不破
2022-12-09 00:45:17
5125文字
Public 空戦
 

#11




 メルゼブルクからの亡命。そんな電文が届いたという連絡をハーティアから受け、ラザフォードはメルゼブルクの国境に位置するゲートの前まで足を運んだ。強化ガラスのシャッターが降りたゲートの前に立ち、火をつけた煙草を肺いっぱいに吸い込んだ。夜の肌寒い風に金髪と白いコートの裾が揺れる。
 待つこと1時間程。付近に停泊させているブラッドローズから通信が入った。

『団長、来ました。メルゼブルクの領空側からゲートに接近する小型艇。暗号文が入ってます』

「内容は?」

『”出迎えと保護要請への返答に感謝する。飛空艇はゲートで放棄、以降は貴艦への搭乗を希望する”とのことです』

 虫の良い話だ。まあ、自分達の命の掛かったことなのだ。それも当然の心理ではあるのだろうが、亡命などという手段を取らなくてはならないような状況に陥ったということはそれなりによろしくない行為をしてきたということだ。自業自得という見解も出来ないではないだろう。実際、テイル・ルフェーヴルについて知っている情報を全て提供するという条件が提示されていなければ、自分も亡命者など捨て置いただろう。

「許可すると返答しろ。国境さえ越えれば国際法を盾に出来る」

『了解』

 風に揺れる金髪を払い除けながらそう指示を出し、ラザフォードは見えてきた中型艇がゲートに舷梯を下ろすのを見据える。その舷梯に足をかけ、先頭に立って降りてきた男。アルベルト・コルテス子爵。メルゼブルクで兵器開発に携わっている貴族で、貴族会で何度か目にしたこともある人物だった。続いて降りて来た一族に連なる者達が列を成してこちらへ向かってくる。
 目の前にある強化ガラスのシャッターさえ越えればメルゼブルクの外だ。どの国家の領空にも属さない非国領空域だ。その中で保護した対象への対応は保護を行った国家が主導し、保護対象と協議の上、方針の決定権を行使することが出来る。そうなってしまえば、メルゼブルクがコルテス家の人間に干渉することはほぼ不可能となる。
 その最後の障害であるこのシャッターは、国境を明確にするための目的とは他に、観光などの理由で通り抜ける人間の識別のためなど、役割を有する。そのため、国家のデータベースに紐づいたセキュリティシステムが組み込まれており。シャッターを開いて潜り抜けた場合には、それぞれの国家が有する軍に通知が送られる。それが不当なものであった場合には、即座に軍が駆けつけ、制圧が行われる。唯一の例外として存在するのは、魔物の襲来によって退路が必要となった際に数十秒の間だけ強制的にシャッターを開く非常スイッチを押して開いた場合のみだ。
この亡命も、その方法でシャッターを強制的に開き、その数十秒の間に駆け抜ける他に方法がない。亡命するにはそれしか方法がないことはメルゼブルク側でもわかっていることだが、現時点まで追手がないことを考えるとコルテス子爵が亡命を企てていることそのものが明るみとなっていない可能性が高い。油断や楽観が許される状況ではないが、どちらにせよこちらからシャッターを開いてメルゼブルクの領空へ踏み入ることは出来ない。ただこの場で、コルテス子爵が国境を越えるのを待つしかないのだ。

『カウントして非常スイッチを押すと言っています……そこまで警戒する必要があるんでしょうか?』

「警戒はしておいて損はない。逆にここまでなんの動きもない方が不自然だ。たかがと思っても、そこから覆る状況もある」

 杞憂だと言いたげに溢した通信士の言葉に厳しい口調で返しながら、強化ガラスの向こう側でコルテス子爵がこちらへ視線を送ってくるのを見、右手を上げて了解の意思を伝える。それを目にしたのだろうコルテス子爵が、息子であろう若い男にカウントを任せた。若い男が右手を上げ、五指を1本ずつ折り曲げていく。4、3、2と順にカウントが続き、最後の1本が折り曲げられようとしたその瞬間だった。若い男の手首から先が落ちた。

