青果
2023-10-10 21:03:07
11621文字
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【サンプル】野ざらしの栖

『野ざらしの栖』九龍妖魔學園紀:皆守と葉佩 / 文庫 / 全年齢 / 160ページ /800円(会場)
2023/10/15 TOKYO FES Oct 2023内アナザーコントロール 東6 ラ61b 『彷徨書房』にて頒布予定の前半サンプルです。

左右を決する描写・示唆する表現はありません。
本編にはキスシーンがあります。

通頒:https://prim-caca.booth.pm/

・原作中、恋情と独善について
・葉佩の癖があるので、サンプルを参照いただくのを推奨です

・サンプルは読みやすいように改行がありますが、本では詰まっています
・葉佩とは最終的に愛情値優位、Aスキル・Pスキルマックスを想定


違うのは分かってる

 残暑の汗をにじませながら屋上に立つ転校生のことを、皆守は数日前から知っていた。顔や名前は知らなかったが、皆守にとって、それらの情報は重要ではなかった。三年もこの學園にいれば、突然転がり込んできた異分子の顔は分かるし、名前が必要になることなどほとんどない。ただの転校生ならば皆守は関わり合いにならずに済むし、いずれ顔を合わせなくなる。

 屋上の貯水タンクの影に身を潜ませるようにして、皆守は転校生を見た。

 八千穂と話しているが、彼女のほうが声も身振りも大きいので、目立たない印象になる。転校生は染髪はしていないし、制服も大きく着崩すことをしていない。転校初日からは難しいか、と皆守は冷ややかに思った。そうしながら、彼の立ち居振る舞いを観察した。目線の動き方、姿勢と歩幅、注意をどこに向けているか。幸い、皆守はそれらを満遍なく確認していられる。

 転校生は、姿勢がいい。男子高校生にしては奇妙なくらいだ。転校初日の緊張というには、まっすぐな背筋が板につきすぎている。そして、動きに怠けがない。

 歩くとき、向きを変えるとき、段差を上るとき、一瞬一瞬のすべての動きが同じ力でおこなわれている。普通、人間は楽な体勢でいたいと思うものだ。きつい体勢でいたくない。だから、動くときはスキップされる体勢がある。きつい体勢を流すようになる。だが、あの転校生にはそれがない。すべての瞬間、動きが等価なのだ。つらい姿勢がないかのように見える。

 あれは、ただの転校生ではないかもしれない。今までにこの學園に身を埋めていった転校生の傾向は皆守にも染みついている。もちろん、これといって怪しい動きをしているわけではない。だから皆守のこの予感は肌感覚に過ぎないのだが、警戒しておくに越したことはないだろう。

 皆守はほぼ地面に伸びているような格好から、どうにか頭を持ち上げた。さすがに初対面のやつに話しかけるときに寝ぼけているかのように思われるのは避けたい。

 だが、皆守が身じろぎをした瞬間、《転校生》がこちらを見た。
 偶然に目が合ったのではない。《転校生》は彼の嗅覚で皆守に気づいていて、皆守が動いたことに正確に反応したのだ、と分かった。もしかしたら、今まで目が合わなかっただけで、彼はずっと皆守の存在に気づいていたのかもしれなかった。皆守は素早く目を伏せて、彼の視線を避けた。
 冷たいものをひと息に飲んだときのような感覚が、喉を流れ落ちた。だが、流れ落ちていってくれたおかげで、声には出ずに済んだ。

「転校生ごときではしゃぎやがって」

 おめでたい女だ、と八千穂を槍玉に挙げたのは、《転校生》に何を言えばいいのか分からなかったからだ。皆守はすぐさま快活に言い返してくる彼女のほうを見なかった。

 《転校生》から視線を外している限りは、彼がどのような目をしているか知ることはない。だが、知らないということが皆守の中の焦燥を加速させた。《転校生》はただ、周囲を見渡しているだけであったかもしれない。しかし、鋭い猛禽の目で警戒を張り巡らせているかもしれない。どちらであるにせよ、《転校生》の目線というのは全て、皆守にとっては毒薬だった。皆守には覚悟を決めて飲み干すこともできなければ、廃棄もできないのだ。

