豆炭々炬燵
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【ビルジョ前提】毒蛇が蠢く壺に手を突っ込むって?【ペニビル】

とても悧巧とは程遠い愚行だな
ジョージに化けたペニーワイズがビルを誑かすのに成功した例+α

 決して一人になってはいけない
  みんな一緒にいれば大丈夫

 そんなことを言っておきながら脳裏から片時も離れない黄色のレインコートを視界端に捉えたビルは襲われスタンを囲むみんなの輪から離れていった。
 恐らく自分以外にしかまだ見えない影を追いかける。誰も彼にも何も言わず、マイクの殺戮銃を徐に拾い水しぶきをあげ駆けて行く。入り組んだ下水道はまるで迷路。それをビルは弟の後を追い迷路の中を駆け抜ける。
 いつしか広い空間に出た。円柱に伸びる空間にはゴミの山がうず高く積み上げられ、ゴミ山の中心、広い円柱の空間のさらに真ん中に聳えたつ塔みたいな柱を根元から見上げていったビルは言葉を失った。
 ガラス張りの天井から差し込む濁った青白い光。その天井付近に浮かぶ影はどれも同じ形は無かった。流木みたいな形から、丸いボール、所々欠けている人の姿に目を瞠る。それは往々にしてふわふわ浮いてはゆったり塔の周りを反時計回りに回っているように見えた。
 緩い稜線を描くコンクリートの壁から突き出た丸く大きな土管からは水量はそれほど多くないものの、水が流れ落ちその水は同じく床から生えた土管の口に向かって吸い込まれていった。
 数分か、それとも数十分か。ハッと我に返ったビルは踝ほど浸かった水を気にもせず、喉の奥が噎せ返るほどの汚臭が満ちる空間で必死に黄色い影を探した。
 途中一人では届きそうもないもどかしい位置で浮かぶベバリーを見付け、何度も飛び跳ねて彼女を下ろそうとした。
 でも、タイミングを見計らったようにビルの視界にまた黄色い影がサッと横切った。
 黄色い影を見遣り、今度は浮かぶベバリーを見て、また黄色い影が消えていった方へ視線を戻す。
 「すぐ戻る」
 胸に広がる罪悪感を言葉で誤魔化したビルは浮かぶ彼女をそのままに黄色い影を追う。
 ぐるりと塔に沿って、あるいは円柱の壁に沿って半周回ったくらいで黄色い影は流れ落ちる滝の後ろに身を隠して止まった。
 ごうごうと流れ落ちる滝の影。ビルは確かに不明瞭であるが懐かしい面影を其処に見つけた。



  遅いよ

 ずっと頭の中で響いていた声が鼓膜を震わせる。
その声は悲しそうで、どこか不貞腐れているようにも聞こえた。
ビルの胸の中に嬉しさ、懐かしさ、悲しさ、そして恐怖が入り混じった筆舌し難い感情が込み上がる。

  ずっと 待ってたのに

 滝の影から現れた最愛の弟はビルに作ってもらった船をまだある左手に大事そうに抱えていた。その顔は俯いており、まるで親に叱られた子供がするみたいに気落ちしている。
一歩、また一歩近づく腕の欠けたジョージにビルの目頭が熱くなった。たとえ捥がれた右腕の根元は痛々しいを通り越し、人間しかも子供が生きているとは到底思えない状態だとしても。
 寂しかったと、帰りたいと、悲しげな声色で訴える彼にビル自ら距離を縮め腰を少し屈めた。目線をジョージと合わせて話すように、背の低い弟が背の高い兄と話しやすいように。

何処か頭の隅で誰かが喚き騒ぐ。
そいつは弟なんかじゃない。
そいつは弟を殺した憎い憎い奴だ。

 分かっている。ビルは心の中で吐き捨てた。
 苦々しい顔で一度悲しげな顔でこちらを見詰めるジョージを見遣ってから、すっくと背筋をまっすぐにした。近かった距離が一気に離れていった錯覚に陥る。多寡だが目線を合わせていただけだというのにだ。



  ビル

 ジョージの悲痛に満ちた声がビルの胸を締め付ける。
やめてくれ。これ以上、覚悟を決めた心を揺さぶらないでくれ。
 目を堅く瞑り右の足元に顔を落としたビルに軽い衝撃が走る。それは途轍もない懐かしさを引き連れビルの体中を駆け巡る。弟が、兄の、足に、抱き付く、感覚だ。
 閉ざしていた視界を開けば案の定、黄色いレインコートが入り込む。船をしっかり掴んだ手でビルのズボンを掴んでいる。
やめてくれ。どうか、どうか、やめてくれ。
 か細い懇願の声はついぞ喉から生まれず、しがみ付いているジョージを引き剥がそうと伸びるビルの両手は小刻みに震え、右手に持っているマイクが持参した銃が零れ落ちそうだった。



  ビリー
   大好きだよビリー

 顔を押し付けてるお陰でジョージの声はくぐもり、その喋る際に起こる振動のこそばゆさにまたビルが眉を顰めた。
やめろ、やめろ、これ以上、弟の記憶に、弟との記憶に違う色を、混ぜたくない色を、増やすな。
 ジョージがビルを愛称で呼ぶ。何度も何度も、大好きだよと、一緒にいたいと、一人はいやなんだと、くり返し訴え続けた。
 暫くして後方から慌ただしく切羽詰まった声たちが聞こえたが、ビルはそれが何処かもっと遠い場所から聞こえるようだった。
 それが引き金になってビルの脳内にけたたましい警告音が鳴り響く。
こいつは悪魔だ、弟じゃない。悪魔だ、悪魔だ悪魔悪魔悪魔悪魔―――





