目覚めた心が矢継ぎ早に言葉を生む。話したいことが溢れ返り自然と笑顔になる。一定のサイクルで眠り老いる概念のないこの体と違い随分老け込んでしまったビルの肩を抱きよせた。大人になろうとも変わらぬ思いが大はしゃぎで駆け回る。
「ここじゃ何だし中に入ろう」
朗らかに笑い流れる仕草で玄関ノブを回すビルに続き新築並みに綺麗になった家に上がり込ませてもらった。
募る話は玄関先で全て消化できる量じゃない。リビングに通され「コーヒーを入れよう」とキッチンに向かう背に向かい話続けた。次から次へと口から出てくる言葉。殆ど聞き役に徹し、時たま茶目っ気混じりに質問するビルに子供時代の面影を見た。
黒い液体を啜り喉を潤したお陰で饒舌になる。向かい合い親身になって頷くのに気分が良くなり──相手が何故このデリーに戻ってきたのかを忘れてしまった。
「今はイギリスに住んでいるんだって?」
「そうだよ」
「結婚生活は幸せかい?おっと、綺麗で魅力的な奥さん持ちにこの質問は野暮だったか」
「……そう、だね」
歯切れの悪さ。愛想笑いに漸く相手が両手で持つマグカップに注がれたコーヒーの量が減っていないのに目が留まる。ビルは一口もコーヒーを飲んでいない。眼鏡の奥。見知った輝きが弱々しく明滅を繰り返す光景にあれだけはしゃいでいた心が萎む。
此方に気を遣ってかビルは力なく微笑みマグカップを口元に寄せ少しばかり傾けた。
「結婚生活は幸せだよ、これ以上ないくらい。問題は仕事の方さ。ちょっとだけ行き詰って……所謂スランプってやつ。周りのみんなには本当に良くしてもらってる。感謝しきれないほどさ。勿論オードラだって例外じゃない。寧ろ彼女が一番──」
あまりにも静かに流れる涙に息を飲む。流している当人も気付いていないのか此方の様子を見るなり濡れている頬に何故苦笑を漏らした。
「情けないところを見せてすまないね」
徐にハンカチをズボンのポケットから取り出し拭うのでさえ何処か淡々としている。
それがとても心をざわつかせて仕方ない。落ち着かない。それを良しと思えない。
「なら俺を題材にしたら如何だ」
喉を通り過ぎ舌上に乗り口から飛び出た思いが言葉となる。一度言葉に声に出してしまったらもう元の場所には戻らない。
ビルの目が見開かれ、ワンテンポ遅れ眇められた。
「君を題材にした小説なら実はすでに書いているんだ。この町のことも、この町で起きたことを元にした話も」
眼鏡奥にある虚ろげな瞳は果たして黒い液体に映った自分を見ているのか。それとも視線を落としているだけで何も見ていないのか。
「以前から君には使用料を支払いたいって思っていたんだ。許可を取る前に勝手に書いてしまったのには目を瞑って欲しいところだけど」
「いや、それはいいんだ」
ぎこちない仕草でウィンクするビルの違和感の正体が分かったところで何かいい言葉を掛けられなければ意味がない。
視界端にチラつく不安の影。ビルの周りに纏わりつき離れない不快で不愉快な影。
力なくされど微笑む裏側に見え隠れする拒み遠ざけたいという色を認識した瞬間、はしゃぎ駆け回っていた心は完全に萎み消え去った。あれだけ溢れ返り止めどもなかった思いが言葉が詰まり勢いを無くす。興味が失せていくのが己自身分かった。
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