Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
黒竹
2022-05-30 22:04:44
15280文字
Public
少女☆歌劇レヴュースタァライト
Clear cache
#5 楽天家と情熱家の子午線
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【すずまひ】【夏の夜に覚めてみた夢】
1
2
3
いつかの夏、傷は時間が癒やしてくれると大場ななは言った。そうなのかもしれないと今になって思う。
まだ慣れないヒールに苦労しながら関係者席につき、舞台の幕が上がるのを待つ。ふわふわとした不思議な気分だった。それでもヒールはしっかりと会場の床を捉えている。露崎まひるは地に足をつけている。
大きな劇場だった。それはそうだろう、世界的に有名な演目の日本初公演だ。チケットはすべてプレミアがついていて、聞くところによるとものすごい争奪戦だったらしい。
パンフレットを開くと最初に見慣れた顔が飛び込んでくる。出会った頃よりずっと大人びた、それでもなお稚気が見えてたまらなく魅力的な顔だ。ぎゅっと胸が痛む。けれどそれは感傷なのだともう知っている。いつからそれが生傷ではなくなったのか、自分でも分からない。「絶対に見に来てね!」と電話で言われた時、我ながら驚くほど素直に「うん」と答えられたし、驚くほど純粋に楽しみだと思えた。
少し視線を横にずらせば、こちらも馴染みのある顔。この作品を日本人として初めて主演する二人は、キャストが発表された時に大きな話題になった。もうすっかり有名人だ。もしかしたら、あの天堂真矢をしのぐかもしれない。そんな二人と過去に同じ舞台に立っていたのが、懐かしいような誇らしいような気分である。
そうだ、誇らしいのだ。あの二人が。今や世界中にキラめきを振りまく、愛すべき友人たちが。
運命の二人を見送った露崎まひるは、一人で舞台が始まるのを待っている。
「まひるちゃーん!!」
スタッフに楽屋へ招かれて、中に入った途端いきおい良く抱きつかれた。「うひゃっ」思わず声を上げたが単純に驚いただけだ。二十代も半ばになって、こんな歓迎を受ける機会などまずない。
「来てくれてありがとー! まひるちゃんには絶対見てほしかったんだ」
まひるに抱きついたまま、愛城華恋は至福の表情で言う。なかなか会うことも難しくなったが、それでも大切な友人と思ってくれているのが嬉しい。
ぎゅうぎゅうと腰を締めつけてくる腕を離せずにいると、「華恋、そのへんで。まひるが困ってる」華恋を諌めてくる、相変わらず温度のない声が華恋の後方から届いた。
「ひかりちゃん」
「久しぶり。来てくれてありがとう。嬉しい」
「すっごく良かったよ。最後、泣いちゃってよく見えなかったもん」
華恋が離れてくれたのでひかりと向き合って称える。ひかりは少しだけ唇の端を上げた。照れている。
「まだ初日だし、反省点もいろいろあったから、もっと頑張らないと」
それを受けた華恋が顎に手を当てながら深くうなずく。
「うんうん、舞台少女は日々進化中だからねえ」
「もう少女って年でもないけど」
「ノンノンだよひかりちゃん、女の子は心に少女がいる限り、いくつになっても少女なんだよ」
何を言ってるんだか、とひかりが肩をすくめ、「華恋がいつまで経っても子どもっぽいのは心に少女がいるからってこと?」皮肉げに言った。
「そうそう。さすがひかりちゃん、よく分かってるねえ」
「華恋ちゃん、褒められてないよ
……
」
スタッフが華恋を呼びに来た。照明で確認したいところがあるらしい。「ちょっとごめんね」その場を離れた華恋がスタッフと裏に回ったのを見て、ひかりは肩の力をわずかに抜いた。
「本番直後なのに大変だね」
学園での発表会では、みんなで余韻に浸るくらいの和みはあったのだが、さすがにこの規模の作品となると緊張感が違う。それでも華恋とひかりに気負った様子もないのだから大したものだ。
「まひるは最近どう? 忙しい?」
「うーん、そうだね、この頃はちょっと忙しいかな。明日からオーディションなんだ」
「
……
ああ、そう。もうそんな時期なのね」
「でも涼ちゃんも一緒だし、けっこう楽しみなの」
ひかりがふふりと笑う。楽しいだけではない、複雑な笑みだった。自嘲すら含まれていそうな。
「良い舞台になるといいわね」
「うん。でも、当たり前だけど誰かは落ちちゃうんだよね。みんな合格ーってなったらいいのに」
あーあとため息をつくまひるに、ひかりが目を細める。
「相変わらず、まひるは優しい」
「そんなことないよ。けっこう厳しいって有名なんだから」
「ううん、優しいよ」
