木綿子
2021-12-10 22:14:17
5085文字
Public 👹(こい紅)(義炭)
 

#11

バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。
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 家具が増えた。
 炭治郎の家具だ。相談の結果、春が来る前に必要なものは揃えておくべきだろうということになり、少しずつ増えている。組み立てるのは炭治郎の仕事だ。一度「届いたら組み上げておこうか」と何気なく提案したら、思いの外強い口調で「ダメです」とお断りされた。
「おれの家具なんですから、おれが自分でやるのが道理というものです」
 そう断固とした主張をして、家具が届くたびに炭治郎まで届くようになった。これも「迎えに行こうか」と提案したら「道を覚えたいので大丈夫です」とお断りされ、義勇にできることと言ったら「大人しく家にいること」のみである。
 家で誰かを待つというのは、なかなか新鮮な感覚だった。なにやら浮き立つような楽しさに似た心持ちになる。来るのが炭治郎となれば尚更だ。今までこんなに真剣に窓を磨いたことがあっただろうかと思うくらいに、必要以上に掃除までしてしまう。人の訪いなどほぼなかった枯れ果てた家が、急に息を吹き返したようにも見えてくる。
「ええと、四番はこれで終わり。次五番……部品はAの三番で……あ、あったこれだ」
 今日も、炭治郎は家具の組み立てに余念がない。午前中に家にやってきて、嬉々として台所で豪勢な昼食を作り、終始にこにこしながら楽しそうに作業に取り掛かった。義勇がしたことはティーバッグの紅茶を淹れた程度である。皿洗いは食洗器がした。
 手持無沙汰と言えば確かにそうだが、炭治郎が張り切って家具と向き合っているのはとても目に楽しい。組立図と睨めっこをしながら一生懸命頑張っている姿がかわいくて目が離せない。本当は手伝ってやりたかったが、「いえ、結構です。おれの仕事なので!」と断られたため、見守るしかないのだ。意外に頑固で、それもかわいい。
 傍に座って作業風景を眺める義勇に炭治郎は最初のうちこそ戸惑ったような顔をしていたが、もう今ではそれが当たり前になってしまったようで特に何も言わずさっさと家具と向き合うようになった。出来上がると「できました!」と得意気に報告してくるのもとてもいい。かわいくて、かわいくて、頭を撫でて「よくやった」と褒めたくなってしまう。
 今、炭治郎が着手しているのは収納付きのロフトベッドだった。それほど高さはないが引き出しと棚が付属していて、部品がそれなりに多い。先に小物の方を片付けるつもりのようだ。さすがにベッド本体は組立図を見て一人ではきついと判断したらしく、「あとでちょっとだけ手伝ってもらえますか」と珍しくお願いされている。その時が来るまで、義勇の主な仕事は炭治郎を眺めることである。そういえば出会ったときも炭治郎が作業するのを眺めていたな、と思い出し、ほんの一年ほど前のことなのに、酷く懐かしい気分になった。
 春になったら、炭治郎がここに住む。
 家の持ち主である姉には、先日連絡を入れた。「来年から同居人ができる」と報告をしたところ、姉はたっぷり二分は絶句し、まるで恐ろしい話でも聞いたかのような気配で、「それは本当に生きている人間なの? 画面の中にいる、とかじゃないわよね?」などと返してきた。失礼な話である。炭治郎は幻覚でもなければ想像上の生物でもない。
「ちゃんと実体があって生きているから安心してほしい」
『そう、ならいいけれど。もしかして彼女? それとも彼氏?』
「彼氏」
『あらぁ』
「に、したいと思ってる」
『あらぁ? ああ……だから同居人』
「うん。越してくるのは来年三月」
『三月ね。じゃあ来年はそちらが落ち着いた頃に帰国することにする。まぁ、やりたいようにおやりなさいな。義勇に特別な人ができるのは、私も嬉しいわ』
 そんな風にすんなりと、姉への報告は終わった。彼女はいつも、基本的には義勇の好きにさせてくれる。余程のことがなければ手はおろか口すら出さない、優しい傍観者であってくれるのだ。昔も、今も、変わりなく。
