【レウエマ】二日酔い

鬼と人間が隔たりなく共に暮らしている謎時空。

重苦しくどこか寂しげで思わず家路を急いでしまう冬を越し、あたたかな日和に誘われ眠っていた命たちが目を覚ましだす春が過ぎ去り、賑やかすぎるほどの活力に満ち溢れた夏が軽快な足音でやって来る。



午前中に降った雨は午後を過ぎる頃にはすっかり晴れ。雨上がりの名残が萌えぐ新緑の草木に太陽の光を受けきらめく透明の雫たちを残し、石畳を湿らせ濡らしては窪んだ場所に出来た小さな水たまりが晴れ渡る空を映し出していた。
鞣した皮の通学鞄を肩にかけ、ひょいひょいと水たまりを軽快に飛び越える齢11の子供の元気な姿はすれ違う人達の心まで楽しくさせる。
夏服に衣替えした制服から伸びる健康的な四肢。白と紺を基調としたそれは機能性に優れ活発に動くことを想定設計され、デザインも含め兼ねがね人気の高いものであった。が、受験そして入学するためには並大抵の学力では入れない難関校でもあった。
上機嫌に鼻歌混じりにリズム良く水たまりを飛び越えるたび、頭の頭頂部から生えた特徴的な飛び跳ねた毛がぴょこんぴょこんと跳ねる。顔馴染みの人物から声を掛けられた時に至っては嬉しそうに揺れるあたり何かしらの意思を持っているのかもしれない。目元は仮面で隠され見えないものの緩く弧を描く口元と柔和な雰囲気を漂わせる相手のもとへ一直線に駆け寄った。反対側まで見えるほど薄い羽織りを纏い、片手に色取り取りの朝顔が描かれたエコバックを持ち直し駆け寄る相手を出迎える。
溌溂とした声色とコロコロと優しげな声色が同時に互いの名を呼び、一拍置いてからまた互いに噴き出した。
「もう学校終わったの」
「うん! ムジカはこれからお買い物?」
「ええ。そうだ、ねえエマ聞いて。ソンジュったらね」
頬を僅かばかり膨らませエコバックを持っていない方の手をぶんぶん控えめに振るムジカの姿はまさに怒っています、というものだったが残念な事にソンジュ相手では何の効果も得ず毎度からかわれていた。
他愛ない談笑に花を咲かせ元気よく手を振り別れたあと、今朝家を出る際に頼まれた用事を済ますため普段の通学路からわき道に入るべく角を曲がったその時、低く耳障りの良い声が彼女を引き留める。
振り返る。見上げるほど背の高い黒い影がエマを見下ろしていた。
顔全体を覆い隠す仮面の隙間から覗く瞳たちに見上げるエマが映り込み、そして太陽の光を吸い尽す黒い影から三本の細長い指が今度はエマの丸く大きな瞳に映り込んだ。
エマの視界いっぱい埋め尽くすほど伸ばされた細長い指の先端は途中進路を変え頭頂部の方へ。特徴的な飛び跳ねた毛も巻き込んで頭を撫でる手は慈しみに溢れている。
「エマ、エマ。君は学校の帰りかい?」
「そうだけど。レウウィスはってお酒くさい」
「新しい事業を展開するため各国に飛び回っていたバイヨンが昨晩戻ってきてね。彼の話を肴に酒を呑んでいた。今とてもいい気分だ」
「まさかずっと今までお酒飲んでた?」
その問いにレウウィスは答えなかった。エマの言葉を聞き流したのか、はたまた聞こえなかったのかは定かではない。だが、頭を撫でていた指の背でやわらかなエマの頬を撫でるあたり肯定と受け取っても良さそうだ。
「久方振り酒を酌み交わすまでは良かったが、何分彼はあまり強くなくてね。途中から感情を荒らげ涙を流し喚きながら愚痴を零し、カウンターに突っ伏したかと思えば椅子からずり落ち、挙句少し離れた席で飲んでいたルーカス達に絡み始め」
「そ、そのあとどうしたの」
「言うだけ言って満足したのか眠り込んだので置いてきた」
あからさまにエマの顔が引き攣ったのを見るや、心配ないよちゃんと迎えの者を呼んだから、と言うが果たして本当だろうか。
「(けど、二人が一緒にいたなら平気か)」
ルーカスの面倒見の良さもさることながらユウゴも中々優しいところがある。恐らくレウウィスが店を後にしてからブツブツ文句言いつつも迎えの人が来るまで待っていてくれそう。
いつの間にかレウウィスの肩から彼の腕伝いにエマの肩に飛び乗ったパルウゥスがエマに頬ずりしていた。こしょばゆい感覚からエマもパルウゥスに頬ずり返せば普段あまり鳴かないパルウゥスが楽しげに鳴く。
その様子を眩しいものでも見るかのように目を細め眺めていたレウウィスの口が静かに開いた。
「エマ、明日私の家に来給え」
騒がしかった蝉の声が遠のき、微かな風鳴が不快感をさらう。
周囲に満ちる異様な空気。エマが咄嗟に後退れば、はじめから予想していたのかわざとらしくレウウィスが肩を竦めた。
「勿論、明日君に先約がなければの話だが」
おいで、パルウゥス。
エマの肩に乗っていたパルウゥスを呼び自身の肩に乗せなおしたレウウィスはエマに背を向け歩き出してしまった。残されたエマは今し方の異様な感覚を飲み砕こうとするが終ぞ答えは見つからず、そして結局──。





