【レウエマ】二日酔い

鬼と人間が隔たりなく共に暮らしている謎時空。


不愉快な湿り気のないカラリと晴れた空。暑さでにじみ出る汗は太陽に照らされるなり乾いていく。
心のどこかではじめていく場所にワクワクしている節がある。
背中から吹く追い風に乗り軽やかな足取りで木漏れ日の下を駆け抜けた。いつしか見えてくる商店街の一角にエマは元気よく飛び込んだ。程なくしてエマの手にはショーウィンドウに飾られていたものと同じものを持って店から出てきた。好みかどうかは知らないが、涼やかな見た目と冷たく喉ごしのよい触感は夏の暑さを少しだけ和らげてくれる。キラキラの宝石が三人分入った白く小さな四角い箱を思わず微笑みながら見ているとエマの足元から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
「パルウゥス!」
『キィ』
お行儀よく座り長い尻尾を揺らすパルウゥスに視線を合わせるべく屈めるエマの姿を大きな目がじっと見つめ、もう一度鳴くや否や立ち上がりトテトテと歩き出した。
「君が案内してくれるんだね」
それはエマも気になっていた事だった。家に招待されたはいいが何分レウウィスの家の場所が分からない。一度も言ったことのない場所へどうやって行けばいいのか。
「もしかして買い終わるの待っててくれた?」
『キキッ』
「ありがとう」
とりあえず手ぶらではなんだ。季節の菓子折りを購入してから考えようとした矢先、ちゃんと案内人が迎えに来てくれた。エマの数歩先を小さな体のパルウゥスが時折彼女がちゃんと付いてきているか振り返り確認しながら歩く姿はまさに道先案内人。これで迷わず目的の場所に辿り着ける。
小さな影のあとに付いていくエマの周りはいつしか不思議なものにすり替わっていった。分かれ道のない一本道、左右にそり立つ煉瓦の壁には幾つもの窓がありそこから彼女らを眺め続けた。窓の向こう側にはある筈のない海原が広がる。何ものかの気配を終始感じるもののエマの思考はパルウゥスのあとを追うことでいっぱいだった。いつしか周囲の雑踏や喧噪が潮騒に塗り替えられ、もうエマの耳には波の音しか聞こえない。
何かが誰かが見ている。寄せては引く波の向こう側から此方を眺めている。それが一体何者なのか考えたくても頭の中は今目の前にいる小鬼から目を反らすなと意識を反らすなとひしめき合っている。
しばらくして前を歩いていたパルウゥスが立ち止まりエマを待つように振り返り尻尾を揺らす。
真夏の強い日差しを背負い逆光になった世界で大きな目と小さな目だけが影にならず光っていた。一歩二歩、三歩。小鬼の傍に近付いたエマがすぐ隣にある窓をフッと見ようとした瞬間。

