木綿子
2021-12-13 23:35:32
5502文字
Public 👹(こい紅)(義炭)
 

#12

バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。
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 合鍵を手に入れた。
 二月。しんしんと寒く、雲一つなく晴れているのにどこからか雪の匂いがする日に。
 「これを」と手のひらに落とされた小さな金属はなんの飾りもなく、けれど義勇の体温を吸っていてとても温かかった。作ってくれたばかりなのだろう、滑らかな光沢のつやつやとした合金は磨き上げた純銀のようだった。炭治郎の手の中で、街灯の青白い光を幽かに反射していた。
「もう来月だろう。必要があれば俺が在宅でなくても入ってくれて構わないから」
「はい。ありがとうございます」
 恭しく受け取った鍵を、炭治郎はギュッと握りしめた。温かい金属は柔らかい感触がする。
 夜の、自宅前。バイクで帰る義勇を見送るのも慣れたものだ。来月からもうここで見送ることはなくなると思うと、じっとしていられないくらいにくすぐったい期待と嬉しさが足先から這い上ってくるのと同時に、なんだか少し惜しいような勿体ないような気持ちにもなる。静かに、ゆったりとした所作で二輪を操作する義勇の姿が見えなくなるまで見送るのは、一緒に行けない寂しさがありつつも大好きだったのだ。これからも見送る機会はあるだろうが、同じ気持ちにはきっとならない。なにしろ、これから自分の居場所が変わるのだから。
 次に義勇と会うのは、引っ越し日当日だ。
 三月の中旬、卒業式が終わった後。炭治郎の住処は義勇と同じ場所になる。
 多少は慣れた、はずだ。臨死体験も洪水警報も三回に一回くらいの頻度にはなった。秋から冬にかけて「家具を組み立てに行く」という尤もらしい理由を付け足繁く通ったのだから、一応の効果は出ているのである。あまりに家具を細切れに発注したものだから訝しく思われるかもしれないとハラハラもしたが特に何を言われることもなく、結局自分から「一個ずつ分けて送ってしまってすみません」と謝ってしまった。
「別に構わない。家具は置いてみないとわからない感覚もあるだろうし」
 義勇の応えは実に優しく、あっさりとしたものだった。
「実際家の中に置いてみると、寸法は合っていても大きく見えたりもする」
「義勇さんもご経験が?」
「うん。俺の場合はベッドがそうだった。寸法を測って買いはしたものの、部屋に入れてみたら予想以上に見た目の専有面積が広くて」
 確かに、決して狭くはない義勇の部屋はベッドが幅を利かせていた。聞けば「クマがいるから」なのだそうだ。熊の存在ありきで大きさを決めたらしい。
「クマさんと一緒に寝てるんですか?」
……たまに」
「たまに」
「いや、一応は一緒に寝ているという範疇に入るのか……? 普段はベッドの隅に置いてる」
「蹴っちゃったりしません?」
「蹴ってる……かもしれないが、落ちはしてない」
「義勇さん、寝相いいんですね」
 一人と一匹が広いベッドの上で毎日大人しく寝ているのか、と想像するだけで微笑ましくて、とてもかわいい。見たくなってしまう。それに、「たまに一緒に寝てる」と言うからには、熊を抱いて寝ることもあるということだろうか。鮭を携えた熊を。雪の匂いがする、静かな水面を描いた水墨画のような雰囲気の、義勇が。
 なんて、うらやましい。
……いいなぁ」
「なにが?」
 思わず口を衝いて出てきた言葉に首を傾げられて、ハッとした。慌てて思考を差し障りのない方向へと急旋回させ、とにかく頭の中身をぐるりと回した。
 うらやましいのは義勇である。あんなに大きな縫いぐるみは今まで触ったこともない。抱き締めて一緒に寝たらふかふかでとても気持ちよさそうだ。決して、決して己をクマの代わりに抱いて寝てほしいとか抱いて寝るならどういう格好でしてくれそうなのかとかこっちも温かさには自信があるのにとかそういう邪なことは断じて一瞬たりとも考えなかった。
 ということにした。
「あ、いえあの、その、あったかそうでいいなって思いまして。く、クマさんと寝るのが!」
「ああ、うん。まぁ、あったかくはある。中身は綿だし」
 義勇は涼し気な表情で、内心焦りまくっている炭治郎をじっと見つめた。静謐で穏やかな青色の視線に晒され益々狼狽する炭治郎を余所に、顎に手を当ててしばし何事かを考えて結論が出たようで、一つ頷きこう言った。