 それは皆守の能力が不足しているというわけではなく、単純に皆守に判断する覇気が欠けているだけのことにすぎない。覇気がないところに毒薬を流し込まれては、目をそらす他にできることがないのだった。

「うちのクラスの転校生クンなんだから、皆守クンだって気になるでしょ?」
「ならないね」
「えーッ」

 大袈裟に騒ぐ八千穂の背後から低く喉を転がすような笑い声がした。転校生の声か、と皆守は考えた。予想していたよりずっと大人びた気配があった。

「初対面からそんなにつんけんされるとは思わなかったな。転校生が多い学校だって聞いてたもんだから、歓迎とはいかないまでも」
「皆守クンはいつもこうなんだよッ。でも、意地悪なわけじゃなくてね、優しいトコもあるなーって、あたしは思ってるんだけどねッ」
「クラスメイトにこんなにフォローしてもらっちゃって……。ね、『皆守』くん」
……

 皆守は不承不承、顔を持ち上げた。

 直視するのを避けていた転校生と、目線がかち合う。先刻、同じように視線がぶつかったことなど、《転校生》は気づかなかったように振る舞う。それが不気味ではあったが、そういえば先に気づかなかったふりをしたのは皆守のほうだった。
 《転校生》の顔のどこを見ればいいのか分からず、目ばかりを見た。皆守が前を向いたとき、過剰に首を傾けずとも正面に衝突する瞳は黒目がはっきりとして見える。

 違う。

 特徴的なのは黒目ではない。むしろ白目だ。瞳の隅で黒目を囲う白は汚れがなかった。この男の目には、白と黒しかないように見える。際立ってはっきりと分かれる瞳が、今日からの皆守の毒薬と言えよう。

「葉佩といいます。もう知っているのかもしれないけど」

 何の気なく発された言葉が皆守を牽制した。
 皆守は転校生の存在は知っていたが、名前までは知らない。そう反論したとて、彼は眉を上下させるだけだろう。

 皆守は朝からずっと教室にいなかった。だというのに、皆守は転校生かと尋ねるでもなく、誰だと不思議がるでもなく、彼のことをはっきりと転校生だと指摘した。転校生が来るのだと知っていたんだろう、と彼は言外に責めているのだ。

 細い血管の滲みが白目に浮くことがないこの男に本当に血が通っているのか、傍目には分からなかった。眼球の左右にへばりつく肉の仄かな色と、話すときに見える口腔の粘膜の赤みが血の存在をわずかに想起させるに留まった。

「ハバキってそりゃ、めったに聞かない苗字だな」

 皆守はそう答えた。葉佩は愉快そうに目をたわめる。そこでようやく、皆守は彼の顔を見ることができた。
 彼の顔はやはり、目がもっとも鋭い。全体的に厳正な雰囲気があり、気安そうなのは話している言葉だけだった。言葉はいくらでも偽ることができるが、皆守には今のこの男が言うことの真偽を測りきることはできなかった。

 この男の本質は棘だ、と感じた。武装と排斥が人間の形を取っている。だというのに、葉佩を案内している八千穂は明るく、そんなこと何にも気づかないようだった。

 いや、違うか。
 気づいていないのではなく、彼女にとってそんなことは関係がないのだ。
 転校生に親しくする、学校を案内する、話すときに笑う、それらは八千穂にとって当たり前のことだ。葉佩がどんな男であれ、八千穂の当たり前を覆す理由にはならない。

 やはり皆守のような人間が、関わり合いになるべきじゃない。

「邪魔したな」

 言い残して立ち去ろうとしたが、あれ、という葉佩の声が引き留めた。

「行っちゃうんだ」
……何がだよ」
「皆守がだよ。話しかけてきたから、何かおれに言うことがあるのかと思ってた」
「あァ……

 皆守のほうでも、葉佩を牽制する目的があったのを忘れていた。この男にまんまと牽制されて、すごすごと帰るところだった。羊飼いが羊に圧倒されていては世話ない。羊飼いといってもぐうたら怠けているばかりだから、外から来た新種の羊に噛まれそうになることもあろうが、役割は果たさなければならないだろう。

