青果
2023-11-23 01:11:16
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【サンプル】鳥の声

『鳥の声』九龍妖魔學園紀:皆守と葉佩 / 文庫 / 全年齢 / 188ページ /900円(通頒)
2023/11/25・26 ジュヴFES 『彷徨書房』にて頒布予定の前半サンプルです。
※11/30以降順次発送予定

左右を決する描写・示唆する表現はありません。

通頒:https://prim-caca.booth.pm/

・卒業式に来なかった葉佩から、ペットの鳥を預かる
・葉佩の消息を追う皆守

・サンプルは読みやすいように改行がありますが、本では詰まっています
・葉佩とは最終的に愛情値優位、Aスキル・Pスキルマックスを想定

  1


 皆守甲太郎は、天香學園を卒業してから一年間浪人した。一年で済んだのは、勉学の才があったからではない。皆守がだらだらした質であることが関係している。だらだら勉強を引き延ばしたのではなく、浪人している間にだらだらする余暇など一切なかったので、余計に身が入ったのである。だらだらした質なので、だらだらしている場合ではない危機感に敏感なのだった。

 入学した大学では、皆守はひとつまみほどの友人を得た。

 皆守だって、自分が人当たりがいいわけではないことは自覚している。口が悪いし、斜に構えていて面倒だ。おちゃらけて場をにぎわすタイプでもないから、積極的に関わりたくないという者が多いだろう。まったくその通りだ。だが、至る所から集まってきた学生たちの中には奇特な者もあって、そんな皆守相手にまあまあうまく友人関係を築いた。皆守としても、ひねくれているだけで人嫌いではないから、まあまあうまく友人関係を続けた。

……よう」

 皆守は大学からふた駅の距離に陣取った自室のドアを開けて、正面に立つ男にそう言った。

 都心二十三区内にあるが薄汚れたアパートで、木造なので音が響く。最寄り駅は地下鉄だが大学への便が悪いので、歩いて三十分以上かかる駅を便宜上の最寄り駅と呼んでいた。

 そんな住まいでも大学に近ければ同級生どもの避難所になる。皆守の交友関係には悪い遊びとしてこの部屋を利用したがる者はいなかったが、終電を意図せず逃した者がときおりいる。今日もそれだった。今日はただ終電を逃したというのではなく、電車に乗ったら体調を崩してしまって一度下車したが、休んでいるうちに終電が行ってしまったという事情らしい。そういうことなら、皆守に断る理由はない。皆守は今日はアルバイトを済ませて早々に眠るつもりだったから、彼からのレスキューの電話を受けたのは寝入って数分経ったくらいの時刻だった。いつもよりも早くに寝ることにしたので、携帯電話のマナーモード切り替えを忘れたらしい。しかし、そのおかげで友人の助けとなれたわけだ。

 部屋の前に立つ男の顔は真っ青で、寝入りばなを起こされたところだった皆守の同情を誘った。この部屋に何度か入れたことのある男だったので、皆守はわざわざ迎えに出なかったのだが、近くまで出て行ってやればよかっただろうかと思った。

「顔色悪いぞ」
「え? うん、まだちょっと」
「茶でも入れるよ。コーヒーのほうがいいか?」
「水でいい。あんまり味がついてると、……ヤバい」
「そうか。適当に座っとけ」

 男はストレートで大学に入学したので皆守のひとつ年下だったが、学年が同じなので年齢など気にならない。ひとつ下だと思うと幼いところがあるように思うが、皆守だって似たようなものだ。
 皆守は玄関を広く開けて、彼を通した。彼はよたよたと皆守のワンルームを進んでいく。皆守はマグカップに水道の水を適当に注ぎ、電子レンジにかけた。いまは真夏でもないのだし、体調が悪いなら冷たいよりあたたかいほうがいいだろう。

「あ、皆守。言ってたやつ?」

 部屋から声が聞こえてくる。
 皆守は、ああ、と答えながら電子レンジの光を眺めた。いつまでも電子レンジにかけていては白湯ではなくお湯になってしまう。これくらいだろうと思えるくらいの時間になったところで、皆守はマグカップを取り出した。手を当ててみるとどちらかといえば熱い。迷ったが、中身を少しシンクに流し、水を足した。

