黒竹
2022-05-30 22:46:19
21304文字
Public プロセカ
 

#2 UP TO YOU!

【プロセカ】【しほなみ】【MAKE IT REAL】

 幼い頃はさぞ扱いにくい子どもだったろうと我ながら思う。
 協調性がなく、周囲の言いなりになるより己の欲求に固執して、誰かを慮るより我を通すことを優先して、それで衝突しても絶対に譲らない。そういった思い出を語れと言われたら、ありすぎてどれから語っていいか分からないくらいだ。そのくせ、独りにされると不安がって一丁前に傷ついて、それを気づかれたくなくてますます意固地になるから孤立する。
 今でも大して変わっていないが、どうしようもなく社会と隔絶するほどこじれなかっただけ良しとしたい。それはおそらく(あまり認めたくはないが)姉の、それから彼女たちのおかげなのだろう。
 それでも今でも、ひとりが好きだとうそぶいて、ただ黙って窓の外を眺める時間に安寧を感じたりしているのだ。
 ほんとうの意味でひとりになったことなんてないくせに。



 珍しいねと言ったら、正面の彼女はアップルパイを切り分ける手を止めて訝しげにこちらを見てきた。
「なにが?」
「あ、志歩ちゃんと一緒にカフェに来るって、あんまりないでしょう?」
 しかもわざわざこちらを誘って。長い付き合いだが、年に何度もあることではない。大抵、どこかに行きたいと言い出すのは咲希の役目で、自分たちはそれに付き合うことが多いのに。
 志歩が眉をひそめたので、気を悪くさせたかな、と無意識に視線を下げる。
……別に、ちょっと甘いものが食べたくなったから。穂波ならアップルパイがおいしい店知ってるだろうしと思って聞いてみただけ」
「う、うん。そっか」
 志歩の眉根が開いてほっとする。こんなふうに彼女の一挙一動に内心をざわめかせるのは良くないと自分でも分かっている。もうわだかまりはないはずで、前みたいに幼なじみとして何も気にせず接していいはずなのに。そうだ、今だってふたり仲良くカフェでお茶をしているだけだ。後ろめたいものなんてなにもない。
 フォークが皿に当たってカチリと鳴る。パイ生地は固くてデザートナイフでは切り分けるのに苦労する。アップルパイは焼き立てを手で持って食べるのが一番おいしいと思う。とはいえ、ここのパイはバターがふんだんに使われていて、シナモンも効いているので香ばしくておいしい。穂波のお気に入りの店だったが、そういえば志歩に教えたことはなかったかも、と思い至る。彼女は甘いものが嫌いなわけではないけれど、それほど進んで食べたがるタイプでもない。
 やっぱり珍しいな、と思った。今度は口にはしなかった。
「一歌ちゃんと咲希ちゃんも一緒なら良かったのにね」
「ふたりとも用事があったんだから仕方ないでしょ?」
「うん。今度は都合を合わせて四人で来たいね」
……そうだね」
 中学の頃、それぞれの理由でバラバラになって、また四人になれて、望月穂波は今度こそそれを守りたい。
 カフェセットの紅茶をゆったりと飲む志歩のまつげが瞳をわずかばかり隠していて、その表情がにじんでいる。少し前髪伸びたかな。シャープなラインを作る銀灰の髪が頬に落ちているのを目線だけでなぞった。大人びた眼差しと落ち着いたトーンの声。昔から変わらないその気質に、安心感と、わずかな不安が入り交じる妙な感覚をおぼえる。
 不意に志歩が顔を上げて、ふと口元を緩めた。
「穂波。口にアップルパイのソースついてる」
「え?」
 ここ、と志歩が自身の口元を示して教えてくれる。同じ箇所を紙ナプキンでこすると、志歩は苦笑じみた表情になって、「ちがうちがう、反対」身を乗り出してくると、今度は直接穂波の唇の下あたりをつついた。志歩の指先が触れたあたりを拭う。軽くぬるついた感触がして、ナプキンに金色のアップルソースが移った。
……取れた?」
「うん」