 姉の蔦子とは、歳が十一離れている。両親が他界したとき、義勇は五歳、姉は十六歳だった。
 当時のことはあまり覚えていない。思い出そうとしても、思い出せない。濁った水の中の石を探すのに似て、手を入れれば入れるほど水底の泥が撒きあがり、輪郭もわからないほど不鮮明になってしまう。だからたった十六の身空で両親を失い、扱いにくい幼い弟を抱えた彼女がどれほどまでの苦労をしたのか、正確にはわからない。義勇が物の道理を理解できる歳になっても、彼女は決して当時を語ることはしなかった。
 ただ一度だけ、「生きててくれてありがとう」と言われたことはある。
「義勇まで死んでしまっていたら、私は頑張れなかったから。生きててくれてありがとう……
 丁度中学へ通い始めた頃だ。特別な日でもなんでもない、普通の平日に。朝にきちんと制服を着て「行ってきます」と言った直後、三和土に裸足で下りてきた姉に力いっぱい抱き締められた。その頃の義勇は姉と同じくらいの背丈で、木組みが嵌るかのように肩と頭が丁度良く合わさったのをよく覚えている。急に抱き締められて面食らったものの、ああ姉にはやはり隠し事ができないのだなと思い知った瞬間だった。
 姉の苦労が想像できるようになってからずっと、冷たく濡れた衣服のような罪悪感が纏わりついていた。きっと自分も死んでいれば、姉はもっと楽に生きられたはずなのだ。海外留学もできたし、好きな仕事にも就けた。義勇のせいで彼女の大切な時間を奪い、将来の夢まで諦めさせてしまった。本人から直接言われなくとも、大人になるにつれ理解できることは増えるものだ。
 当然、誰にも言ったことはない。死んだ方がよかったのに、今更死ぬこともできない。それこそ自死を選んだりしたら、姉の苦労が報われない。けれど当時の義勇が姉のためにできることは唯一つ、問題を起こさず真っ当に最低限の学歴を取得して早々に独り立ちし、でき得る限り早く姉を自分から解放させてやることしかなく、無力感に苛まされていた時期だった。
 まだ、建て替える前の、古い実家の玄関。引き戸の硝子から白い光が差し込んでいて、細かな埃がちらちらと明滅しながら舞っていた。「うん」としか言えない義勇を姉はぎゅうぎゅうに抱き締めて、ぼろぼろと涙を零しながら、こう言った。
「やりたいように生きていて。私もそうしてるんだから」
 その一言で、ぐっしょりと重く濡れた罪悪感の裾の方が、ほんの少しだけ確かに渇いた。「うん」と応えて、釣られて泣きそうになるのを堪えながら、じっと姉に抱き締められていた。
 他ならぬ蔦子がそう望むのならと、少しずつ、今はそこそこ好きなように、こうして義勇は生きている。
「義勇さん」
 棚を完成させた炭治郎が振り返った。茜色の丸い虹彩には、義勇だけが映っている。今日もとろけるように笑っていて、自然とこちらの口元も緩んでしまう。時折、相当だらしのない顔になっているのではないかと不安になるくらいに。
「ここ持ち上げて押さえててもらえますか。今からこっちとこっちを繋げて、ネジ止めするんで」
「うん」
 梱包を解いた包材の上で指示通りに木材を支えてやるとすかさず炭治郎がネジを差し込み仮止めし、ものの五分程度でお手伝い時間は終わってしまう。ぎちぎちと硬く金具を回すのに夢中な炭治郎の旋毛の辺りを見下ろして、ふ、と義勇は息を吐いた。
 柔らかい赤銅色の髪が、窓から差し込む午後の光に照らされて、磨き抜いた銅のような色合いできらきら光を零している。そろそろ冬が近いのに、炭治郎の周りだけ陽の光に満ちていて、最近時々着けてくる太陽を模した耳飾りがよく似合う。
…………温かいな)
 何もなく、がらんどうだった部屋に光の気配が降り積もる。窓が開けられ清涼な風が通り、炭治郎の持ち物が増えていく。本当に、次の春になったら炭治郎がここへ来るのだな、と思うと、身体中がざわざわして落ち着かない。どこへ行っても何をしても、帰る場所が同じになる。どれだけの期間かわからないが、一緒にいられる時が増える。
 嬉しくて、嬉しくて、不安で、怖い。
