【原型蟹】煌めきが満ちる海【タマモア】

呟いたのを混ぜるだけ混ぜたもの。繋ぎ合わせただけともいう。
鬼ごっこ→媚薬→大人対応(なタマトアさん)。


これ以上ないタイミングで岩陰から出たつもりだった。されど、モアナが飛び出す動きに合わせ鋏脚が彼女の身を隠していた岩を勢いよく弾き飛ばした。身を隠す術を失くし、飛び出るタイミングも完全に無くなったモアナの視線がタマトアとかち合ったのとほぼ同時に彼女の足が砂地を蹴り駆け出す。
巨大なヤシガニの体の下を潜り抜け、なりふり構わず一直線に唯一の出口に向かって走る走る。
そんな逃げていく彼女の後姿を逆さまになった視界で眺めるタマトアの突出した目玉がいやらしく歪められ、実に愉快だと思っているのか下卑た笑い声をあげていた。
どれだけ頑張って走ろうとも歴然たる大きさの違いは時として無情な結末を齎す。モアナが走った数十歩をタマトアはたった一歩、下手すれば半歩にも満たない歩幅で追い付いてしまう。
必死になって走った距離をあっという間に無かったことになる気分は一体どんなものだろうか。頗るゆったりとした動きで振り返るタマトアの視線にハラハラと上から埃が降ってきているのが映った。
「おっと」
三日月のように細めていたタマトアの目がまん丸に開き、口からは真剣みのない緩い声が漏れ、気持ち速めに一本少ない十脚がワサワサと歩き出している。
モアナの耳に不気味な笑い声が聞こえなくなり、やにわ振り返れば狂気さが抜けたタマトアが見えた。何か分からないがまたとないチャンスを逃すわけにはいかない。砂を踏み締める力をより強くして蹴り抜いた時だった。自分を中心にして広がる黒い影、不意に嫌な予感がしてモアナが頭上を見上げれば塒の岩壁の一部が剥がれ落下してきている。逃げようにも落ちてくる落下物は大きく到底人間の足では逃げ切れない避けきれない。
悲鳴すら上げるのも忘れ訪れる死の気配にモアナを取り巻く世界だけがゆっくり巡っていく。冷たく重い死が彼女に文字通り降りかかろうとしていた刹那――

「何時かは迎えに行くがァ、今はその時じゃないぜえ?」

暢気なタマトアの声のあと、高速で鳴る風切り音と重量感のある接触音がモアナの頭上で鳴り響く。死の気配ではなくなった影が彼女の上から退かされた際、漸くそれがタマトアの巨大な鋏が岩との間に入り込み守ってくれたのだと理解した。
「大丈夫かい」
重たい音を立て鋏の上に乗っていた残りの岩をモアナの後方に落としながらタマトアが問い掛ける。鉄脚を折り曲げ出来る限り視線の高さを合わせようとする仕草にモアナの顔にも安堵の色が浮かぶ。
「ええ、ありがとう。あなたこそ怪我してない?」
「この程度如きで俺の自慢の鋏は傷一つ付かないのさ」
岩を受け止めた鋏をカチカチ打ち鳴らし無事なのをアピールするタマトアに今度こそモアナの顔が綻ぶ。
「ところで嬢ちゃん」
殊更柔らかい物言いに警戒せずモアナが「なに?」と言葉を返す。
「鬼役の俺とこんなお喋りしてていいのか?」
片方しか打ち鳴らしていなかった鋏の音が知らぬ間に両方から打ち鳴らされ、言い難いタマトアの纏う雰囲気にモアナが思わず後退る。しかし、それは数歩で止まってしまった。背から伝う硬く冷たい感触に静かだった心臓が激しくバクバクし出した。
岩の両端を囲うように下ろされた凶鋏。前方には残忍な大蟹の魔物が上機嫌に嗤っている。
先程の続きと云わんばかりに歌を歌い始めた。