豊前は自他共に認める朝型生活の人間だ。休みの日に遅くまで寝たとしても九時が限界だし、用事が無ければ朝から最低でも一時間は愛車を走らせている。バイクか唯一の趣味と言っても過言ではなかった。
晴れた休みの日は目覚ましがてら外でコーヒーを飲んでふらっと走りに行き、道が混みだす前に帰る。近所に休みの日の朝早くから開いている喫茶店は少なくて、気づけばその店の常連客になっていた。
数年通えばマスターとは親しくなり、アルバイトの顔もあらかた覚えてしまう。いつも休日の朝から入っているアルバイトの彼にこちらの顔を覚えられるのもまた、必然だった。
きっかけは注文を取りに来た時に「新しく入った子?」と声を掛けた事だったと思う。地方から進学のために出てきた事、実は地元が近かった事、駅前の本屋でも掛け持ちでバイトをしている事、生活圏がほぼ同じ事……。気づけば彼とも親しくなっていた。
豊前の感覚としては、年の離れた弟や従兄弟だった。二十歳になったらお兄さんがご馳走してやろうと口約束を交わしてから約二年。昨日、無事に成人した彼と駅前の居酒屋に行った事は覚えている。彼は存外飲める口だった。
店を出てこの後どうするかという話になり、社会人はどんな所に住んでいるのか気になるというので、彼を自宅に招いた事は覚えている。その後の事は――何一つ欠ける事も漏れる事もなく、しっかりと覚えていた。
「最低だろ俺……」
豊前に男女どちらも対象になるという自覚はあった。でも、これは無い。ベッドの下に固まって落ちている二人分の衣服、不自然な位置に置かれたボックスティッシュ、封の切られた真新しいコンドームの箱。
そして極めつけは隣にある自分以外の体温。どう見ても昨晩はお楽しみでしたねとしか言えなかった。この状況で言い逃れできる奴がいたら見てみたい。
「ぅんん……」
シングルベッドに仲良く収まった隣の塊がもぞもぞと動く。アルバイトの彼――松井は豊前と目が合うと、少しだけ照れてはにかんだ。何か可愛い……とか思っている場合ではない。
「実家の連絡先教えろ。親御さんに詫び入れる」
「双方合意の上なのに?」
「いい歳した大人が未来ある青少年に手ぇ出した時点で、問題ありまくりだろ」
当然責任は取るし、出る所に出てもいいし、社会的制裁も辞さない覚悟の豊前。そんな豊前を前に松井は、責任を取ると言うのなら違う形で取ってもらいたいなぁと思ってしまった。
「超有望株の人生にバッテンつけた時点でおあいこだと思うけど」
顔良しスタイル良しセンス良し。並の芸能人よりもうんとかっこいいし、話を聞く限りでは仕事ができる職場のエース。ノリは軽いが硬派な一面もあって、コミュニケーション能力は高いし、面倒見もいい。松井には何故この人が独り身なのか理解できなかった。
親しくなって話をしていくうちに、彼は去る者追わずなんだろうなと何となく思った。豊前を試すつもりで離れたらそのまま縁が切れてさようなら。そういう人が多かったんだと思う。
「……それに、これでようやく大人だなって言ったのはそっちじゃないか」
大学生活にも少し慣れてきたからアルバイトでも始めようかなと思っていたあの頃。朝早くに出掛ける用事があり、近所の喫茶店の前を通った。店の前にはバイクが一台停まっていた。それ以来、休みの日の朝に通り掛かると高確率でそのバイクは停まっている。乗り手はここの常連客なのかもしれない。一体どんな人が乗っているのだろうか。不思議と興味が湧いてきた。
早起きと朝の散歩を始めてから数週間後、松井はついにその人物に遭遇する事ができた。店から出てきた彼を見て松井は雷に打たれた。まさに青天の霹靂である。早朝アルバイト募集中の貼り紙を見つけた松井は早速ここで働きたいと連絡をした。できれば休日の早朝に入りたいと言ったら即採用だった。
常連客とアルバイト。大学生活を過ごす間の潤いになればいいと思っていた。だから声を掛けられるなんて予想外もいいところだし、まさかプライベートの連絡先を交換したり、敬語を使わず話せる仲になるほど親しくなるなんて誰が予想できただろうか。
松井は彼の――豊前の人生に食い込んだのだ。当の本人は自己嫌悪の真っ最中だが、胸に手を当てて思い出して欲しい。話の流れと勢いで押して押して押しまくって、最終的にうんと言わせたのはどちらなのかを。
彼の善意と人のよさにつけ込んで強引に関係を結んだ。松井に縁を切らせるつもりはこれっぽっちも無かった。ここまで来て、アルバイトと常連客で終わらせるつもりは毛頭無い。
「安心して。万が一会社をクビになっても僕が養うから」
「縁起でもねーこと言うな。………ま、ちゃんと卒業して一人前になったらそれも考えてやんよ」
ふっと笑って、豊前はぐしゃぐしゃと松井の頭を撫で回した。松井はそんな豊前に胸をときめかせながら、膨れっ面をした。
「慣れてる……」
「お前よか、少しばかり長く生きてっからな」
「……何かずるい」
全部自分が悪かった事にして、松井には何一つ渡してくれない。口では大人になったと言ってくれても、豊前から見たら学生の松井なんてまだまだ子どもに見えるのだろう。それでも少しぐらいは罪をなすりつけてくれてもいいのに。
「あなたが責任を取る必要なんてないからね。悪いのは僕なんだから」
「気持ちだけもらっとく。動けそうなら、少し早いけど昼飯食いに行くか?」
豊前はベッドから抜け出すと松井に向かって尋ねた。行くと言って起き上がろうとした松井が一瞬顔を顰めたのを見て、テイクアウトにした方がよさそうだと判断する。
「無理すんな。何か買ってくっから」
不承不承頷いた松井がベッドの中に潜り込むのを見届けると、豊前は着替えて財布とスマートフォンと鍵を持ち、部屋の外に出た。
年の離れた弟や従兄弟を相手にしているつもりだったのに、人生は何が起こるかわからない。きっと、声を掛けた時点で何かが始まっていた。だが、彼の未来を潰したくはないのだ。離れるという選択肢は残しておかねばならない。
昨夜の出来事については十分に反省し、今後彼が何をどれだけ言ってきても、バイト先の良き常連客でいよう。
――今のところは、まだ。
――――――――――
お付き合いが始まるまで、まだ時間の掛かりそうな二人。
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