ナガレ
2020-11-11 20:50:48
7524文字
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Spring has come(ぶぜまつ)

豊前を一人密やかに想っていたかった松井に春が来るまでの話。

うとうとと微睡んでいたところを起こされた。目を開けると自分は人の子のような姿形になっていて、目の前が眩しかった。一体何が起きたのかこれっぽっちも理解できていなかったが、僕は何故かすらすらと口上を述べていた。
僕の名前は松井江。――そう、かつては肥後熊本藩の筆頭家老松井家にあり、のちに紀州徳川家に渡った刀……のはずなんだけどな。

「松井江だー!やったぞ!」
「散々穴に落ちたり毒矢を受けたりした甲斐があったな」

口上を述べた僕の後ろでは桜の花びらが舞っている。目の前では覆面をつけた狩衣姿の人の子が、両手を挙げて万歳三唱をしている。君は誰だ。一体ここはどこなんだ。何が何なのかさっぱり分からない。

「ここは本丸!君は本霊である刀の松井江から霊力をのれん分けして刀剣男士として顕現した松井江!ぼくは審神者!名前は教えられないから、気軽に主って呼んでくれ!」
「う、うん……

元気な人だ。主と名乗る人の子の勢いに圧倒されていると、「松井が困ってるから落ち着けって」と苦笑いで後ろから彼の肩を叩く人がいた。この人も僕と同じ刀剣男士という存在なのだろうか?それとも人の子と同じ審神者なのか。僕が恐る恐る視線を寄越すと、その人は笑いかけてくれた。

「豊前江。刀工を同じくする兄弟刀になるのか?よろしくな」

――これが僕と主と豊前の出会いだ。そして僕が豊前に惚れた瞬間でもある。

*****


あの後、兄弟刀と言われてもいまいちピンと来ていない僕に、豊前は俺もだと返した。兄弟よりもめんばあの方がしっくり来ると言っていたが、今ならその意味がよく分かる。先に顕現していた豊前江と桑名江を兄上や兄様と呼べと言われたら鳥肌が立ちそうだ。百歩譲って篭手切江に兄さんと呼ばれるのは許すが。顕現順でいけば篭手切が兄になるが。
なので僕達は兄弟じゃなくてめんばあだ。主にめんばあとは何かと聞いたら、仲間だと教えてくれた。僕達は江の仲間。これがいいし、これでいい。――これでいいと思っていたのに。
他の刀達から「江は仲良しだね」と言われるたびに嬉しく思う。でも、少しだけ胸が痛くなる。篭手切とはもちろん仲が良いし、桑名とも畑仕事を別にすれば悪い仲ではない。もちろん豊前との仲も良い。篭手切の夢を応援する事が僕達共通のやりたい事なので、やりたい事をやればいいという精神の元、四振りで仲良くやっている。

(四振りで仲良くやっているんだから、それに越したことはないのに……

畑の隅っこでぶちぶちと雑草を抜きながら、僕は人知れずため息をついた。豊前は畑当番について適材適所と言っていたが、それには僕も激しく同意する。僕、畑仕事よりも事務仕事の方が好きだし得意なんだけど。
思う事は多々あるけれども、与えられた仕事をこなそうとするのは性格なのか何なのか。適材適所がどうのこうの言っていた豊前も、当番が回ってきたなら仕方ないと大人しく汗を流している。暑いと言って腕まくりをした二の腕の逞しさに思わず魅入ってしまったのはここだけの話だ。

「松井ー、ちっと休憩入れっぞ」

適度な休憩は大事だ。ずっとしゃがみ込んで雑草を引っこ抜いていたせいで体が痛い。立ち上がって大きく伸びをすると、インナーの裾が捲れて腹が出た。……見られてないよね?ちょっと恥ずかしい。

「ほら、水」
「ありがとう」

日陰に入り、豊前から渡されたぺっとぼとるの水に口をつける。僕が顕現した時、師走の中頃は雪が降っていた事を思うと、ずいぶん暖かくなったものだ。今は弥生、季節は春。春を知らないわけじゃないけれど、この身で体験する春は何だか新鮮だ。

「腹減ったな……
「ぷはっ。朝ご飯食べたばかりじゃないか」

豊前のぼやきに思わず吹き出してしまった。燃費の悪い彼の為に何か小腹を満たせる物を持ってくるべきだったかもしれない。僕がくすくす笑っていると、こちらを向いた豊前に「濡れてる」と口元をタオルで拭われた。豊前は時々世話焼きになる。確かに豊前と比べたら僕はこの姿になってからまだ日が浅い。でも幼子扱いはどうかと思う。
僕は豊前と過ごす何でもないこの時間が好きだ。出陣でも遠征でもれっすんでもない、ゆっくりと二人の間を過ぎていくこの時間が好き。静かに流れる時を一緒に過ごしてくれる豊前が――

