冬灯夜
2022-05-17 22:31:45
4366文字
Public ルミナリア
 

境界を越えて

ルミナリア レオミシェ風味
#ルミナリア版ドロライ企画【レオ】【ボーダーライン】
・答えの出ない、或いは答えがたくさんあるもの

 走る、走る。
 いつだって、ギリギリだ。
 ばあちゃんの言葉を守りたくて。ばあちゃんが誇れる孫で在りたくて。
 歩く、歩く。
 正しい道を選べているという確信はない。
 大切なものとそれ以外を天秤に掛けたら、大切なものに傾くのなんて分かっているのに。
 目の前で起こる何かを放っておけない。
 だって、気高くない。
 だって、命は大切だ。
 足が縺れる。
 なら、獣はどうなのか。なら、敵国の兵はどうなのか。なら、もし、大切な何かが立ち塞がったら。大切な何かが傷つけられそうになったら。
 ……いつだって、その境界ギリギリを、彷徨っている。


……ドさん。…………レオくん!」
「んがっ」
 がくんと手の平から顎が落ちて、目が開いた。
 目の前には少し呆れたようなミシェルがいる。
「あ、あれ? 何でミシェルが……
「それはこっちの台詞です。授業も終わったのに、何で教室で居眠りしてたんですか?」
 教室。何で。
 ぼんやりしていた頭がようやく動き出す。
 そうだ、先生に『君、授業の前か後に教科書を読んでおきなさい』って言われて、とりあえず開いた。閉じた。そして読みかけだったコトロマを開いた。ということを手の中のコトロマを示しながら伝える。
……はあ」
「そ、そんなあからさまなため息吐かなくても!」
「読めたんですか、教科書は」
……い、1ページは……
 ミシェルの目が胡乱になる。やめてくれ、ミシェルまでユーゴやセリアと同じ目をしないでくれ!
「コトロマは読めるのに、どうして教科書だとそんな風に……
「物語は面白いけど、勉強はなんつーか、やっぱ身体動かした方が覚えるんだよな、俺」
……確かに、実験や実習のある授業は理解されてますよね」
 納得したようにミシェルが呟く。
 道も覚えればいいのに、と更なる呟きは聞こえないフリをした。
「じゃあ、もう戻りましょう。そろそろ夕食の時間ですし」
「ああ、そうだな」
 結局、最後まで読み切れなかったコトロマを閉じる。
 ……そういえば、そのせいか変な夢を見た。
「なあ、ミシェルはコトロマ読んでるか?」
「ええ、一応。全部は読めてませんが」
 ならば、作中に出て来る正義を信ずる騎士を知っているだろうか。
 名を挙げると、頷きが返ってきた。かっこいいですよね、とも。
「ミシェルはさ、正しいとか正義とかって、どう思う?」
「え? ……えっと、いつもの気高いという話、ですか?」
 いつもって。言ってるけど。言ってるけど!
……正しいことって、どうやって決めたらいいんだろうな、って、たまに思う」
 命は大事だ。誰のものも。
 けど、俺は帝国兵を斬る。帝国のスパイを斬った。
 『痛みなんてなかっただろう』と、その一言で泣きたくなってしまうくらいには、重かった。
 獣たちはどうだろう。人を襲ってなかった獣だって居ただろう。
 それでも、斬る。
 刀を取ったその時から、付いて回る重さ。
 大切な人を守りたいから、忘れてはならない重さ。
 自分で決めたことなのに、痛みを覚える。
「あー、いや、ごめん。何かこういうの気高くねえよな。自分でこうするって決めたんだし」
 そうだ、決めたことだ。なのに決め方を迷うなんて零して、どうしようって言うんだ。
 コトロマをカバンに入れて立ち上がる。
 教室の外に向かおうとして――足を止める。ミシェルが俺の袖を掴んでいた。
「ミシェル、」
……私」
 ミシェルが顔を上げる。琥珀色の瞳が真っ直ぐに俺を見た。