 半ば背を向けていたところから、皆守は転校生に向き合う。転校生は何もかも了解しているような目つきで、悠然と立っていた。もうずっと前からここのことを知っているかのような態度で、鼻につくよりも警戒心が生まれる。早く立ち去りたいのか、こいつを見張っているべきなのか、両方の欲求と義務が皆守の中でせめぎあった。

……《生徒会》に目をつけられないようにしろよ」
「《生徒会》?」
「あァ。忠告はしたぜ」

 今度こそ、皆守はその場を離れた。葉佩も呼び止めず、屋上から出ていくことに成功した。残暑の暑い日差しが、皆守の背後で閉ざされる。意図せず、皆守は口元に手を当てた。自分の吐息で手のひらが湿る。

 皆守のクラスには三ヶ月前にも転校生がいたが、彼は結果的に《執行》された。だから、皆守は慣れているはずだった。自分のクラスに転校生が来ることも、転校生が《転校生》であることも経験している。転校生だけではない、教員だって新しく赴任してくることもある。転校生も教員もいなくなることも初めてではない。それが《生徒会》の手によるものであることも知っている。天香では、人間がいなくなることは当たり前だ。簡単なことで覆らない。入れ替わりの激しい中、異様な《転校生》だっていた。敵愾心が強い人間も、抵抗する人間も諦めの悪い人間も皆守は経験してきた。今も、爪の間に土の臭いが容易に甦る。

 今しがた顔を合わせた男は、皆守が知るどの侵入者とも同じでどの侵入者とも違った。あの葉佩は、真っ青なキャンバスに迷いなく赤を塗りたくることができる。平穏を自分の意思で乱すことに躊躇がない。

・人間とふれあうことをずっと避けてきたくせに、人間を知ったふりをしていやがる。
・ただ数分しか話していないだけで、分かることなど何もない。

 葉佩が《転校生》となって《生徒会》の警戒対象になるのは時間の問題だ、と皆守の頭の表層が告げている。告げてはいるが、まだ葉佩はただの葉佩にすぎないのだ。皆守が今からこんなに顧慮する必要はない。皆守は自分に言い聞かせた。

・あれは、いずれ終わりを連れてくる。
・あれ自身の終わりでもあり、皆守の終わりでもある。

 違う、戒めるべきなのは、そんなことではない。
 繰り返して理解すべきは、別のことだ。湿った手のひらで、手すりを掴んだ。親指で挟み込んで固定し、階段へ一歩踏み出した。八千穂と葉佩が下りてくる前に、退散していなければならない。今から教室に行くのもばかばかしいが、保健室に行く気分にもなれなかった。寮に戻るには遠すぎる。どこに行くにも足りなかった。

 皆守は自分に言い聞かせ続ける。

・あれは、まだただの、
・いずれ終わりを連れてくる。
・《転校生》として警戒されるまでには時間が、
・あれが全てを排斥する。
・《執行》対象になるかは今の時点ではまだ、
・終わりが待っている。

 ポケットに手を突っ込んだ。アロマパイプをむちゃくちゃに握った。

 意匠を指先で探る。銀をたどった。ポケットから出して、唇にくわえる。火を付けて、香りを吸い込んだ。芳醇なラベンダーが皆守の肌に染みこんだ。ラベンダーが漂う空気になって、ようやく皆守は深呼吸をした。

 階段を下り、廊下の窓から外を見ると温室の屋根が見えた。晩夏の光が鋭く、皆守の眼球に焼き付く。《生徒会》の職務の前線から離れていくらか経つ。皆守が《転校生》の周りで目を光らせていなくても、やるべき者がその役目を請け負っているだろう。だから、皆守が格別に目を掛ける必要はない。

 あいつには、関わらないでいたほうがいい。あいつだけじゃない。八千穂にも、他のクラスメイトにもだ。いつ、彼らがいなくなるか分かったものではない。知った顔が減るとき、ざらついたものが皆守の背筋を舐め上げる。味わわずに済むのなら、その選択がもっとも賢い。