舞台の最中にはさすがにつけられなかった髪飾りを、自分の鏡前から取り上げて、定位置にパチリとはめる。まひるはそれを見ただけで随分と懐かしい気持ちになった。彼女の持つキラめき。その象徴。二人の運命。
「私は、ずっとまひるを騙してた」
「
……
え?」
「華恋に、誰かを好きになってほしくなかったから、ずっとまひるに勘違いさせたままでいたの」
「勘違いって
……
」
常温の眼差し。それでも、その瞳は揺らいでいて、ああ泣きたいのかと、強く感じ取る。
「華恋には純粋でまっすぐでいてほしかったから。誰かを好きになったらあの子のキラめきは曇ってしまう。ねえ、まひるはずっと、私があの子を想う気持ちが、自分と同じだって思ってたでしょう?」
だからあの子のそばにいられなかったんでしょう? 神楽ひかりは星を積むような口調で言う。
ざわざわと胸の内が波打つ。決定的なことを言えない彼女の、その表情だけで伝わる真実。
ああ、そうか。
だから彼女は、諦めさせてくれなかったのか。
彼女はずっと分かっていなかったのだ、純粋でまっすぐで、だから残酷だった。
「そっ、か」
「ごめん」
殴ってもいいと真剣な表情で言われて、まひるは困り笑顔で首を振った。
「わたしが本気で殴ったら骨が折れちゃうよ? 主演女優が大怪我で降板なんてことになったら大変だよ」
「じゃあ、公演が全部終わったら」
「いいってば」
妙な仁義を通そうとしてくるひかりの肩を押さえてなだめる。ショックではないと言ったら嘘になるが、華恋のキラめきを守りたかったひかりの気持ちはよく分かる。なにせ彼女は、そのために地獄にまで落ちたのだ。
たった一人で永遠の舞台を演じ続ける覚悟すら持てた彼女だ。今後のキャリアなんて考えず、本当に殴られる気でいたのだろう。
「遠くの好きな人より近くの優しい人、なんだって」
「え?」
「人の気持ちなんてそんなものなんだよ」
露悪的にまひるは言う。ずっとそばにいたから好きになるなんて、そんな簡単なものじゃないことは身を持って知っている。ずっとそばにいたのに求めてはもらえなかった。
だから今のこの気持ちは、距離以外のいろいろなものが育んできた唯一無二だ。
「わたしね、ひかりちゃんが大好き。華恋ちゃんと同じくらい」
「
……
っ」
告げた言葉の意味を正確に読み取った神楽ひかりが、ぐっと息を呑んだ。
「それとね。
……
もっと好きな人が、いるの」
「そう。
……
うん。そう」
まひるは朗らかに笑った。華恋が好きだと言ってくれた表情。それを他の誰かのために浮かべる。ひかりも柔らかに顔を上げる。
ひかりが右手を差し出した。
「今日は来てくれてありがとう。
……
本当に」
「うん。こちらこそ、お誘いありがとうございました」
まひるがそっと手をにぎる。親愛の握手は星を積んで傷ついた手を癒やした。
「ただいまーっ。おお、なになに? わたしもあーくしゅっ」
楽屋に戻ってくるなり賑やかしい愛城華恋が、まひるとひかりの手に自身の両手をかぶせて包んできた。
「で、これってなんの握手?」
「んー、これからもよろしく、の握手かな」
「じゃあやっぱりわたしもしないとだね」
ぶんぶんと手を振る華恋。包まれているからまひるとひかりも手を振り回される。上下に振られるたびに三人の真ん中から星の欠片みたいなキラめきが飛び散った。愛城華恋が持っていて、神楽ひかりが失くしたくなくて、露崎まひるが手に入れたかった宝石。
それはどんなものより価値があって、収めておくには三人の手のひらは小さすぎた。
「ただいま」
玄関を開けるとすぐに「おかえり」と声がかかる。廊下の先、リビングと一続きになっているキッチンから水音がしている。ひょいと覗くとルームメイトが洗い物をしていた。オーブンから良い匂いが漂っている。
「グラタン?」
「そ。まひるいもとチーズたっぷりだよー」
「涼ちゃん、料理上手になったね」
「まあね」得意げな様子を見せていた南風涼だったが、そっくり返った拍子に洗っていたグラスを落とした。
「わっ、たたっ」
「大丈夫?」
「大丈夫、割れてない」
まひるも手洗いと着替えを済ませてから夕食の準備を手伝って、こじんまりしたダイニングテーブルに向かい合って手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
熱々のグラタンで火傷しないように気をつけつつ口に運ぶ。「ん!」もぐもぐしながらまひるが目を見開いた。
「おいしいっ」
「でしょー? まひるいも様様だね」
後でお礼の電話しなきゃ。涼がなんでもない口調で言う。
食事を進めながら涼が顔を上げ、
「どうだった? 愛城さんたちの舞台」
「すっごく良かったよ。特に華恋ちゃんの役がね──。それから終盤のピンチになるところで颯爽と現れた華恋ちゃんが──。あ、そういえば多分あそこ、華恋ちゃんのアドリブだったと思うんだけど──」