 緩んだ空気のまま志歩がうなずく。なんとなく気恥ずかしくなった穂波は、彼女から目線を外してありがとうと呟いた。世話を焼かれるのには慣れていない。
 志歩は穂波のやや赤らんだ頬に気づかないまま、フォークの先を皿の上で遊ばせている。
「おいしいね、ここのアップルパイ」
「気に入ってもらえたなら良かった。けっこう甘くてコクがあるタイプだから、志歩ちゃんにはくどいかなって心配だったの」
「咲希にいろんなところ連れ回されて、甘いものに慣れてきたのかもね」
「あはは、それはあるかも」
 病気でずっと入院していた幼なじみの、退院したらやりたいことをまとめたリストには、タピオカドリンクを飲みたいとかクレープが食べたいとか、スイーツに関する目標が少なくない数挙げられていた。三人は律儀にそれらすべてに付き合って、先日ようやくリストを制覇したところだ。
 アップルパイの最後の一口を食べ終えて、志歩が小さく息をつく。
……咲希が、元気になってくれて良かった」
……うん」
 それはたぶん病気のことだけじゃない。
 自分たちが守ろうとして、自分たちが壊してしまったもの。
 共犯者みたいな連帯感。
 たぶんふたりの手首には両手を広げても問題ないくらいの鎖がかかっている。動きに制限はない、どこにもつながれていない、自由と見分けがつかないくらいの長い鎖だ。
 長いからそれだけ重い。
 望月穂波と日野森志歩だけが、その鎖の重さを知っている。
 カップを空けたタイミングで穂波が口を開く。
「志歩ちゃん、今日、これから時間あるかな」
「ん? 特に予定はないけど。バイトも休みだし」
「もし良かったら、練習に付き合ってくれない? この前志歩ちゃんに注意されたところ、直せたか見てほしくて」
 穏やかな笑みが届く。バンドを組んでから彼女のその笑顔を初めて見た時、ひどくほっとしたのを思い出す。もう見られないのかと思っていた。元々よく笑うタイプではないけれど、四人でいた時にはふとした拍子に浮かべていた笑みだった。
 彼女と……彼女たちと、何年も離れていたわけではない。それでも長かったと感じる。
「いいよ」
 一歌と咲希が来るまでの間とか今みたいなちょっとした空き時間とかに二人だけで練習することがある。
 志歩にしてみれば、まだ実力が追いついていない穂波のためを思って付き合っているだけなのだろう。お互い、リズムを引っ張るベースとドラムを担当しているので、穂波が合わせられないと困るのだ。
 それを分かっていてこうして誘うんだから、不純だなと自分でも思う。
「いつものスタジオは空いてないか……。セカイで練習する?」
 練習スタジオの予約状況をスマートフォンで見ていた志歩が提案してきた。「あ、うん。そうだね」場所にこだわりはなかったのですぐにうなずく。
 それぞれ会計を済ませて、それから穂波はテイクアウトでアップルパイをふたつ注文した。「まだ食べるの?」「ミクちゃんとルカさんにお土産だよー」呆れがちに言われたので慌てて否定する。そんなに食いしん坊だと思われているのだろうか。いや確かに日によっては十個くらい買って帰ったりするけれど。以前、一歌に見つかって驚かれたりしたけれど。
「お土産か。穂波、そういうところほんと気が利くよね」
「そうかなあ。バイト先に持っていったりもするし、癖になってるのかも」
「癖って」
 志歩が小さく肩をすくめる。その仕草には、そうじゃなくて君の優しさでしょ、という反論が込められていたが穂波には伝わらなかった。
 パーカーのポケットに両手を突っ込んだ志歩と、片手はアップルパイの入った袋を持ち、もう片方はバッグのストラップを掴んでいる穂波は並んで歩く。音楽がふたりの間にある時だけ、彼女たちの両手に絡んだ鎖は軽くなった。たぶんベースとドラムスティックが重さを相殺してくれるんだろう。
 ひと気のない路地裏に入ってスマートフォンから特別な曲を再生する。
 不思議と、志歩はセカイに赴くこの時間、いつもまっすぐこちらを見てくる。