「っ……!?」

 なんの前触れもなかった。まるで始めからそうであったかのように、若い男の手首が無くなり、その断面からはどっと血が流れ出た。あまりにも突然のことに、手首を失った当人でさえ、気づくのが遅れたように見えた。しかし、それも一瞬の間。自らの手が失われたことに気がついた男が声を上げた。途端にどよめき始めるコルテス子爵一行。咄嗟に剣を抜き放ったコルテス子爵が手を失った若い男を庇う直前、男の背後でなにかが動いた。

「くそっ!!」

 閉じられたままのシャッターを拳で叩きながら、ラザフォードは毒づく。やはり迂闊だった。メルゼブルクのあの皇帝が亡命など許すわけがない。サイードとの戦時下にあるこのタイミングこそ、国内での動きが取りやすくなる瞬間だと、知らぬわけがない。もっと綿密に計画を練っておくべきだった。メルゼブルク内部に身を置くコルテス子爵の言葉を鵜呑みにしたこと自体が失策だ。
ガラス越しに聞こえてくる曇った喚き声、膝から崩れ落ちる若い男の向こう側に人影が見えた。夜に溶ける黒い髪と、同じ色のコートの裾が揺れる。

「何者だ!?」

 叫ぶコルテス子爵の声。ガラスの向こうで手にした剣を振り上げたコルテス子爵の右腕が輪切りにされて崩れ落ちるのを目にし、ラザフォードは咄嗟にこちら側にある非常スイッチを振り返った。

『ダメです! こちら側からシャッターを開けばそれこそ亡命教唆でこちらが追い詰められます!』

「くっ……!!」

 こちらをモニターしている通信士の制止に踏み止まるも、再び目をやったシャッターの向こう側ではコルテス子爵の身体が果物のように斬り刻まれ、血溜まりへと沈んでいく。冷静さを失ったコルテス子爵の家人達が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
 が、人影がなにかを振るったように見えた瞬間、無数の紫電が無軌道に駆け抜け、人々をずたずたに斬り刻んだ。人影は1人、なにかしらの魔術なのだろうが詳細が見て取れるものではない。と、その時だった。小さな影がこちらに向かって駆け出したのがわかった。少女だった。年端も行かぬであろう子供が、両の目に涙を溜めてこちらへ向かって走ってくる。その向こうに若い女の姿が見え、母親だとわかった。母親の方は足を斬り落とされてしまったらしく、立ち上がれる様子はない。

「っ……!」

『団長!』

「ここで助けなければあの日と同じだ!」

 通信士の制止に向かってそう怒鳴りつつも、シャッターの脇にある非常スイッチへと手を伸ばす。
 脳裏に過るあの日の忌々しい記憶。父も、母も妹も、皆死んでいった。その理由も知らぬまま、まるで摂理であるかのように。あんな理不尽が許されて良いわけなどない。だからこそ、ラザフォードはこれを見捨てられない。
 ほんの一瞬の間。少女がシャッターにその手を届かせる直前、ラザフォードが非常スイッチに手を届かせる直前。刃が、少女の胸を背後から貫いた。同時に動きを止める少女。零れ落ちた涙が少女の頬を伝い、口から溢れ出た血と混じり合って落ちていく。細く息を吐いてからぱたりと崩れ落ちた少女の背後、人影と目が合った。
 月のような金色の右目と、夜のような紫色の左目。なんの感情も映さない冷めた目の男が、こちらを見ていた。

