黒竹
2022-05-30 22:00:04
8138文字
Public 少女☆歌劇レヴュースタァライト
 

無花果

【少女☆歌劇レヴュースタァライト】【石動双葉】【オリキャラ】
注:男性との恋愛要素あり。

 うすもやがかかったみたいに不透明な空気を吸い込んだ僕の喉が乾いた咳をする。なんとか咳を止めようと、慎重に、ゆっくり、深く呼吸する。それはいつも無駄な抵抗に終わって、僕は身体を折り曲げてえずく。
 少しだけ落ち着くと、テーブルに置いてある瓶を開けて、中に指を突っ込む。たっぷり入ったシロップを指先に絡め取ってくわえる。果物の青臭さがまじった甘い甘いシロップ。苦い薬ばかり飲ませてかわいそうやと、ばあちゃんが作ってくれたそれは、めまいがしそうなくらい甘い。
 奥の洗面所で手を洗っていると、「ごめんくーださい」甲高い声が聞こえてきて、僕は慌てて店に戻った。
「はいはい、おまたせしました」
 お客さんは小さな子どもやった。たぶん、小学校の低学年。長めの前髪を粋に流しているその下、勝ち気そうな目を不思議そうに細めて僕のほうを見ている。シャツの重ね着にハーフパンツなんて合わせて、この年頃にしてはなかなかオシャレさんや。
 ハーフパンツのポケットに両手を入れて、少し胸を反らすようにする。威嚇なんかな、と僕はこっそり考える。
「お兄さん、お店の人? いつものおばあちゃんは?」
「ばあちゃん、こないだぎっくり腰やってもうて今おやすみしとるんよ。僕は孫や。代わりに店番しとんのや」
「ふぅん」
 少し怪しんでいたらしい子どもは、僕の説明にとりあえず納得したみたいやった。
 ちゃぶ台に手をついて腰を下ろす。ばあちゃんが一人で商っとるこの駄菓子屋に金目のものなんて何もない。あるのは十円二十円のお菓子が並んどる棚と、小銭ばかりの小さい金庫だけ。その金庫の傍ら、小上がりでのんきに座っとる僕の姿に警戒を解いたらしい子どもが駄菓子を選び始めた。
 夏の初めの今時期、外は汗ばむくらいの暑さやけど、高いところにある小さな窓からしか陽の差さん店の中はうっすらと涼しい。開けっ放しの入り口からさやさやと風が流れとる。僕はちゃぶ台に頬杖をつきながら、小さいお客さんを眺めとった。他に見るもんもない。
「君、よう来るんか」
「まあね。だいたい週に二回か三回は来てる。香子が拗ねた時にお菓子がないと困るから」
「香子ちゃんいうのは友達か?」
「幼なじみだよ。花柳香子って、お兄さん知らねーの?」
 言われて、どこかで聞いた名前やなと天井を見上げた。記憶を探って、花柳いう名字に思いあたるもんを見つけた。
「あれか、日舞の有名なおうちの子か。ばあちゃんが話しとるの聞いたことあるわ。うちは花柳のお嬢さん御用達や言うてたけど、こんな駄菓子に御用達もなんもあらへんわな。それに君、そない小さいうちから女の子の尻に敷かれとったら、大きくなってから大変やで」
 ははは、と笑いながら言う僕の膝前に、どさりと駄菓子の山が置かれた。ひとつ十円二十円やいうても、これだけの数を揃えたらけっこうな金額になりそうやった。僕は笑いを引っ込めて、仏頂面しとる子どもの綺麗な紫の目を覗き込んだ。
「ボク、こないに買えるだけお金持っとるんか? 花柳さんからお使い頼まれたんかな?」
 恐る恐る尋ねると、ギュッと眉毛の根元が寄って、深い深いしわができた。
 ボケっとしとる間に、目の前まで紫の目ぇが迫る。
「お金はちゃんとあるし、あたしは女だばあ────か!!」
 あまりの大声に、キィン、と耳鳴りがした。思わず両耳を手でふさぐ。片目だけで様子を窺うと、顔を真っ赤にしてこっちを睨みつけてきてた。
「ご、ごめん。かっこええさかい、てっきり男の子や思うてしもうた」
