【シク風】第十席

風子さんのあの言葉を聞いたシックさんの欠けた横顔に想いを馳せた幻覚妄想の煮凝り。全てがご都合主義。

”不治”の力で譬え体が再生しなくとも核さえ破壊されなければ負ける気なぞ到底無かった。それは絶対理の十位である自負でもあり、実際続けざまに有効打を決められず全力で抗い続ける否定者たちの躍起になった姿にシックは嘲笑する。
そして、どうぞ狙ってくださいと言わんばかりに死地へむざむざ戻ってきた”不運”の器がする行為に厭らしく口角が上がり、特に”不変”のバリアに罅が入ったのを狙い、ちょっかいを出せば予想以上に楽しい展開が空から降り注いだ。
烈しい感情に彩られたとても耳触りの良い音楽が病院内を満たし、迫りくる絶望に対して無駄に足掻き乗り越えようとする光景はシックにとって愉悦以外の何ものでもなかった。

微かでも見えた希望が潰える瞬間。圧倒的な力で捻じ伏せられ為す術なく終わる、その時に奏でられる嘆き叫び慟哭の限りを尽くせ。それがあの方に捧げる最高の曲となる。

シックは勝ちを確信していた。地球に降り立った自分にみっともなくしがみ付いてきた”不運”の器にご執心の”死にたがり”が現れるその瞬間までは──。
決して手を抜き驕ったわけじゃない。ごく自然で単純な理由、”病”の絶対理であるシックと”不死”の否定者であるアンディとの相性が最悪だったのに加え、ほんの僅かな時間制限の中、他の否定者たちの能力をフルに使いあっさり戦況をひっくり返した。ただそれだけの事。
肉体に隠れていた核諸共押しつぶされ軋む感覚に苦痛染みた言葉をシックが発する。
完全に逃げ場を失い、核が破壊されるまで続く筈だった圧迫感は意図も容易く消え失せた。
シックの核が砕ける一歩手前、押し付けられていた体が浮遊感に包まれ緩慢な動きで下に落ちていく。
何ものにも染まらない色が支配する世界。他の理とは比べ物にならない誇り高き絶対理だけが神に選ばれし者達だけが座る事を赦された尊き場所。

再びこの場所に舞い戻る。それは声高らかに己が手で否定者たちの人間たちの希望を屠ったのだと、円卓に座り続けている者たちに言い放つ時だと信じて疑わなかった。
散々嘲笑い力無き存在だとこの場に相応しくないと見下し続ける者たちに、出番と手柄を独り占めして申し訳ないなんて思ってもいない謝罪を述べ嗤い返す。

だが、シックの思い描いていた最高の未来は最悪な未来へと描き替えられた。

「(よりにもよってこんな状態……)」

死ぬにも死にきれず満身創痍な体。”不治”の力によって再生せず、無様に真っ二つに斬られた状態の無様な恰好。シックの深く澱み沈んだ意識に関係なく、十席の椅子に体が吸い寄せられる。
冷ややかに期待なぞ元から抱いていない視線と空気を肌で感じる。だらしなく長年座り続けていた十席の椅子に腰を下ろしたあともシックの視線は誰とも交じり合わず何も見ようとしない。

「(あーあ、)」

頭上にあるムーブが開けた空間の亀裂から見事に”不運”の器、現ループの第一席たちが危機的状況を打破した気配にいよいよシックは今すぐ此処から消え去りたい想いが募っていく。

「(どうせボクは消される……)」

自暴自棄になったところでこの円卓に座っている者たちが気に留める事は無い。
静寂な世界でぼんやりと耳が拾う亀裂に飛び込む音に続き、誰かの勇ましい声、無粋な発砲音が無力化され落ち木霊する。真後ろに立つ魂の輝きは先程まで地球にいた”不運”の器、現ループの第一席の者だ。