「好き、だな」
「え?」

水を飲もうとしていたぺっとぼとるを傾けたまま、僕を凝視してくる豊前。口から出てしまった言葉は元に戻らない。背中を冷や汗が伝い、僕は一瞬にして固まった。世界から音が消え、どっくどっくと大きく波打つ心臓の鼓動しか聞こえてこなくなる。しばしの沈黙の後、豊前がゆっくりと口を開いた。

「今、何て――
「いたいたー!おーい!松井ー!」

急に名前を呼ばれ、びくっと肩が震えた。声の聞こえてきた方角を向くと、誰かがこちらに向かって大きく手を振っていた。

「当番交代ー!主が呼んでる-!」

大きな声で僕の名前を呼んでいるのは今の近侍、加州清光だった。

「よ、呼ばれてるみたいだから言ってくる……!」

後ろで豊前の呼び止める声が聞こえたが、僕はそれを無視して走った。あぁ、ついにやってしまった。四振りで仲良くやっていられればそれでいい。想うことは自由だがそれ以上を求めてはいけない。顕現した日の夜にそう決めたじゃないか。豊前は江のりいだあで、本丸の仲間達からも頼られる存在。僕はそれを誇りに思う。豊前が僕の事を気に掛けてくれているだけで十分だと蓋をしたじゃないか。僕は後悔から目を背けるようにして、主のいる執務部屋に向かった。


「松井江、すまない……

執務部屋の出入り口を開けると、中には悲壮感漂う主がいた。そしてその背後には鬼の形相の山姥切長義。かつて政府の監査官であったという彼は、存外主に手厳しい。とはいえ彼がここまで怒髪天状態なのは珍しい。主は一体何をやらかしたのか。僕は長義に視線を向けた。

「締めに何も手をつけていないそうだ」

静かな長義の一言に僕はすべてを察した。僕が顕現してから三ヶ月、そろそろ弥生も終わる頃だ。――僕は知っている。弥生が終わると年度が変わる。弥生の終わりは締め日と呼ばれ、ありとあらゆる記録を纏めて政府に提出するのだ。

……理解した。僕も手伝おう」

三人でやればきっと間に合う。間に合わせてみせる。僕は寝具の持ち込み許可を主に求めた。仮眠にしろ寝泊まりにしろ、執務部屋の床に雑魚寝は辛い。長義は半紙に立ち入り厳禁としたためた後、栄養剤を三箱を発注していた。ついでに湿布薬もお願いした。きっと腱鞘炎になるだろうから。主は近侍の加州に部隊編成および内番表作成の権限を授けていた。加州なら主がいなくてもうまく回してくれるはずだ。
すでに死相の出ている主と静かなる怒りを見せている長義には悪いが、僕にとっては渡りに船。今は豊前と顔を合わせることができそうにないから、ちょうどよかった。

*****


――僕達の弥生が終わった。

期日の卯月一日が終わる直前に駆け込みで書類一式提出し、この本丸は解体の危機を免れた。みんなが手伝ってくれた結果だ。普段からこつこつ進めていれば一日かからず終わるものを、なんと主はほぼ一年間放置していた。
資材の消費具合や鍛刀の記録、出陣道中での拾得物、新たな刀剣男士の顕現、遠征の結果などなど。諸々の記録は昨年の卯月を終えたあたりで止まっていた。僕達はありとあらゆる帳簿を引っ張り出し、記録を纏めるための記録を漁っていった。漁った記録を片っ端から書き留めて、提出する書類の様式に当てはめていった。
一年近いツケを十日足らずで払ったのだ。しばらく数字は見たくない。僕と長義は向こう一週間の休暇を主からもぎ取った。主の休暇?そんなものは知らない。腱鞘炎と眼精疲労を乗り越えて書類を書き上げたのは僕と長義だ。

「やっと部屋に戻って寝れる。松井、君はどうするんだ?」
「そうだな……。今はまず湯浴みがしたいな」
「長義くん!松井江!二人とも本当にありがとう!ぼく一人だったらどうなっていたことか……
「これに懲りたら二度と溜め込まないでくれ。そもそも君は……

長義が主に釘を刺している(というかお説教だよね、あれ)のを横目に、僕はそっと執務部屋を出た。立ち入り厳禁はまだ掲げたままでもいいだろう。部屋の中はまだ悲惨な状態だから。主の休暇はこの部屋を片づけてからだ。
自室に戻って着替えを用意すると、僕は風呂場に向かった。


……ふう。のんびりと湯に浸かるのも久しぶりだったな)

