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木綿子
2021-12-03 23:38:56
4663文字
Public
👹(こい紅)(義炭)
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#9
バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。
#8
https://privatter.me/page/65937b3a14ca3
#10
https://privatter.me/page/65937b3a18080
個性的な家探しだった。
いや、途中までは一般的な家探しだった。目星をつけた地域の家賃相場を調べ、不動産屋で間取りを見繕い、現地へ行って確認する。実に一般的だ。ただその現地確認の方法が、なんとも個性的なのだ。
炭治郎は事前にいろいろと調べてきていた。希望も具体的ではっきりしていて、特に台所にこだわりがあるようで「シンクは広く、コンロ数は最低二つ、大きな冷蔵庫とオーブンレンジが置ける広さ」が最低条件だった。単身者向けの物件ではあまり出てこない条件のせいか、やや広めで予算オーバー気味の間取りばかりを紹介されてしまい首を捻ったものだが、二軒目の不動産屋で謎が解けた。
「ガレージはいらないんですか?」
義勇に向かってそう尋ねてきたのは、まだ若そうな男性の担当者だった。表に停めたバイクと義勇の顔を見比べて、明らかに「いりますよね?」という顔つきをしていた。その意味するところは明白だ。完全に同居すると思われている。なるほど傍から見ればそう見えなくもないのか、と納得した義勇の横で、炭治郎は「ち、違います、この人はおれの付き添いで、別に同棲するわけではないです!」と何やら盛大に慌てていた。柔らかい頬が熟れた桃のように色付いて、それはもう面白いくらいかわいらしかった。
不動産屋に見繕ってもらった間取りは、どれも炭治郎の条件に見合うものではあった。しかし内見した炭治郎が、「ここにします」と言った家はなかった。
最初の物件からして、中に入った瞬間に炭治郎はとても分かりやすく顔をしかめたのだ。
「
……
なんだか、嫌な臭いがします」
そう言われて、義勇は首を傾げた。不動産屋も首を傾げた。思わず顔を見合わせてしまった。
綺麗な部屋だった。まだ新しい物件なのか、壁にも床にも汚れや傷はない。がらんとした空室に悪臭の原因になりそうなものもなく、クローゼットや戸棚の中にも虫の死骸すらない。
「まだ築二年ですし、特段変なことがあった物件ではないんですが
……
」
困惑した不動産屋に、炭治郎は「中も少し見ますね」と断って部屋のあちこちを探った後に、非常に困った顔になった。
「たぶんなんですけど、こっちの壁際から臭いがするみたいなんです。お隣の臭いでしょうか
……
」
「あぁ
……
お隣ですか
……
」
炭治郎の言葉を受けて、不動産屋も困った顔になった。どうもお隣はこのペット禁止の物件で動物を大量に飼育していたため、強制退去になったと言う。消臭処理とリフォームが終わってからはごく普通の会社員が住んでいるらしいが、住人からの臭いに関する苦情はないという。けれど、炭治郎にはかなり強い臭いが感じられるようだった。
「すみません、この部屋はちょっと無理です」
契約をする本人が無理ならそれは仕方がない。不動産屋も苦笑して「じゃあ次に行きましょうか」と部屋を後にした。
その後、場所と不動産屋を変えて十五件ほどを内見したが、候補として残った物件すら一つもない。
大抵は炭治郎が微妙な顔をする。そうでない場合は別のところ、例えば日当たりだったり間取りの一部だったりに何かしら不安要素があった。中でも一つだけ炭治郎が入るのも嫌がった物件があり、不動産屋を問い質したところどうも事故物件だったらしい。ただし、聞けば事故が発生したのは二十年も前のことで当然リフォーム済み、半年前までは入居者がいたというのだから、これは不動産屋が悪かったわけではない。炭治郎の嗅覚が敏感すぎる故の災難ではあった。