 部屋に戻ると、彼は律儀にクッションも敷かず床に座って、顔を仰向けていた。皆守が部屋に入ってくると振り返って、「サンキュ」とマグカップを受け取る。

「わざわざあたためてくれたのか、悪い」
「レンジに入れただけだ」
「それでもさ」

 彼はマグカップを傾けて白湯を喉に流し、深呼吸をした。顔色は悪いが、話せているだけましなのだろう。体調が悪いといっても風邪などではなく、ただ乗り物酔いであるそうだ。電車で酔うやつなんているのか、と思ったが自分は動いていないのにぶんぶん振り回されるという点では自動車と変わらない。皆守は彼からのSOSを受けたとき、特に何もコメントをしなかった。

……静かなんだな」
「え? ああ、そいつか」

 彼はまた顔を仰向けた。皆守も同じ角度で顔を動かす。そこには、安物のカラーボックスの上に積まれた大きな鳥籠が鎮座している。中には一羽、青と緑の羽を持った鳥がじっとこちらを見つめていた。

 日本において飼育される鳥といえばセキセイインコや文鳥がメジャーだろうが、この鳥はそれらよりもずっと大きい。三十センチほどある九官鳥と似たサイズだが、九官鳥よりも淡い色をしてずんぐりむっくりしているので大きく感じる。上嘴は下へ向けて鋭く湾曲して、噛まれると痛い。けれども、噛むことはほとんどなく穏やかな鳥だ。具体的な分類を知らないが、南のほうの鳥だろう。

「預かってるんだっけ?」
「まァな」
「誰? 大学のやつ?」
「いや。高校の……

 皆守が語尾をはっきりしなかったのはそう言っていい相手なのか分からずに悩んだからだったが、彼はただ語尾がぼんやりしただけだと思ったらしい。

「高校、近いんだっけ」
「あァ、すぐそこだぜ。新宿」
「そっか、お前って東京出身なのに一人暮らししてる高等遊民だったな」
「なんだそりゃ」

 彼はまた、マグカップを傾けた。手持ち無沙汰なのかもしれない。体調が悪いのなら早く休みたいだろうか、それとも横になると苦しいだろうか、皆守は考えた。その皆守に、彼はまた質問を投げかける。

「いつまで?」
……さあな。知らん」
「旅行とかじゃないんだ?」
「旅行じゃない。どっちかといえば、仕事だな」
「へェ、社会人なんだ。ってか、社会人になると期間も分からずに遠く飛ばされることもあんだな……長期の出張ってこと? 転勤だったら、連れて行けばいいわけだろ。犬猫じゃないんだし、鳥だったらこうしてアパートなんかでも飼えるはずだよな」
「まあ、そりゃそうなんだが。海外なんだよ、あいつは」
「海外か、じゃあ無理……なのか?」

 彼は首をかしげた。釈然としないらしい。皆守は口元で笑って、「気になるのか?」と言った。

「まあね。うちは犬だけどペット飼ってるからさ。誰かに引き渡さなきゃならないこともあるんだよなと思って」
「あいつは特殊なんだ。世界中うろうろする仕事してるから」
「じゃあ、今までどうしてたんだ?」
「連れてたよ。俺の知る限りはな。……よく分からんが、あいつは仕事の移動に、なんていうんだかな、自社で飛行機みたいなの持ってんだよ。だからわりと融通が利くらしい」
「でも今回は無理だったわけだ」
「らしいな」

 鳥籠の中で、鳥は自分の羽毛に首を埋めた。大きく丸い目をきょときょとさせているが、今夜も静かだ。

「皆守、ペット飼ったことあんの?」
「バッタとか金魚レベルの話じゃないんだろ。ないよ」
「こいつの飼い主と、親友だった?」

 皆守は彼の顔を見た。彼はまだ鳥籠を見上げていて、何の気なく発された質問であると分かる。
 すぐに答えられなかった。どう答えたとしても、この鳥の飼い主本人の意思に背くような気がする。当時の皆守は自分のことに精一杯だった。

……俺は、そう思ってる。向こうはどうだったか、知らないがな」

 結局、そう答えた。質問した本人は興味があるのかないのか、ふうんと答えた。
 窓の外で、虫が鳴いている。歯の内側で舌を震わすような音が、息継ぎの間もなく続く。息で発している声ではないから、途切れない。

「寝られるか?」

 皆守が尋ねると、彼は慌てて頷いた。

「そうだよな。悪い。皆守はもう寝てたのに、起こしたんだよな」
「気にするな。あと、知ってるだろうが……
「客用の布団はないんだろ。大丈夫、風邪じゃないし。前みたいにクッション貸してくれ。前、それで充分だった」
「あァ、好きなだけ集めとけ。テーブルどかす」

