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木綿子
2021-11-02 20:13:40
4918文字
Public
👹(こい紅)(義炭)
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#3
バイク便配達員の義勇さんと、パン屋さんの炭治郎のお話です。 義炭です。
#2
https://privatter.me/page/65937b3a01302
#4
https://privatter.me/page/65937b3a04723
春が来る。
早春の空気はまだ冷えるが、数日ごとに次第に温みを帯びてくる。三寒四温の季節だ。毎年この時季はいつも服装に迷う。それなりに温かい格好をしていないと風に晒されて凍えるし、かといって真冬と同じでは暑い。毎朝着替える前にベランダへ出て、その日の天候と体感温度と空気の匂いで判断するという、どこぞの職人のような様相になっている。ここ二年ほどで真髄に近付けたのか、成功率は八割ほどだ。
今日は晴れ。雲は少ない。春先特有のやや湿り気を帯びた空気ではあるが、雨の気配はない。夜が明けたばかりの大気はまだ冷たく、吸い込むと喉の奥にすうっと刺さった。呼気は白い。そこそこの防寒対策はした方が良さそうだ。
じんわりと表面が冷えた寝間着代わりのスウェットを脱ぎ、さくさく身支度を整える。今日は土曜日。これからブーランジェリーカマドへ行く。
あの雨宿りの後すぐの休日に、店の少年と約束をしたこともあり、義勇は日中の店に行った。行ってみて驚いた。あまりに賑わいすぎていて。
時間も悪かったのだろう。平日とはいえ十二時は昼時真っ只中だ。店舗横の駐車場はいっぱいで、席待ちであろう客が十人ほど邪魔にならないところに並んでおり、店の中は買い物客がひしめいていた。幸いなことに自動車利用の客が圧倒的に多く、駐輪スペースにバイクを停めることはできた。
明るい日の光の元で見ると、店舗の外観はかなり可愛らしい。真っ白な壁に、大きなガラス窓。真っ赤なオーニングテントと扉。エントランスには背の低い鉢植えの木が置いてある。その隣にはお勧め商品が書かれたブラックボード。客が多いためか扉は全開で、木の葉の形をしたドアストッパーが三つほど挟まっていた。店内に入らなくても中の様子がよくわかる。
(
……
大繁盛がすぎる)
あまり人混みは得意ではない。しかしいつまでも入り口付近で立ち止まっているわけにもいかない。さっきから出入りする客に不審そうに見られている気がする。確かにフルフェイスのヘルメットを被ったままでは不審者レベルが高すぎるとそこで初めて気付き、無言で脱いでてちてちとバイクに戻って静かにヘルメットホルダーへ引っ掛けた。
あの日、何も置かれていなかった陳列台には、パンがぎっしりと置かれていた。カウンターにいる年配の女性が会計客をサクサクと捌き、奥の厨房には女性が三人。一人はカフェスペースへの給仕をしている様子で、厨房と店内を行ったり来たりしていた。あの少年はいない。
「普通に買いに来る」という約束を果たしに来たようなものだから、パンを買って帰ればいいだけなのに、何とも心寂しい。しかしいないものは仕方がない。第一、普通の中学生であれば学校へ行っている時間だ。ある意味いなくて当たり前だった。ここのところずっと休日が不定期だったせいで、すっかり忘れていた。
がっかりしたような、どこか安堵したような不可思議な気持ちのまま、その日はブラックボードに書かれていたお勧め商品と食パンを買って帰った。
次に店へ行ったのは、その三日後だった。
というのも、気の置けない友人の一人である真菰から、「もう一回行って私たちの分も買ってきて」と真顔で頼まれたからである。なお、真菰の言う「私たち」とは同じく友人の錆兎も含む。二人は子供の頃からずっと通っている道場の同門だ。この会話をしたのも合気道の道着を着たまま、道場の庭先でである。
深秋の昼下がり。偶然二人と久しぶりに顔を合わせた日でもあった。
「偶然見つけたパン屋のパンがなかなか美味しかった」