 「ぼく、ビルのことこれっぽっちも恨んでないよ?いまも、まえも、これからも、ずっと大好きだよ――……ビリー」

 最愛の弟の皮を被った悪魔が欠けた腕を広げ、ビルがずっと心の何処かでそうであったらいいなんて思っていた事を躊躇なく甘い息と共に囁く。
やめろ。こいつは弟の皮を被った悪魔。今だって心の中でカラカラ笑っているに違いない。覚束ない手付きで伸ばした手を、腕を思い止まり揺れるこちらの心を見て笑っているに違いないんだ。
 しかし、ジョージの瞳に吸い込まれるようにビルは無意識に腰を屈め、膝を着き、完全にジョージと目線の高さを合わせた。
 雁字搦めに巻き付いた理性の鎖を外野から伸びてきた巨大な鋏が細い糸でも切るみたいに、ちょきんと切った途端、抑えつけ押し込んでいた感情が待っていたと言わんばかりに心と頭の中を埋め尽くす。気が付けば笑顔で弟が片方しかない腕を恥ずかしげに前方へ伸ばしていた。
 嗚呼、ハグがしたいのだと。キスがしたいのだと。船を作って外に遊びに行ったあの日のように。頭の中がガンガン痛むくせに、ボロボロになった理性が必死にやめろと暴れまわってるのに、ビルの両腕は糸で操られてるみたいに広がっていき、ついには弟の皮を被った悪魔を招き入れてしまった。
 待ち焦がれ続けていた想いが、感触が、ビルの体中を駆け巡る。仄暗い恐怖と殺意、そして憎しみを瞬く星や月明かりの一切ない何もかも飲み込んでしまう闇色の愛おしさが塗り潰す。
 幼い欠けた腕が首にぶら下がるように巻き付き、甘えた子犬みたいにやわらかな頬で頬ずりして、ビルの耳の奥、鼓膜をするりと通り抜け直接脳内へ注ぎ込むように囁いた。

 「ビル、ビル、ビリーこれからも、ずっと、ずっと……一緒だよ?」

 ビルはどもった口調で答えもしなければ頷きもしなかった。
 だが、彼の腕が弱々しいながらもジョージの体を抱き締めたのを見れば答えは出たも当然だった。
 「ありがと、ビル大好き」
 ビルの右手から銃が滑り落ち、ぽちゃんと音を立て沈んでいく。それに思わず意識が向けば幼い声がすかさず制止を促した。
 「だめだよ。それはもう必要ないでしょ。さあ、一緒に船を浮かべて遊ぼう。すっごく楽しいんだ。ビルとずっと一緒に浮かべて遊びたかったんだよ――ずっと、ずっと前からね」
 言葉尻になるにつれ幼い声色は成熟した大人のものへと変わり、しかもそれは擦れに擦れた血腥いものになっていた。ビルが数度瞬きする間に愛しい黄色い影は薄汚い白銀色に変わり、低くしていた視線もまた自分よりもはるか高い所まで上昇して、抱き締めているというより抱き締められ空に浮いている感覚にすり替わる。
 落としてしまった銃に手を伸ばす。届かないと分かっていても伸ばさずにはいられない。殆どない理性が危機感をかき集めてビルに銃を取れと命令を飛ばしていたからだ。目の錯覚でもう少しで届きそうなとき、ビルの手を白い手袋に包まれた大きな手が掴み引き戻した。
 「紙の船と一緒に、ジョージと一緒に、みんなと一緒にふわふわ浮かぼう。ふわふわ浮かぼう、浮かぼうビルゥ~……



 下水の鼻が曲がりそうな匂いに紛れ漂う甘ったるい香りは何だったか。
 ビルは殆ど回らなくなってしまった頭で必死に考えた。てんで的外れな考えかもしれないが彼の中で一つの答えが浮かび上がる。ふわふわした襞襟に頭を無理矢理埋められ嗅いだ香りは街角ですれ違う女性の誰からか漂っていた香りに似ていた。似ているだけであって全く同じというわけではないが。
 そもそもこんなことを考えている場合ではない。今尚、ビルを抱えて最愛の弟であるジョージの姿から本性を現し本来の姿に戻ったペニーワイズはベバリーを救出してこちらに向かってくるリッチー達から距離を取るように地面に埋められた土管の縁に立ち中へ降りようとしている。
 このままではこいつを逃がしてしまう。
 自分自身が連れていかれる恐怖より、このままペニーワイズが捕まらず野放しになる恐怖にビルは身を震わせた。如何にかしてみんなに、みんなに知らせないと。
 その時、愛称でなんてことないシーンの一つみたいに耳元で悪魔が弟の声色を使ってをビル呼んだ。
 強制的に首が動く。抗ってはみたものの結局ビルはペニーワイズの顔を下から見上げる形になった。到底弟の声で喋ってるとは思えない思いたくない顔。だのにビルの視界には弟の姿が、ジョージの屈託のない顔がダブって見え――
 「待たせたなジョージ」
 邪悪に歪んだ悪魔に向かって力なく微笑んだだけでは終わらず、愛しいジョージの頬を撫でるようにその薄気味悪い白い顔を片手で包み込み触れた。
 どもらず喋ったビルに一瞬ペニーワイズの金色の目が見開き、腕に収め捉えた子供を見下ろしてまた満足気に口元に弧を描いた。

 そして、ペニーワイズがビルを抱きかかえ土管の中に落ちていったのとベバリー達の金切り声が塔が聳え立つ空間に木霊したのはほぼ同時であった。





 暗い暗い闇の中。途中から落ちているのかも分からない世界でビルは弟を殺した憎い殺人ピエロに最愛の弟の幻を見続けた。