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木綿子
2021-11-22 23:57:39
5345文字
Public
👹(こい紅)(義炭)
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#7
バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。
#6
https://privatter.me/page/65937b3a11bf5
#8
https://privatter.me/page/65937b3a14ca3
距離感を定めた。
炭治郎との。
手をつなぐのは、一応良しとする。髪に触れるのも、辛うじて。けれど、それ以上は駄目だ。死守しなければならない規定である。
柔らかな頬に触れた瞬間に、「これは駄目なやつだ」と義勇は判断した。あれは触れてはいけないものだ。今でも指先に残っている温かく柔らかい感触に、無意識に指を擦り合わせてしまう。触れたのが指先だけでまだよかった。もっと面積が広かったら、手のひらだったりしたら、相当危うくなっていただろう。
感情に直結した物理的接触の欲求がどういうものであるのか、今まで考えたこともなかった。そもそも、感情の抑制が効かないという経験がない。激しい情動を覚えることもほとんどなく、それが原因で友人以上の関係性になった人間とは、性別を問わず長続きしなかった。求められれば応えはするものの自ら求めることはなく、感情の機微を察知することも疎く、基本的に一人でいることを好むせいで、別れを迎えるときはほぼ全員から「一緒にいればいるほど虚しくなった」と言われた記憶がある。
「お前は怖がりだから」
学生時代にそんなことを繰り返して疲弊していたときに、錆兎には苦笑された。
今も昔も、錆兎は兄貴肌で友人も多い。時折厳しい物言いをすることはあるが、基本的に優しくて面倒見が良い。子供の頃からそれとなく世話を焼き、道場内でも孤立しがちな義勇をいい塩梅の立ち位置に置いていてくれた、得難い友人である。
「怖がりなのは悪くない。失う怖さを知っているのは、いいことだと俺は思う。お前みたいなのは、たぶんそのくらいで丁度いい」
「
……
」
「腑に落ちない、みたいな顔をするな。今までの相手は誰も、お前の特別にはなれないやつばかりだったってことだろう。それは仕方がない、運だからな。運が良ければ、怖がりで寂しがりのお前にぴったりの人間が現れる。何事も可能性はゼロじゃない。諦めるのは良くないぞ。なんなら縁結びの神にお詣りにでも行っておけ」
黙り込んだ義勇にそう言って、錆兎は笑った。
彼は知っている。両親を失った直後の義勇を知っている。義勇がどんな状態だったか、全て理解している。だからこそ、錆兎の言葉は正しかった。間違いなく、義勇は怖がりなのだ。
それなのに、今の今までしつこく意識に根付いていた「怖さ」を一切合切消し飛ばしてしまう炭治郎の存在は、驚異でもあった。
全く別の意味で怖い。歯止めが効かなくなる未来が見えて、怖い。
義勇が心を傾けて注ぎ込まんとしている相手は、年端も行かない少年なのだ。情動のままに接していては、障りがありまくるのである。何としてでも己を「良識のある大人」の枠に閉じ込めておく必要があった。それも強固に。一番最初、店にいた炭治郎の母親に会社の名刺も渡しておいてつくづくよかった。なにかあれば社にも連絡が行くかと思えば、かなりの抑止力になる。自分が社会的に死ぬだけならいいが、何の関係もない自社にまで風評被害が及ぶのはどうにも許容できない。一応その程度には理性的なのだと、少しホッとしてもいた。
本当に己を律したいのであれば、会わないのが一番いいのはわかっている。けれど、炭治郎から「朝ごはんを食べに来ませんか」と誘われて断れるだけの精神力など義勇にはない。結局、会ってしまえば当然のように自分自身との戦いの火蓋が切って落とされ、一戦するごとに戦況は悪くなっている。ここと決めた防衛線が、じりじり後退していく。
会った分だけ、苦しくなる。
炭治郎の隣にいるのは、居心地がいい。そこに在るのが普通で当たり前で、今や離れている方が落ち着かなくなってきている。特にバイクに乗っているときが顕著だ。後ろに炭治郎分の重みがないと車体が軽くて仕方がない。タンデムシートに乗せたまま連れ帰って、手の届く範囲のところに置いておきたいと、乗せるたびに毎回思っている。
