不破
2022-07-21 22:58:37
3688文字
Public 空戦
 

#2


 都市ロンドン。ウィンズレット王国の王都であるメトロポリスの中心部。巨大な城の一室で、ラザフォードは手に取ったティーカップを口元へ運んだ。
メルゼブルク皇帝が息を引き取ったというニュースが耳に入ったのは、ケーニヒスベルクから戻って数日後のことだった。リベルタリアにおける有数の大国を築き上げた偉大な皇帝の安らかな最期は世界中に報じられ、その死を悼む声が多く寄せられたそうだ。葬儀は無事に執り行われ、遺体はエルサレムへ運ばれたらしい。
 結局、なんの手がかりも得られないまま時間だけが過ぎていく。一刻も早くルフェーヴルの一族を見つけ出さなくてはならないというのに、その足取りすら掴めぬままだ。そんなことが許せるわけなどない。
 手にしているカップの中で揺れる紅茶の水面に目を細め、ラザフォードは唇を真一文字に結んだ。
 そもそも、リベルタリアのすべての国々は協力関係にあった。それを最初に取りまとめたのがラウル・シンクレアという教皇であり、ラザフォードにとっては曽祖父に当たる人物だった。人類が空へ移り住んだ当初から、ラウルは疲弊した人類のリーダー達を度々集め、話し合いを繰り返すことで新たな世界での取り決めの根幹を作った。リベルタリアという世界の呼び名も、空の世界での新たな爵位もこの時に決められたものだ。
そうしてそれぞれのリーダー達が王となり、リベルタリアにいくつもの国が出来上がった後もシンクレアを中心とした和平協定は続き、ラザフォードの父の代まで平和は保たれていた。そう、17年前のあの日までは。

「ラザ」

 と、その時だった。持ち上げたカップの向こう側に見える人物に名を呼ばれ、ラザフォードは我に返った。

「またそんな怖い顔をして。いけないわ。ええ、いけませんとも」

 言ってから紅茶を口にする女。パステルピンクの前髪の奥から、薔薇の花のように鮮やかな真紅の瞳がこちらを見ている。オフショルダーの赤いドレスに身を包んだ彼女はカップをソーサーに戻すと、慈しむように笑んだ。
 ハーティア・ウィンズレット。自分の幼馴染でもある彼女こそ、メルゼブルクに並ぶ大国であるウィンズレット王国を統べる女王である。自分が有する大型の飛空艦であるブラッドローズに名をつけたのも彼女だ。
 こちらをじっと見る彼女の視線に短く息を吐き、カップをソーサーに戻した。

「大丈夫よ。貴方の望みは私の望みだもの。私が世界を手に入れたら、必ずルフェーヴルの一族を見つけ出すわ」

 静かに笑んだハーティアの言葉に「ああ……」とだけ返し、深く息を吸い、吐き出した。

「それよりも……ほら、始まるわよ」

 と、ハーティアが薔薇色の視線を移した。その先に目をやれば、空間に映像が浮かぶ光学式のモニターが展開されており、丁度映像が切り替わったところだった。
 映し出されたのは、1人の男だった。奈落の底のような黒い髪と瞳を持った人物で、黒い礼服にマントを羽織っている。

『メルゼブルク帝国、皇帝の座を継承した。グリーディア・L・メルゼブルクである』

 グリーディア。そう名乗った男は、前皇帝であるローレンツ・メルゼブルクの養子である人物だった。子宝に恵まれなかった前皇帝が養子をとり、ミドルネームを与えたというのは知られた話だ。その彼が皇位を継承するというのは自然な流れであるが、メルゼブルクは大国だ。養子である彼が次代の皇帝になるということを良く思わない貴族達も多くいるはずだ。上手く立ち回らねば内部の平定に時間を取られることだろう。