「
……
家探しって大変なんですね
……
」
休憩に入ったカフェでしみじみとそう零す炭治郎に、義勇も真顔で頷いた。
「
……
鼻が良いのも善し悪しだな」
「ほんとすみません
……
」
しょんもり謝罪をする炭治郎は、すんすんと両手で包み込んだのカップの匂いを嗅いでいる。甘いココアの匂いだ。対面の義勇も同じものを飲んでいる。
あの事故物件遭遇の後、鼻の頭に皺を寄せた炭治郎は何かを我慢するようにしばらく口を引き結んでいたが、やがて涙目でこう言ってきた。
「義勇さん、すみません、あの、義勇さんの匂い、嗅いでもいいですか
……
?」
不動産屋を出た後、バイクの横でヘルメットを被る前。心なしか炭治郎の顔色は青褪めていた。少し震えていて、耳に下がった花札のような耳飾りが小刻みに揺れていた。うるりと涙に覆われた夕焼け色に、とても否とは言えなかった。
「構わないが
……
どこを?」
「どこでもいいです。義勇さんの匂いなら、どこでも
……
」
どこでもいい、とはまた難しいことを言う。
恐らく先ほどの事故物件が余程不快な臭いだったせいだろうが、人の匂いを嗅ぎたがるのもよくわからない。
(人間の体臭しかしないと思うんだが
……
)
とはいえ、それは義勇の感覚であって、嗅覚が鋭いらしい炭治郎には常人には計り知れない理由があるのだろう。少し考えて、それならばとそっと形のいい頭を引き寄せた。
自分が炭治郎の匂いを嗅ぐならここがいい、と思うところに。
炭治郎の鼻先が、耳の下辺りに来る。引き寄せた頭につられて、身体もぶつかる。義勇よりも一回り小さな手が、縋るように黒いジャケットの腹辺りをきゅっと掴んだ。頼られている感触に、胸の内側がそわりと騒ぐ。
襟ぐりの辺りから、温かい吐息が忍び込んでくる。深い呼吸の音がする。同時に、義勇の鼻先も炭治郎の柔らかい髪の隙間に埋まった。すう、と吸い込むと、温かい小動物の腹毛のような匂いがする。動物的なのにどこか幽かに甘い、落ち着く匂いだ。昔どこかで嗅いだことがあるような、不思議な懐かしさがあった。唇の下で炭治郎の髪がサラサラと動くのも気持ちがいい。本人の性質と同じく、髪の先まで優しく柔らかい。
「
……
もう、大丈夫です。すみません、ありがとうございました」
何度も深く吸って吐いてを繰り返し、どういう原理かは皆目見当もつかないが、炭治郎は落ち着いたようだ。青褪めていた頬には血色が戻り薄赤く染まり、鼻に皺が寄ることもなく、夕焼け色はまだ潤んではいたが夢見るようにぼうっと義勇を見上げていた。
「もういいのか?」
「はい
……
これ以上は無理
……
」
「無理? 変な匂いでもしたのか」
「あ、いえ! 違いますそういう意味じゃなくて
……
! おれが無理っていうか
……
あの、すごくいい匂いでした!」
必死な表情の炭治郎に匂いを褒められた義勇は「そうか」としか言えなかった。礼を言うのも何か違う気がする。第一自分の体臭など、いい匂いだと言われても今ひとつよくわからなかった。
その時点で既に午後を大きく回っていた。午前中から移動と物件探しを繰り返していて、昼食も食べていない。それで丁度近場にあったカフェでやっと一息ついているところだ。
「随分匂いに敏感なんだな」
「はい。昔から匂いがよくわかるんです。でも賃貸物件があんなに臭いが残るものだなんて思ってませんでした。なんかどこも薬品臭いような、黴臭いような妙な臭いが充満してて。一番酷かった部屋なんか物凄く気持ち悪かったです」
「気持ち悪い」
「はい。ありとあらゆる腐敗臭に何か化学薬品を混ぜ込んだような臭いが身体中に染み込んでくるみたいで
……
事故物件って聞いて納得しました。義勇さんは大丈夫だったんですか?」
「特段なにも。俺はごく一般的な嗅覚しか持っていないし」
「臭わなかったならよかったです。あれ多分、人間の腐敗臭だと思うので
……
」