 だが結局、今の皆守は屋上にも保健室にも寮にも運ぶべき足をもたなかった。一番近くて、一番周囲が無関心でいてくれるのは教室だった。教室にいればあの葉佩が戻ってくると知りながら、教室に戻った。パイプを前歯で噛みしめる。歯がパイプを擦ったせいで、ラベンダーの馨しさに金属が混じった。

 血の臭いがした。



 葉佩は転校初日、日中はごく普通の、ありふれた生徒のようにふるまった。皆守が寮まで案内するときも、部屋を教えてやったときも、娯楽室や風呂の場所と決まりを教えてやったときも殊勝にしていた。

 だが、《転校生》だ。
 夜更けに窓の下を注視していれば、硬い武装に身を包んだ細身の男が木陰にまぎれるように移動するのが見えた。見ているのが皆守でさえなければ、きっと気づかなかったに違いない。彼の足取りは微風であり、木陰はみずから葉佩を覆い隠すかのように枝をしならせていた。

 墓地の下でも飄々としていた棘の男は、夜が明けても、墓地を狙う姿を隠しもしなかった。墓地を指さす余所のクラスの男子生徒に、言葉ばかりは親しげに声を掛けていた。

「放っておけ、お前が手出ししたからって何になる」

 葉佩の親切とは名ばかりの世話に、皆守は口を挟んだ。走り去った生徒の後ろ姿は、もう見えなくなっていた。

 取手とはごく薄い交流が長時間続いているだけの実りのない関係ではあるものの、葉佩と取手を比べれば取手との関係のほうが長い。だからと意識していたわけではないが、思わず取手の話を聞いてしまった。皆守が聞くべき話ではなかった。

 自分が聞くべき話ではなかったという後悔と、取手がいなくなったグラウンドの後味の悪さがあった。彼に差し伸べられようとしている手が自分に干渉しているかのような虚像が、皆守に襲いかかった。見当違いだと分かっているのに、虚像の手を打ち払おうとして皆守は過剰に素っ気なくなる。

「お前も、取手とは何の関係もないはずだ。ヒーローぶって掻き回すのはやめろ」

 葉佩にそう言いつけると、彼は白黒の目を皆守に向けた。この男と正面から向き合うことに慣れていない。くっきりした眼が、皆守の顎の線をなぞる。思わず、顎を引いた。

「彼は、自分で助かろうとしてる」

 葉佩は言った。諫めるような口調で言った皆守に、彼が反論を仕掛けてくるとは思っていなかったので準備をしていない。皆守はつい、彼の言葉の続きを待ってしまった。彼は言葉を続けた。

「カウンセリングに行くというのは、日本ではまだ心理的ハードルが高いんじゃない?それでも、彼は自分から助かろうとしてる。それに手を貸したいと思うことそのものを、余計なクビとは思わないな」
……勝手にしろ。ただし、俺を巻き込むのはやめてくれ」
「おれは、お前に強要したことはないよ」

 葉佩に、手を切りつけられたような気分になった。
 巻き込まれたと思っているのはお前だけだろうという、自惚れじみた自尊心を指摘された。この男の本質は、排斥なのだ。葉佩の言葉に返すものを持たない。必要なことをすべて言ってしまった皆守は、足早にその場を離れた。

 グラウンドで陸上部がトレーニングをしている。その一丸となった掛け声が、皆守をさらに惨めにさせた。葉佩が皆守を切り捨てたとき、どんな顔をしていたのか思い出せない。

 これは後悔と羞恥心なのだろう。皆守の甘えた自惚れを、転校生は見抜いている。皆守はこの数年を、自分が傷つかないことを第一義にしてきたといっても過言ではない。一方で、周囲を通り過ぎる人物の出現と消失一つ一つに、自分を結びつけては悲嘆した。その自分勝手さを、葉佩は見抜いている。

 切り捨てられたことそのものより、葉佩の指摘の正しさが皆守の顔に火をつけた。

 一人で寮に戻り、ドアに鍵を掛けた。ベッドに身を横たえて、携帯電話を開いた。こういうメールを送るのは、慣れていない。そもそも人間関係を数年絶ってきた身だ。どう言うのがセオリーなのか分からなかった。必要なことを一文で短く書いて、その後にその一文を書くに至った理由を続けた。墓地に行くなら、俺も一緒に行くから、という言い方が駄々をこねているように見える。だが、それ以外にどう書けばいいのか、他の案が出なかった。もう一度読み返し、文のところどころを直して送信した。その後は、携帯電話を遠くに追いやる。

