不破
2022-07-22 21:49:37
4118文字
Public 空戦
 

#3


 帝都ケーニヒスベルク。都市の中央に位置する大摩天楼の広いエントランスホールを、ニオ・ダヴェンポートはヒールの音を響かせながら横切る。

「少佐? あんな小娘が? 侯爵家の娘だろう?」

 すれ違う将官達が口々に囁いている声は耳に入ってきているが、それ等を無視して通り過ぎていく。
どいつもこいつも、自分を一瞥する目はどれもこれも侮蔑の色に満ちており、嫌気が差す。どこの世界であろうと悪しき風習と呼ばれるものは存在し、その柵が否応なく理不尽を突きつけてくるものだ。
リベルタリアの貴族に存在する、爵位。それが自分にとっての柵だ。公侯伯子男。五爵とも表されるそれは地上の世界で存在したというものとは異なり、空に移り住んだ際に何事かを成した人物の血統に与えられたものだ。絶対の法ではないが、このリベルタリアの貴族達に大まかな役割を与えるものとなった。
 空の世界に国を築き上げた者、現在の王族達である公爵。衣食住に関わる商業、建設業、医療等の生活に必要不可欠な事業を展開してきた企業のトップである侯爵。軍や自警団等の治安維持組織を立ち上げ、社会秩序の維持に努めてきた法の番人である伯爵。魔導の研究、開発等を行い、生活を豊かにしてきた研究者達、子爵。そして教育や宗教を司り、歴史を紡いできた賢者である男爵。全ての貴族達がこの爵位に沿った仕事に就くというわけではないが、その影響というのは大きなもので、実際にどの国家においても軍の上層部はその大半を伯爵家の人間が締めている。
自分はこのメルゼブルクの軍に属しているが、実家であるダヴェンポート家は金融に携わる侯爵家だ。本来ならば自分も金融を学び、その業界へ入るのがセオリーであるが、ニオは軍に入ることを選んだ。父も、母も、兄も、姉も、金融の業界人だ。幼い頃から金融に関する知識を教え込まれてきたが故に、金というものが如何なるものなのかを本質的に理解してきた。金とは所詮、この世に多く存在する鎖の1つだ。人を社会に縛り付け、時に奈落の底へと引きずり込む。金融を学んでいく中、段々と自分の手足にも鎖が繋がれていくように感じ、多くを振り切って軍へ飛び込んだ。
 負けてなるものか。自分は自分自身の力で上り詰めてやる。柵や鎖すら届かないところまで。だからこそ、今回の仕事は大きなチャンスだ。

“ニオ・ダヴェンポートを少佐に任ずる”

 そう書かれた辞令を受け取ったのは昨日のことだった。
 新たな皇帝であるグリーディア・L・メルゼブルクによる軍の再編が発表されて2日。中尉から少佐という異例とも言える昇進の知らせに大いに驚いたが、先程の呼び出しで言い渡された内容は驚愕を禁じえないものだった。
 通常の任務を離れ、監視官としてある人物とコンビを組み、共同で任務に当たることと、その人物の行動監視を行うことを命じられた。特殊過ぎる内容ではあったが、これを受けない手はない。特務を命じられるということは、少なくとも自分の存在はなんらかの理由で目に留まったということだ。この任務を成功させることは、自分の力を見せつけるまたとない機会だ。侯爵家の令嬢だろうと重要な任務をこなせることを証明してやる。
 大摩天楼の出入り口を潜り抜け、吹き込む風にふんわりとボリュームを持たせるように巻いたショコラブラウンの髪が揺れるのを片手で抑えつつアザレア色の目を細めた。大摩天楼前のロータリーで待っていた軍用の黒いBMWの後部座席に乗り込み、既に後部座席に乗り込んで待っていたらしい人物に「お待たせしてしまい、申し訳ありません」と告げた。

