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冬野暉/Hikari Fuyuno
2022-11-06 21:53:29
6462文字
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緑の屋根の下のスージー
没作品の供養。
海外児童文学を目指したかったジュブナイルFT。
1
2
Ⅰ シャーリー家の姉妹
麦藁帽子のつばを持ち上げると、空はすっかり夏の色に染まっていた。
瞳に染みるようなまぶしさに目を細め、スザンナ・シャーリーは額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
「スージー!」
元気な声に振り返ると、鮮やかな橙色のおさげ髪を弾ませて、ひとりの少女が屋敷のほうから駆け寄ってくる。
「お茶が入ったわ。休憩にしましょう」
「まあ、ルル」
いつものように腕を絡めてくる妹にスージーは呆れた。
「また日傘も差さないで。日焼けしてしまったらどうするの」
「ずっと土いじりをしているスージーに言われたくないわ!」
ルイーズ・シャーリーはぷくっと頬を膨らませた。子どもじみた仕種だが、どこかあどけない印象のある彼女によく似合う。
明るい青の瞳には仔猫のような愛嬌があり、溌剌とした笑顔を見せればだれもが目を奪われる。白と水色の縦縞模様のワンピースドレスがなんとも爽やかだ。
双子でありながら、スージーとルルはまったく似ていない。小柄な妹に比べ、姉はすらりとした長身だった。ひとつに編みこんだ亜麻色の髪に濃灰色の瞳。物静かなまなざしが十七歳という齢にしては大人びた印象を醸し出していた。
「わたしはちゃんと帽子を被っているもの」
麦藁帽子のつばを引き下ろしてみせると、不満そうな視線が返ってきた。確かに鼻の上にそばかすが浮いているが、口うるさい乳母が手入れしてくれているお陰でだいぶ薄くなった。
「それに服が汚れるでしょう? またばあやにお説教されるわよ」
「スージーの意地悪!」
本当のことなのだからしょうがない。スージーは肩を竦めた。
先ほどまで庭仕事をしていたスージーは、くたびれた白いシャツに紺のスカート、その上から園芸用の前かけをつけている。土埃に汚れ、葉っぱや花びらにまみれた姿は、とても名家の令嬢には見えない。
乳母は決していい顔をしないが、母が遺した庭を守りたいというスージーの思いを汲んで何も言わずにくれる。
初夏の庭には、盛りを迎えた薔薇の香りが広がっていた。清楚な白、可憐な黄色、情熱を匂わせる深紅。なかには濃淡がかった珍しい色合いのものもある。高貴な美しさは、まさに花の女王と呼ぶにふさわしい。
祖母から母へ、そしてスージーが受け継いだ庭。この場所は、亡き人々の形見であると同時にスージーの誇りだった。
「今年もきれいに咲いたわね」
ルルは嬉しそうに笑った。
「スージーは本当に花を咲かせるのが上手ね。さすがは『幸せを生む指』の持ち主だわ」
それは母の口癖だった。あなたの指は幸せを生み出すのですよ。だから大切になさい
――
。
幼い頃は、その意味がよくわからなかった。だが、こうしてルルの笑顔を見ていると、自ずと答えが胸の内に浮かんでくる。
スージーは麦藁帽子を脱ぐと、低い位置にある妹の頭に被せた。
「戻りましょうか。せっかくのお茶が冷めてしまうものね」
「ええ!」
ルルが大きく頷いた。ふたりはどちらからともなく手をつなぎ、屋敷に向かって歩き出した。
屋敷に戻ると、ひどく慌てた乳母が待っていた。
「スザンナお嬢様、ルイーズお嬢様!」
すっかり白くなった頭が冗談のような俊敏さで駆け寄ってくる。ルルが目を丸くして尋ねた。
「どうしたの?」
「旦那様のお帰りにございます! 突然お見えになられて
……
」
「
――
お父様が?」
その表情が、さっと激しい嫌悪に塗り替えられる。
スージーは鉛玉を吐き出すようにため息をついた。
「
……
何月ぶりかしらね」
父は滅多に帰ってこない。もともと仕事にかこつけて家を空けがちだったが、母が亡くなってからはまったく寄りつかなくなった。二年前になんの相談もなく年若い女性と再婚し、腹違いの弟が生まれてからはあちらが本宅のように振舞っている。
婿養子である父は、シャーリーの家名を使って事業を起こし、その成功によって財界の有力者となった。貴族制の廃止によって没落したとはいえ、かつては辺境伯の称号を戴いていた旧家である。病弱なひとり娘だった母は、さぞ魅力的な結婚相手だったに違いない。
「いったいなんのご用かしら。何か仰っていた?」
「いいえ。ただ、すぐにお連れするようにと」
「そう
……
ではお待たせするわけにはいかないから、このまま行くわ」
父のためにわざわざ着替えるなんて億劫だった。スージーは脱いだ前かけと麦藁帽子を乳母に預け、ルルとともに来客を通す応接室へ向かった。
「失礼致します」
扉を叩き、応えを待って部屋に入る。長椅子に腰かけていたヴィンセント・シャーリーは、案の定、長女の姿を見るなり眉を吊り上げた。