「(もう如何でもいいや……)」

そもそも普段の状態であれば、シックもマスタールームにはじめて足を踏み入れた否定者に対し好奇な目を向けていたであろう。
だが、そんな余力さえ今は無くただただ第一席に座る者同士の会話を聞く事しか出来ず、一拍置いてから”不運”の器から意識と嘲笑がシックに向けられた。投げ掛けられる言葉の数々、さながら負けて当然だと言われる度、悔しいという気持ちすら浮かばない。
誰も彼もシックが勝つなんてこれっぽっちも期待なんかしていなかった中、凛とした言葉がそれを”否定”する。

「あなた達は、シックを弱いと笑いますが、強かった。助っ人がいなければ私達は負けていた」

譬えその言葉が第一席同士の会話の一部分であろうとも、その嘘偽りのない明け透けな”不運”の器の言葉がシックのひび割れた核をやわく包み込み、今まで一度も自分に向けられた事のない言葉が生気を失っていた瞳を微かに揺らめかす。
その後シックはマスタールームの第一席がご褒美だと”不死”の事を”不運”の器の子に教えていたのを霞み掛かった意識の海で聞いていた。
今までずっと知りたがっていた事実を知り絶望し、煽られ取り乱すかと思いきや”不運”の器の子の魂は全く曇らず輝きを失わない。おかえりはこちら、と再びムーブが気紛れで開けた空間の亀裂が閉じる音に合わせ遠ざかる”不運”の器の子の気配。

「(あ、行っちゃう)」

指一本はおろか視線でさえ動かせないこの体はもう要らない。再生する事も儘ならない体から飛び出した剥き出しの核、しかもひび割れた状態なぞ自ら死に急ぐようなもの。みっともない姿になったシックは閉じ消えていく空間の亀裂に向かって殆どない力を振り絞り飛んでいく。
このまま居てもどうせ消される。そして、この状態で此処から出て行こうが円卓に座る者たちは誰も気に留めない。

「(ボクが弱いから……)」

取るにとらない存在だからこそ逆手に取る。

「──いいのほっといて」
「別に”アレ”がどうこうしたところで何も支障は起きないさ」

実際、核状態でマスタールームから出ていくシックを引き留める者は誰もおらず、情けない後ろ姿を存在自体消すにも値しないと目を向けない。
空間の亀裂が塞がるにつれ、向こう側から漏れている光がどんどん狭まっていく。此方を振り返らず歩く”不運”の器の背中が完全に見えなくなる寸前、核より狭い隙間となってしまった亀裂にその身を強引にねじ込んだ。
テニスボール程度の大きさのシックの核が亀裂を通過したのに合わせ、地球とマスタールームを繋げていた空間がパキリ音を立て完全に閉じられた。

「(”不運”の器の子……)」

憔悴しきったシックの核が頼りなく浮き、前を歩いている者の背中を追う。数刻前に見ていた時とは印象が大分違う鍛えられているが華奢な、されど今は無き手を伸ばし掴みたいと思ってしまう”不運”の器の背中。其処へ向かってシックは飛んでいき、長い黒髪が襟元に全て入らず出来たたわむ隙間にその身を滑り込ませた。
たわんだ髪と首に出来た隙間。まるで身を隠すのに誂えたかのような場所。マスタールームに広がる何ものにも染まらない色に近いが、髪の隙間からチラチラ明かりが差し込み仄かに照らす暗さは遥かに心を穏やかにする。
核を優しく擽り撫でる髪の感触と項から伝わる柔らかな温もりがシックの意識を遠のかせた。



マスタールームから戻った”不運”の器、第一席である出雲風子を出迎える面々の意識と視線は全て彼女に注がれ、誰も彼も第一席の後ろから何かが飛び出していた気配には気付かなかった。丁度、彼女の背中に隠れ死角になっていたというのも無きにしも非ず。
ただ、自身の髪の中に何かが入ってきたのを、その正体を先程まで戦っていたものだというのを、風子はすぐに察したが、敵意はおろか戦う意思すら感じない大分小さくなってしまった存在にわざと気付かない振りをしたのだった。