不破
2022-08-17 22:22:20
5510文字
Public 空戦
 

#7




 グリーディア皇帝の会見の後、ニオはロゼと共にグリーディアに連れ添い、グリーディアの執務室を訪れた。

「概ね予想通りの反応だったな」

「ああ」

 部屋に入るなり疲れたように口を開いたロゼが手にしていた長細いトランクを応接用のソファーの肘掛けに立て掛け、そのままソファーに腰を下ろす。その声につまらなそうに応えたグリーディアがデスクを回り込み、黒い肘掛椅子を引いて腰を下ろした。

「これで下手な貴族共は尻尾を出すだろう。そうすれば、後は狩り取ればそれで済む」

 深く椅子に背を預けたグリーディアが深く息を吐き、少しだけ疲れたように続けた。それを耳にしながらも、ニオは会話にどう参加したものかタイミングを伺っていたが、ロゼが手で示した「座れ」という指示に従って彼が腰掛けているソファーの向かい側のソファーに腰掛ける。

「さて、話は変わるがダヴェンポート。お前には異動を命じる」

「はい?」

 と、グリーディアが口にした言葉に面食らう。やや素っ頓狂な声を上げてしまったことに気恥ずかしさを覚えるも、それよりも自身に下された異動命令への驚きが勝った。

「新設の隊だ。お前ともう1人で構成される小隊規模の隊で、隊長はお前に任せる。もう1人は必然的にお前の副官になるわけだ。励めよ」

 グリーディアの言葉を引き継いでロゼが続ける。
 新設の特務隊の隊長。ニオは思わず武者震いを覚えた。軍の再編に伴う新規部隊の編成は不思議ではないが、まさか自分がその隊長に抜擢されるとは。此処まで来た。此処まで来たのだ。自分の隊を持ち、軍属という大きなカテゴライズの中で、法の番人たる伯爵達に肩を並べるラインまで。これは自分の力の証明であり、その為の第1歩となる。昂りこそすれ、臆することなどなかった。
 と、その時だった。執務室のドアがノックされ、部屋の主であるグリーディアが応じるよりも速くドアが開いた。

「お待たせー」

 間延びした声と共に入ってきたのは2人の人物だった。
1人はテイル・ルフェーヴルといい、中性的な顔立ちで、膝ほどの長さの黒髪と左の肩に掛けたチェリーレッドの片マントを揺らし、にこにこと子供のような笑みを浮かべている。悪名高きルフェーヴル子爵家の血を引く者にしてメルゼブルク軍の参謀総長であり、グリーディアに協力して自らの肉親を皆殺しにする片棒を担いだ人物でもある。
 そして、もう1人。金の右目と、紫の左目、双眸に異なる色を宿した黒い髪の男。左目を覆っていた眼帯はもうないが、1ヶ月前に自分と共にパリへ赴いた男だった。パリでの任務の後、彼の処遇については聞かされなかったが、軍刑務所に戻されたわけではなかったらしい。

「思ったよりも早かったな」

「ああ、彼の手続きもそんなに時間はかからなかったしね」

 グリーディアの言葉ににこやかに返すテイルが男の方を振り返る。その視線に、男は鬱陶しいと言いたげな調子で舌打ちをした。皇帝の前で舌打ちをする人間など聞いたこともないが、男は悪びれる様子もなく両手をポケットに押し込んで壁に背を預けた。それを目にしたグリーディアが小さく鼻で笑ってからこちらへ向き直り、「さて……」と切り出した。

「まずはニオ・ダヴェンポート。第2航空師団本部大隊ポラリスでの任を解き、第2航空師団第13夜間戦闘隊カノープスの隊長を任ずる」

 と、小さな予感が過ったところで響いたグリーディアの言葉に、ニオは反射的に立ち上がって敬礼した。

「そして、もう1人……

 続いて、グリーディアが男の方へ向き直った。
此処に呼ばれているのだ。おそらくこの男が自分の副官ということになるのだろう。そう予想出来たため、ニオは敬礼の姿勢を崩さぬまま横目で男の方を見た。

「フュゼ・ナイトレイ。貴様をメルゼブルク軍特務大尉として迎え、第2航空師団第13夜間戦闘隊カノープスへの入隊を命ずる」

 と、グリーディアが放った言葉にニオはぎょっとした。
ナイトレイ。その名は先の会見でグリーディアの口から聞いたばかりだ。処刑したというアラスター・ナイトレイと同じファミリーネーム。しかし、アラスター・ナイトレイにはジゼル・ナイトレイという一人娘がいるのみで、その娘も魔物との戦闘で既にこの世にいない。妻であるフランソワーズ・ナイトレイも病で若くしてこの世を去ったと聞く。跡継ぎも養子を取るだろうと噂されていたのだ。故に、真にナイトレイの血を引く者はもういないはずなのだ。まさかとは思うが、このどこの馬の骨ともわからない男をナイトレイ伯爵家の後釜として仕立て上げるつもりだろうか?