 小上がりに膝をついて頭を下げる。中一にもなって子どもに頭下げんのも情けないけど、これはしゃあない。僕が悪い。
 はあ、と小さなため息が聞こえてきて、なんとなく柔らかい雰囲気になったのを脳天あたりで察する。
「いいよもう。自分でも紛らわしいとは思うしな」
「ほんまにかっこええで。髪型も服もよう似合うとるよ」
「もういいっての」
 呆れ声で言って、ちょっと大人びた顔で笑う。そうすると確かに女の子やった。このくらいの年の子ぉは、女の子のほうが大人っぽい。
 お会計はしめて四百八十円。がま口の財布からぴったりお勘定して、袋詰めした駄菓子を抱えて出ていく姿を、僕は「おおきに」と小さな声で見送った。
 小学校の二年生くらいかと思うとったその子が、実は背が低いだけの四年生やと知るのは次に会うた時で、そこでも僕は怒鳴られた。



 ぎっくりが治ってもばあちゃんの腰は調子が戻らず、結局そのまま引退してしもうた。今は名義だけ残して、店は僕が学校から帰ったら開けとる。うちの親は潰してしまいたいらしいけど、子どもたちもよう来るし、なんせあの花柳のお嬢さん御用達やとばあちゃんが頑として首を縦に振らんかった。そんな調子やさかい、店を開けるのは必然的に僕の役目になる。中学生を働かすな、と思わんでもないけど、別に重たいもんを持つわけでも、走り回るわけでも、難しい計算をするわけでもない。小上がりに座って本読んだり宿題したり、その合間に十円二十円のお代をもらって金庫に放るだけの簡単なお仕事や。
 そうして二年が経っても、石動双葉ちゃんは変わらず週に二回くらいやって来る。
「おっせーぞ」
 シャッターの下りた店の前で仁王立ちしてた双葉ちゃんが、僕を見つけた途端、低い声で言ってくる。いくら常連さんいうても偉そうすぎひんか。そうは思うても年下の女の子に怒るのもしょうもないし、僕は「そりゃすんまへんな」と愛想笑いしながら答えてシャッターを上げた。
 隣で様子を見てた双葉ちゃんが少し声をひそめる。
「にいさん、顔色わりーぞ。大丈夫かよ」
「大したことあらへんよ。ただの暑気あたりや」
「暑気あたりでそんな真っ青になんねえだろ」
 今日は店に来るのがいつもより三十分くらい遅かった。学校が終わってから、調子悪うなって保健室で休んでたせいや。回復したと思うとったけど、傍から見て分かるくらい顔色悪いんかなあ。今更やけど、手のひらでほっぺをゴシゴシこすって赤みを足してみた。
 背ぇは伸びんけど張り詰めてて血色のいい双葉ちゃんの身体と対象的に、僕の身体はひょろ長くて青い。
「今日は香子お嬢ちゃんは一緒に来てへんの?」
「あいつは来週発表会があるから、その稽古に行ってる。ま、今週はずっとお師匠さんに捕まったままだな」
「そうかあ。家元のお孫さんいうのも大変やなあ」
 それに比べて、僕なんて気楽なもんや。なんせただの駄菓子屋の孫息子やさかいな。なんの責任もあらへん。きっつい稽古もせんでええし、みんなの前できれいに踊ったりもせんでええ。
 双葉ちゃんがなぜかほんの少し不機嫌そうな顔をした。
「にいさんは立派にこの店守ってんだろ。身体弱いくせに毎日ちゃんと店番に来てるんだから、あんただって偉いよ」
「なんや、双葉ちゃんが褒めてくれるなんて珍しなあ。雨でも降るんちゃうか」
 そう言って僕は空を見上げたけど、雲ひとつない青空やった。「褒めてやってんだから素直に喜べよ」やれやれ、と肩をすくめる双葉ちゃん。
 双葉ちゃんは僕のことを「にいさん」と呼ぶ。本当のきょうだいほどには口も耳も慣れてない、なんとなくくすぐったい感じのする呼び方。僕は一人っ子できょうだいがどんなもんかよく知らんさかい、双葉ちゃんのことも「妹みたい」とかは思うてなくて、だから僕らはたんなる年と性別がちがう友達同士やった。
