冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-11-06 21:53:29
6462文字
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緑の屋根の下のスージー

没作品の供養。
海外児童文学を目指したかったジュブナイルFT。


 結局、ヴィンセントは娘たちの返答も聞かず、一方的に話を終えるなり帰ってしまった。
(一週間の猶予をやろう。その間に荷物をまとめておけ)
 自分たちの顔を見ようともせず、口早に告げられた冷たい言葉を思い出し、スージーは憂鬱なため息を洩らした。
 日課である就寝前の読書も進まない。寝台に腰かけたスージーは、寝間着の膝の上に広げていた本を閉じた。
 灯りを落とした寝室の中、手元を照らすのは寝台脇の小卓に置かれたランプだけだ。ゆらゆらとたゆたう光は淡く頼りなげで、まるで自分たち姉妹のようだった。
 父がふっと息を吹きかければ、簡単に消えてしまう存在。なんの力も後ろ楯も持たない小娘ふたりで生きていけるほど世間は甘くないということくらい、スージーは知っている。
(それに――
 コンコン、と扉を叩く控えめな音に、スージーはハッと我に返った。
「スージー……まだ起きている?」
「ええ。入ってらっしゃいな」
 そろそろと扉を開けて現れたのは、同じ寝間姿のルルだった。その腕に抱えられている枕に、思わず苦笑がこぼれた。
「あの、一緒に寝てもいい?」
 おずおずと扉の陰から尋ねてくるルルは、いつになく幼かった。スージーは苦笑を微笑みに変え、手招きしてやる。
 ルルはほっと笑みを洩らすと、小走りに寝台へ駆け寄ってきた。そのまま枕を放り投げ、猫のように飛びついてきた。
「きゃっ」
 妹を抱き止めたスージーは、重力に従って寝台に倒れこんだ。流すままのふわふわとしたオレンジ色の髪が頬をくすぐった。
「もう、ルル!」
 小声でたしなめても、ルルは首筋に顔を埋めたまま応えない。スージーはちょっと眉尻を下げ、寝間着の背中をぽんぽんと軽く叩いた。
「どうしたの?」
…………ひとりだと、怖い夢を見てしまいそうで」
 眠れないの、と呟く声は微かに震えていた。
 スージーはルルをぎゅっと抱きしめた。
……そうね」
 母を亡くして以来、ルルはいっそう甘えてくるようになった。
 普段のルルは気が強い娘だが、実はスージーよりも繊細な一面を持っている。母親代わりにも等しい乳母のことはもちろん慕っているが、彼女が素直に弱さを見せられるのは片割れだけだ。
 それはたぶん、ルルのことを本当の意味で理解している存在がスージーただひとりだからだろう。スージーにとってもルルがそうであるように。
 ふたりには父だけでなく、乳母にさえ明かしていない秘密があった。
 自分たち以外にそれを知っているのは、亡くなった母のナディアだけだ。そもそも秘密を作り出したのは、他ならぬナディア自身だった。
(いいですか? 決してだれかに言ってはいけませんよ。真実が暴かれたとき、あなたたちを待ち受ける運命は死よりもつらいものだと覚悟しなさい)
 いつも穏やかだった母の、戦士のように厳しくおそろしい顔を見たのは、あとにも先にもあのときだけだ。幼かった姉妹は言葉を忘れ、頷いてみせるしかなかった。
 ナディアは少し表情をゆるめると、ふたりを抱き寄せてささやいた。
(けれど、いつかあなたたちが秘密を打ち明けたい、真実を分かち合いたいと思うひとが現れるでしょう。そのひとを心から愛し、心から信じられるのならば……語りなさい。あなたたちの秘密を。あなたたちの、想いを)
 祈るような声だった。
 今ならそこにこめられたナディアの苦悩を理解できる。家名だけが目的の夫、愛のない結婚生活。せめて娘たちはと、彼女は願ったに違いない。
 だがスージーには、そんな王子様の登場など信じられなかった。
 最も苦しかったとき、白馬に乗った救い主など現れなかった。どれほど待っても、所詮おとぎ話は夢物語に過ぎないのだ。
 囚われの姫君は、自分から逃げ出さない限り、いつまでも塔の上に留まるしかない。
……ねぇ、ルル」
 灯りを帯びて銅色に輝く髪を梳きながら、スージーは妹に呼びかけた。ルルは姉の肩を枕にして顔を向けた。
「なぁに?」
「ふたりで一緒に本家へ行きましょうか」
……スージー!?」
 夏空のような瞳を見開き、ルルはがばりと起き上がった。
「あなたまで何を言ってるの? この屋敷を捨てるっていうの?」
「いいえ、違うわ」
 あとを追って体を起こしたスージーは、ルルの顔を正面から覗きこんだ。
「捨てるのは屋敷ではないわ。お父様よ」
……どういう意味?」
「抵抗して居座ったところで、結局は屋敷を取り上げられるだけだわ。そのまま体よくどこかへ嫁がされたり、修道院や寄宿学校へ放りこまれたりするかもしれない」
 ルルの顔がみるみる強張っていく。秘密を抱えるふたりにとって、それは何よりおそろしいことだった。
「だけど本家へ入れば話は別よ。離ればなれになることもないし、今よりもっと世間の目を気にしなくて済む。それに――当主になれる」
「スージー、もしかして……
 スージーは不敵に笑ってみせた。こういう表情を見せるとき、双子はとてもよく似ている。
「どんなに零落していても、シャーリー家を治めているのは当主よ。ただでさえ、お父様は傍系の婿養子だもの。立場では劣るはずだわ」
 ヴィンセントの事業にはシャーリーの家名が大きく影響している。
「今すぐには無理でも、いつか必ずこの屋敷を取り戻してみせるわ。シャーリー家の女当主として」
「スージー!」
 ルルは堪えきれないというように歓声を上げた。スージーの両手を取って、きらきらと瞳を輝かせる。
「すごいわ。やっぱりあなたはすごい」
「口で言うだけならいくらでも言えるわ。でも、わたしはやってみせる」
 スージーはルルの手をきゅっと握り、だから、と続けた。
「ルル、あなたの力を貸してほしいの。あなたがいれば、きっとわたしはなんだってできるわ」
――もちろんよ!」
 ルルの顔に太陽のような笑みが咲く。再び抱きついてきた妹を両腕で受け止め、スージーも笑った。
 ふたりして寝台に倒れこんだ少女たちは、最も幸福だった子どもの頃のように笑い声を上げた。
 その晩、姉妹の枕辺に訪れた夢は、心細くも未来への希望に輝いていた。