二時間ほどの舞台の感想を話す中で、まひるは十六回「華恋ちゃん」と言ったが涼はニコニコしながら聞いていた。
「いいなあ、あたしも行きたかった」
「オーディションの準備、涼ちゃんの方が大変だったもんね」
「ま、ロングラン公演だし、どっかで予定合わせて小春たちと見に行くよ」
食後に涼がコーヒーを淹れてくれる。ミルで挽いた粉をドリッパーで抽出するのだが、少しだけ首を傾けてお湯を注ぐ姿が見惚れるほど格好良い。というか見惚れた。
「はい、どうぞ」
ソーサーに乗せたカップを手前に置いてくれる。屈んだ時にわずかに吐息がかかる。涼は距離感が近い。
その距離感が特別な意味を持ったのは、いつからだったか。
自分のコーヒーを持って席に戻った涼へ、まひるが視軸を合わせる。
「涼ちゃん」
「ん?」
あの夏の屋上に置いてきた呼吸が、止まっていた息が吹き返す。
「わたしね」
「
……
うん?」
「もう二度と、涼ちゃんを傷つけたくないの」
南風涼の額に焦げついた青を見つめて、露崎まひるは贖罪でも救済でもなく、ただ一片の恋を言う。
煤けた青の放つ匂いが、南風涼の恋を炙り出す。
カチャンとカップがソーサーに当たった。
南風涼がなにもねだらないうちに、露崎まひるは形のない息を吐いた。
それは雨上がりの青空に似ている。
「涼ちゃんが」
「待った!」
進路を塞ぐように手のひらを突き出して涼が叫ぶ。まひるは驚いて喉から出かかっていた音を潰した。
勢い余って立ち上がった涼は、腰を浮かせた中途半端な体勢のまま、あわあわと唇を震わせて、それでも声は震えないように一度奥歯を噛み締めた。
「あ、あたし、あたしが言いたい。あーでもちょっと待って、今この流れで言うのってかっこ悪くない? もうちょっとムードとかさー、なんかあるよね? これ絶対氷雨に呆れられるやつだーもー」
己の不甲斐なさにしょげかえる。「十年かけてこれかー」とうとう頭を抱えてしまった。
その様子を見ていたまひるの表情が「すん」と冷めた。
膝の上で両手を揃え、ふっと息を吐く。
「涼ちゃん」
「はい?」
「好きです」
「あっ」
決定打を先に打たれてしまった涼が情けない声を上げた。しかしもう遅い。チャンスに打てる打者こそ勝者である。
愕然とする涼に平坦な視線を向ける。
「お返事は?」
「あ、えっと」
涼はテーブルに突伏して、なんとも張りのない、とろけた声で囁いた。
「あたしも大好き、です」
「はい」
まひるがうんと大きくうなずく。涼は顔だけ起こしてテーブルに顎を乗せ、「なんてこった」と泣き言を吐いた。まひるは腕を伸ばしてその頭をぽんぽん叩くと、頬杖をついて涼と目線を合わせた。
「待たせてごめんね?」
「ううん」
「そばにいてね」
「もちろん」
テーブルに隔てられた距離が遠くて、まひるはそれが不満だったから涼の手を引いてリビングに誘った。いつもは冷たい彼女の手は燃えるように熱かった。燃やし尽くされた青はなんの意味もなくなって、指先で払うと跡形もなく消えてしまった。
触れたくて、じっと涼の目を覗き込む。伝わったのか気圧されただけなのか、涼がゆっくりとまぶたを下ろした。じわりと首筋に浮かぶ汗。緊張のせいか喉が大きく動いている。それらを指でたどってから、露崎まひるは南風涼の額に、唇で触れた。
ああ、やっとだ。
やっとそうできた。
突然、涼の身体が後ろに倒れ込んだ。「えっ、涼ちゃん!?」バランスを崩してもろとも倒れたまひるが慌てて上体を起こす。まひるの下に敷かれた涼はのぼせ上げたように定まらない焦点をふらふらと天井に向けていた。
「ごめん、ちょっと、刺激が。でも大丈夫、大丈夫だから、うん」
全然大丈夫ではなさそうだが、頬を撫でても拒む素振りすら見せないので、まひるは手を止めない。
嫉妬は欲望の象徴である。
「じゃあ、もっと触っていい?」
「
…………
どうぞ」
汗ばんでいく身体を丁寧にたどる。指先を絡めて、手のひらを撫でて、手首に浮いた骨をなぞって、肘の裏のくぼみに爪を立てて、肩から鎖骨のラインを這って。
それから。それから。
「
……
っ、ちょ、まひる
……
」
「なぁに?」
「そゆとこ
……
今まで触んなかったのに」
恥じ入るように顔をそむける涼を、まひるは静かな眼差しで見下ろしていた。静かだけれど熱い。まるで青白い焔みたいに。触れれば消えてしまっていた焔は、もうその色を失わない。
「いや?」
そっと尋ねると、彼女は顔をそむけたまま、目を閉じて小さく首を振った。
「まひるになら、なにされてもいいよ」
「うん。わたしも、涼ちゃんにならなにをされてもいい」
その日、南風涼の身体は夏の太陽に灼かれて、二度と消えない跡を残した。
1
2
3
広告非表示プランのご案内