冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-11-06 22:04:58
7577文字
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獣使いは謳う

没作品の供養その2。
関西弁のヒーローが書きたかった。あとモフモフ。


02 取引、あるいは求愛(1)


 その夜、食堂〈銀の木馬亭〉では、町を救った英雄を称える祝宴が開かれた。
 小さな食堂には町中の人々が押し寄せ、表の通りにまで溢れ返るほどだった。店主夫妻が腕を振るったご馳走がふるまわれ、あちこちで祝杯を掲げる声が何度も上がる。だれもが明日のある喜びと幸運に酔い痴れ、陽気に笑い、あるいは目を潤ませていた。
 その中心にいるのは、言うまでもなく今宵の主役である獣族の若者だった。町の男衆に囲まれ、謝辞とともに次々と注がれる酒を恐縮しきった様子で受ける青嵐に、彼を見る人々の目はますます好意的になっていく。
 獣族は人族に比べて遥かに数が少なく、定住の地を持たない流浪の民だ。たいていの人族にとって、彼らはおとぎ話の登場人物のような存在であり、その謎めいた種族性とあまりに強大な力から、親しむよりもおそれるべき対象として捉えられていた。
 しかし今、人々の目の前にいるのは畏怖の念を抱くにはほど遠い、呆れるほど腰の低い好青年だった。髪と目の色さえ除けば、どこにでもいそうな――自分たちと変わらない平凡そのものの容姿。生まれてはじめて獣族に接する人々の認識をひっくり返すには充分だった。
 アウレリカは忙しく給仕をして回るふりをしながら、そっと青嵐を盗み見た。
 人々の笑顔に取り巻かれた彼は、困ったような笑みを口元に浮かべている。その表情に、胸の奥に小さな棘が刺さったような痛みを覚えた。
 明るい幸福に満たされた光景のなかで、ひっそりと垣間見える薄暗い悲しみ。アウレリカには、どうしても青嵐が無理をしているように思えてしょうがなかった。
 伏し目がちな金の瞳の奥で、決して消えない影が頼りなく揺れている。だれも気づかず、青嵐をひとり置き去りにして。
(どうして、そんな顔をするの)
 歯痒さにも似た苦しさに、アウレリカは唇を噛んだ。今すぐ駆け寄って抱きしめてやりたいような、逆に逃げ出してしまいたいような、わけのわからない衝動を必死に押し殺す。
 立ち尽くす彼女に、ふと青嵐が気づいた。
 視線が絡んだ瞬間、体が震えるほど心臓が跳び上がった。
「なんだなんだ。もうひとりの主役がそんなところに突っ立っていないで、こちらへきてセイラン殿にお酌をしてさしあげなさい」
 すっかり顔が赤らんでいる老境の町長が目敏く声をかけると、同じく酔いの回った男衆が口々にはやし立てた。
「そうだぜ、オーリカ。英雄の隣にゃ姫君がいなくっちゃあ」
「よっ、聖女様に愛された幸運の乙女!」
 すると、いっせいに店中から拍手や口笛が上がり、近くにいた中年の女性が「ほらほら」とぐいぐい背中を押してきた。
「ちょ、おばさん!」
「照れるんじゃないよ。いいから素直に行っといで!」
 微笑ましいと言わんばかりの笑いを含んだ声に、アウレリカは耳が焼け落ちるかと思った。あれよあれよという間に青嵐の隣へ運ばれてしまう。
 町長から銚子を押しつけられたアウレリカは、思わず青嵐を見た。
……ええっと」
 青嵐は頬を掻くと、はにかむように小さく笑った。
 その瞬間だけ、まるで内側から光が射したように翳りが晴れた。
 息が止まった気がした。
「おひとついただいても、ええやろか」
 ためらいがちに差し出された杯に、アウレリカはのろのろと銚子を傾けた。めまいを誘うような酒の香りが立ち上る。
 なみなみと注がれた酒を、青嵐は「いただきます」と呟いてひと息に煽った。
 威勢のいい呑みっぷりに、再び喝采が沸き起こる。アウレリカは呆けたように青嵐を見つめるしかなかった。
「ささ、セイラン殿、どんどんお呑みになってください。幸運の乙女の注ぐ酒の味は、またいちだんと味わい深いことでしょう」
 町長はいっそう声を上げて笑うと、立ち上がって大きく両手を広げた。
「皆も存分に呑み、食い、この得がたき僥倖を祝してくれ。今宵は無礼講だ!」
 わっと歓声が上がり、いっせいに杯を打ち鳴らす音が響き渡った。どこからか軽快な音楽が流れ出し、呂律の回らない舌で歌い出す者、腕を組んで踊り出す者たちまで現れた。
 祭のような喧騒を、青嵐は目を細めて見つめている。その横顔がとても遠いもののようで、アウレリカはとっさに口を開いた。
「あの、……青嵐さん」
 ひどく驚いた顔で、青嵐が振り向いた。
「あ――
 くしゃりと顔を歪めたかと思うと、なんとか笑おうとするようにぎこちなく口元を動かす。けれど、結局は失敗して俯いてしまった。
「ど、どうしたんですか?」
「ごめん……なんでもないんや」
 力なく首を横に振る青嵐に、アウレリカは何か言おうとして、何も言えなかった。
 ふたりの間に沈黙が落ちる。アウレリカがもどかしく言葉をさがしていると、「おお、そうだそうだ」と町長が思い出したように声を上げた。
「お礼を差し上げることをすっかり失念しておりました。貧しい町ゆえに大したものも用意できませんが、なんなりとお申しつけください」
「えっ、そんな……ボクは別にお礼なんて!」
 青嵐が慌てて断ろうとすると、町長は大袈裟に困惑してみせた。
「それでは我々の気が収まりません。本来ならば、どれほどの金銀を積んだところでお返しできぬご恩をいただいたのです。せめて、ほんのわずかでも報いることをお許しいただきたい」
 町長の切々とした懇願に、青嵐は途方に暮れたような顔をした。答えあぐねるようにさまよっていた視線が、ふとアウレリカに留まった。
 青嵐の顔から、すとんと表情が抜け落ちる。彼は瞬きも忘れてアウレリカを見つめ、唇を引き結んだ。
 張り詰めたようなまなざしに、アウレリカはひどく胸が騒いだ。
…………なんでもええと、仰いましたね」
「ええ。何か、お望みのものがございますか?」
 青嵐はただひと言、震えを押し殺したような声で答えた。

――彼女を」

 彼の目は、まっすぐアウレリカを捉えて離さなかった。黄金色の瞳にもはや曇りはなく、静かに、烈しく、切ないほどの熱情が揺らめいていた。
 時が止まったような感覚のなかで、アウレリカはぼんやりと思った。
 ――ああ、きっと逃げられない。
「アウレリカ嬢を、我が妻――獣使いヴァランに望みます」