「ずいぶん待たせておいて、その格好はなんだ」
「先ほどまで庭の世話をしていたもので。どうぞお許しを」
「ふん。シャーリー家の娘ともあろう者が庭師の真似事など。つくづくおまえは母親にそっくりだな」
久しぶりに再会したヴィンセントは、また太ったようだった。上等の三つ揃いに無理やり収めた腹回りが窮屈そうだ。鼻を鳴らす仕種は豚を思わせる。
姉妹はどちらも父親に似なかった。脂っぽい煉瓦色の髪も神経質そうな目つきも、スージーもルルも持っていない。ただ、その双眸はスージーと同じ色をしていた。
向かい合う形で娘たちが席に就くと、ヴィンセントはさっさと終わらせんとばかりに話を切り出した。
「先日、本家から知らせがあった。ご当主であられたレディ・マグダレンが亡くなったらしい」
思いがけない訃報に、スージーは目を瞬かせた。
「大伯母様
……
ですか?」
「そうだ」
シャーリーを名乗っているが、スージーとルルは傍系である。遡れば祖母のレティシアが直系の生まれで、分家筋に嫁いで母のナディアを産んだ。現在の当主は、祖母の姉に当たる人物だった。
かつての貴族階級では珍しく、シャーリー家の当主には女子が立つことが常だった。女系の家柄で、男子の出生が稀であるためだろう。
大伯母といっても面識はない。いや、自分たちは本家で生まれたから会ったことはあるだろう。しかし赤ん坊の頃の記憶など残っているはずもなく、姉妹にとっては名前を知っている程度の他人に等しかった。
「では、葬儀に参列せよと?」
「それはもう済んだそうだ。問題は後継者のことだ」
「え
……
」
「レディ・マグダレンは独身で、お子様がいらっしゃらなかった。シャーリー家には、かの〈
処女王
ヴァージン・クイーン
〉より賜り、永代領有を許された土地がある」
スージーはいやな予感を覚えた。
「わたくしは王国と結婚した」と宣言し、生涯を国と民のために捧げた〈処女王〉エレクトラ。この国の黄金時代を築いた偉業は、今もヴァージニアという国名に刻まれている。
その輝かしい治世を支えた忠臣たちのなかに、ウィルフレッド・シャーリーの名がある。
辺境伯として国境防衛にあたり、鋼鉄帝国をはじめとする北方の新興勢力から幾度となく国を守った英雄。その武勇と忠誠を称え、エレクトラは北の辺境に広がる森林地帯を領地として下賜した。
貴族制の廃止によって、かつての貴族たちは爵位やそれに付随する権限、領地を国に返上しなければならなかった。しかし『シャーリー家の領地は永久的にシャーリー家のものである』というエレクトラの約定は、 今なお絶対とされている。
「その栄誉にお応えするためにも、シャーリー家はなんとしても領地を守らねばならん。
――
スザンナ」
「
……
はい」
名前を呼ばれた瞬間、予感は確信に変わった。
「現時点でシャーリーの血筋に連なる者はおまえとルイーズしかいない。よって本家に入り、当主の跡目を継げ。ルイーズもともに行き、姉の補佐をするように。おまえたちがあちらに移り次第、この屋敷は引き払う」
「ちょ
……
ちょっと待ってください、お父様!」
それまで黙っていたルルが声を上げた。
「あまりにも突然すぎます! それに、ここを引き払うなんて
――
」
「おまえたちが出ていけば住む者もいない。そんな屋敷を維持するなど金の無駄だ」
あまりの言葉に、ルルばかりでなくスージーも絶句した。
この屋敷は、父祖ウィルフレッドの時代から受け継がれてきたものである。ウィルフレッドが末娘のために建てたいう屋敷は老朽化が進み、常にどこかしらを修繕しているような状態だ。だが古い木造の建物には、長い年月とともに人のぬくもりが染みこんでいるようだった。
親から子へ、子から孫へ。受け継がれてきた優しい想いが、まるで日溜まりのようなあたたかさとなって屋敷を満たしていた。
スージーとルルにとって、ここは単なる生活の場ではない。今は亡き人々の、母の愛そのものなのだ。
――
それすらも奪わなければならないのか。
母を喪い、父に顧みられることのない姉妹に寄せられたのは、世間の好奇や同情だった。だれもが好き勝手に噂したり憐れんだりする一方で、少女たちに庇護の手を差しのべてくれるものはだれもいなかった。小さくなって身を寄せ合い、歯を食いしばって惨めさに耐えるしかなかった。
今更、父の愛情など期待していない。シャーリーの家名をどう扱おうとかまわない。ただ、この平穏な生活を守りたいという娘の願いを理解していてくれるだけでよかったのだ。
悲しかった。
ヴィンセントにとって、自分たちは『娘』という所有物にしか過ぎず、『家族』ですらなかった。物に心があるとだれが思うだろう?
思わず隣に座るルルの手を握ると、もっと強く握り返された。
――
もう自分には、彼女しかいない。
スージーは痛みにも似た力強さに、その事実を思い知った。
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