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黒竹
2022-05-30 22:04:44
15280文字
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少女☆歌劇レヴュースタァライト
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#5 楽天家と情熱家の子午線
【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【すずまひ】【夏の夜に覚めてみた夢】
1
2
3
青春に出会いと別れはつきものだ。
出会って別れて再びまみえた青春から四度目の春。密度の濃い時間をともに過ごしていた友人たちとは少しだけ距離が開いたけれど、単にそれまでが濃すぎただけの話で、進む道が違ったところでそれが今生の別れとなるはずもなく、連絡を取り合ったりもしているし直に会って近況報告などもする。
今日もそんなふうにして、南風涼は風薫るテラスカフェで戦友たちと三角形を作っている。
「涼さん、またちょっとたくましくなってません?」
ロングスプーンでチョコバナナパフェのてっぺんをすくって口にくわえた穂波氷雨が、スプーンを離しながらまじまじと涼を見やる。問われたほうは「でしょ?」となにやら得意顔。
「八雲先生の知り合いがやってる劇団の新作に出させてもらえることになったんだ。本編ほとんどアクションの激しいやつだからさ、稽古してるだけで鍛えられるんだよね」
羽織っているシャツを腕まくりして力こぶを作ってみせる涼。氷雨は感心しているのか呆れているのか微妙な調子で「はあ」と息を吐いた。
もともとトレーニングは好きだったし、自宅にも器具をいくつか揃えているが、実践で鍛えられる筋肉はまた別だ。怪我には気をつけているけれど稽古が楽しくて仕方がない。
上機嫌な涼に苦笑する氷雨。その隣で無表情のままスフレパンケーキを食べていた柳小春が不意に口を開く。
「単位、大丈夫なの?」
「さすがにそのへんは大丈夫。舞台のせいで単位落としたなんて八雲先生に知られたら雷じゃ済まないもん。授業もちゃんと出てるよ」
「まあそれでなくても、涼さんはサボったりしませんよね。露崎さんと一緒にいられるんですから」
ゴフン、と涼が重いくぐもった咳をした。首筋に冷たい汗が浮かぶ。わざとらしくあらぬ方向を見やる涼を半眼で見つめる氷雨。
「いくら一緒にいたいからって、露崎さんと同じ大学、同じ学部というだけで進路を決めるなんて。信じられませんね」
「もういいじゃんその話ー。何年同じこと言うのさ」
古びているがセンスの良い木組みの椅子を子どものようにカタカタ揺らし、涼が唇を尖らせる。
「行儀が悪いですよ」
「はいはーい」
椅子を止めて、それから長い指がコーヒーカップの取っ手をつまむ。琥珀色の液体が尖ったままの唇に吸い込まれた。背筋を伸ばし、伏し目がちにコーヒーを飲む姿は優雅で、まるで一幅の絵画のようである。氷雨はその姿に内心で見惚れる。それからすぐに、友人のつい先ほどの様子を思い出して小さく首を振った。
「露崎さんを追いかけるのは涼のライフワークだから」
「小春さん、その言い方もどうかと思いますよ」
そんなライフワークがあってたまるかと氷雨は思うが、実際にそうなのだから始末が悪い。パフェのバナナをかじる。小春が物欲しそうな目で見てくるので半分ゆずってあげる。