 もし返信が来たら、音が鳴るから気づく。近くに携帯電話を置いていたら、音が鳴るにもかかわらず始終、返信の有無を確認しつづけてしまいそうだった。それはあまりにも惨めだ。
 枕に額を乗せた。洗い尽くされパリパリと硬い綿の布が、皮膚に食い込む。目を閉じた。皆守にとっては、目蓋が外の情報を遮断するもっとも厚いシャッターだった。

――さっきは悪かったな。





 皆守の覚えている中で、葉佩と出会ったから二日間、重要な対話はその程度のものだった。彼が転校してきた初日に由無し事を話しながら寮まで歩いたことがあるが、あれは時間つぶしのためのものにすぎなかった。会話に意味はなかったし、葉佩も同様だろう。皆守の意味の無い質問に葉佩が律儀に返したのは、初対面のクラスメイトに対する愛想のようなものだった。あの時間で関係値が深まったという手応えはない。

 二日目の夜に墓地には入ったし、生死のあやふやなところを共に進んだことは関係の深まりであったかもしれない。葉佩の秘密を共有し、今まで皆守が一人で見つめていた土底の闇を他の誰かと歩む時間は確かに得難いものだ。だがその得難さはどちらかといえば、皆守のものだ。葉佩のものではない。

 彼は墓地を歩む姿に不安定さがなかった。銃の扱いに慣れていたし、化け物が出てきたところで怯みもしない。がうんと銃弾を放ち、腕で衝撃を殺すのに無理がなかった。化学物質を混ぜ合わすのも危なげなく、広い視野で部屋の隅まで確認していた。彼は、墓荒らしをするのが初めてではないのだ。初めてなのは皆守と八千穂のほうで、だから、この経験が目新しく価値のあるものであるのは皆守と八千穂のほうだった。

 八千穂を寮の前まで送り届け、取手を寮の部屋まで送り届けると、皆守と葉佩の二人になった。二人きりで夜の男子寮の廊下を歩いた。葉佩は音のたつ硬い靴を脱いでいて、皆守も足音を嫌って靴を片手に提げていた。皆守は、横目で葉佩のことを確認した。彼は擦り傷をわずかに負っただけで、肉体の疲労も同じくわずかのようだった。塵と砂をかぶっているのでくたびれて見えるが、彼はまだ動ける。

 彼の横顔に、世界の終焉が香っていた。

……皆守」

 声をたてずに、彼はそう言った。皆守は彼のほうへ顔を向けることで返事とした。

「ちょっと、おれの部屋、寄っていけよ」

 断ることは簡単だった。もうすっかり夜更けだ。疲れた、眠い、なんとでも言える。だが、皆守はそれらの言葉を口にせずに従った。明日は祝日で、授業がない。

 葉佩の部屋というのはつまり、他人の部屋のことだ。知っているのと同じ間取りなのに、ここに寝起きするようになって二、三日の人間の部屋とは思えなかった。散らかっているというのではないが、荷物が多すぎる。視線をざっと走らせただけだが、銃身の長い銃や弾、刃物あたりはごく一部だ。硬いベストは複数着、ハンガーにかかっている。いくつものダンボールが折りたたまれて紐で十字に結んであった。中身の分からない缶は、ラベルが全て英語だ。

「葉佩、お前……誰かを部屋に入れるときは用心しろよ」

 これこそお節介なのは分かっていたが、そう口出しせずにはいられない有様だった。《転校生》が《生徒会》の出る幕もなく、警察のお縄で退場ではあまりに情けない。
 葉佩は笑った。

「皆守はもう、共犯者のようなものだし」

 そう返されて、皆守は口をもごもごさせた。

 そうしている間にいつの間にか、葉佩は皆守の前に立った。
 部屋に入れられたはいいものの、皆守は一見して分かるこの部屋の異常さに立ちすくんでいるままだった。座れとも言われない。何の用だったんだ、と葉佩の顔を見た。