 視界が真っ白になるまでの一瞬に届くその視線は、穂波の心臓を逆撫でた。



 教室でなにか話していたミクとルカに手土産のアップルパイを渡してから、隣の教室で楽器をセットする。今みんなで練習している曲は、途中で拍子が変わる少し難しいもので、いつも同じタイミングで走ってしまうのを志歩に注意されていた。
 自宅で練習した成果を見てもらおうとカウントを取って合わせる。空気が震える。手首のあたりに心地良い振動が伝わる。志歩の指先が弦を弾くのをこめかみのあたりで感覚する。見えはしない。だが感じる わかる。それはひどく夢心地で、ある瞬間からかえって冴え渡る。ゾーンってやつでしょ、と前に志歩が教えてくれた。極限まで集中が高まった時の状態をそう言うのだそうだ。音楽家やスポーツ選手がよく体感するらしい。ベースを介して志歩がそれをくれる。いつからだろう。
 彼女の音だけになる。
 バンドメンバーとしては褒められたものではない。音楽はベースだけで奏でられはしない。ボーカルも、ギターも、キーボードもいる。そのどれかひとつでもないがしろにしてはいけない。
 だから今だけだ。ふたりきりの練習の時だけ。それが特別になる。ベースだけが特別に鳴る。自身の心音とリンクする。走る。走らない。ペースは、リズムは一定。走らないように。整える。一定に、安定させて。音に包まれる。手首の振動と心音。鼓動が全身に響く。スティックのわずかなへこみすら感じ取れる。ベースの震える弦の動きすら追えそうで、それをはじく指先の爪の形すら思い描ける。
 低く響くベースの波が望月穂波を包む。誰もいない。しかし孤独ではない。ひとりが好きだとうそぶく彼女の好む『ひとり』と『ひとり』になる。それが心地良い。侵蝕がないのは良い。ひとりとひとりには距離がある。触れていないから、空気が振動する。その振動こそが価値になる。
 彼女の音と、己の音だけになる。
 鼓動に似ていて、眠りに似ている。
 楽曲の激しさとは関係なく、望月穂波からはそういう音が出る。
 ィン、と、余韻を残してベースが止んだ。
「──うん、いいんじゃない? この前まで毎回走ってたところも落ち着いてた」
「良かった。ありがとう、志歩ちゃん」
 ベースのストラップを肩から外して志歩はほぐすように肩を回す。「私は別になにも。穂波の練習の成果でしょ」ぶっきらぼうな口調はいつものことだから、穂波はふふりと相好を崩した。
 半年もスティックを握らずにいられた己と違い、彼女はずっと音楽から離れられなかった。いつぞや何かの拍子に触れた、彼女の硬い指先を思い出す。ベースの硬質な弦をつまびく指先は、誰かといる時は常に遊んでいる。どこにも触れず、なんにも掴んでおらず、ただそこにあるだけの手だった。
 それを羨ましいと思うし、さみしいとも思う。
「お疲れさま。志歩、穂波」
 不意に教室のドア付近から声をかけられて、穂波と志歩はそろって首をそちらに回す。両手にペットボトルをぶら下げたミクとルカがにこやかに佇んでいた。
「アップルパイありがとう。おいしかったわ」
 隣の教室で食べ終えてから演奏が終わるのを待っていたらしい。パイのお礼にと紅茶を渡してくる。「あ、ありがとうございます」「どうも」四人でペットボトルを開けて車座になった。
 カーテンの開けられた窓から、光のかけらがゆらゆらと降り注いでくる。ひとつ、志歩の肩に触れて弾けた。いつでも夕方の穏やかなオレンジに包まれるこの教室は、住人であるミクとルカの頬を柔らかに照らす。
 ペットボトルに口をつけて喉を鳴らしてから、ミクが満足気にうなずいてみせた。
「みんなどんどん上手になってる。穂波だけじゃなくて、一歌も咲希も。もちろん、志歩も教え方が良くなってるし、演奏もますます磨きがかかってるね」
「えへへ、ありがとうございます。ミクちゃんにそう言ってもらえると自信ついちゃうな」
「私もさっき褒めたけど?」
「も、もちろん志歩ちゃんに褒められるのも嬉しいよ!」
