屈よ」
「うん。今、君に特大のブーメランが刺さったよな? そんなことを言ってたらきりがないよ、じゃあ結局、俺が生まれなければよかったんじゃないか?」
「そんなことは、絶対にない」
「だろ? だから、君が生まれたことに良いも悪いもない。ただ、俺は、君がいてくれてよかったなあって思うから、君の誕生日は祝いたいよ」
……それは、あなたにも特大のブーメランが刺さるやつだわ」
 感情がぶれて震える声を、精いっぱい、強気にして、キャロルはくぐもった声でそう放つ。カークはよしよしと彼女の頭を撫で、ぽんぽんと肩を叩いた。しばらくの間、体をがちがちにしたまま、キャロルは声を殺して泣いた。そのうちに少しだけ、ほんの少し、返された、つないだ手の握力に、カークは心底ほっとしたほどだ。
 やがて、身を起こそうとした彼女を、今度はすぐに解放する。両目は充血していたけれど、コバルトのように深まった双眸は、それでもすごく、きれいだった。
「ドクター・マッコイは、こんな慰め方もしてくれるの?」
 目を合わせたキャロルは、ささやかに笑みを浮かべて冗談を言う。
 カークは笑って、そんな彼女の調子に合わせた。
「君だけに特別だよ」
「あなたの口の軽さだけで、反重力装置が作れそう」
「こんなふうに慰め合った男女は普通、そのままベッドインするはずだよな?」
「やぶさかじゃないけど、やめとくわ」
 キャロルはカークの鼻をつまむと、ぐいぐいと左右に揺らしてぱっと手を離す。カークがその攻撃にひるんで顔を押さえている間に、彼女はワイン瓶とグラスを持つと、すっと姿勢よく立ち上がった。
「やぶさかじゃない?」
 カークは鼻声でそんな彼女を見上げる。キャロルはくすりと笑って、いつもどおりの、有能そうな、勝気な形に唇を刷いた。
「そんなことをしたら、あなたのほうが傷つきそうだもの」



 キャロル・マーカスですら愛情が足りなかったというならば、自分はいったいどうすればいいんだろうな。
 半ば自嘲じみた思いで、カークはそんなことを考えた。ごく普通に愛されて育った人ですら、父親に顧みられない世界だ。
 それをかけらも受け取らなかった自分は、本当に何なんだろう。そう思う。
 結局、巡回に出たカークがブリッジに帰還したのは、ずいぶんと遅い時間だった。スポックの対応が小言から無言の威圧にグレードアップする程度の遅延である。これでアルコールを飲んでいることがばれれば、おそらくまじの叱責が来る。カークはそう悟って、努めて言葉を発しないように注意した。けれど逆に挙動不審を咎められ、挙句の果てには誤解も巻き込んだ大反省会が勃発する。
 それもいつか、良い思い出になってしまうのだろう。悲しかったことも、楽しかったことも。



 宇宙港を持つ新興の惑星は、見た目は地球によく似ていた。寄るか寄らないかで意見が分かれたが、ここを逃すと次はヨークタウンまで寄港先がない、と聞いて、結論を出したのはマッコイである。しばらくの間、特に成果もない単調な航行が続いていたので、クルーたちの心身を慮っての意見だった。地球に似ている、という情報も、判断材料になったのだろう。
 こういった目的の寄港では、基本的にはクルーを休暇に出している。エンジニアたちも自分の仕事が終わればフリーだ。現地で船の整備に携わってくれる士官はおしなべて優秀で、対象が5年探査をしている船ともなると、どの星でも精鋭を寄こしてくれた。まあ、もちろん、スコットは信用せず、最終的にはすべて自分たちで点検を済ませないとエンジンをつなげてくれないのだが。
 キャプテンとしては、拠点担当者との顔合わせと各種取引が必要になる。けれど、特に政治問題も抱えていない星でのやり取りは、ひどく簡単なものになる。
「キャプテンもひとりですか?」
 ゲートをくぐって地に足をつけると、後ろからぱたぱたと走ってきたチェコフに声を掛けられた。
「君もか?」
「はい! でも、いいえ! 僕は新しい出会いを探してきます!」
 キャプテンもどうぞご武運を! なんてことを言って、実に嬉しそうに彼は走り去っていく。くすくすと笑う女性クルーと目が合って、カークは微笑んで肩をすくめた。
 もうしばらく、一夜の遊びというものをしていない。
 昔は航宙に出るたび禁欲ができる自分に驚いていたものだが、今ではそんな記憶もセピア色に褪せている。思い返せば、一度死んで生き返ってから、名前も知らない女性とベッドで朝を迎えることはしなくなっていた。
 もちろん、今でも女性と見るや、声をかけることはある。きわどい冗談を含むじゃれるような軽い会話は、していて楽しいから大好きだ。けれどそれは、本当に話すだけで、そのあとふたりきりになろうと画策するようなことはしない。明るく陽気な女好き、というラベルを、最低保守でメンテナンスしているようなありさまだった。何故そんなラベルを保守しているのかと問われると、なんか必要な気がするから、という回答しか出てこないが、カークはそれで満足している。
 自分がそれで満足している、ということにも、割と鮮烈に驚くような心地がした。