炎天下で鳴いているセミに負けないくらい賑やかで元気な声がグレイス=フィールド児童養護施設玄関先で靴を履いているエマの耳に届く。はやく外に出て遊びたいと駄々をこねる年少者たちをママや年長者たちが日焼け熱中症対策の準備が終わるまで待ってと宥める声も聞こえる。
早速始まった廊下での鬼ごっこに思わず笑いながら靴を履いていると後ろから声を掛けられた。
「って、わざわざ行くお人好しがあるかよ」
声がした方へエマが振り返る。壁に寄り掛かり気だるげな視線と隠す気など毛頭ないため息を送るレイが其処にいた。
「だってもし倒れてたりしてたら大変じゃない?」
「ヤツに限ってそれは無ェだろ」
エマからしてみれば昨日のことは別段何てことはなく。夕食時に話す他愛ない話題の一部として両隣に座るレイとノーマンに「こういうことがあったんだよ」と話したに過ぎない。
だが、二人にとってはそれがあまり面白くなかったようだ。笑えない冗談を無理くり笑える話として流そうにもエマの様子を窺うに如何やら本当らしい。常々危機管理を怠っていないにもかかわらず、何処か抜けているエマにレイは乱雑に髪を掻き上げた。危険要素を指摘したところで変に論破してくるのがまた性質が悪い。
ノーマンに至っては笑顔でそのことに付いて淡々と諭すよう述べてもエマは意に返さない。
もっとも少々言い争ったあとママに相談したら晴れて行ってもいいと許可を得たエマを正攻法で止める術はもうない。それでも形振り構わず建前では万が一に備え、本音では最悪の事態から回避すべく一緒に付いていくという進言も呆気なく棄却された。
昨日のことを思い出したレイの眉間に浅い谷が形成られエマから乾いた笑い声が零れた時だった。
ふと、ズボンのポケットを漁り目当ての物を見付けるなりエマに向かって緩い稜線を描くように放り投げた。レイから投げられた代物を難なくキャッチすればそれはエマの手の中でコロンと転がる。
視線を手元からレイの方へ戻したエマは渡されたものが何なのか分かっていても何故渡されたのか分からず小首を傾げた。
「それとノーマンから言付け預かってる」
前々からの用事で出掛けなくてはならないノーマンは孤児院あとにする直前玄関先で見送るレイに向かい静かな湖面のような笑みを浮かべ思いを託した。

「何かあってもなくても防犯ブザーのピンを思いっきり引っ張るんだよ」
躊躇わずピンを引く動作をするレイにエマは無言のまま暫し固まったのだった。