と義勇が言っただけで、美味しいものに目がない真菰がスッと黙って席を外し、ほどなくして静かにスマートフォンを持って帰ってきて、検索の構えを取った。それを義勇と錆兎もやはり静かに見守った。いつものことなのだ。
「義勇、それどこのパン屋さん? 店名もしくは住所を教えて」
「確か、ブーランジェリーカマド」
「なるほど。検索しないでもわかった、それ界隈で話題の有名店だよ」
界隈とはどこの界隈だろうか、と思ったが、そんな質問はしない。聞けば話が長くなるのは経験済みだ。
確かにパンは美味しかった。とても美味しかったと言っていい。ふんわりと口当たりのいいものから、みっしりずっしりと身の詰まったものまで全部。特に林檎のデニッシュが美味しかった。薄い層が幾重にも重なり、サクサクしていて歯触りがよく、上に乗っている煮詰めた林檎も程よい優しい甘さだった。
と、正直に感想を述べたところ、「もう一回行って私たちの分も買ってきて」となったのである。
有無を言わさぬ口調であった。義勇も真顔で頷いた。
という経緯で、店に再訪と相成った。
まだ夜勤続きの時期だったので、休日は平日だった。前回とは少し時間を変えた。店に到着したのは十六時くらいだった。
真昼間の賑わいほどではないが、夕方でも客は途絶えていない。ただし、カフェスペースのテーブルには営業終了の文字が卓上メニューにかけられている。品揃えには完売品が散見されるものの、まだそれなりに充実していた。カウンターには穏やかで落ち着いた雰囲気の女性が一人、厨房に人影はない。
この日も、あの少年はいなかった。時間帯が悪いのか、それとも義勇の運が悪いのか、あるいはその両方か。いないものは仕方がない。
幸いにも頼まれた買い物はでき、林檎のデニッシュがまだあったので自分用にも購入した。帰りの足でそのまま真菰に届けたところ、近年稀に見るくらい盛大に褒められて、界隈で話題というブーランジェリーカマドの威力を思い知った。二人目の姉のような真菰が手放しで義勇を褒めることは滅多にないのである。それはそれで嬉しいが、義勇の心情はやや落ち気味だった。
既に彼との約束は果たしたと言えるだろう。普通に買い物はした。本来はそれだけでいいはずなのに、落ち着かない。また行くと約束したのだから、実際にもう一度店で会わなければ本当の意味で果たしたとは言えないのではないか、という考えが消えない。
(いや、違う
……
単に俺が、また会いたいだけだ)
声が聞きたい。また「お気をつけて」と言ってほしい。あの夕焼け色の瞳でこちらを見てほしい。
上辺の理由を付けたところで、その本質はこれだった。こういう感情は何と言ったらいいのだろう。あまり覚えがない。義勇が積極的に会いたいと思う人間は姉夫婦や数少ない友人くらいしかおらず、名前も知らない少年に対して抱くこと自体が常と違いすぎている。何故そう思うのか、己の中を分析してみてもよくわからない。なんとなく、もう一遍会ってみさえすれば、すんなりと気持ちも落ち着くような気もした。
それからというもの、二週間に一度程度の頻度でブーランジェリーカマドへ赴いた。丁度夜勤の人員が増えて常勤になったので、大体は土日のどちらか。元々バイクを走らせるのは趣味だ。大した労力ではない。ただ、時間を変えて何度行っても日中帯に少年を見かけることはなかった。それならばと考えた末に最初と同じく深夜ともいえる早朝に出向いてみたのが先月の話である。
凍えるような真冬の空気。しんと静まり返った風景の中でささやかに息衝くように、パン屋の厨房には明かりがあった。その光の環の中に目当ての人物を見つけた時に、胸骨の内側がじんわりと温かくなるくらいに安堵を覚えたのが不思議だった。じっと見つめているだけで、ずっと探していたものをやっと見つけたような心持ちになった。
彼は忙しそうに仕事をしていた。窓から見える範囲でこまごまと働いている姿は勤勉そのもので、開店前の店に押しかけているという引け目もあり、扉を叩くのは憚られた。しばらく見え隠れする仕事の様子を眺めてはいたが、集中していてはこちらには気付かないだろう。それに、待つのはそれほど苦ではない。開店するまで待ってもいい。そう決めて、明け方の空を見上げていた。静かに心が凪いで落ち着いて、何やら瞑想をしている気分でもあった。