「なんなら貸そうか?」
「はぃ?」
「鮭付きで」
…………ぇ?」
「三月くらいなら、まだ寒いからたぶんいける」
 真顔で言う義勇に、自分で言い出したこともあり「いいえ結構です」などとと言えるはずもなく。引っ越しをしたら就寝時に熊を貸与される運びとなってしまった。
 その時はただただ焦ってできるだけ普通に聞こえる回答を考えるのに精いっぱいだったが、後に思い返してみて別の意味でじわじわ低温火傷をするかのように狼狽した。
 あの熊を、以前義勇は自分の一部だと言ったのだ。
 その意味するところを正確には掴めていない。彼はそれ以上を語らなかったから。けれどその言葉の通り素直に受け取るならば、何かとても恐ろしく大きなものを借り受けてしまう気がしてならない。己の一部を貸してくれる、ということは、己の一部が炭治郎の傍らにあっても良いものだと、ひいては炭治郎が義勇の傍らにいても構わないと、そう示されているようなものなのだと、良いように考えてしまって背筋がぞくぞくする。
 勿論、ただの思い込みかもしれない。実際その可能性の方が高くもある。そんなに重い意味は、きっと無いに違いない。単に炭治郎の口にした言葉をそのまま受け取り、叶えようとしてくれたに過ぎない。
 そんな風に思えば思うほど、勘違いしてはいけないと戒めれば戒めるほど、指の爪の先に義勇の心の一端が触れた気がして、心臓が震えるように痛くなった。それは一滴だけ透明な水を身の内に零された程度の衝撃で、けれど波紋が大きく広がってどこまでも揺れて、また身体の内側がぎゅうっと締め上げられた。
……いつか、おれのことも、抱いて寝てくれたらいいのにな)
 いつもあんなに優しく手をつないでくれて、髪を撫でて頬に触れてくれるのだから、一緒に眠るくらいならあっさり許されてしまいそうで、そう思わせる義勇にも最近少しばかり困っている。本人にそういう意識はないのかもしれないが、このまま甘やかされてはいけない気がしてならない。どんどん欲深になっていって、取り返しのつかないことになりそうなのだ。
 まだ何一つ伝えてられていないのに。
 去年、家族に「義勇さんの家で同居することになった」と伝えたところ、母と禰豆子にはやっぱり異口同音に「結婚することになったの?」と改めて確認され、先日と同じように「まだ! 告白も! してません!」と白状せざるを得なくなった。竈門家の女傑二人は顔を見合わせ一つ頷くと、「同居がいいなら多分一切合切全部大丈夫よ、頑張って」などと謎の応援をしてくれた。なお、下の妹の方は「兄ちゃんの婿入り道具何がいいかなぁ? みんなで買おうよ」などと聞いてきてくれて、将来の女傑の片鱗を見せつけていた。竈門家は安泰である。
 合鍵を貰った日は、家族みんなで義勇を囲んだ日でもあった。
 表向きは毎年恒例ちょっと早めのバレンタイン交換会、またの名を「炭治郎をよろしくお願いします」の会である。やることはただのチョコレート配布とすき焼きなのだが、これからお世話になることもあって是非お呼びしなさいという母の指令を受け、どうですかとお伺いを立てたらすんなり承諾された。
 「すき焼きなら、肉を持っていく」と言った通り肉を持参した義勇が、弟達に神を崇めるかの如く平伏されて玄関先で固まっていたのがおかしかった。キロ単位でA5ランクの国産牛を出されては、元々低くなかった株が更に爆上がりにもなろうというものだ。
 家族の義勇への距離感は、とても近い。ゼロ距離と言ってもいい。一番最初に紹介したときから親戚のお兄さんくらいの扱いで、特に衒いなく全員懐いた。炭治郎の他の友人達にも同様なので、これが標準なのだ。
 対する義勇の方はかなり困惑したらしく、一番下の弟に背中に張り付かれながら表情は全く変わらないのに途方に暮れた匂いをさせていたものだから、微笑ましいやらおかしいやらで思わず笑ってしまったほどだ。特に一番下の六太は義勇がお気にいりだ。弟にとっては母以外の大人の中で、一番話を聞いてくれる人物なのである。子供の話を片手間でなく、言いたいことを全部言い終えるまで静かに待って聞いてくれる人というのは、かなり貴重な人材だ。筋道はそれなりに通ってはいるものの色んな方向に飛んで行っては戻ってくる十歳児の話をちゃんと目を見て聞いてくれるものだから、「ぎゆーさん! 聞いて聞いて!」と無邪気に突撃してくるようになるまでそう時間はかからなかった。