……何者だ」

 怒りに打ち震えながらも、ラザフォードはガラス越しに問いかけた。しかし、男は答えない。それどころか、気のない表情すら動かさない。

「何者だと聞いている! 答えろっ!」

 怒りのまま声を荒らげるが、それでも男は眉1つ動かさず、手にしていた刃を一振りした。
黒い刀身を有する細身の刀剣。片刃で反りのある刀身から、それが極東で使われる刀と呼ばれる物であることにようやく気がついたが、そんなことに構っている余裕などない。刀身に付着していた血が払われ、それを鞘へと納める男が無言のまま踵を返すのを制止するべく、続けて声を上げる。

「待て! こんなことが許されると思っているのか!」

 その言葉に男がこちらを一瞥し、小さく鼻で笑った。馬鹿にしたかのような態度に、ラザフォードは剣を抜いた。通信士の制止の声すら焼き払うようにして、ラザフォードは自らの魔術を発動する。剣の一振りとともに爆裂する炎を従え、砕け散ったガラスの向こう側へ足を踏み入れる。国境を踏み越え、ほんの数メートルの距離をその身に炎を纏いながら突進して男へと斬りかかる。が、振り上げた白い剣が男の身体へ食い込むことはなく、金属音が響いた。瞬く間に抜き放たれた黒い刀がこちらの剣を受け止め、ぎちぎちと音を立てて拮抗している。

「燃えろっ!」

 拮抗する刃の向こう側で口の端を吊り上げる男の顔を睨み、ラザフォードは吠える。身に纏う炎がその火力を上げ、猛々しく燃え上がった。

「赫灼の煉獄よ! 在りし日を焼き尽くせ、この血、この骨、魂すら焚べてみせよう!!」

 自身の魔術、「白日を灰に還してスカーレット・ワイルドハント」。自在に炎を発生させ、操る。その術の詠唱とともに強引に剣を振り抜いて男の刀を弾いた。同時に爆炎が広がり、男へと襲いかかったが、すんでのところで身を翻した男が姿勢を低く保ったまま刀で下段から斬り上げてくる。迫りくる黒い刃、上半身を反らして回避し、その反動を利用して引き戻す上半身ごと剣を振り下ろして反撃するが、既にそこに男の姿はない。爆裂する炎を背に振り返ったラザフォードの視線の先、鼻を掠めるような位置に男の右足が迫っており、衝撃とともに蹴り飛ばされた。

「ぐっ……!」

 切れた口の中に血の味が広がり、口の端から伝い落ちたそれを袖で拭う。
 目を見張るほどの反応速度と身のこなし。戦い慣れた動き、並の兵士ではない。魔術の詳細こそわからないが、それがなくとも厄介だとわかる。何者だ?平和の続いたリベルタリアでここまで戦いに慣れた者などそう居るものではない。真っ当な軍人であるならば名くらい響いてくるはずだ。しかし、この男の特徴に一致する人物が思い浮かばない。

「何者だ貴様……

 黒い刀を手にした男へ問う。しかし、解答はないまま男は冷ややかな目をこちらへ向けるばかりだ。

「何者だと聞いているっ!!」

 白い剣に火を灯しながら吠えるラザフォード。振り上げた業火がその火力を上げ、周囲を真昼のように照らした。その瞬間だった。足元に転がっていた少女の亡骸を、男がこちらへ蹴り飛ばした。ふわりと浮かび上がった少女の小さな身体が弧を描いてこちらへ向かってくるそれを反射的に受け止めようとした瞬間、ラザフォードの右腕が飛んだ。二の腕から先、純白の剣を握り締めたままのそれが支えを失って落下し、剣がからからと音を立てた。炎は消え失せ、ぼたぼたと夥しい量の血が足元を塗らす。

「っ……!?」

 なんとか左腕で少女の亡骸を受け止めるものの、バランスを崩して仰向けに倒れ込んだ。信じられないような激痛を振り払おうと失われた右腕を振り乱すが、流れ出る血だけがそこら中に飛び散り、意識が遠退いていく。力の抜けていく身体から熱が引いていくのを感じる。霞んでいく視界の中、遠く鏖殺という言葉が聞こえ、それを最後にラザフォードは意識を手放した。