satoru_and_shun
2018-10-21 02:47:35
4325文字
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夏のはじまり


一、

「それじゃあ……恋人になる」

放課後、誰もいなくなった教室で、覚が真剣な眼差しを向けて僕に提案をした。
あんなにうるさくて忙しく鳴き続ける蝉の声が、遠くに聞こえた。
来年受験生になる僕たちにとって、何も気にせず思いっきり遊べる夏休みは、今年で最後というわけだ。
そこで覚が今までやったことのないことをしようと言い出したのが、今回の事の発端だった。

「それは、今年が初めてだな」

そう言葉を返す間に、覚の顔はみるみると紅潮し、そのまま机に突っ伏してしまった。
夏祭りに行ったり、川下りをしてキャンプをしたり、学校に忍び込んで天体観測をしたり……今まで、夏休みになったら沢山のことを二人でやってきた。
僕にとって、覚は一番気が置けない友人だった。
しかし、覚の提案はどういうわけか、僕たちの関係を変えようというもので、僕の予測の斜め上をいくものだった。

……覚、今年は猛暑だろう?」
「だから、なに」

覚は未だ顔を上げてこない。
僕は真っ赤に染まった覚の耳に向かって話かけた。

「暑さで頭がやられているんだ」
「なんだよ、僕は本気で言っているんだぞ」
「うーん、そうだな……僕ら、四六時中一緒にいすぎて、訳が分からなくなっているんだと思う」
「瞬こそ、暑さで頭がやられているんじゃないか?」
「そんなことない」

僕は、覚は普通に女性が好きなのだと思っていた。
前に、通りかかった女子のスカートが風で吹き上がってしまって、偶然にも下着が見えてしまった時もはしゃぐように喜んでいたし、水泳の授業の時には、わざわざ耳打ちまでしてきて女子のスタイルについて楽しそうに語っていた。
だから、覚の中で自分が恋人になり得る恋愛の対象として存在していたなんて、想像だにしなかった。
自分たちの距離が、客観的にみても近いのは自覚をしていたが、幼馴染として家族同様に過ごしてきたので、その近さも当たり前というか、そもそもそういうものだと勝手に思っていた。

……覚は僕以外の人間とも、もっと関わるべきだ」
「関わってるよ。別に瞬しか友達いないわけじゃないだろ」

僕は何を焦っているのだろうか。
覚に恋人になろうと言われ、冷静だが、動揺している。
咄嗟に覚の気を逸らそうと、普段思ってもいないことまで言ってしまっている。
それも、単に気恥ずかしさからだろう。
しかし、覚にそう言われて特に不快なわけではなかった。
むしろ……

「いいよ、もう」
「え?」
……また、やりたいこと考えておくから。今日は帰ろう」

覚は勢い良く席を立って、教室の扉へと歩き出した。

「覚」

僕は覚のしょぼくれた背中を見て、名前を呼んだ。
中々口から出て来ない言葉が、唾となって喉の奥へと消える。

……恋人になるって、さ」
……うん」
「その、本当に、本気……なのか?」

覚は僕から目を逸らすことはなく、ただ静かに「本気だ」と答えた。
覚の射るような眼差しが、これが冗談などではないのだと思い知らされる。
そんな初めて見る覚の表情に、感情が昂ぶってくるのが分かる。
一体自分はどうしたいのか、覚とどうなりたいのか。
その結論をすぐに出すことは無理だと判断した。
なぜなら、恋人という括りの前に、覚が僕の大切な人であることには変わりないのだから。
その覚と、この先どういう関係を築いていきたいかなんてことを、この今の一瞬で考え返事をするなど、そんな安易なことはしたくなかった。

……真剣に、考えさせてくれないか」

覚の本気に応えるべく、僕は、僕が今伝えられる精一杯の返事をした。
互いに微動だにせず、見つめ合った。

……分かった」

覚はほんの少しだけ目元を緩ませて、そう言った。