 口を尖らせてくる志歩に、慌ててそう弁明する。志歩の喉がくっと鳴って、ルカも忍び笑いをしているのを見た穂波はそれでからかわれたのだと気づいた。顔が熱くなるのを自覚しながら「もう」と頬をふくらませる。
 笑いを収めたルカがそっと目を細めて、志歩に視線を送った。
「志歩、良かったら合わせてみない? さっきの曲ならギターとのバランスも見ておいたほうがいいわ」
「そうですね、今日は一歌も来ないし、ルカさん、お願いします」
「それじゃ穂波、ちょっと志歩借りるわね」
 ひらりと手を振るルカにうなずきかけて、別に志歩ちゃんはわたしのじゃないんだけどな、と内心で苦笑する。今日はふたりで練習に来たけれど、だからといってずっと一緒に演奏しなければいけないというわけでもない。志歩だって穂波とばかりやるよりルカに教わったほうが良いこともあるだろう。
 唇の隙間から、小さく小さく、吐息が洩れた。
「じゃ、穂波はわたしと少しお話しようか」
 残されたミクが伏し目がちに笑いながら持ちかけてくる。
 穂波はきょとんと首をかしげた。
「いいけど、わたしも練習したほうが……
「ちょっとだけ息抜き、ね? それにさっきの叩いてたドラム、ちょっと気になることもあったし」
「気になること?」
 なんだろう、さっきは褒めてくれたけれど、それは単に前に比べてというだけの話で、まだまだ実力不足だということだろうか。それはまあ、いきなりプロのように叩けるとは思っていないので、うなずける話ではある。
 ミクは組んだ両手に顎を乗せて軽く苦笑みたいな表情をした。
「なんかちょっと、遠慮してるっていうか」
「そう、かな?」
「ドラムはバンドの柱でリズムの要。それは確かにそうなんだけど、わたしとしては、もっと情熱的になってもいいと思うよ」
「情熱……?」
「うーん、なんていうのかな。志歩からちょっと引いてる感じがあるよね」
 無意識に言葉に詰まった。ベースに包まれているあの感覚は、言い換えれば呑まれている、ということだ。それを指摘されたのかと及び腰になる。
 けれどミクは苦笑したまま両手を開いて、右手の人差し指でとんと穂波の胸を突いてきた。
「志歩が特別なの?」
…………
 特別、の意味をどう捉えていいのか迷った。迷ったことそれ自体が、答えなのだけれど。
 ミクはどんな表情をするべきか決めかねたような、ひどく薄い眼差しで穂波を見据えた。
「そっか」
 うん特別だよ、一歌ちゃんや咲希ちゃんと同じように。そう答えたら良かったのだ。そうすれば四人は四人のままだと、そう伝えられたのに。
 穂波はミクから逃げるように窓の外へ目を向けた。夕暮れのあたたかな光が降る。かけらが煌めいて万華鏡に似た景色を生む。ゆるりとなごむ夕暮れはしかし、望月穂波を救ってはくれない。
 目を伏せて、「内緒にしてね」と乞う。ミクは少し気まずそうにしていた。
「秘密なの。一歌ちゃんも咲希ちゃんも大切だから。今のまま……四人でいたいの」
 四人の音楽が大切なのだ。ボーカルとギターとベースとキーボードとドラム。どれかひとつもないがしろにしたくない。
「たぶん、志歩ちゃんはわたしのことあんまり好きじゃないし」
「え、そう? そうは見えないけど」
「ううん。わたしね、優柔不断で自分でなにかを決めるのが苦手で、いつも志歩ちゃんを苛々させちゃうの。一歌ちゃんと咲希ちゃんがいるから、バランスが取れてるんだと思う」
 だから今のかたちが一番良いのだと穂波は言う。
「それに、せっかくミクちゃんたちに教えてもらってるんだし、バンドも続けたいの。ほら、バンドって中がギクシャクしちゃって解散とかよく聞くから」
 冗談交じりに言いながら肩をすくめると、ミクも合わせたのか尖らせた唇から細く息を吐いた。
 彼女たちの本当の願いは見つかっている。
 望月穂波はそれを守りたいと思っている。
 ならば初音ミクは。彼女たちの願いの手助けをするために存在している『先輩』は。