『キャウ!』

金属を擦り合わせたような大きな鳴き声で我に返った。
気が付けば高級マンションと謳われる建物の前に佇んでいた。咄嗟に左右を見渡す。周囲を歩く鬼や人間たちは兎角おかしい点は見られない。つい今しがたの不思議な体験にエマが困惑する暇も与えず、パルウゥスは慣れた様子でマンションの自動ドアを潜っていく。扉一枚隔てた先は外の暑さが嘘のように空調が効いており火照った体を気持ちよく冷やしてくれる。
「あっ、待って」
もたつきながらも再び追いつけば操作盤に上り小さな手でとある番号をテチテチ押し始めた。
程なくして住居スペースエリアの扉が開いたので再び先を歩くパルウゥスのあとにエマが付いていけば、
「そこの君止まって」
「はい?」
守衛らしき鬼に呼び止められた。訝しげに細められた多眼が頭の天辺からつま先までエマのことを見定めるべく凝視する。そして、その目たちが彼女の持つ白い箱に移った瞬間、軽快な身のこなしでパルウゥスがエマの肩に上るや守衛の多眼が一斉に見開いた。
「あっ!これは大公さまの、え?内線!?」
パルウゥスの姿を確認したのを見計らってか守衛室に鳴り響く内線。受話器を取り耳に傾けた守衛が何やら恭しく話をしている姿にエマが小首を傾げる前に守衛鬼が静かに受話器を置き。
「これは失礼致しました。どうぞ中へお入り下さい」
先程の態度とは打って変わり呆気なく先に通す相手に今度こそエマは小首を傾げた。
「なんだったんだろ?」
肩に乗ったパルウゥスに誘導されるままエレベーターに乗り込んだ。
「何階押せばいい?」
『キーキィ』
エマの人差し指がどの階を押すのか待っていると、エマの肩、腕を伝いパルウゥスが階数ボタンをいくつも押し始めた。決まった順序通りに押さなければいけない階なのか。本来なら見せてはならないと思われる順番を兎角隠す気もないあたり、エマのことを信用しているのかはたまたそこまで重要じゃないのか定かではない。
「(扉が閉まった)」
ポーン。エレベーターの閉まる音に合わせ上昇してく感覚にエマは知らず息を吐いた。
見上げた先、ディスプレイに表示される階数がどんどん増えていく。
「これ、壁側がガラス張りだったら急上昇してく外見えたのかな」
『キッ』
「え?あるの? うっわ!?高い!」
知らない内にエレベーター後方マンション外壁側にあたる部分がガラス張りに変わり晴れ渡る青空が透明な箱の中に映り込んだ。
遠ざかる街並み近付く青空を目を輝かせて見ている内に目的の階に着いたらしく軽快な電子音と共に扉が開いた。まだ少し名残惜しさもあるが、エレベーターを降りたエマの前に待ち構えていたのは廊下ではなくまたしても扉だった。もとより左右を見まわそうにも廊下はおろか数メートル四方の空間にエレベーターと向かい合う形で扉が一枚あるだけ。
エマがエレベーターから降りるなり後方の扉が閉まりエレベーターが下に降りて行った。
「ここがレウウィスの部屋
マンションの一室というよりワンフロアぶち抜いていそうな雰囲気に緊張が高まり、思わずインターホンを押す指先も震える。一回押すのを躊躇い呼吸を整えてからいざ押せば暫くして聞き覚えのある声がインターホン越しに聞こえた。
「エマ、よく来てくれた。鍵は開けておく入り給え」
インターホンが切れると同時に扉の解錠音が鳴り、エマが扉の取っ手に手をかけ恐る恐る玄関の中に足を踏み入れた。無駄なものを置かず洗練されたデザインと落ち着きのある色味に囲まれた空間は一発で上流階級が住まう場所なのだと訴えかけてくる。
塵一つない清潔で優雅な空間に圧倒されつつ、玄関を抜け真っすぐ廊下を歩いていると広いリビングに辿り着いた。
「わあ!」
感嘆の声を上げたエマの眼前に広がるのは窓枠のない大きな絵画のような風景。そして、近くのソファに腰を掛けていた黒い影が立ち上がり絵画とエマの間に入り込んできた。
「待っていたよエマ」
「今日は家に呼んでくれてありがとう。体はもう大丈夫なの?」
「嗚呼、大事ない。パルウゥス案内ご苦労」
エマの肩からレウウィスの肩に飛び移ったパルウゥスをレウウィスの細い指先が撫でる。気持ちいいのか大きな目、小さな目を細め浸る姿にエマの心もあたたかくなる。
「これ、おみやげ。このお店のゼリーすっごくおいしいんだよ」
「それは楽しみだ。早速茶請けとして出させてもらおう」
流れる動きでエマから箱を受け取りキッチンに向かうレウウィスを知らず目で追っていると、いつの間にかレウウィスの肩から飛び降りていたパルウゥスがエマの足首を小さな手で軽く叩き先程まで主人が座っていたソファを指さしていた。
促されソファに座れば体よく取っ手のついた銀盆に金縁が施された白磁のティーポット、対のティーカップ、箱から取り出され小皿に乗せられたゼリーたち、そして琥珀色の玉が詰められたガラス瓶を乗せたレウウィスが戻ってきた。
香りだつ豊かな紅茶の匂い。ティーカップの中へ注がれる透明感あふれる黄金の水面から上り立つ湯気。小さな音を立てエマの前にティーカップを置くレウウィスが自身の分を入れながら問い掛ける。
「紅茶は嫌いだったかな」
「全然! 大好きだよ!」
それは良かった。呟くレウウィスの傍らパルウゥス的には大きいスプーンを器用に持ち一足先にパルウゥスがゼリーを食べ始めていた。口いっぱいに頬張り食べるパルウゥスにエマが微笑み問い掛ける。
「おいしい?」
『──キッ』
口の中のゼリーを飲み込んでから元気よく返事するパルウゥスにエマの笑顔が更に明るくなり、自身も茶請けと出されたゼリーにスプーンを差し込み口に頬張った。冷たく舌触りの良いつるりとした触感。喉を通り過ぎ胃の中に落ちるまで涼やかな気持ちにしてくれる。
「爽やかな香り甘さもくどくなく夏の暑さを暫し忘れさせてくれる。喉ごしの良さもまた拍車を掛け食欲が無くとも食べやすい」
スプーンで一口頬張るなり、つらつらと感想を連ねるレウウィスにエマが呆気に取られていると今度はゼリーのカップを掴みしげしげと眺め始めた。
「視界から涼やかさを演出し、かつ中身を見せることで購買意欲を促進させるのは──。嗚呼、すまない。今のは忘れておくれ」
「? うん?」
しかしながら、エマが買ってきたゼリーはあっという間に食べ終わり。彼女が紅茶を飲もうとティーカップに手を伸ばした際、ずっと気になっていたガラスの瓶に目が留まる。
「これはパイロンが新商品の試作品だと持ってきた代物でね。私は如何も甘いのは苦手で中々減らずに困っているのだよ。良かったら消費するのを手伝いをしてくれないかな」
「私が使っちゃっていいの?」
「構わない。この手の類が苦手であれば話は別だが」
「全然!大好きだよ」
「それは良かった」
ガラスの瓶から一粒。ティーカップに注がれた黄金色とはまた違う濃い夕陽に似た琥珀色の玉が黄金の海に沈み溶けていった。くるりとティースプーンでかき混ぜればより一層不思議な香りが鼻を突き抜ける。深い森の奥から漂う甘い匂い。その正体が何なのか分からずに惹きつけられる魅惑の香り。
レウウィスから手渡されたティーカップを覗き込む。波打っていた金色が静まる頃には金色の海にエマの姿が映り込んだ。
「(……いい匂い)」
誘われるようにカップの縁に口を付けた。口の中に広がる甘くて少し苦い味。今まで飲んだことのない不思議で、でもずっと飲み続けたくなる魅力的な味。
それは一口飲むほど考える力が溶け消えていく。
「(意識が、持ってかれる……)」
重みを増していく瞼。深々と頭の中に白い雪が降り積もる。緩慢で不明瞭な世界。空になったカップを落とさぬよう両手で持つのがやっとだった。
「エマ」
霧深く底の見えない沼へ誘う黒色の声は心地よく。空のカップの行く末を見届ける前にエマは意識を手放した。
プツリと糸が切れたように凭れ掛るエマの頭を寝辛くないようレウウィスは自身の膝の上に誘導する。程なくして常闇の上に頭を乗せたエマから静かな寝息が聞こえ始めた。
穏やかに上下する小さな肩を撫で、細くしなやかな腰元に三本の枝を添えた。
「君の目が私を見てくれないのは実に味気ないものだ」
腰元から脇腹、肩を伝い首筋に手を這わせ、柔らかで指触りの良い髪を形の良い頭の形に添って撫でる。
決して起こさぬよう何度も撫でつけるレウウィスの手の感触が心地よいのか、ふにゃりと笑っては自ら常闇の裾を軽く握り締めていた。
「嗚呼、とても離れがたい」
目覚めることを望む傍ら永遠に眠り続けることを願う。
『キゥ』
差し込む陽の光の帯が途切れた部屋の隅。音もなく板張りの床に広がる肌掛けの隙間から小さな目が様子を窺がうように覗いていた。微かな足音を引き連れ床を滑る肌掛けがふわりとソファで寝ているエマの体を覆い隠す。
空気を孕んでいた肌掛けが静かに降りる。あたたかな布の海から顔を出すや否や素早い身の熟しでレウウィスの肩に乗り背を丸めた。