 この同居の期間は定めていない。義勇も炭治郎も、いつまで、という線引きを言い出さなかった。終わりがいつ来るのかわからない。半年かもしれないし、一年かもしれないし、もっと短いかもしれないし、運が良ければもっと長いかもしれない。とても曖昧だ。
 本当は今、あのピカピカした銅のような髪に触れたい。この間のように、鼻先を埋めて匂いを嗅ぎたい。けれど迂闊に行動できない。今何かしでかしてしまったら、始まることなく終わってしまうかもしれない。それだけは避けたかった。
 心臓が痛い。より一層深く。
 胸の内側を貫く灼けた砂糖の刃は、心臓ばかりか今や身体のあちこちにまでその矛先を向けている。ひたひたと溶け落ちながら義勇を満たし、いつかきっと飽和してしまうだろう。そうなる前にいかに危機回避をするかが、今後の一番の課題だ。溢れ出してしまったら、止められる自信などない。制御できない感情の気配が、少しばかり怖かった。
「できました!」
 はー、と満足そうな溜息を吐き、炭治郎が持っていたドライバーを置いた。出来上がったロフトベッドを腰に手を当てて眺めていて、まるで一仕事終えた匠のようだ。
「どこに置くんだ?」
 運ぼうか、と問えば「こっちの壁際です」と部屋の奥側を示される。二人がかりで移動させ、壁に寄せると窓にもかからず丁度いい大きさと高さだ。家具を買う前に部屋のありとあらゆる寸法を測った甲斐があったというものだ。炭治郎は几帳面に窓枠のサッシの厚みまで測っていた。
 床の色に合わせた家具は部屋に置いてみるとよく馴染んだ。高さはダイニングテーブル程度なので、足場がなくても難なく登れる。用意してあったマットレスもぴったりだ。
「おれのベッドだぁ」
 嬉々として寝転がる炭治郎は子供のようだ。シングルサイズではあるけれど、持ち主が小柄なので余裕がある。
「普段はベッドじゃないのか?」
「はい。妹達は二段ベッドなんですけど、男兄弟の方は全員お布団ですね。ベッド置けるだけのスペースがなくって。でも冬場はあったかくていいんですよ。おれが一番あったかいみたいで、朝起きたら両腕と足に弟達がくっついてたりしてて」
「あったかいのか」
「そうみたいです。自分じゃあんまりわかんないですけど」
 あはは、と笑う炭治郎は無邪気そのものだ。寝転んで、義勇を見上げる夕焼け色は楽しげにきらきらしていて、でも少し疲れたのか幽かに気怠く、とろりとした形容しがたい甘さがあった。
 思わず顔を寄せかけて、我に返った。
 相手はロフトベッドに寝ているのだ。高さがある。とても近い。まるでごちそうの乗ったテーブルだ。少し屈んだだけで、届いてしまう。色んなところに。髪や肌や、微笑む薄い皮膚に。
……ああ、でも)
 触りたい。
 未練がましく手を伸ばし、駄目だと理性が叫ぶ前に陽の光を弾く銅色の髪に指を絡めていた。丁度、焔型の痣の辺り。零れかかっていた毛束を梳いて、撫でつけた。
 確かに温かい。地肌と、髪の隙間が。これまでも何度か髪を梳いてやったことはあるが、こんなに温かかっただろうか。それともまた、己の指が冷たくなっているだけだろうか。
「ぎ、義勇、さん」
 名前を呼ばれた。急に髪を撫でられて困惑したのか戸惑ったのか、不思議に揺れる声音に。さっきまでの無邪気さが形を潜め、色合いを変えていく。
……ん?」
「なんで、おれの髪、触るんですか……?」
……あったかいかのかと、思って」
 溶ける。滴り落ちる。炭治郎に触れた指先から。
 そうか、と突然理解する。増えていく。この部屋に家具が増えるのと同じように、自分の中も埋まっていく。体積が増して、密度も増す。触れればそれだけ加速する。溶け落ちた分だけ溢れてしまう。
「おれ……あったかい、ですか?」
 炭治郎は嫌がらない。ちっとも嫌がっていない。ほんのりと夕焼け色を細めて義勇を見上げ、なんとしたことか気持ちよさそうにすら見える。柔らかい頬に赤味がさし、次第に薔薇色に染まっていく。どこもかしこも、色まで温かい。誘われるように額から頬へと指を這わせ、求肥のような頬肉を手のひらで包み込んだ。
 じわりと温度が増す。触れた先から溶けていく。

「うん。あったかくて、いいな……
 答える言葉は喉に絡んでやや掠れ、飽和しかけた砂糖水の音がした。