 二人でばたばた家具を移動させ、ベッドの横にクッションと座布団を布団の形に並べた。彼は律儀にマグカップの白湯を飲み干し、シンクで水洗いした。マットレスになるような布団はないが、掛け布団はある。皆守は薄手の綿布団を即席布団の上に置いた。そして、二人で横になる。

 悪いな、と皆守は声を掛けた。体調が悪いと言っているやつを床に寝かすことになる。彼は、こっちこそ宿にして悪い、と返す。彼は夜に皆守を起こしたことを、電話してきたときからずっと気にしていた。

「気にするな。……俺は明日、二限なんだ。そっちは?」
「同じだ。皆守と一緒に起きるよ」
「じゃあ……九時でいいか?」
「随分ギリギリだな」
「寝られるときには寝られるだけ寝るようにしてるんだ」
「ハハ、おやすみ」
……おやすみ」

 皆守が電気を消した。窓から差し込む街の光がほんのわずかあって、目をこらせば家具の位置を把握できた。床に敷いた掛け布団を蹴り上げないように摺り足で進む。つま先がベッドの足にふれたところでベッドの上に転がる。掛け布団を頬までかぶって、目を閉じた。

 そうしながら、眠りが遥か遠くにあることに気づいていた。頭が冴えていて、自分の鼓動が聞こえる。しばらく経つと、床に横になっている友人の寝息が聞こえてきた。彼は無事に眠りにつくことができたらしい。

 皆守は目を開けて、暗闇の中に光る鳥籠を見た。ベッドの中で目線を上げたところ、そこにちょうど鳥籠がある配置になっている。仕事で長く空ける人間から預かった鳥は、大人しいといっても人間と同じように、寝起きの時間が一致するわけではない。夜中に鳥籠の中に複数渡された止まり木を写り歩いたり、羽の手入れをしたり、空気の匂いを嗅ぐように身体を伸び縮みさせたりする。そのおかげで、夜でもまったくの静寂になることは稀となった。皆守はその程度の音であれば、睡眠に支障はない。
 今夜、鳥は見知らぬ人間を警戒するように静かだった。足をたたんで丸くなりながら、夜が過ぎるのをじっと待っている。

 鳥、鳥というが、それは名前がないからだった。飼い主もずっと「鳥」と呼んでいた。名前くらいつけてやれよと皆守がからかっても、うーんとかそうだねとか言うばかりで先に進まない。ペットに名前をつけるのに気が進まない理由を皆守なりに邪推したものだったが、当時、彼は鳥を手放すつもりはないように見えていた。

 それがなぜ、いまは皆守に預けられているのだろうか。

 いま、横で寝息をたてる友人の疑問はもっともだ。皆守もその答えが分からない。なにせ、この鳥の飼い主は皆守の出身高校で別れてからずっと会っていなかったからだ。

――行ってきます。

 別れしな、彼はそう言った。空の鳥籠をぶらさげ、懐いた鳥を肩に捕まらせていた。鳥は上機嫌で歌い、皆守との別れのシーンを明るく彩った。

――ああ、気をつけろよ。おまえ、無茶するからな。
――うん。ありがとう。

 また会えるか、という言葉がこぼれかけたが、皆守は飲み込んだ。卒業式に会いたい、とはもう告げたことがあった。彼は皆守のその願いを知っているし、できるだけ叶えたいとも返してくれていた。これ以上は、望んではいけない。

――……じゃあ。

 彼はそう言って片手を挙げ、皆守に向けて振った。皆守も同じ動きを返した。真似るように、鳥は首を激しく上下させた。
 彼は門まで歩いていき、振り返って、また皆守に手を振った。皆守は、また同じ動きを返した。彼は門を出る間際に立ち止まり、皆守を再度振り返った。それを見つめるだけの皆守は、早く行けとも、そこから戻ってこないかとも両方を思った。彼は視界の中で小さくなっていたが、動きは見えていた。

 門の傍らで立ち止まった彼は口を開けた。何かを言っている。皆守に届くまでに距離がありすぎて、聞こえない。口をどう動かしたか見えても、皆守には読み取れなかった。

 皆守は一歩踏み出した。走っても、その言葉に届かないことは分かっていた。足はよろよろと動く。

 彼は案の定、皆守を待たない。今度は手を肩の上まで持ちあげて、大きく振る。待て、とは言えない。そんな要望すら皆守の中には浮かばなかった。彼に対して、皆守が望みを重ねることがはばかられた。

