【原型蟹】鋏と糸【タマモア】

運命の赤い糸を可視出来るタマトアがモアナの小指から伸びる赤い糸をちょっきんするお話。

運命だ奇跡だと毎度飽きずに騒ぐ様に何一つ関心が湧かない。
強い者だけが生き残る単純で残酷な世界で運命や奇跡に縋って生きていくのは多大なるリスクを伴う。そこまでして不確定要素塗れのものに頼る道理などなく、確実に生き残るための方法を探した方が悧巧というもの。
神の気まぐれか戯れなのか定かではない。ただ一端の魔物相手に力を授けた神はさぞ暇だったに違いない。

大蟹の魔物であるタマトアにしては小さく、されど時たまやってくる人間にとっては大きな塒の入り口から快活な声が響く。半神半人の友を引き連れず、その身一つで此のラロタイに何度も足を踏み入れ、ちゃんと目的地に辿り着くことにタマトアはその度に驚いた。
魔物の国ラロタイ、別の呼び名で死の国ラロタイとも呼ばれる海の底の国。一歩でも脆弱で無力な人間が立ち入ろうものなら即魔物の腹行きの苛酷でおぞましく常に死の危険と隣り合わせの場所、だったはずだ。
そんな場所へもう慣れたと云わんばかりにある一人の人間が訪れるようになった。
「なんだァ嬢ちゃん。わざわざ遠いとこから通うくらい俺に惚れちまったか?」
「そう、ね。でも、十脚目はシャイニー過ぎて地味な私とじゃとても釣り合わないわ」
はぐからすように視線を逸らし肩を竦めておどけるモアナの態度もシャイニーという言葉を拾ったタマトアにとっては特に気にする程でもないらしく。むしろ上機嫌に煌めく甲羅を光に照らしてはリズミカルにステップを踏んでいる。
「ま、どうせ俺が悪さしてないか見に来てんだろ」
陽気な雰囲気から一変して真剣みがないものの幾らか声のトーンを下げ見下ろすタマトアに豪快な踊りを仰ぎ眺めていたモアナと視線がかち合う。
何時ときかの幼い頃のように彼女が小首を傾げ問い掛けた。
「悪いことしてるの?」
「いや、ここ最近はめっきり大人しいもんさ。誰かさんの所為でな」
忌々しげに細められたタマトアの突出した双眸が本来あるべきものが掛けている脚に注がれている。脚を失うまで如何いう経緯があったのかモアナは知らない。恐らく語り継げられた物語に近しい行いをした所為で捥がれたのか、はたまた違う事情があったのか。ただ一つ言えることは余り其処には触れない方がいいである。触らぬ大蟹の魔物に祟りなし。
「悪いことしてないなら見張りの意味も無いわね。もっとも私なんかに務まる役目じゃないでしょうけど」
視線を逸らさずタマトアの足元まで歩み寄ったモアナの表情が緩やかに笑みを模る。
「ったく、アンタの目的が何なのか皆目見当もつかない」
そんな彼女を見たタマトアは巨大な鋏の先端で人間で云えば後頭部付近を掻き虚空を見遣った。
下では相変わらず笑みを崩さないまま見上げているモアナがいる。



――また、鬱陶しいのが増えてやがる

後ろでに手を組むモアナの小指から伸び垂れる赤い糸。
異様で異質な存在感。しかも両手から伸び塒の外に続いているのだから運命だの奇跡だのと程遠い薄ら気味悪さが漂い纏わりついている。
タマトアに赤い糸が見えるようになったのはモアナが塒にしばしば来るようになった頃だった。
モアナの小指から伸びている赤い糸を指摘しても如何やら見えているのはタマトアだけで当の本人にはからっきし見えないらしい。だが、指から伸びているやつが何なのか説明してみれば伝承にも満たない類の話を知っているようでモアナは年相応にはしゃぎながらタマトアに小指から伸びている赤い糸について語った。