「ロゼ」

 と、壁に背を預けたままの男に人事命令を下したグリーディアがロゼの名を呼んだ。それだけで意図を汲み取ったらしいロゼが短く息を吐いた後、ソファーに立て掛けたトランクを手に取り、テーブルに乗せて開く。取り出されたのは一振りの黒い刀剣だった。それをグリーディアが受け取り、そして男へと投げ渡された。

「魔導合金で作らせた」

 グリーディアが続けた言葉に、またしてもぎょっとするニオ。
魔導合金。正式にはメルゼブルク魔導合金という、メルゼブルク独自の製法で精錬される特殊な合金で、高い剛性とエーテル伝導率を誇る黒色の金属だ。それを用いた刀剣はメルゼブルク軍において大きな功績を上げた者がオーダーすることを許される物だ。

「極東の刀。打刀拵、銘は夜哭やこくと名付けた」

 グリーディアの言葉にろくに返すこともなく、男は刀剣を鞘から引き抜いた。
 反りのある黒い刀身。片刃で、角度によって独特の模様が映し出される。独特な妖艶さのある刀剣。それが極東で使われる刀と呼ばれる物であることはニオも知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。

「お前が拘束された時に押収した物を参考にしてあるはずだ。極東から資料を取り寄せはしたがな」

「ご苦労なこって」

 グリーディアの言葉に興味なさげに返した男が慣れた手付きで刀をぐるりと翻し、鞘へ納めた。

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 と、理解の追い付かない情報に戸惑いを隠し切れず、ニオは口を挟んでしまった。途端に全員の目がこちらを向き、一瞬怯んでしまうが、ここで聞いておかなければこの先で尋ねる機会が訪れるとは限らない。

「まあ、あの会見の後だ。気になるのは当然だろうな」

 そうロゼがフォローを入れてくれ、グリーディアが「まあ、そうだろうな」と言って続けた。

「この男はフュゼ・ナイトレイ。アラスター・ナイトレイの息子だ。間違いなくな」

 フュゼ・ナイトレイ。本当にアラスター・ナイトレイの息子であるのならば、そんな人物が軍刑務所に収監されていたのはどういう了見なのだろうか。

「ナイトレイ伯爵家は古くから優秀な後継を排出するために、不要な遺伝子を取り入れないという考えのもと近親者同士で子を成してきた。表向きには配偶者を用意してな」

 気のない声で言うグリーディア。しかし、その言葉の内容はニオの想像を容易に飛び越えるものであり、その生々しさから思わず気持ちの悪さが込み上げてくる。

「どの代から、というのは定かではないがな。表向きの娘であり、その男の姉に当たるジゼル・ナイトレイも、アラスター・ナイトレイと、その母であるアレクサンドラ・ナイトレイの間の子だ」

 到底信じられなかった。親しい間柄というわけではなかったが、貴族会や訓練で何度か話したこともある。あの威厳に満ちた雰囲気の人物がそんな下劣な事を行っていたなど、簡単に信じられるものか。

「だが、ある時。アラスター・ナイトレイは一族の掟を破った。自身の真の妻であるフランソワーズ・ナイトレイと子を成した。世間的には当たり前のことでも、ナイトレイ家の家人には受け入れられることなどなかった」

 グリーディアが続ける。

「フランソワーズの妊娠が家人に知れたのは幸いにも、中絶することの出来る段階を過ぎてからのことだった。そこで連中はその子供を10歳まで育て、その後パリの貧民街に置き去りにして捨てた」

 続けられたその言葉に、ニオは思わず男の方を振り返った。
 捨てられた子供。1ヶ月前に見たパリの貧民街、あんな場所に10歳の子供が捨てられたなど、考えたくもない。しかし、実際に目にしてきたこの世の地獄のような街には行き場を失った者達が掃き溜めた塵に塗れるようにして蹲っていた。それが紛れもない現実であることは理解したつもりだ。それは自分の理解の及ばない領域だとも証明された。それでも人間というのは身勝手なもので、心の内に男への同情や哀れみという感情が浮かび上がったが、そこで目の合った男の表情にぞくりとした。
 笑み。不敵に、嘲笑うかのように口の端を歪め、冷笑する男。まるで他人事のように、声を発することもなく嗤う。しかし、左右異なる色の目に感情の色はなく、描かれた絵画のように、あるはずの表情から感情が読めない。そこにいるのが既に命のない幽霊のようにさえ感じる。
その目を直視することも出来ず、ニオはグリーディアの方へ視線を戻し、続きを促した。

「そ、それで、なぜ彼は軍刑務所に?」

 そうだ。その部分の謎がはっきりしていない。国家的な救済策なのならば保護という形が取られるのが通常だろう。しかし、彼は軍刑務所に収監されていた。実際、あの街で孤児ともなれば多少の軽犯罪に手を出さなくては生きていけなかったというのは1つの現実として立ちはだかるのだろうが。
 と、そこまで考えたニオだったが、グリーディアから告げられた答えは想像とは異なるものだった。

「その男が、連続殺人鬼であるからだ」