 皆守が門にたどり着いたころには、彼は見えなくなっていた。門から出て行って、人混みにまぎれた。

 それから、彼には会っていない。顔立ちも思い出の中で薄まっていくような気がして、慌ててたぐり寄せているばかりだ。男の声など、皆守には区別できない。自分の不得手な分野では、どんどん面影が遠ざかっていく。

 はっきり覚えているのは、名前だった。

 彼は葉佩九龍という名前だった。そして彼も、皆守の名前を覚えていた。

 覚えていたから、鳥は皆守の元に届けられたのだ。



 鳥との再会はつい一ヶ月前だった。まだ残暑が残る日本の夜、その日は強風が吹き付けていた。皆守のワンルーム前に立つ男は後ろから強風を受けていて、短髪がしきりに頬を叩いた。知らない男だった。泥のついたワイシャツに土色の作業ズボンを穿いていて、不安そうな眼差しを皆守に向けた。肩幅が広く、筋肉質だ。頬には切り傷の跡があって、鼻の頭が赤くなっている。年齢は三十代中頃だろうか。大学生の皆守にはまだ縁遠い年頃の男だ。

――皆守、甲太郎さんのお宅でよろしいですか?
――……ええ。どちら様?
――ええと、なんといったらいいか。

 穏やかだったが、言いたいことがあるのに口がそれに追いついていないかのような物言いをした。怪しい話をもってきたわけではなさそうだ。怪しい話をもってくるやつにしては、口下手だった。
 長話になりそうな予感があった。皆守は細くだけ開けていたドアを限界まで開き、ストッパーで止めた。容易に他人を信用するものではないが、皆守は武装していない人間ならどんな相手でも追い出すことができる自負がある。

――あ、ありがとうございます。その、私はこういう者でして、夜分にすみません。

 男は年下の皆守相手にやけに恐縮して名刺を差し出した。爪の短い、技術者の手をしている。彼が両手で名刺を差し出してきたので、皆守もそれに倣って両手で受け取った。ビジネスマナーなど知らないので、相手の真似をするしかなかった。突然の訪問者は気を悪くしなかったようで、皆守に笑顔を向けた。

 皆守は名刺を見る。英語で印刷されていて、すぐに意味がとれない。名前を見たところで、知らない名前だった。肩書きはアシスタント・マネージャーとある。どの程度の立場であるのか分からない。マネージャーとあるのだから、平ではないらしい。所属は会社名だろうか。ザ・ソサエティ……ソサエティっていうのは、会社の分類になりうるのか? オーガニゼーションだのアソシエーションだのの違いが、皆守には分からない。ソサエティというのもおおよそ似たような意味だろうとして、次の単語を読む。
 ザ・ソサエティ・オブ……アール、オー、エス、イー、ティーが二つ、最後にエー。そしてジャパン。

 皆守は顔を上げて、男を見た。それから、彼がかたわらに置いているものにも目を向けた。大きな鳥籠だった。中にいる鳥に見覚えがある。日本でも鳥類はペットとして人気ではあるが、セキセイインコ、文鳥、カナリヤ、九官鳥のどれとも違う。テレビに映る芸達者なオウムでもないし、身体と同じくらいの大きさの嘴をもつ鳥でもない。皆守は種別を知らない。だが、知っている鳥だった。これはあの、名をもたない鳥ではないか。

 名のない鳥は鳥籠に入れられて、落ち着きなく止まり木を移動しつづけていた。ちょんちょん位置を変えてはさまざまな角度で覗き込むように皆守を見て、嘴を打ち鳴らす。警戒しているようにも再会を喜んでいるようにも見えた。

 それらを認識した皆守は、自分の血がさっと引いたのが分かった。一気に指先が冷たくなり、心臓が早鐘を打つ。

――で、ですね。その、皆守さんをこうしてお訪ねしましたのはですね。

 来訪者は皆守に懸命に話したが、言葉が追いつくのを待っていられなかった。

――何かあったんですか。

 端的に口を挟んだ。男は突然差し込まれた言葉にあたふたしたが、やがて答えた。

――いえ、その。何もないわけではないんですが、そういうことは何も、ですね。ありませんでして。
――そういうことっていうのは?
――そうですね、その、皆守さんが、そんなに心配するようなこと、でですね。怪我とか、病気とか、そういうことではなくて。
――……そうですか。すみません。
――いえいえ。そんな、そうですよね。突然来たら、そう思われても仕方ないと思いますのでね。