『はあ?運命の赤い糸?そんなお伽噺や夢見る乙女共が現を抜かす下らないあれか?何分腹の足しとシャイニーじゃないもんには興味無くてなァ。ただ俺の鋏は何だって切れる!なんならアンタの小指から伸びてるその煩わしそうな糸今すぐ切ってやってもいいぜ?さあ、大事そうに背中に隠さずだしな嬢ちゃん、さあ



結果、タマトアはモアナの小指から伸びる赤い糸を断ち切った。
眉を悲しげに潜め首を横に振り手を背中に隠し後退るモアナの態度に益々タマトアの心の中に何としてでも糸を切らなければという強い思いが生まれ、半ば出任せに近い物言いだったが実際細すぎる赤い糸を摘み力を込めればそれは呆気なく切れてなくなった。
モアナには切れる音も瞬間も見えない筈なのに消えなくなってしまった赤い糸を悲しむように小指を自身の手で包みその場に蹲った。
怒鳴らず泣き喚かず逃げ出さず、ただただ無くなってしまった糸の存在を静かに悲しむ光景にタマトアは未だ胸中を搔き乱し広がっていく粘度の高い何かの存在を宛ら他人事のように眺めていた。
単純に彼女が知らない人間と繋がるのが詰まらないのか嫌なのか、それとも身勝手極まりなく我慢できず許せないからなのか。どちらにせよ執着心や独占欲を通り越した魔物らしい感情であるには違いない。
その後、恨めしげにタマトアを一睨みしてモアナは塒から出て行った。
もう来ることも無いだろうなんてタマトアが独り言ちていたにも関わらず、ひょっこり彼女はタマトアの元に訪れては他愛のない話をして帰っていく。しかも継続中。



――今度はやけに多いな

そんな事もあり、タマトアは表立って赤い糸を切る素振りを見せず気付かせず。モアナが塒に来る度、その小指から伸びている忌々しい赤い糸を切っていった。
今日も今日とてバレぬよう、チョキンチョキンと赤い糸を切っていく。
さてはてこれでまた彼女に近付く輩どもの縁が切れたと内心ほくそ笑むタマトアだったが、一本だけ異彩を放つ糸の存在に突出した目玉が釘付けになった。
今まで見てきた糸と全く違う。強いて言うなれば赤とは言い難いその色味。何より無駄に輝き存在感を放ってるだけではない。細い言葉が似合わないくらい太いその糸は未だモアナの小指にしっかり繋がっている。



――おやおやおや?糸如きが喧嘩売るとはいい度胸してるじゃないか
――この俺が誰かってお分かり?



見る見る内にタマトアの顔色が狂気に彩られていく。咄嗟に身構えたモアナにもお構いなく鋏をカチカチ打ち鳴らす辺りかなり闘争心が掻き立てられたと見える。
「タ、タマトア?」
「すまないなァ。ちょっと野暮用思い出したから今日はもう帰ってくれないか」
「え、ええ。ほどほどにね?」
あからさまにモアナも不振がっていたがそんなの問題じゃない。この腹立たしいまでに主張してくる糸の方が大問題だ。
彼女から伸びる糸を自然を装って脚で踏みつけ、間欠泉で姿が見えなくなるまで見送り完全に見えなくなったところで。海面に向かってピンっと張り詰めた糸を両鋏でグッと掴み眼前に引き寄せた。
「さて。こんな馬鹿みたいに輝きを放っちまって俺に見付かっちまう馬鹿な糸の相手は誰だ~?ン~?切られたくなけりゃもっと地味に目立たない色をするんだったな」
嘲笑い小馬鹿にした口調で物言わぬ糸に語り掛け、一頻り発散して満足したタマトアは早速と鋏に力を込めた。
すると、如何だ。この糸やけに硬い。赤い糸は一発で切れていたというのにギリギリ軋む音がするばかりで一向に切れない切れやしない。




………。多寡だか糸に手古摺るとは俺も落ちたもんだ。しかし、逆に言えば糸如きが俺に本気を出させるとはいい度胸ってこった、なあ!」

先程とは打って変わり尋常ではない力と負荷が糸に掛かり、ついには――