『これよりメルゼブルクは軍拡に伴う軍の再編を行う。それに伴い、我が国の領空内の都市に存在する貧民街スラムを全て解体する』

 と、グリーディアが口にした言葉に、ラザフォードは目を見開いた。
 貧民街はメルゼブルクだけでなく、リベルタリアの多くの国々に存在している。その多くはリベルタリアが作られる以前から人の中から現れ始めていた亜人への差別から始まったものであり、今は亜人に限らず多くの貧困層や犯罪者が集まる非治安維持区域となっている。亜人についてはこの数年の研究で人間の突然変異で生まれるものと証明され、国際法で人間と同義と定義されたものの、その差別は未だ色濃く残っている。

『解体した貧民街の跡地にはメルゼブルク軍施設を建設するが、一部は亜人による自治区域とし、住民にはその運営の職を与える』

 続けるグリーディア。

『また、解体に先駆け貧民街内部の住民保護を行うが、貧民街には反社会的勢力も多く潜んでいる。それらについては一斉に検挙、抵抗する場合は戦闘による制圧を行う』

 モニターの向こう側で記者達がどよめいたが、ラザフォードにとっては制圧などという言葉の意味するところなどどうでも良かった。重要なのはそこではない。
貧民街は犯罪者の巣窟。もし、もしこれで、どこかに潜んでいるルフェーヴルの一族が見つけられてしまったら。

……駄目だ」

 過る惨劇の光景。悲鳴、絶叫、怒号。焼け落ちる街。息の詰まるような感覚が襲い、ラザフォードは歯噛みしながら両手で顔を覆った。

「ラザ?」

「駄目だっ……!」

 テーブルの向こうから聞こえるハーティアの声に答えることもできず、まるで嘔吐するようにそう溢した。
 駄目だ。あの惨劇は許されるものではない。この手で自分が裁かなければならない。生き残った者の責任として、他の誰でもない、自分がやらなければならないことなのだ。
 腰掛けていた椅子から崩れ落ちるようにして膝をついた。テーブルに掛けられていたクロスが引きずられ、その上に乗っていたティーカップや皿が一斉に床へ落下して砕け散る音の中、慌てた様子のハーティアがこちらの名を呼びながらテーブルを回り込んで駆け寄ってくる。しかし、それは遥か遠くから聞こえるかのように耳の中でくぐもって反響し、口から漏れ出す呻き声を止めることすら出来ず、指の隙間から見開いた目でグラスや皿の破片が散らばった床を見つめる。
 モニターの向こう側でどよめく記者達の声が口々に様々な問いをグリーディアへと投げかけているのが遠く聞こえる。グリーディアは歯牙にかける様子すらない。そんな中で、1人の記者が叫んだ。

『この施策には17年前に姿を消したとされるルフェーヴル子爵家が関係しているのではありませんか!?』

 と、その言葉が、妙にはっきりと響いた。反響する言葉の意味が理解できず、見開いた目でモニターの中のグリーディアを見つめるしかなかった。その瞬間だけは、ハーティアも動きを止めていた。彼女の視線もまた、モニターの中のグリーディアに目を奪われていたようだったが、その問いに答えたグリーディアの言葉は落雷のような言葉だった。

『ルフェーヴルの一族はテイル・ルフェーヴルの協力により私が見つけ出し、殺した』

 その解答に、息を呑む。

「ラザッ……!」

……俺がっ!!」

 我に返ったハーティアがこちらを振り返りながら叫ぶも、それを遮るようにより大きな声で叫んでいた。

……俺が殺さなきゃならないんだ!! ルフェーヴルは俺が、俺がっ……!!」

 掠れた声でそう繰り返しながらも、止まらない動悸に肩で息をする。

「ラザ、大丈夫! 大丈夫だからっ……!」

 ハーティアに抱きしめられながらも、その腕の中で見開いた目を閉じられずにいた。
 叫び声、血と肉の焼ける臭い、襲い来る熱にじりじりと焼かれていく肌の痛み。こちらをじっと見据える血の色の目、黒い体躯。記憶にこべりついた、牙を剥いて人々を襲うそれの姿が過る。

『この件についてこれ以上はこの場では控える。施策の話へ戻るが……

 どよめく会場を制し、グリーディアが続ける。しかし、もう話は耳へと入ってこない。ラザフォードはハーティアの腕の中で、黒く淀んでいく視界に意識を手放した。