 そして弟達は全員、義勇のバイクに惚れ込んでいる。気持ちはとてもよくわかる。炭治郎もある意味そうだ。藍染色の美しくも機械的なバイクは、恐ろしく見栄えがいい。いつもきれいにされている大型二輪は流線形の架空の生き物のようにも見えて、そこにあるだけでとても目を引く。近所のおじさんが乗るスクーターくらいしか知らなかった竈門家の男衆からしてみれば「かっこいい」の一言に尽きる。当然全員が「乗せて」とせがみ、閉店後の店の駐車場で叶えられ、その結果一番上の弟はやや真剣にバイク免許を取るか悩み始めた。影響力は多大である。
 今年のバレンタインすき焼き会はいつにも増して楽しかった。大人数だから、竈門家のすき焼きは鍋二つで開催される。炭治郎は禰豆子と花子と義勇とで鍋を囲んだ。恐らく母の計らいだろう。主戦力が弟達である隣の鍋の消化率は極めて高く、鍋奉行が忙しないのである。炭治郎は義勇の隣に座り、弟妹にするのと同じように義勇の世話を焼いた。それが、とてもとても楽しかった。
 「鍋にはどう手を出したらいいかわからない」と言う義勇の椀に、「おれがやりますから」と炭治郎が煮えた具材を入れた。ネギは入れますか、お肉は二枚でいいですか、お豆腐は一つでいいですか、と尋ねる炭治郎に神妙な顔つきで「うん」と答え、大人しく椀を受け取りながらも炭治郎が自分の分を取り分けるの待ってから静かに食べ始める様が、親がちゃんと食べているのか確認してから食事をする子供のようで、いつもとは違う意味で胸がきゅっとなった。何も特別なことをしているわけではないのに、ふとした時の行動がやたらとかわいく見えるのは、炭治郎が彼を好きすぎて盲目状態だからだろうか。知らずふにゃふにゃの顔になってしまう長男をにこにこと見守る妹達の視線が照れくさく、でも「お兄ちゃんの分のお肉煮えてるよ。食べなよ」とさり気なく気遣ってもくれるから、炭治郎も程よいところでA5ランクの国産牛を堪能できた。
「お前の家は、賑やかでいいな」
「うるさくなかったですか? 今日も六太にへばり付かれてましたし……
「全然。俺も楽しかった」
 そんな会話をしながら、炭治郎は義勇がバイクに乗るための身支度するのをじっと眺めた。ジャケットの下に防寒具を着け、手袋に指を入れるその所作に堪らなくときめいてしまうから、毎回毎回目に焼き付けるように凝視してしまう。冬の空気は冷たく凍りつきそうなのに、炭治郎の吐く息ばかりが白く色づき、身体の内の熱量を知らしめていた。大切な鍵を握りしめていては尚更だ。小さな金属片に染み込んだ義勇の体温がすぐに逃げてしまいそうでもったいなくて、指の関節が薄っすら白くなるほど力を込めて握っていた。
「炭治郎」
 呼ばれて、差し出された左手はまだ手袋に覆われておらず、夜の薄明かりに青白く照らされていた。自動的に、いつもそうであるように、最初からそうであるように、鍵を左手に持ち替えて右手を重ねた。
 冷たい。夜に冷えている。凍った雪の表面に触れたかのようだ。けれど、鍵を握りしめていた手のひらから体温が持ち主に移り、手のひらを重ねている内に次第に雪は溶けていく。
……ありがとう」
「え?」
 何故か礼を言われ首を傾げた炭治郎に、義勇はそれ以上はなにも言わないまま薄く口元に笑みを浮かべ、きゅっと重なった手を握った。
 温かい。いい匂いがする。ほの甘い、春の匂いだ。
 じっと見つめ合う視線は夜の暗さに紛れて深海のようで、でも本物の深海の冷たさはない。ただ深く深く、炭治郎を満たしていく、海だった。
……ぁ」
 握られた手が、さわりと動いた。皮膚が滑り、指の隙間に指が入り込む。骨と骨とを噛み合わせるように、手のひらだけでなく指の一本一本まで触れて、絡んだ。指先で手の甲を優しく擦られて、背骨がざわりと騒ぎ、腰骨から肩甲骨の下までなにかジリジリとした痺れのようなものが神経を這い上がってわだかまる。
 熱い。とても、熱い。
「また、来月に」
「ぁ、は……はい」
「家に来て、足りないものがあったら、買いに行こう」
「はい……。あ、あの」
……ん?」
「ええと……
 頭の中が白くなる。何かを言いたかったのに、考えた側から消えていく。手が、指が、思考を乱して奪っていく。絡み合った皮膚と骨は離れたがらず、そうしている内にまたゆるゆると撫でられて、思考停止に陥って。
……お気をつけて」
 結局言えたのはこれだけだった。

 今はもう冷えてしまった銀色の鍵に、青色の組紐を結ぶ。深い藍染。義勇の色。
 大事に、無くさないように、使うときが来るまで、太陽を模した耳飾りと同じ場所に、仕舞った。