 何も言うことはない。



 いつも元気な初音ミクがため息をついていたから、一歌はマイクから手を離して彼女のほうに向き直った。「ミク、どうしたの?」少し疲れたような顔をしている。このセカイの住人も体調を崩したりするのだろうかと、思わずミクの額に手を当てて熱を測ろうとした。
「あ、ごめんね。大丈夫だよ」
 具合が悪いわけではないと両手を振ってくるミクに一歌がますます首をかしげる。
 時間があったからひとりでセカイに練習に来たのだけれど、どうも今日はミクがずっと本調子ではなさそうで、合わせてくれているギターもなんだか覇気がない。伺うようにルカへ目をやると彼女は困り笑いを浮かべて肩をすくめた。
 なんだろう。ルカの様子からすると、確かに体調面の問題ではなさそう。自分の演奏が良くないのかと思ったが、それならいつものように教えてくれるだろう。こんな、なにかを含んだため息なんて聞いたことがない。
 ミクはうう、と喉の奥で唸り、ごまかすみたいにギターの弦をペロンと弾いた。まったく気持ちが入っていないその音はミクらしからぬ薄っぺらさだった。
……バンドは、メンバーの心がひとつになってないといけないのかな」
「え?」
「誰かを特別に想ったり、そういうのはいけないことなの、かな」
 無意識だったのか、ミクの視線が誰も座っていないドラムに流れた。それを目で追って、一歌は軽く息を吸う。
 なんとなくギターのネックを撫でながらそこにいない彼女の姿を記憶で重ねた。
「穂波のこと?」
……えっと、うーんと……
「穂波が志歩を好きなのは知ってるけど」
「えっ!? 一歌知ってるの!?」
「あ、やっぱりそのことなんだ」
 ハッとしたように自分の口を両手でふさいだミクに小さく苦笑する。「穂波からは何も言われてないけど」幼なじみですから、と目を伏せて、撫でていたギターのネックに手を預けた。
 いつからなのかは知らない。でもたぶん、彼女たちが離れ離れになる前からだと思う。追い詰められて何もかも分からなくなって、何もかも回らなくなって、何にも当たらなくなった望月穂波。志歩が一歌や咲希と話しているのを見つけた時の表情を、あんなにも哀しい表情をしていた彼女の想いを星乃一歌は回顧する。
 ルカのものだろう、脇に置かれていたドラムスティックを取り上げて、軽くドラムの縁を叩いた。カン、と、よく音が響く。
……一歌はどう思う?」
「そうだね……穂波がなにを心配してるのかも分かるし、それって私が軽々しく大丈夫だよなんて言えることでもないから、簡単じゃないけど」
 息をついて窓から降ってくる光を目でたどる。
「でももっと、納得できる選択は、あるんじゃないかなって思う」
「そっか」
「まあ、桐谷さんくらい吹っ切れとは言わないけど」
 少し前に自身も巻き込まれた騒動を思い出し、遠い目をしながら独り言を洩らす一歌。事情を知らないミクはきょとんとした目でこちらを見ていた。視線に気づいて、ううん、と首を振ってごまかす。
 今頃、彼女は咲希と一緒に体育祭の実行委員会として奔走しているはずだ。咲希から聞いたところによると、行事を盛り上げるために率先して動いているらしい。昼休みや放課後もなにか準備に必要な作業をしているそうだし、その努力が報われるといい。
 みのりとのことも、今のところ進展がないようだけれど、まあ、なんとなく時間の問題という気配もあるし、どうにかなるといい。
──あれはあれで楽しそうだけど。
 みのりからメッセージが届いたり、教室の窓からみのりを見つけて眺めていたりする時の遥の表情を思い出し、一歌は密やかに笑った。



「──くしゅん!」
「なによ遥、風邪? まだ寒いってほどじゃないけど、体育祭の準備とか大勢で集まることも多いみたいだし、体調には気をつけなさいよ」
「別に体調は悪くないんだけど……。みのりが私の噂してるのかな」
「だとしたらあんたは毎日くしゃみが止まらないでしょうよ」