それを眺めていた涼が、反論のいとぐちを見つけて氷雨のスプーンを指差した。
「氷雨だってバナナのパフェとか選んでるじゃーん。大場さんの影響じゃーん」
「ちがいます。チョコバナナパフェが食べたかっただけです」
つんとすました顔で氷雨が言い返すと、涼は「ふーん」と不満げに相づちを打ってきた。そんな顔をされたところで事実だ。
「けど、卒業したら大場さんの劇団入るんでしょ?」
「まあ一応。誘われましたから」
大場ななは聖翔音楽学園を卒業後、高名な脚本家に師事して修行を積み、半年前に自分の劇団を立ち上げた。既存の劇団に入団する子はいても、自分自身が代表となって劇団を作る子はいなかったので、話を聞いた時はずいぶんと驚いたものだ。進学しなかったことも、たった二年で劇団を作ったことも予想外だった。少し急ぎ過ぎでは、と思って忠告してみたこともあったが、「今までずっと回り道してたから」とよく分からない返事をもらってそれきりだった。なんだか煙に巻かれた気分だったけれど、たぶん、あの時の彼女はごまかしても嘘をついてもいなかったのだと思う。そう肌で感じている。
名門の出とはいえ、劇団自体の知名度はないに等しい。色々と苦労もあるようだ。それでも連絡をくれる彼女はいつも楽しそうである。
スフレパンケーキを食べ終えた小春がメニュー表を開き、それから手を上げて店員へアピールした。近づいてきた店員に「クロックムッシュと、キリマンジャロをブラックで」良い声で注文する。
「まだ食べるんですか? 来週から本番でしょう、衣装が入らなくなっても知りませんよ」
「甘いものを食べたら、しょっぱいものが食べたくなった
……
」
「変わんないねえ、小春は」
涼も頬杖をついて苦笑い。それでも二人とも、彼女の舞台人としての意識の高さは知っている。付き合いの長い友人特有の軽口である。
パフェを食べ終えた氷雨もカフェラテを注文して、三人でコーヒーを飲んでいるとゆるやかな空気が生まれた。昼下がりを過ぎて日差しは柔らかく、テラス席に吹く春風も穏やかで自然と口数も少なくなる。それが気まずさにつながらない程度には彼女たちは親しかった。
と、涼のコーヒーを飲む手が止まる。カップをソーサーに戻して、ポケットからスマートフォンを取り出した。届いていたメッセージに目を通して口元をゆるめる。
「露崎さんですか?」
「うん。バイト終わって今から来るって」
手早く返信してスマートフォンをしまうのを、氷雨は見るともなく見ていた。憧れの人を追いかけて追いかけて追いかけて、まだ追いつけないでいる友人の顔を。
自分たちには絶対にしない、その表情。
「涼」
小春が顔を上げて、低いテンションのまま口を開いた。
「好きなの?」
「ん?」
「露崎さんのこと」
氷雨の眉が小さく上がる。突然なにを言い出すのだろうと思った。それはなんとなく、自分たちの間で不可侵になっているような事柄だった。眼前に広がるのは青春への未練に似ている光景だった。もう箱庭を出てしまった氷雨にはおいそれと触れられないものだった。だから小春の質問を不躾に感じたのだ、青春は宝物だから。
涼は気にした様子もなく、頬杖をついた姿勢で屈託のない笑みを見せた。
「うん。たぶんね」
「この期に及んで『たぶん』!?」
思わず大きな声が出てしまって、慌てて自分の口をふさぐ。
だって、四年も経つのに。出会いから数えたら六年にもなるのに。それだけの時間、ひとりだけを見続けてきたのに『たぶん』って。いったいこれ以上なにをどうしたら確証に変わるのだろう?