 ごく最近、テクノロジーの急伸があったと思われる星の街並みは、随所に新旧が入り乱れていて面白かった。カークはこういった街が好きだったし、ひとりでぶらぶら適当に歩いて、偶然面白いものを発見するのも好きである。当然、マッコイかスポックでもいれば、それはそれで楽しかっただろうが、船医は現在少々センシティブな患者を受け持っており、副長は通信の確認があるとかで今も船の中だった。何か買っていってやろうかと考える。見上げた空は抜けるように青く、本当に地球の、明るく穏やかな春の午後のようだったから。
 カークはこの空を堪能するために、見晴らしのよさそうな場所を探した。結果、ターミナルまで戻ってきてしまったのは、少々皮肉のようで笑えてくる。先ほど通ってきた建物の、上層階の通路から、メンテナンス用のドアをくぐって外に出ると、そのうち難なく屋上にたどり着いた。
 誰もいないし誰も見ていない。そもそも立ち入り禁止の場所だろう。
 カークは大の字になって寝転んで、快晴の空を見上げた。まるで落ちてきそうなブルーに、ゆっくりと目を閉じる。柔らかなそよ風が頬を撫で、伸びてきた髪を揺らしている。
 そのうちに、5年探査も半ばを過ぎる。
 刻一刻と時間は過ぎて、このままだと自分は父親の年齢を超えてしまうだろう。
 死ぬこともなく、穏やかに。
 最近、そんなことを考える。
 自分がどうも重度のファザー・コンプレックスを患っているということは自覚していたが、ここまでか、とあきれるほどだ。たとえば、ジョージ・カーク・シニアが好きで集めていた、価値のあるヴィンテージ品の数々は、そのまま母の持ち物になり、スライドして義父のものになった。義父はまるでそれらに興味があるそぶりをして、父と同じように振舞おうと努力していた。あの男に会うことはもう、たぶん葬式くらいしかないだろうが、あの男と自分には唯一にして絶対の共通点がある。
 父へのろくでもないコンプレックスと、それでも母に愛されようとしたことだ。
 言葉にすると十分すぎるほどである。所詮、自分もやつも、この程度の人間なのだと思わせるくらいには。
 カークは腹筋を使って起き上がった。何度見ても、美しく輝く青空である。黄色い太陽は優しく肌を温め、こんなふうな空の下で、ひとり怯えている自分が馬鹿らしく思えてくる。
 少し歩いていって、建物の縁に近づいた。眼下では人々が行き交っている。楽しそうに並んで歩く艦隊士官、手をつないだ3人の親子、不思議な小動物を連れた老人、初々しく目を合わせるカップル。
 いいなあ、とカークは思った。普通の人たちがとても。
 自分じゃない人たちが、とても。



 父親のことを、もう少し当たり前の、普通な感じで考えられるようになりたかった。寄港先の拠点担当者みたいな、好きでも嫌いでもない人みたいに、こだわりなく。
 そうでなければ、まるで取り残されたように感じるのだ。結局、あの人は年齢でも自分を迎え入れてくれないのかと。
 そんな馬鹿な考えが浮かぶのは、自分の中の小さなジム・カークが、とてもとても哀れだからだ。泣いて泣いて叫びながら、彼はそうやって、父親の不在と存在を、受け入れようと足掻いていたから。決して〝それ〟がそばには来ないことを、まるで見捨てられたように感じている。
 いっそ、彼が最期に見た景色を、自分も見れば満足するだろうか。
 そう思った。何度も。たぶん、それが一番手っ取り早い。
 けれど、いつだって、そのたびに、カークはスポックの涙を思い出すのだ。彼をあんなことにしてはいけないと思う。もう二度と、あんなふうにしてはいけない。いいじゃないか、平和で、穏やかな、落ち着いた生活。戦って血を流すことで呼吸をするなんて、いったいいつの乱世に生まれたつもりなんだろう。今までの自分こそあまりに不健全だったのだ。
 そう、考える。本当に何度も、考える。そして何度も言い聞かせているうちに、自分がまったく納得しないことに落胆する。きっと、こんな自分を抑えるためには、思うよりたくさんの愛情が必要で、それは約30年前に失われ、二度と手には入らないのだ。
 このような精神状態で、今までどおりにしていられるとは思えなかった。きっとそのうち何かが破綻する。きっといつかだめにする。自分が本当に愛したものは、いつでも最後には壊れてしまうから。
 そんなことになるくらいなら、その前に手放してしまったほうがいいんじゃないか。ふと、そんな考えが脳裏をよぎる。
 楽しい宇宙に、素敵な船で、頼もしい仲間と、気の置ける親友。
 隣の部屋へ行けばスポックがいて、さよならじゃなくておやすみと言う。
 この聖域を、壊してしまう前に。