 そしてぎょっとした。葉佩の目の白と黒の境が滲んでいるように見えた。排斥の塊であるはずの目が、この夜に不確かになっていた。

「それと」

 葉佩が囁き声で言った。声を潜めているというよりも、ただの囁き声だった。
 外では、秋の虫がしつこく鳴いている。コロコロした音を底から持ち上げるような葉佩の声が、皆守の耳に虫の声よりも早く届く。

「おれは言動にすぐ出すから、誤解されると嫌なので言っておきます」
……は?」

 突然、何を言い出しているのか分からず、囁き声の葉佩と正反対の声量を出してしまった。葉佩は、皆守のそれに笑った顔をする。まっすぐに目が合ったまま、彼は言った。

「おれは、おまえに恋をしてる」
……は? なにが」
「おれがですよ」
「何言ってんだお前。いきなり、何のつもりだ?」

 皆守が早口でまくしたてると、葉佩は目を丸くした。

「告白しているつもりでしたが」
「そうじゃない。何のつもりだって言ってんだ」
「他に何の答えがもらえると思ってその質問をしているんですか、話し方?」
「それもあるが、そうじゃなくて」
「いつか知られることなので今言いますが、おれは皆守のふたつ年上なんです。あなた、年上のこと好きじゃないでしょ。年上十把一絡げに嫌いってわけじゃあ、ないかもしれないが……でも、まず警戒しますよね。その警戒の時間がもったいないので、下手から出ようかと思いました。この話し方はそのせい。どうするのがいいのか、おれも試行錯誤なんですよ」
「は?」

 そうじゃない、俺が聞きたいのはそんなことじゃないのだが、と思考が空回りした。

 なんだ、この男。

 普通じゃない。トレジャーハンターなんて真面目に言ってるのも普通じゃなかったが、殊更に普通じゃない。何を言っているのか、さっぱり理解できない。

「大丈夫? 深夜まで連れ回してすみませんでした。部屋に戻ってゆっくり休んで。明日は幸い、祝日でしょう」

 話し方がどうであれ、そんな世話を焼くようなことを言っては、まったく下手に出ているとは言えない。むしろ口やかましい教師みたいな話し方にしかならない。

 この男の言っていることとやっていることが、皆守の中でまったく結びつかなかった。矛盾している。

 こいつは排斥の塊だったはずだ。棘で皆守を責め立て、芯の部分を指摘する。そういう人間ではなかったか。

「もてなしたくはありますが、さっきまでずっと眠いと言っていたのを引き留めるほど酷い人間ではないから」
……あァ、そうか」

 意味の分からない返事をした。自分でも意味の分からない返事だと思っているのに、撤回も修正もできない。混乱が、皆守を妙に冷ややかにさせる。熱された薬缶のように反応するには理解の及ばないことが多すぎた。
 めちゃくちゃなことを言った自覚のある皆守は、よたよたと歩いて葉佩の部屋を出た。葉佩は後からついてきて、皆守を廊下に押し出す。

「おれがついて行ったら困るでしょ。おやすみなさい」
「え?」
「もう一度言いましょうか」
「いや、あァ。いい」

 否定なんだか肯定なんだか分からない。葉佩が声を殺して笑った。

「怪我はさせていないと思いますが、念のため、部屋に帰ったら傷がないか確認してください」
……どうも」
「お、まともな会話になった」

 葉佩は目を弧にして笑った。そうすると、あの白黒の目が見えない。

「おやすみなさい」

 彼は結局、もう一度その挨拶をした。そして、音を立てずにドアが閉まった。

 皆守はその場に文字通り立ち尽くした。

 あいつはさっき、何と言った?
 皆守を部屋に呼んだ理由は何だった?
 何だって?

 口元に手のひらをあてた。自分が何かを言ったわけでもないのに、言葉を撤回したくてたまらない。何を撤回するというんだ?

 あの男の本質は確かに排斥だ。間違いがなく、皆守は何度もそれを思い知っている。
 だが、それは翻せば、内側と外側を明確に区別するということだ。内側があるから排斥するのだ。つまり彼には内側がある。本質に何も偽りはない。

 皆守が、彼の内側に気づかなかっただけのことなのだ。