 相変わらず駄菓子屋の店内は薄暗い。棚が多すぎるせいか、蛍光灯を新しいのに交換しても、どことなくこう、パッと明るくならずにどこかしらに影ができる。けど僕はその控えめな明るさが好きやった。僕の青白い身体がよく見えへんから。
 小上がりに乗って座椅子に背中を預けた途端、喉の奥が嫌な感じにひりついて、自分ではどうにもならん咳が飛び出る。別に風邪をひいとるわけでもないし、ウィルス飛び散らしとるいうこともない。けど、僕のこの咳を嫌がって買い物に来んようなった子も何人かいた。そこはちょっと、ばあちゃんに申し訳ない。
「おいおい、大丈夫かよ。水持ってくるか?」
 慣れた様子で上がってきた双葉ちゃんが丸まった僕の背中をさすってくれる。どういう原理か知らんけど、そうされると確かに呼吸が楽になる。ひゅ、と乾いた音を洩らす喉に手を当てて、僕は小さく首を振った。
「おおきに。もう大丈夫や」
 ふぅーと細く息を吐く。喉の引っかかりはもうなくなってた。シロップの瓶を開けて脇に置いてあった木さじでひとくち分を掬って舐める。さすがに人前では指で掬うなんてはしたない真似はようせえへん。
 双葉ちゃんの興味津々な視線が斜め前から届く。ほしいんやろか。せやけど僕が口つけたもんであげるわけにもいかんしなあ。
「それ、咳した後いつも舐めてるよな。喉の薬か?」
「ただのシロップや。ばあちゃんがイチジクの甘露煮作った時にできるシロップを瓶に移して取っといてくれんねん」
 それで思い出した。「そうやそうや」瓶を置いて裏に回る。
 小上がりから回れる裏は台所になっとって、そこに小さい冷蔵庫が置かれとる。その中から目当てのタッパーを取り出して中身を小皿にいくつか移すとフォークと一緒に持っていく。
「双葉ちゃん、これ食べえ。ばあちゃんが作った甘露煮や。おいしいで」
 シロップはあげられへんけど、こっちやったらなんの問題もないわ。そもそもこっちが主役やしな。「いいのか?」「ええよ。どうぞどうぞ」
 双葉ちゃんがイチジクをパクっと頬張った。ん、と目を大きくしてもぐもぐしとる。
「うっま! うまいなこれ!」
「そうやろ? 毎年、夏になるとばあちゃんが作ってくれるんや。イチジクは不老長寿の実ぃや言うてな」
「へー」
「それと、美容にもええ言うとったな。確かにばあちゃん、年のわりにお肌ツヤツヤや。双葉ちゃんもこれ食べたら美人になるで」
 おいしそうに食べる双葉ちゃんを眺めながら言うたけど、当の双葉ちゃんはあんまり興味なさそうやった。僕が小学生の頃は、六年生にもなればクラスの女子がメイクとかの話で盛り上がっとったけど、双葉ちゃんはそういう子たちとはちょっと違う女の子みたいや。
「あ、香子に食わせてやったらいいかもな。あいつ、そういう話けっこう好きだし」
「そんなら香子ちゃんと一緒に来た時にまた出したげるよ。あ、でも、他にお客さんおらん時な。これは君たちだけの特別や」
 内緒の合図に人差し指を口に当てて「シーッ」とすると、双葉ちゃんがきししと笑った。




「聖翔音楽学園? 東京の有名な学校やんか。双葉ちゃんそこ行くんか、すごいなあ」
「受かったら、だけどな。ったく、香子のやつ無茶苦茶言ってきやがって……
 座椅子に深くもたれかかった僕が見下ろす先、古い丸椅子に腰かけた双葉ちゃんは、甘く煮込まれたイチジクを口に入れたまま難しい顔をしている。「マジで死ぬほど特訓しねえと無理」
 げっそりしながら言うとるけど、他ならぬ香子ちゃんの頼みならどないなことでも叶えるのがこの子や。死ぬほど特訓しないと無理なら、死ぬほど特訓して合格するんやろう。難儀やなあと、他人事でしかない僕は無責任に思う。