 皆守は息をついた。
 安心した。夜に突然、以前に親しくしていた人間にまつわる便りがきたら何か悪いことがあったのではと不安になりもする。特に葉佩の周りでは、悪いことのパターンが数え切れないほどある。怪我や病気というのが、ずっと日本に滞在している人間よりも遥かに大きな危機として日常に点在しているのだ。彼の怪我といったら、ちょっと骨折しただとか切り傷をこさえたでは済まない。四肢をなくすとか内臓を摘出してドナーを探す必要があるとかの規模になる。病気にしても同様だ。風邪やインフルエンザ程度で皆守に連絡があるとは思えない。

 けれども、どうやらそういう話ではないらしい。話しぶりによると、怪我でも病気でも行方不明でもないようなので、皆守は男の話を待つ余裕ができた。

 いまさら、葉佩にまつわる連絡があるとは思っていなかった。心の準備が揃っておらず、男がえっちらおっちらの調子で話すあいだに何度も呼吸を整える。鼓動は緊張感によって乱れていた。
 天香學園で別れてから数年が経つ。そのあいだ、彼は顔も出さなかったし、連絡もない。メールアドレスからはエラーメールが返ってくるようになっていて、電話番号は知らなかった。交流が絶たれているものだと思っていた。葉佩は、皆守を見失ったのかもしれない。だが、阿門はまだ天香學園内の屋敷にいるから、天香學園に連絡をつければ皆守に渡りを付けることは可能だった。ということは、葉佩は皆守と連絡を取るつもりがないのだ。そう思って、葉佩九龍が日常に関わらない日々に納得する理由を探していた。

 葉佩九龍は皆守甲太郎との関係を断ち切りたいのではないか。

 その可能性は常に皆守を脅かしたが、確かめることもできないままだった。だというのに、今こんな形で葉佩九龍からの連絡が届いている。第三者と鳥を巻き込んだ形になっている破天荒ぶりが、なんとも彼らしかった。

――そのですね。この鳥を預かっていてほしいと。そういう要件なんです。
――鳥を? 今まで……彼が連れていたんじゃないんですか? それが、どうして今になって?
――さァ……私にはなんとも。その、葉佩さんが今どこにいるのかも、よく知らないんですね、私は。ごちゃっとしてるんでね、組織内が。

 皆守は鳥籠を見下ろした。鳥は止まり木をかじって、木の皮を剥いている。

――……いえ、僕はその話を受けることは構わないという前提で聞いていただきたいんですが。
――おお、はい。ええ。
――どうして、こちらに? もっと適任がいるんじゃないですか?
――あなたと過ごした時間が一番長いはずだからと、ね、うかがってますね。馴れているはずだと聞いてまして。
――僕が?
――はい。

 男は何度も頷いた。
 鳥は、馴れているだろうか。人間に懐く生き物だとは知っているが、数年前に数ヶ月、それも夕方から夜にかけてだけ顔を合わせたことのあるだけの皆守を覚えているとは思えなかった。鳥とは葉佩の部屋で顔を合わせただけだったし、餌箱を取り替えてやったり葉佩の鳥籠掃除を眺めたりすることはあったが世話らしい世話はほとんどしていない。

 それに加えて、鳥はずいぶんと葉佩に懐いていた。彼から引き離されるのは相当なストレスのはずだ。皆守がフォローできるとは思えなかった。

――……もし、お断りしたら他の案があるんですか?
――どうですかね。私は聞いていませんが。
――ちなみに、彼から預かってきているものはありますか?
――餌と、おもちゃとね……あとね、あ、ええと。あります、ありますよ。メールの印刷ですが。
――見せてください。

 手紙があるなら話は早い。そちらを先に出してもらえたらよかったが、男も慌てているようだったので責められない。

 男は上着のポケットに手を突っ込んで、それからズボンの尻ポケットにも突っ込んで、結局上着の内ポケットから折りたたまれた紙を取り出した。皺を丁寧に伸ばして、皆守に渡してくる。紙は二枚あった。皆守はそれを受け取って、プリントアウトされたメールの全文を読んだ。幸いにも日本語だった。