氷雨の剣幕に圧され、困ったように頬をかく涼。「だってさあ」
「これまでずっとまひるしかいなかったんだもん。分かんないよ。あ、小春と氷雨とは違うってのは分かってるよ。でもあんたたちも特別だからなー。特別と特別を比べても仕方ないっていうか」
「っ、涼さんってほんと、そういうところありますよねっ」
ストレートな物言いにさすがの穂波氷雨もたじろぎ、せり上がったものを喉の奥で押しつぶしてから吐いて捨てる。涼はきょとんとしていた。
「あ、それまひるにもよく言われる。そういうとこってどういうとこ?」
「
……
もういいです」
テーブルに突っ伏して脱力。分かっているのかいないのか、小春が肩をたたいて慰めてくれる。
「大丈夫。涼はちゃんと考えてる」
「え?」
いつもどおりの静かな口調だった。だから一瞬、意味を掴みかねて氷雨が顔を上げる。彼女の横顔もまた、いつもどおりの感情が薄い眼差しと口元で、氷雨は戸惑いを処理しきれず沈黙した。
戸惑う氷雨とは対象的に、小春はふっと口の端をゆるめて小さくうなずく。
「まひるいも、おいしかったから」
「は、はあ
……
」
青嵐の天才は、卒業しても相変わらず天才肌で、なかなか理解しがたい。
「あっ」ぴょこんと涼の頭が跳ねる。氷雨は彼女の頭に大型犬の耳が生えた錯覚をした。
立ち上がり、両手を上げて大きく振る。
「まひるーっ」
テラスから見える横断歩道で信号待ちをしていた露崎まひるが、涼の声に視線をめぐらせてこちらを見つけた。ノースリーブのシャツにサマーニットカーディガンを合わせ、ライムグリーンのスカートが春めかしい。涼の後頭部から小さな花が飛んでいる。まひるが小さく胸の前で手を振り返してくる。氷雨の目に、涼の腰あたりでちぎれんばかりに振られる尻尾が映った。
信号が青に変わって、急ぎ足でこちらにやってくる彼女を、涼が待ちきれないというように駆け寄って出迎える。「筋金入りですねえ」ズズ、とコーヒーをすすり、氷雨は頭痛をこらえているときに似た顔で呟いた。
涼に連れられて席までやってきたまひるが、「こんにちは」小さく会釈をしてくる。同じように会釈で返して、空いていた椅子を勧めた。
「まひる、なにか飲む? 頼んでくるよ」
「ありがとう。でも大丈夫、今日はもう帰って課題やらなきゃいけないの」
「あ、リアリズム演劇論のやつ? あたしもまだやってないや」
忘れてた、と自身の額を叩く涼にまひるが苦笑して、「柳さんと穂波さんもごめんね」両手を合わせて二人に頭を下げた。
「かまいませんよ。また今度、ゆっくりお茶しましょう」
「ありがと。柳さんも忙しいのにごめんね。あ、チケットありがとう。絶対見に行くから」
「いえ。積もる話は舞台の時にでも。楽屋に来てもらえば時間を作ります」
「うん」
一足先にプロの舞台を踏んだ小春を、まひるは眩しそうに見つめる。柳小春を見ているのかもしれないし、同じようにステージに立っている友人たちのことを見通しているのかもしれない。
挨拶だけでごめんね、と重ねて謝罪し席を立つ。従うように涼も腰を上げた。コーヒー分の代金をテーブルに置き、リュックを肩に引っかけてまひるの隣につくと、「またねー」やや軽薄な口調で小春と氷雨に別れを告げる。
二人を見るともなく見送って、氷雨はコーヒーの最後の一口を含み、小春は皿に乗っているクロックムッシュを持ち直した。
「いつまで待たせるつもりなのかしら」
「さあ。とりあえず涼さんは現状でも不満がないみたいですし、いいんじゃないですか」
「ついてますよ」氷雨は少し怒ったような顔で、小春の口元についたクロックムッシュのかけらを指で拭い取った。
トレードマークになっている、耳の上で結った髪が揺れる。歩幅を合わせて歩くのにももう慣れた。自然に下りた腕はどこに触れることもない。
「バイト、どうだった?」
「ん、新学期が始まったから小学生の子がいなくなっちゃって、ちょっと寂しいかな。でもその分、小さい子たちが思いっきり遊べるようになってにぎやかだよ」
「へー」