(
……
今は、駄目だ)
どうあっても炭治郎は義勇の聖域でなければならない。触れてはいけない。語ってもいけない。せめて、もう少し彼が大人になるまでは。
炭治郎の選択肢を奪うことだけはしたくない。
一番近くに置く人間をどう選ぶのかは、本人次第だ。義勇がどうこうできるものではないし、我欲に任せて子供の意志を誘導する狡猾な大人にだけは絶対に堕ちたくはなかった。
「
…………
」
無言のまま、目の前にある柔らかい綿の塊に、もふりと顔を埋める。
自室の、ベッドの上。独身男性の部屋にしてはいささか異彩を放つそのもふもふは、チャコールグレーの熊である。
子供のころからの持ち物で、昔は座椅子のようにすっぽり背中を覆ってくれていたが、今では位置が逆になった。つまり座椅子になるのは義勇の方で、顔を埋めるのは熊の後頭部になる。定期的に手入れをしているからいつでも豊満な腹部は、ぎゅうと力を籠めて抱いてもへたらない。この状態の義勇を見たことのある錆兎と真菰には「素手で熊を絞め殺す男」「確実に技決まってる」などと評され、後日「これも置いておけ。クマには獲物が必要だろう」と何故か妙にリアルな鮭のぬいぐるみを贈られた。その時から、長らく丸腰だった熊は鮭装備だ。
手遊びに鮭の尻尾を握りながら、義勇は深く息をした。吸って、吐いて、慣れた毛皮と綿の匂いを嗅いで、それから。
肺の底から、深く溜息を吐いた。
今まで大抵の悩みはこの熊と共に乗り越えてきたのだが、今回ばかりはままならないようだ。自分の吐息で温まった毛皮にぐりぐりと頬を押し付けて、なんとも絶望的な気分になった。この百戦錬磨のクマの力を以てしても太刀打ちできないとは。
(
……
違うか。炭治郎が強すぎるだけだ)
そう、炭治郎は強い。強すぎる。存在が強すぎる。何しろ視線一つで死にそうになるのだ。相当に強い。
炭治郎は、会うたびいつでも嬉しそうに笑う。「義勇さん」と呼ぶ声は弾み、こちらへ駆け寄ってきて、満面に笑みをたたえながら全身で「会えて嬉しい」と訴えかけてくる。それだけでも十分すぎるほど眩しくて強力なのに、とろけたような夕焼け色に見つめられると最早手の打ちようがない。茜の空を砕いてはめ込んだような瞳は、義勇にとっては危うい凶器だ。最初からそうだった。目を合わせたが最後、視線を外し難くてずっとずっと見入ってしまうのだ。吸い寄せられないように、腹に力を入れなければならなくなる。
既に一度失敗した。あの日、傍に招き寄せて触れてしまったのだ。あの、まろやかに柔らかくて温かくて、丸い頬に。
だからこそ距離を定めなければならなくなった。
大分重症である。
指先が記憶してしまった感触を紛らわせるように鮭の尻尾を揉みながら、また溜息を吐いてしまう。
唯一の救いは、炭治郎が非常に控えめな性格だったところだろうか。
会うか会わないかは、ほとんど炭治郎の意志に任せている。つまり、義勇から何か誘いをかけることはまずない。一種の防衛術でもある。こちらの要求が一度でも通ってしまったら、そういう成功体験が出来上がってしまったら、それこそ歯止めが効かなくなりそうで、そんな予感をさせる自分自身こそが恐ろしい。
今のところ会う頻度はせいぜい月に一度あるかないかだ。そろそろ夏も終わり秋に突入しそうな季節だが、どこかへ一緒に出掛けたのは片手で数えられる程度である。そのくらいでいい。でないとこちらの身が持たない。それに、元々接点も何もない赤の他人の大人と子供が頻繁に会いすぎるのも、一般的に見ておかしい。家族に変に邪推をされてしまっては、炭治郎も困るだろう。困らせてしまうのは本意ではない。
(どうやったってどうにもならないのなら、もう仕方がない。ひたすらに耐えろ)
年齢差は決して埋まらない。つまり、結論はこれしかないのであった。
精神修行かなにかか。忍耐力を試されているのか。炭治郎に出会えたことと引き換えに、神から試練を与えられているのだろうか。確かに縁結びの神社へお詣りはしたが、もう五年ほど前の話だ。ご利益にしても時間差がありすぎではなかろうか。そういえば、当時お詣りついでに買った土産物を渡したら、錆兎から「お前、そういうとこほんと素直だよな。かなりの美点だ」と何故かしみじみ褒められた。
ひとまずありがたくも無慈悲なご利益の辛さを紛らわせるため、熊の後頭部に鼻先を埋めてしばらくすると、不意に近くで軽快な電子音が鳴った。スマートフォンだ。この音は着信の方だ。