思い出したのかぶるりと身震いし、炭治郎は溜息を吐いた。
「
……
ほんと、いろいろ付き合わせてしまってすみません」
「いや、それは気にしなくていい。俺は結構楽しい」
「え、楽しいんですか
……
?」
「うん。お前を乗せて走るだけでも楽しいから。それで、どうする? 他に候補地はあるのか」
「はぇ
……
っ!? あ、はい、後はえっと
……
一応義勇さんちの方も、候補地ではあります。お話聞いた限りでは、とても便利そうだったので
……
」
地元の方、と言われて、反射的に思い浮かべたのは正に近辺の住宅地だ。一戸建ての多い区画で、あまり単身者向けの賃貸住宅はない。そもそも自宅からして一人で住むには広すぎる家である。元々家族向けの間取りなのだから。使っていない部屋には家具すら置いておらず、友人たちに「ミニマリストルーム」「断捨離部屋」などと呼ばれたりしている。一人増えても何ら問題はない。
「なら、家に来るか?」
「え?」
「
……
え?」
ぽかんと口を開けた炭治郎を見つめながら、義勇もまた固まった。
今、自分の言ったことが、よくわからない。どういった思考回路を辿ったのかすらも、わからない。
何故「一人増えても問題ない」などという結論に着地したのか。まるでわからない。
炭治郎に対してそこまで大それたことは考えていなかった。これは本当だ。いくら聖域でなくなったのだとしても、いきなり攻勢に出ることなどできない。というか、実に防衛戦が身に染み過ぎてしまっていて、攻撃方法すらもわからなくなっているのだ。丸腰のまま挑みかかるなど、玉砕覚悟もいいところである。
そう、己にはなんの武器もない。せめてクマの鮭がほしい。鮭でいいから装備したい。今すぐに。
甘い匂いが鼻先を掠める。まだ湯気を立てている、ココアの匂い。甘く香ばしくどこか苦い香りの中で、炭治郎が真ん丸の夕焼け色をぱちぱちと瞬かせた。ゆっくりと上下する睫毛のと瞼の内側で、茜の瞳が揺れて揺れて先程よりももっと潤んでいく。「是」とも「否」とも応えがない、沈黙の時がただただ甘く過ぎ行き、見つめる視線の先で困ったように炭治郎の両眉が下がり、けれどあの柔らかい頬はまた桃のように熟れて、やがて震えるような声音が淡紅色の唇から零れだした。
「
……
あの」
「
……
うん」
「
…………
いいんですか?」
「
…………
炭治郎がいいなら」
遠慮しながらも探るような問いに、狼狽しながらも本心を語る。
衝動的な言の葉の進行経路は全くわからぬままではあるが、音になってしまったものは戻せない。最早どうすることもできない。腹を括るしかない。
それに、もう想像してしまったのだ。炭治郎が、自宅にいる姿を。それは抗いがたい理想形となりあっという間に脳内を侵食していく。実現したらどんなにかいいだろうと夢想してしまったら、もう駄目だ。到底もとには戻れない。
「
……
内見するなら、連れて行く」
できるだけ静かに言葉を紡いだ。耳元がうるさい。さっき炭治郎の鼻が触れた辺りが。鼓動の音が響いてくる。骨を伝って這い登るように。
じいっとこちらを見る夕焼け色がまた揺れた。耳から下がった耳飾りも。揺れて、揺れて、でも視線は交わったまま解かれない。いや違う、義勇のほうが捉えられて視線を剥がせないのだ。
炭治郎は、目まぐるしく何かを考えているようだ。何を考えているかなんて、義勇には一つも推し量ることはできない。ただただ判決を待つ罪人のように、じっと大人しくしているしかない。
深呼吸の音がする。二度、三度。さっきと同じように。義勇の匂いを吸ったときと、同じように。
夕焼け色がまた、瞬いた。
「
…………
行きます。内見、させてください」
そっと左手を差し出すと、炭治郎の右手が重なる。
桜貝の爪先は少し震え、けれどとても温かくて、いつの間にか冷たくなった義勇の手のひらを夏の日の氷のようにじわりじわりと溶かしていった。
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