寒くもなく暑くもない。見渡す限り続く白い薄靄の掛かった世界は心地よく。ずっと包まれたい気持ちになるのに誰かが引っ張り上げようと手を引いた。
「(不思議な夢──)」
ぼやけ見えていた視界。やがて焦点が徐々に合うにつれ見慣れない天井が目に入る。数度瞬きをくり返し目元を擦るエマの手が止まった。暫し茫然としていれば手首に緩く絡まる三本の枝が視界に映り、辿り見上げると仮面の隙間から無機質な瞳たちと目が合い、
……ううん!?」
飛び起き忙しなく辺りを見渡し始めた。けれど、混乱はすぐ収まり冴え始めた頭で現状を把握するなり落ち着きを取り戻した。
気恥ずかしそうにエマが思っていた事をレウウィスに問い掛ける。返ってきた答えは随分楽しそうなものだった。
「気持ち良く寝ていたのでね。起こしてしまうのが如何にも忍びなかった」
エマの心と頭の中は申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだ。間髪入れず謝罪の言葉を紡ごうとした時、細い三本の枝が彼女の肩の上にポンっと乗せられた。
「きっと知らぬ間に疲れが溜まってたのだろう。送ろう、今日はゆっくりと休み給え」
穏やかでいて有無を言わせる気などない雰囲気を察したエマは言いどもる。たとえ口を開いたところできっと望んだ答えを得られない。もやもやが残るものの手を引かれたエマは長いようで短い滞在時間を過ごしたレウウィス宅を後にした。