ヘッドボードの棚に置いてある端末を、挿しっぱなしの充電ケーブルを手繰って拾い上げた。電話をかけてくるのはほぼほぼ家族しかいない。つまり、姉か義兄かのどちらかだ。だから熊を抱えたまま、特に画面は見ずに至って気軽に「はい」と出た。
『あっ、義勇さん!』
幻聴か。
思わず端末を耳から放して画面を確認する。表示されている発信者を二度見した。
どこからどう見ても竈門炭治郎の五文字である。間違いない。
『あの、今少しお話しても大丈夫ですか?』
「ああ、うん
……
大丈夫だ」
スピーカーから小さく聞こえてきた声に、慌てて端末を耳に戻した。
『ありがとうございます! 義勇さん、聞いてください! おれ内定取れたんです!』
「
……
おめでとう?」
内定。内定とは、何だっただろうか。
一応返事をしたものの瞬間的に意味を掴み損ねているうちに、炭治郎のとてもとても嬉しそうな声が電波の向こうから聞こえてくる。
『はい! 一番行きたかったところに受かったんです。何社か落ちてたんでダメかと思ってたんですけど、奇跡的に! それで、その、ちょっとご相談があって』
「相談? 俺にか?」
『はい。内定取れたのはいいんですけど通うのはちょっと難しい距離なんで、家を探さなくちゃならないんです。義勇さんなら土地情報にも詳しいかと思って
……
あと家を探すのは初めてなので、今度お暇があったら少し助言をいただけると助かるんですが、どうでしょうか
……
あっ、ご迷惑でなければなんですが!』
「いや、うん
……
別に構わないが
……
一つ訊いていいだろうか」
朗らかに「なんでしょう?」と応えるかわいい声音に、奇妙な焦燥を覚える。心臓の辺りが、ざわざわする。
「炭治郎、お前歳はいくつだった?」
『今年で二十歳です』
寸刻、沈黙が流れた。
『言いませんでしたっけ
……
?』
言ってない。
言ってないし訊いてもいない。
『ええと
……
もしかしてなんですが、義勇さんおれのこと高校生だと思ってたりしました? おれ顔が童顔だから、よく間違われるんですよね。あ、一応成人だから大丈夫ですよ! 一人暮らしも普通にできます! たぶん!』
炭治郎は元気いっぱいである。
対する義勇は「高校生どころか中学生だと思っていた」とは言うに言えず、とりあえず「
……
ちょっと驚いた」とだけ答えた。
ようやっと理解した。つまり内定とは、就職である。何しろ成人なのである。どんなにかわいらしくても、炭治郎は成人なのである。意味が分からない。あんなにかわいい成人がこの世に存在し得るのは何かの間違いではないのだろうか。
しかし今、その衝撃を真正面から受け止めている場合ではない。
「とりあえず、状況はわかった
……
それで、場所は?」
『出勤場所はターミナル駅の近くなんですけど、おれ自宅近辺以外は全然知らなくて。大きな駅近くだと家賃が高そうだなっていうのはさすがにわかりますが、実際住むならご近所の様子とかを知りたくて。あ、あと、その、ぎ、義勇さんはどの辺りにお住まいなんですか? よかったら参考に教えて下さい! 前、まあまあ便利って言ってましたよね!?』
「え
……
うん、そうだな」
最後の方の食いつき方は一体何なのだろうか。
よくわからないままに地名を教えれば、炭治郎はなぜか「わぁ」と感嘆のような声を上げて、より一層嬉しそうな気配になった。
「なら次は、物件探しに行くか」
『
……
いいんですか?』
「うん。候補地の近辺を見るなら足がいるだろう。それに、いつもとそう変わらない」
『はい。そうですね。
……
嬉しいです』
ふふ、と楽しそうに炭治郎が笑う。そんなはずはないのに吐息が耳にかかるような気がして、首筋がさわりと騒いだ。思わず項の辺りに手を当ててしまう。
熱い。
妙にどくどくする。血流が、早い。
「じゃあ次の土曜日に」とその場で日程を決めて、炭治郎との通話は終わった。終わってからも、義勇は暫しの間呆然と熊の耳の辺りを見ていた。
聖域が、聖域ではなくなった。
こんなとき、どうすればいいのだろうか。わからない。動揺のほうが強すぎて、何一つ考えがまとまらない。飼い慣らされていた鳥が、急に鳥籠から出されたような心許なさがある。どこへ飛べばいいのか皆目見当がつかない。途方に暮れてしまう。
今夜ばかりは昔のように、クマを抱いて寝たほうがいいかもしれないと、手に馴染んだもふもふをこちらへ向ける。真っ黒でつやつやな瞳には、困り果てた己の顔がいつかの生霊のようにぼんやりと映り込んでいた。
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