「私は……本を読みます。教科書も、参考書も。あと、色んな方のお話も」
 知ってる。よく図書室に行ってるし、救護室にも足繁く通っている。
「色んな知識を知りたいから。獣による傷の対処法の違い、病気の時の診断方法、効果的な治療法……知らないと『正しい判断』が出来ないから」
 心臓が跳ねた。
 ミシェルには正解があるんだろうか。俺の守りたいものと痛みは、本当に、いいや痛いなんて思うこと自体が、
……でも、それだけじゃダメだった」
 ミシェルがほんの少し、目を伏せる。
 大きくなっていた嫌な拍動が、今度は妙な不安に変わる。ミシェルが、優しくて怖いこの人が、酷く――傷付いているように見えて。
「幾ら勉強しても、知らないことは山のようにあって。でも判断はし続けないといけない。全部のことを知ってからなんて言ってたら、一生なにも出来ないでいることになるの。迷うけど、間違うけど、それでも――知り続けていきたい。
 今度こそ、大切なものを守る為に。決断、するの」
 再び顔を上げたミシェルの瞳は、強い決意に満ちていた。
 凛として――気高くて。
「だけど、一人じゃなくていいの。憧れる人や助け合える人たちがここにはいるから……だから、レオくんも、そうやって『気高くない』ことを言ったっていいんだよ」
 ――ミシェルも、迷うことがあるんだろう。実は我が強くて引かないミシェルでも、決断しきれないことがあったんだろう。
 それでもこうやって、真っ直ぐに立っている。俺を見ていてくれる。
……そっか。俺、一人じゃないもんな。ユーゴにセリアに……ミシェル」
 教官や先輩たち、色んな人が俺に教えてくれて、助けてくれる。守りたいと思う人々。一度は失った、街に暮らす当たり前の日々。
 『気高く生きなさい』
 『君が、誰の真似でもない、君だけの気高さを見出さんことを』
 祈りの言葉。
 俺の為に掛けてくれた言葉。
……ありがとな、ミシェル」
 どれだけ痛くても、俺が守りたいもの。分からなくなっても探し続けるもの。
 それだけは、決して忘れない。
 ミシェルは優しく微笑んだ。ほんの少し気恥ずかしくて、頬を掻く。
「じゃあ、行こうぜ。腹減ったし」
「あ、そうだね」
 くん、と小さな抵抗を感じて腕を見ると、ミシェルの指が俺の袖を掴んだままだった。目が合う。
 一拍置いた後、物凄い勢いでミシェルが手を離した。
 そ、そんな振りほどくみたいな勢いじゃなくてもよくないか!?
「い、行こうぜ」
「う、うん」
 ……何でやり直しみたいなことしてんだろう、俺。
 でもミシェルが隣を歩いてくれたので、ほっとする。
「やっぱ優しいよな、ミシェルは」
「別にそんなことは……
「なんつーか、安心する。一緒にいるとほっとするっつーか」
「え。え、あ」
「ばあちゃんも俺が泣いてると、叱りながら慰めてくれたんだ。だから懐かしいっつーか」
…………ふーん」
「あ、前も言ったけど俺が泣き虫だったってことは秘密で……ってミシェル? どうした?」
 隣を歩いていたミシェルが歩調を速めて俺を抜き去っていった。
「別に、何も、ありませんよ、フルカードさん」
「えっまた!? あ、腹減ったのか?」
 だったら俺に付き合わせて悪かったな、なんかお詫び……お礼をしないと、と考えていると、くるりとミシェルが振り返った。
 ……おかしい。笑顔なのに、リゼット教官並の圧を感じる。
「早くしないと置いて行きますよ」
「は、はいっ」
 足を速めると、半歩だけミシェルが先を歩く、という程度に距離が縮まった。
 強くなりたい。気高く在りたい。
 他の誰とも違う気高さを、ミシェルはもう持っている。
 ミシェルの髪の隙間から覗くエンブリオが何だか眩しくて、食堂への道へ目を向けた。