まひるは半年ほど前から、学童保育補助のアルバイトをしている。弟妹が多いこともあって元来世話好きな性格だし、愛城華恋や神楽ひかりを相手取って奮闘していたせいか指導力もなかなかのものになっている。内気なところはあるけれど、芯が強いせいか生意気ざかりの子ども相手にもうまく立ち回っていて、バイト先の上長にも評判が良いらしい。卒業したらそのままうちに来ないか、と誘われたこともあったが、それはさすがに断っていた。彼女には夢がある。
「涼ちゃんは稽古のほう、どう?」
「めちゃくちゃ勉強になるよ。殺陣には自信あったんだけど、やっぱ第一線の人たちは違うねー。追いついてくので精一杯」
「そっかあ。双葉ちゃんも聖翔にいたころ言ってたっけ、学園の外じゃまだまだ通用しないって」
「あー
……
その節はうちの先生が」
たはは、と苦笑いしながら言う涼に、まひるは「ううん」と首を振って、
「でも、八雲先生のおかげで成長できたって。双葉ちゃん、八雲先生の噂を聞いててちょっと憧れてたみたいだし、おかげで世界が広がったんじゃないかな」
「そう? いやー、その節はうちの先生が」
先ほどとは打って変わって胸をそらし鼻を高くする。涼にとって唯一無二の大切な恩師だ。厳しいこともたくさん言われたし、傷つくこともあったけれど、それでもあの人から指導を受けられたことを今でも誇りに思っている。
「八雲先生、いろんな道を拓いてくれたよね」
「うん?」
前を向いたまま独白のようにまひるが言う。
「わたしも涼ちゃんにまた会えたし」
ふ、と視線を絡めてくるのに、涼は面映ゆくなって目をそらした。
「うん」
ずっと、こんな調子だ。
中学三年生の夏からずっと、彼女の微笑みを見ると、こんな気持ちになる。
眩しくもないのに額に手をかざして顔を隠す。ふふ、と隣から小さな笑声が聞こえた。気持ちを読まれたみたいで少し慌てたけれど、横目で覗いたらまひるはこちらを見ていなくて、何かを思い出しただけのようだった。
「涼ちゃん、ぜんぜん変わってなくてびっくりしちゃった」
「交流プログラムのとき?」
「うん。まっすぐこっちに来てくれて嬉しかった」
「そりゃあ」
うっかりそこまで言ってしまって、どうしてか読みきれない内心がブレーキをかけた。しかし止まり切ることもできずか細く言葉がこぼれ落ちる。
「あ、いたか、った、から」
「どうして?」
「え?」
「──なんでもない」
露崎まひるは時々露悪的になる。
どうして。
わたしは君を忘れていたのに。
言外に追いやられた意味はじりりと南風涼のうなじを灼く。
とっさにまひるの手首をつかんで、抗議するように引き寄せた。
「レポートっ」
痛みを与えるほど強くもなく、すり抜けられるほど弱くもない手が露崎まひるの手首を包んでいる。
「あたしもやってないから、一緒にやろ?」
まひるはほんの少し目を丸くして涼を見上げた。それから、どこか呆れたように、諦めたように、ほのかに笑ってうなずく。
「うん」
いつだってこんなふうに、南風涼は「君のとなりにいてもいい?」と尋ね、露崎まひるはそれにイエスと答えてきた。
それは救済ではなかった。
愛城華恋がはなった一言のような、純粋な救いはそこになかった。表面にいくらかの煤を塗りつけて曇らせた、薄汚れた我欲の願いだった。
だから。
だからこそ、露崎まひるは南風涼に触れられた。
青春の残滓は夏の太陽に灼かれて焦げつき、南風涼の額に貼りついている。
「わたしのおうちでいい?」
「ん、実はレポートの資料、リュックに入れっぱなしなんだよね。まっすぐ行ける」
からりと笑って涼が背負っているリュックを揺らす。課題が出たのは三日前だが資料は一度もそこから出ていなかった。「こらー」お姉さんの顔でまひるが肩を小突いてくる。「まひるだってやってないじゃん」反論で共犯者にしようとしたけれど、まひるはすまし顔で上を向いた。
「わたしはもう資料の要点はまとめたから、あとはレポート仕上げるだけだもん」
「ええっ、ずるいよ、そんなことさっき言ってなかったじゃん」
まったくの手つかずである涼は、まひるの顔を覗き込んで恨めしそうに喉の奥で唸る。
「知りません」
「ええー、待ってよー。ちょっと手伝ってくれたりは