「時間通りだ。気にするな」

 平坦な声色でそう返してきたのはロゼ・シュタインベルクという、メルゼブルク軍の大将を務める人物だ。今回の任務においてニオとコンビを組む相手のところまで案内してくれるとのことで、ここで待ち合わせたのだ。上官であるロゼの言葉に礼を返しながらもシートベルトを締めると、ロゼの副官の運転でBMWがエンジンを唸らせて走り始める。
 行き先は軍が管理している刑務所だと昨日に聞いた。自分が組む相手が投獄されている囚人であることも。今回の任務の内容には驚かされるばかりではあるが、特務とされる任務などもとより常識とはかけ離れているものだと、聞いたその場で自身を納得させた。

「わかっているだろうが、危険を伴う仕事だ。気は引き締めておけよ」

 と、走り出したBMWの車内でロゼが腕を組んだまま言った。栗色の長髪を束ねた彼の横顔に目を向けながら「はい」と応じる。
 そこからは無言だった。ケーニヒスベルクの北側に位置する刑務所まではそこまでの距離ではないため時間はかからなかったが、こう沈黙が続くと時間は長く感じるものだ。その少しばかり長く感じた移動時間を、車窓の外を流れていく景色をアザレア色の目で眺めて過ごした。そうしている内にBMWが刑務所の前へ到着し、停車。ドアが開けられ、ニオはロゼとともに車を降りた。
 立体交差する高架の下、トンネルになっている刑務所の入り口は車両がそのまま出入りできるよう護送車が通り抜けられる程度の道幅が確保されているが、大きな鋼の扉で閉ざされており、車止めのポールも迫り上がっている。門衛所に立っている軍属の刑務官にロゼが用件を告げると、「お待ちしておりました。間もなく出て参ります」と返され、しばらくして重苦しい鋼の扉の解錠を知らせるブザーが響いた。鋼の扉がゆっくりと左右にスライドし、人が1人通ることが出来る程度まで開いて止まると、その向こう側に人影が見えた。
 鴉の羽根のような黒い髪の男が、刑務官に付き添われて出てきた。月のような金色の目が見て取れたが、左目は負傷しているのか眼帯で塞がれている。少し変わった雰囲気を纏ったその男が靴音を響かせながらこちらへと歩いてくるのを見据えたまま、ニオは少しだけ目を細めた。

「乗れ。話は中でする」

 と、近づいてきた男に向けてロゼがBMWの後部座席を指して言った。それを耳にし、ニオは助手席に乗り込もうとしたが、ロゼに「貴官も後ろだ」と言われ、一礼して後部座席へと乗り込んだ。
 隣に座った男の方を一瞥するも、男はこちらへ目もくれずに頬杖をついて窓の外へ視線を向けている。愛想のない男だと思ったが、服役していた囚人などこんなものなのかもしれない。

「任務の内容は理解しているな?」

 助手席に乗り込んだロゼが問うてくる。それに「はい」と応えるニオが昨日に説明を受けた仕事の内容を記憶の引き出しから取り出している間に、BMWが再び走り始める。
 この男と共にパリに向かい、その西部に広がる貧民街に潜伏しているとされる犯罪者を1人捕らえること。抵抗するようであれば殺害も許可されている。花の都とも呼ばれたかつての都市の名を冠するパリはメルゼブルクの中でも大都市とされる大きな都市だ。表向きは華やかな貴族の都市とされているが、その西部には貧困層の人間が追いやられており、貧民街となっている。都市全体が大型ということもあって、西部の貧民街もその規模は大きい。そんな中に潜伏している犯罪者1人を見つけ出すことは至難の業と言えるだろうが、それが任務だ。
 標的はユーグ・ジョンパルトという名の男らしく、パリを拠点にいくつかの都市で多くの悪事を働いているそうだ。大きなテロ事件にも関与していたとされている人物で、犯罪者としては一級と言えるだろう。

「相手は一級の犯罪者だ。油断せずにかかれよ」

 そう告げてくるロゼの言葉にもう1度「はい!」と応えるが、隣に座る男はうんともすんとも言わず、ただ窓の外を眺めている。メルゼブルクのナンバー2とも言える軍の大将の言葉を無視するとは随分肝の据わった男だ。ロゼの方も囚人相手だからなのか、気にする様子もない。「ランディングまで送ろう」というロゼの言葉で、BMWはケーニヒスベルクの外縁部に向かう通りへ入った。