 前半はビジネスメールの定型文のようで、葉佩九龍らしさは感じなかった。葉佩です、という名乗りだけが、このメールの差出人を皆守に知らせてくれる。
 書かれていたのは、先ほど男が皆守に伝えてきた内容とそう変わらない。

 鳥を皆守甲太郎という人間に預けたいこと。数年前に一緒にいたので鳥も馴れているはずであること。鳥の餌と必要なものも揃えて送ること。鳥の世話にあたっての注意事項がいくつか。そして、まだ鳥の名前はないこと。

 紙をめくる。二枚目は、ビジネスメールの様相から離れていた。

 ここから先は皆守へ、と始まる。
 また心臓の鼓動が速く鳴りだした。指先が震えるのを、紙を持つ手に力を込めることで抑えようとした。動揺で目が滑る。皺によれる文字を必死で追う。

 ここから先は皆守へ
 おれのこと覚えてるか不安だ。
 今までずっと連絡してこなかったのに、自分に都合のいいときばかり頼ってごめん。会いたくなかったわけじゃない。でも、結果的にそう感じさせただろうなと思ってるよ。本当にごめん。連絡しなかった理由なんてない。おれが筆無精だっただけって伝えて信じてもらえるか分からないが、本当にそうなんだ。
 皆守はまだおれのこと、あのときみたいに思ってくれてるかどうか自信がない。でも、おまえは連絡しなかったことぐらいで嫌いになるようなやつじゃなかったと思う。おまえの人のよさに甘えてばっかだよ。
 迷惑だったら、断ってほしい。でも、おまえ以外に思い浮かばないんだ。
 鳥にも、悪いことした。
 都合のいいことばっかり押しつけて悪い。
 おれは皆守のこと、ずっと覚えてる。忘れてないよ。それだけで、皆守には通じるよな。
 こいつのこと頼む。

 読んで、皆守は顔を上げた。ため息をついて、紙を折り目がついた通りに畳んだ。畳む必要などなかったが、落ち着かなくて手を動かしていたかった。

――いかがでしょうか。

 男は、改めて皆守に問いかけた。皆守はまたため息をついた。もっと大きな深呼吸をして落ち着きたいが、男のいる前ではため息を何度もつくことで代わりにするしかない。
 気になることは山ほどあった。なんで鳥を預けることになるのかも、いつまで続くものなのかも、何も書かれていない。葉佩にだけ都合がいい話だ。葉佩は皆守と連絡をとれなかったのではなく、連絡をとろうとしなかったのだ。それが今になって、こんな手紙を寄越してくる。面の皮が厚いとも、恥知らずとも言えたが、皆守はどちらも言えない。

 皆守の持つ言葉はひとつしかなかった。

――分かりました。

 皆守はそう答えた。もとから、この答えは決まっていた。



 そういう成り行きで、この鳥籠は皆守の部屋にある。ひと月ほど経過したが、鳥は穏やかに暮らしている。皆守は図書館で鳥の飼育方法を調べ、葉佩がやっていた世話を思い出しながら真似ている。記憶の中の鳥はもっとにぎやかで活発だったが、飼い主と引き離されたショックのせいか、じっとしている時間が長い。ほとんど鳴くこともなかった。

 この鳥は、人慣れして甘ったれだった。静かではあるが、天香學園にいたときのように皆守に寄ってくる。籠を開ければ皆守の後をついて歩く。撫でてほしいところに皆守の指を誘導しようと懸命に甘噛みして指を引っ張るし、撫でるのをやめると羽をはばたかせて抗議する。それらのひとつひとつに、懐かしさがあった。鳥が動くたびに、皆守は「これを知っている」と思う。鳥が皆守の記憶にある景色を呼び起こす。あのころ、一人の男がいた。

 横に眠る友人が寝返りをうった。まだ皆守は寝付けそうにない。久しぶりに、葉佩のことを話したからだろう。興奮によるものというより、強すぎる寂寥だった。

 葉佩がまったく気配もみせないときより、葉佩に関わるものが近くにあるほうがつらい。思い返した時間が長いだけ、皆守の眠りを短くする。
 しかしそれでも、皆守の寝付きはいいほうだった。健康を損なうまでには届かない夜更けに、皆守は眠りについた。

 鳥は止まり木の上で自分の羽の付け根に嘴を突っ込んで、せわしなく羽毛を揃えた。抜けた羽をくわえて、風を切るように上下させて戯れたが、すぐに興味をなくして籠の外に落とした。羽はゆっくりと落ちていき、床にたどり着いても音をたてなかった。