冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-11-06 22:04:58
7577文字
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獣使いは謳う

没作品の供養その2。
関西弁のヒーローが書きたかった。あとモフモフ。


01 遭遇、あるいは邂逅(2)


 ……声が聞こえる。
 それはアウレリカを呼んでいた。迷子が母親を求めて泣き叫ぶように、哀切すら感じるほどの必死さで彼女を探している。
――……
 アウレリカは夢うつつに手を伸ばした。
(わたしはここよ。ここにいる)
 だが、夢の闇はあまりにも朧げで、どんなに手を伸ばしても声の主には届かない。
(あなたはどこにいるの?)

 ――あなたは、だれ?

 ふっと意識が浮き上がる感覚に、淡い闇が晴れていく。
 夢から覚めたアウレリカが目にしたのは、泣き腫らした双眸を見開く母の顔だった。
……かあさん?」
 何をそんなに驚いているのかと不思議に思っていると、みるみるうちにノイザの表情が崩れていく。
「ああ、オーリカ!」
 ノイザは声を上げると、娘の頭を掻き抱いた。
「よかった、本当によかった! 森から魔獣の咆哮が聞こえてきたときはどれほどおそろしかったか……ああ、聖女様、娘をわたしの許にお返しくださったことを感謝します」
 決して放そうとしない母の腕の中から、アウレリカはぼんやりと自分のいる場所を確かめた。
 そこは、見慣れた自分の部屋だった。壁にかけられた古ぼけた鏡、衣装箪笥、窓辺に置かれた花の鉢植え。寝かせられていた寝台には、ノイザが作ってくれたつぎはぎ細工パッチワークの覆いがかけられている。
 ――帰ってきたのだ。
 自分は、生きている。
「母さん……
 どっと押し寄せてきた安堵と歓喜に、アウレリカは母にすがりついた。幼い子どもに返ったように、声を上げて泣きじゃくる。
「母さん、母さん!」
 ノイザはしっかりと抱え直し、何度も頷いてくれた。それが何よりも大丈夫だと言ってくれているようで、ますます嗚咽が溢れた。
「オーリカ!?」
 その声が聞こえたのか、扉を打ち破らんばかりの勢いで父のレムザスが駆けこんできた。続いて、弟のルーフェラウスが。
「姉ちゃん!」
 顔をくしゃくしゃにして飛びついてきた小さな弟を、アウレリカは力いっぱい抱きしめた。
「し、死んじゃったかと思ったよぉ! 姉ちゃん、ぜんぜん目ぇ覚まさないんだもんっ」
「ごめんね、ルウス」
 黒みの強いアウレリカの髪色は父親似だが、ルーフェラウスは母親譲りの明るい栗色だ。仔猫のようにやわらかい癖っ毛の感触に、また涙がこぼれた。
「オーリカ、おまえは幸運な子だよ」
 娘の頭を撫でながら、レムザスは微笑んだ。
「魔獣に襲われたところを獣族に救われるなんて……きっと聖女様が守ってくださったんだな」
 姉と揃いの青い瞳をぐしぐしと拭い、ルーフェラウスは大きく頷いた。
「旅人さんが姉ちゃんを助けてくれたんだよ! すっごく強い、神獣(ヴァルカ)なんだって!」
「神獣……?」
 アウレリカの脳裏に蒼い炎が甦った。そして、心のすべてを奪われてしまうような黄金のまなざしが。
――あの、ひとが?」
 獣族は獣の姿と人の姿を併せ持つ。あの獣族が獣身から人身に転じ、意識を失った自分を町まで運んでくれたのだろうか。
「あとでお礼を言いなさい。あなたの命の恩人なんですからね」
 ノイザは娘と似た、しかしだいぶふくよかな顔に明るい笑みを広げた。
「さぁさ、オーリカが起きたことを薬師のラデル先生にお伝えしなくちゃね。ルウス、先生を呼んできてちょうだい」
「うん!」
 元気のいい返事で応え、ルーフェラウスは跳ねるように駆けていった。
「それじゃ、私は町長まちおさと自警団へ事の次第を知らせてくるよ」
「ええ、お願いします」
 父はもう一度アウレリカの頭を撫で、娘の部屋をあとにした。
「オーリカ、お腹が空いたでしょう。何か食べたいものはある?」
「母さんの手料理ならなんでもいいわ」
「じゃあ、ミルク粥でも作りましょうか。体をあたためてぐっすり休めば、すぐ元気になるわ」
「ありがとう」
 腕まくりをしながら扉を開けたノイザは、「あらまぁ」と声を上げた。
「まあまあ、セイランさん。いったいどうなさったの?」
「お嬢さんが目ぇ覚ましたゆうて、弟さんが教えてくれはって」
 母の向こうから聞こえてきたのは、若い、男の声だった。
 耳慣れない訛りのある、だがやわらかな口調。知らず、アウレリカは耳を澄ましていた。
「挨拶させてもろても、ええでしょうか」
「ええ、もちろん。オーリカ、いいわよね?」
「え、あ……うん」
 アウレリカは薄い寝間着という自分の格好に、慌てて寝台の覆いを剥いで体に巻きつけた。
「ど、どうぞ」
「失礼します」
 そして、現れた『彼』に息を呑んだ。
 声のとおり、まだ少年の面影が残る若者だった。おそらく二十歳前後、十七歳のアウレリカとそれほど変わるまい。くたびれたシャツとズボンに包まれた、ひょろりとした痩身。あの獣族と同じ、青ざめた月影色の髪を短く刈りこみ、襟足だけ長く伸ばして結わえている。
 切れ長な双眸は、目尻が垂れているせいか優しげに見えた。だがその色は――記憶に焼きついた、鮮やかな金色。
……はじめまして」
 どこか緊張した様子で、若者が口を開いた。
青嵐せいらんて、いいます」
 獣族の名前は、彼ら独自の言葉で表される。それを正確に聞き取り、また発音することは、人族には極めて難しい。
 しかし、アウレリカにははっきりと理解できた。
「青、嵐?」
 太陽のようなふたつの瞳が、大きく震える。
……きみ、は」
「アウレリカ」
 若者――青嵐をまっすぐ見つめ、アウレリカは名乗った。
「聖女様からいただいたんです。聖なる乙女、エスティリア・アウレリカ。みんなからは『オーリカ』って呼ばれてるけど」
 一介の町娘にしては仰々しいかもしれないが、両親がつけてくれた名前を彼女は気に入っていた。
…………ええ名や」
 青嵐は、そっと、淡く微笑んだ。
 まるで、とてもまぶしいものを見つめるような――泣き笑いにも似た表情だった。
 アウレリカは、胸の奥が締めつけられるような切なさを覚えた。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
 頭を下げると、なぜか青嵐は慌てた。
「そんな、ボクのほうこそもっと早う助けられたらえかったのに……怖い思い、させてしもた」
 拳を握りしめる青嵐の顔に、痛みのような色が広がる。
「ホンマに――ごめんな」
 悲愴に俯く彼に、アウレリカは何も言えなかった。重い沈黙を、快活な母の声が振り払った。
「謝る必要なんてありませんよ、セイランさん。娘を救ってくださったばかりか、魔獣の脅威から町を守ってくださったあなたに、わたしたちは感謝し尽くせないくらいなんですから」
 ノイザの慰めに、青嵐は微かに笑ってみせた。しかし、拭いきれない翳りから、アウレリカは目を離すことができなかった。