いつも通り、階下のガレージを開けてバイクを引き出す。深い青色の車体が朝日を鈍く弾いた。暖気のためにエンジンをかける。
パン屋の朝仕事が終わるのが、おおよそ八時。それに合わせて、店に行くのだ。
『朝ごはんを食べに来ませんか』
スマートフォンにそんなメッセージが届いたのは三日前のことだ。
パン屋の少年は竈門炭治郎という。
互いに名乗った直後に請われるまま連絡先を交換したところ、毎日ではないが時折メッセージが届くようになった。最初は小売店のアカウントが発するような新作パンなどの営業メールに似た文面だったが、いつの間にかその日のパンの出来や家族のことや近所の猫のことなど、些細な日常の内容に変遷していった。特に何かを要求するでもなく、質問をするでもなく、日記のように綴られる短い文章。決して気の利いた返事ができているとは思えないのに、返信をすると楽しそうな絵文字を含んだメッセージが返ってくる。けれど応答は程よいところで終わるので、やり取りが長引くことはない。
そんな折に、唯一義勇への返答を求めたメッセージが、「朝ごはんを食べに来ませんか」だった。
たった一言、それ以外は何も書かれていなかった。家族のことも、懇意にしている猫のことも。
ただの文字情報だというのに、いつもとは少し違うような気がした。違うと言っても、明確に「ここが違う」とは言い表せない曖昧な感触だった。ただ、決して悪い感じではない。それに炭治郎と会うのに否があろうはずもない。だから「いつだ?」と普通に返した。
そうしたら、五分も経たないうちに面白いくらい饒舌な返信が来た。
『よかったら次の土曜日の朝はどうですか。おれはいつも通り店にいるんで、仕事がだいたい終わる八時くらいに来ていただければすぐ準備できます。お嫌いなものがあったら教えてくださいね。あっもし八時で早すぎなければなんですけど! あともしお時間あったら朝ごはんの後アイス食べに行きませんか。近くの牧場で作っているソフトクリームがとても美味しいので。あのほんとお暇があってよかったらなんですけど! それから牧場なんで馬にも乗れます! アヒルと羊もかわいいです!』
何やら情報量が多い。こんな物量のメッセージを受け取るのは初めてだ。家族や友人とのやり取りは大体が単語と要点のみなのである。どう返せばいいのか、ややコミュニケーション能力に難があることを自覚している義勇はしばし悩んだ。いや大分悩んだ。
『八時で構わない。好き嫌いもない。それから牧場へも行こう。馬には乗ったことがないが興味はある』
悩んだ末、結局素っ気ないくらいの文章量で返してしまったが、炭治郎からは喜び表現のスタンプが複数返ってきたのでこれでよかったのだろう。
炭治郎が作る朝食はとてもいい。素晴らしいと言っていい。
一か月前、顔を見るだけで満足し、帰ろうとした義勇を引き留めたのは炭治郎だ。よくわからないまま何故か朝食に招かれ出された皿は、いわゆる「完璧なカフェの朝食」だった。
真っ白で大きな皿に乗っていたのは彩り豊かなサラダとソーセージ、形よく焼かれたオムレツはふわふわだった。小さなスープカップには飴色のオニオンスープが満たされていて、添えてある丸いパンは本人が言う通り焼き立てで、ふかふかこんがりとしたいい匂いと素朴な小麦の味がした。
「
……
ふ」
思い出すと今でもつい笑ってしまう。何しろかわいかったのだ。慌てるさまが。急に朝ごはんと自称し始め、言われた義勇は元より、言った本人が何を言ったのか自分で理解できていないような顔をして、余計に愉快なことになっていた。フルフェイスのヘルメットはこういう時便利だ。薄笑いしながらバイクを走らせていても特に衆目は集めなくて済む。ありがたいことこの上ない。
ハンドルを握り前輪ブレーキを入れながら、サイドスタンドを足で払う。持ち主と同じく機嫌の良さそうなエンジン音が、義勇の身体に響き始めた。
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