「双葉ちゃんならきっと受かるわ。努力家さんやし運動神経もええし、なにより美人さんやからな」
「最後のはちがうだろ」
「ほんまやで。イチジクずっと食べてきたさかい、今じゃもうそこらの子ぉには負けへん美人さんや」
「最初に会った時、あたしのこと男だと思ったくせに何言ってんだよ」
 忘れかけとった痛いところを突かれて思わず苦笑した。五年も前のこと、よう覚えとるなあ。
 まあ五年も経てば、髪が短かろうが口調が荒かろうが、どう頑張っても男の子には見えんようなって、中学校の制服姿も可愛らしいもんや。五年前の僕にこの双葉ちゃんを見せてやりたいわ。
 きっともう五年したら、みんなが振り向くようなきれいな女の人になるで。これは予言や。
 すっかり筋肉の落ちた手でフォークを持ち、イチジクに刺して口に運ぶ。もう腕相撲で双葉ちゃんに勝てへんかもしれんな。
「だいたい、よしんば受かったところで落ちこぼれ確定じゃねえか。ああいうところにはさ、親が俳優だとか、子役で活躍してたとか、なんかの大会で優勝したやつとかが行くんだから」
 はあ、と大きくため息。
「それこそ香子みたいな、華のあるやつが行くとこなんだよ。あたしが行ってどうするってんだ……
「華やったら双葉ちゃんもあるで」
「はあ?」
 手招きで双葉ちゃんを小上がりに呼び寄せると、肩を抱いて僕の膝に頭を乗せさせる。「ちょ、なんっ」「香子ちゃんには内緒やで。僕が怒られてしまうさかいな」骨ばった手で傷つけてしまわんように、双葉ちゃんの髪を優しく撫でる。双葉ちゃんは照れとるのか僕の腰にぎゅっと顔を押しつけて「薬くせえ」とぶっきらぼうに呟いた。
 この子ぉは、香子ちゃんの頼みやったらなんでも叶えてしまうけど、だからといって自分がないわけやない。
 時々は、不安にもなるやろう。
 それでもこの子ぉは、負けず嫌いやからこんな時でもないと泣き言のひとつも洩らせへんのや。この薄暗い、気配のない店と、青白い僕しかおらんような時でないと。
「イチジクはな、漢字やと花が無い果物って書くんや。その名のとおり、花をつけんと実になると思われがちやけど、ほんまはな、僕らが食べとる実の内側に花があるんよ。表からは見えんだけで、中には小さい花がぎゅーっと詰まっとるんや。
 双葉ちゃんもそうやで。周りからは見えんかもしれんけど、君の内側にはキラキラした花がいっぱい詰まっとる。僕はそれを知っとる。香子ちゃんにも負けへん、ものすごくきれいなキラめきや。
 だからもっと自信持ってええよ」
 ろくに日も差さん古びた駄菓子屋で、どういうわけか時々キラキラした何かが視界の端を通ることがあった。
 それは正体を見極めようとするとすぐに消えてしまって、なんなのかずっと謎やったけど、ある時、それが双葉ちゃんの身体から弾けとることに気づいた。
 あれはきっと、双葉ちゃんの花や。
 僕は、生まれてから一度も、あんなにきれいなもんを他に見たことがない。
「僕にとって、双葉ちゃんは誰よりもキラめいてる特別な女の子や」
 それは、大自然の広大な景色の真ん中に立つ美しい獣と対峙したときみたいな、深い感動に近いものやった。
 けど、確かに、そこに恋はあった。
 石動双葉ちゃんは、僕にとって誰よりも可愛らしい、初恋の女の子やった。
「も少し、そばにおりたかったな」
 双葉ちゃんは、香子ちゃんの望みを叶えるために、これから死にものぐるいで特訓して、聖翔音楽学園に入学する。
 それが答えや。
 だから双葉ちゃんが僕のずるい告白に気づかないふりをしたことも、僕は怒ったりせえへん。
「大丈夫、大丈夫」
 髪を撫でると、双葉ちゃんはまた「薬くせえ」と、震える声で言ってきた。
 うん。ごめんな。