……
?」
「しません」
「厳しい
……
」
涼がしゅんと肩を落とす。座学は苦手なのだ。アクション理論ならまだなんとかなるが、なにせリアリズム演劇はオーバーアクションを排除した演劇手法であるので涼とは相性が悪い。
ため息をついて身体を起こすと、諦めの眼差しで遠くを見つめ、「仕方ない、やるか」ひとりごちる。夢は叶えるためにあるのだし、そのためにはやりたくないことをやらなければいけない時もある。
まひるがそっと右手を握ってきた。鈴の音に似た音が上空から降ってくる。まひるのクスクス笑う声とぶつかって弾け、澄んだ音を発した。
「涼ちゃん、ファイト」
「はーい」
まひるの自宅マンションは閑静な住宅街にある。やや勾配のきつい坂道を上った先にあるが、ふたりとも息一つ切らせない。高層マンションではないけれど高台にあるおかげで景色は良い。まひるが玄関ドアを開けて涼が続く。「おじゃまします」と義務的に言う。声には遠慮も気恥ずかしさもなかった。履き古したスニーカーがきれいに整えられたローファーの隣に並ぶ。
洗面台で手洗いとうがいをする。客演する舞台の本番前なので健康にはことさら気を使っている涼だ。
リビングに入るとまひるがカーディガンを脱いでいるところだった。今日は春先にしてはさほど気温も低くなく、閉め切っていた室内は半袖で十分な暖かさである。それは分かっているのだけれど、思わず吐息を洩らしてしまう。まひるはずるい。
リュックを肩から下ろして部屋の隅に置き、一抱えあるスズダルキャットのぬいぐるみが鎮座している隣に腰を落ち着けた。ぽすぽすと白猫の頭を叩いてから持ち上げて膝に抱える。彼か彼女かどちらでもないのか知らないが、涼はこの子ともすでに永の友人である。
「むー」
涼が膝を埋めたのを見たまひるの口から、おそらく大学生はそうそう発しないであろう不満声が洩れた。むー。むーだ。しかもちゃんと頬を膨らませて、唇も尖らせている。そんな仕草が似合うのだから恐ろしい。恐ろしくて涼は思わず顔を明後日の方向に移した。
抱えていたぬいぐるみを引っ張られた。するりと腕の中から去ってしまうスズダルキャット。手持ち無沙汰になったので意味もなく両手の指を組む。頬を両手で包まれて、むりやり前を向かされた。
「涼ちゃん」
「はい」
「わざとでしょ」
「
……
ワンクッションおきたい時って、あるじゃない?」
使ったのはクッションではなくぬいぐるみだがもちろんそういう意味ではない。
羽織っただけの、ボタンを留めていないシャツ。南風涼はいつだって露崎まひるに対して無防備だ。そして露崎まひるはいつだって南風涼に対して野放図である。
ねだらなければ触れてくれなかった手のひらは、今はもう罪悪感もなく接してくる。深度のない触れ方。何にも守られていない額や頬や首や背の輪郭をまひるの手がたどる。その手は子を慈しむ母親のようであり、その表情は母親に抱かれて眠る子のようであり、草いきれの中で駆ける子どものようであり、酒精に溺れる大人のようでもあった。
そのどれにも似ていてどれとも違っていたが、ただ少なくとも、その手はキラめきを掴んではいなかった。
南風涼と露崎まひるは、抱き合ってはいるけれど触れ合ってはいない。接触は一方的だ。輪郭を確かめるだけの行為だ。なにも彩れはしない、酔いどれの戯れである。
それでいいと南風涼は願ったし、それでいいならと露崎まひるは応じた。
二人とも寂しいから、そうしていた。
水中にいるような気分だった。水に潜って水面を見上げると陽の光がキラキラと反射してきれいで、ずっと見ていたいのにいずれ苦しくなってそこを出なければいけない。
苦しいのに、もう少し、もう少しと耐えて、いつしか何も見えなくなってしまう。
視界は青く塗りつぶされて、触れている手のひらだけが確かだ。
「まひる」
青い青い青い声。もうとっくにそこは過ぎ去っているはずなのに、いみじくしがみついている、声。
愛してると、言えたことはまだない。
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