satoru_and_shun
2018-10-21 02:47:35
4325文字
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夏のはじまり



二、

祭りの喧騒の中、僕はゆっくりと歩く覚の背中をぼんやりと見つめていた。
覚と会うのは、数週間前に、恋人になることを真剣に考える、といった返事をして以来だった。
あれから連絡は取り合っていたが、考えもまとまらないまま覚と会う気にもなれず、理由をつけて一人で過ごしていた。
今日の夏祭りは、休みに入る前から一緒に行こうと約束をしていたので、重い腰を上げてやってきたのだった。
覚はたまに振り向いては、あれやろう、と言って射的や金魚掬いなどを一緒にやるよう促した。
僕はどれもダメで、覚もまた、うまくいかなかったようだった。
覚は小石を蹴りながら、唯一手に入れた水風船を手持ち無沙汰な様子でパシャパシャと振る。
口を少し尖らせながら、次は何をしようかと屋台を物色していた。
僕はふと、足を止めた。

「どうした? 瞬」

僕の様子に気づいた覚が、心配交じりの目でこちらを見る。
幼い頃から見慣れたはずの顔なのに、会うたびに、何かがあるたびに、覚はいつも違う表情を見せる。
まったく新鮮で、飽きない。
僕と覚がまだ経験していないことなんて、いくらでもある。
これから先、それを一緒に経験した時、覚はどんな表情を見せてくれるのだろう。
僕は、いつの間にかそんなことを思うようになっていた。
それは、つまり……

「覚……あのさ」

僕を伺うような覚の不安そうな表情が、僕の感情を更に締め付けた。
覚に伝えたい思いがある。
けれど、言葉が喉につっかえてうまく出てこない。
立ち止まった僕らを避けるように、人々が行き交っていく。
周囲の音は、段々と遠ざかっていった。
一旦深呼吸をして、喋ろうとした次の瞬間、耳をつんざくような音が辺りに響いた。
わあっと歓声が上がり、人々が一斉に夜空を見上げる。

「花火だ!」

どこからともなく皆が口にした。
弾けるような派手な音と眩い光に、人々の熱気は最高潮に達した。
すると、覚は慌てて僕の手を取り、動きを止めて花火に夢中になっている人々の間をすり抜けるようにして走り出した。

「え、ちょっと……!」

僕は突然のことで目を白黒させながらも、繋がれた手の温もりを確かめるようにきゅっと握り返した。
履き慣れない下駄が脱げないよう注意しながら、覚の走る速度についていくのが精一杯だった。

やがて辿り着いたのは祭り会場の最寄り駅のホームだった。
ちょうど良く来た電車に乗り込むと、向かい合わせの席に腰を落ち着けた。
誰しも今夜のメインの行事に夢中なのだろう。
花火大会が終わったと同時に満員になるこの列車も、今は殆ど乗客は乗っていなかった。
向かいに座った覚に、息も切れ切れにようやく問い掛けた。

「覚……どうして……

覚は息を荒げながら何も言わずに、窓の外を見るよう指を差した。
ゆっくりと動き始めた電車はホームの鉄骨を抜け、ひらけた海岸沿いを走る。
くぐもった音と共に、先ほどよりは小さくなった打ち上げ花火が、何にも遮られることなく、大空に咲く。
その下の静かな海面には、まるで鏡のように打ち上げ花火が鮮やかに映し出されていた。
次々と上がっては消えていく、色とりどりのそっくりな二つの花火は、電車の窓に切り取られ、ここが現実ではないどこか幻想的な別の世界にいるかのような感覚にさせた。

……綺麗だ」
「な? ここ、特等席だろ?」

鼻を擦りながら得意げに覚は笑った。

「ここで見れるってこと、瞬に教えたかったんだ。近くで見る花火も迫力があっていいけど、ここも中々だろ。人混みに紛れなくて良いし」

そうだな、と僕は生返事をした。
何故かというと、そう満足そうに話す覚の瞳が、微かに花火の光を浴びて様々な色に変わるのがとても綺麗で、見惚れていたからだ。

「覚」
「ん?」

覚の満足気な瞳が僕を捉える。
電車の心地良い微振動が、体に染み渡るようだった。

「僕は、覚とこの先、たくさんのことを共有したい、と思っている」
……ああ。何でもやってみようぜ」

能天気に歯を見せてにっかりと笑う覚は、何も分かっていないようだった。
ようやく伝えることができた自分の思いは、空振りに終わった。
得も言われぬ僕の表情を見て、覚の頭には大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。
頭で考えていることを言葉にして相手に伝えたとしても、その全てが相手に伝わるわけではない。
その難しさを今日ほど実感したことはなかった。

「僕の言い方が悪かった」
「ん?」
「例えば、今後どこかへ行く時には、覚と行きたいし、そこで感じた体験を、覚と共有したい」
「ああ」
「何かを経験する時も、二人がいい」
「うん」

覚は怪訝な顔をしながら頷いている。
何故わざわざ、しかも今更こんなことを言うのだろうかと思っているに違いない。

「つまり……側に、いて欲しいんだ」
……うん」
……恋人として」
「恋人、として……

おうむ返しをした覚は、ようやく僕の言っている意味が飲み込めたのか、はたまた飲み込めていないのか、そのまま固まってしまった。
覚、と呼びかけるとハッとしたように我に返った。

「いっ……いや、ごめん、あの……
「覚も、僕と同じ気持ちだったら、嬉しい」
「瞬……

覚はみるみると赤くなった顔を隠すように、両の手で覆ってしまった。
唯一見える耳も、綺麗な赤に染まっていた。
僕は顔を覆っている覚の右手をそっと取って握った。
幼少期、幾度となく繋がれてきた覚の手は、もう僕の知るものじゃなくなっていた。
掌は大きくて、関節も骨ばっていて、気づけば既に大人の手だ。
さっき手を繋ぐまで、気づかなかったことだ。
これからは、こうして覚の微妙な変化に敏感になっていくんだろう。
今はもう、その全てを知りたいとさえ思っている。

……瞬、キス、していい?」
「え?」

聞いておきながら、覚の顔はもう目の前に迫っていた。
了承の合図は、僕が目を閉じたことだった。
軽く触れた覚の唇は柔らかく、僕は初めてキスというものを知った。
唇が離れて、うっとりとした瞳で僕を見つめる覚の表情もまた、初めて見るものだった。

「瞬、ずっと一緒にいてくれ……なんて言ったら、重いかな」
「重いも軽いもまだ、知らないから」
「そうか……そうだよな!」

嬉しそうにはしゃぐ覚を見て、心がじんわりと温まるのを感じた。
僕はようやく実感したのだ。
僕の内側で大事にしてきたこの思いの名前を。

……覚、これからよろしく」
「ああ!」

この先、覚となら、何があろうと怖くない。
今はそう思ってしまうほどに、幸せを感じ、満たされている。
僕たちの関係性は、この夏にまた一歩進む。
僕と覚の、初めての夏がはじまった。