湯浴みを終えて外廊下を歩いていると、夜風を気持ちよく感じた。しばらくぶりに吸う外の空気だ。心身ともに疲労困憊のはずだが、不思議と眠気が襲ってこない。僕はしばらく縁側に腰掛けて涼む事にした。足を投げ出してぶらぶらと振っていると、廊下の明かりを遮るように影が差した。よく知るその気配に、びくりと体が強張った。

「松井」

名前を呼ばれて顔を上げると、少し怖い顔をした豊前が僕を見下ろしていた。しばらくぶりに見る豊前に、僕はどきりと心臓が跳ねる。咄嗟に立ち上がろうとした僕の腕を掴み、目線を合わせるように隣に座る豊前。離してほしいのに、離してくれというその一言が出てこない。

「お前と話がしたくて待ってた」
「そんな、話なんて僕には……
「俺にはあるんだよ」

燃えるような紅玉。その瞳に射貫かれたらもうおしまいだ。すっかり忘れていたのに。否応なしに思い出してしまうじゃないか。あの日の後悔を。君の目に僕は弱いんだ。真っ直ぐこちらを向かれたら、取り繕う事なんて――

無理だ。

……豊前が好き」

そして僕は再び後悔する。めんばあとしての敬愛に収まらなくてごめん。豊前もこんな事を聞きたくないだろうに。でも、一度ならず二度も口にしてしまったらもう止められない。恋慕の情を発露させる気は無かった。仲間として隣にいられればそれで十分だったのに。十分だと思わなければいけなかったのに。この想いは折れるその時まで隠して彼岸に持っていくと決めていたのに。自分で決めた事すら守り切れない自分が惨めで仕方なくて、じわりと視界が霞んだ。

「こんな顔させるぐらいなら、とっとと言えばよかった」

僕にだって矜恃はある。彼に無様な姿を見せてなるものかと涙を堪えた。しかし、堪えきれずに溢れて目尻が濡れてしまった。濡れた目尻を豊前の指がそっと拭った。君は本当に優しい男だね。彼の指がそっと僕の頬を撫でた。

――好きだよ、松井。お前がここに来てくれた時からずっと」

やっと言えたと豊前があまりにも愛おしそうに言うものだから、驚いて涙も引っ込んでしまった。そして誰かが言っていたのを思い出す。「豊前江はおなごを勘違いさせる天才だ」と。僕は女の子じゃないけれど、その気持ちはとてもよく分かる。そういう言葉も声も顔も態度も、本当に愛しい相手にだけに向けないといけないよ。そうじゃないと……

「勘違いしてしまいそうだ」
「勘違いじゃねーよ」
「ふふっ。どうだか」

うまく笑えてる?まだ一緒にいてもいいのかな?時間はかかるかもしれないけど、この気持ちは共に戦う仲間としての好きにして変えてみせるから。少しだけ残ったとしても、今度こそ折れるまで隠してみせるから許して欲しい。

「さてと。僕はそろそろ戻ろうかな。豊前も早く戻った方がいい。あまり長居をすると冷えてしまうから」
……松井は分からず屋っちゃ」

これ以上ここにいると何を口走るか分からないから、僕は話を切り上げようと腰を上げた。だが、豊前がそれを許してくれなかった。ずっと掴まれたままの腕を力強く引き寄せられたと思ったら、端正で華やかな顔面が近づいて、思わず目を瞑るよりも早く唇が重なっていた。豊前の睫毛は長かった。

「ごちゃごちゃ言って聞かせるよりも、こっちの方が伝わるだろ」

こつんと額同士が当たる。あまりにも近い距離に、かっと体が熱くなる。

「何て言えばお前に伝わる?歌でも詠むか?歌なんて詠んだことねーから、ちっと時間かかるけど。愛してるって言ってもすぐには信じてくれねーだろ」
「あ、あいしてる……

これはもしかして、もしかしてなのだろうか。都合の良い夢でないのだとしたら、僕はこの想いを変えなくてもいいのだろうか。折れるまで持っていかなくてもいいのだろうか。――豊前も同じ想いを抱えていると自惚れてしまってもいいのだろうか。

「なぁ、松井。俺のものになってくれよ」
「僕が豊前のもの……
「そう。大事にしてやっから安心しろ」
「本当に?」
「本当に」
……わかった。豊前の言うこと、信じるよ」

信じていいんだよね?念押しするように視線で縋ると、豊前は信じろと言ってくれた。一度離れた豊前の顔が、もう一度ゆっくりと近づいてくる。今度はちゃんと目を瞑ることができた。

――今すぐ俺んものにしたい」
「え、その、それは……
「頼む。いいって言って」

掠れ声の豊前に至近距離でじっと見つめられる。その言葉の意味が分からぬほど初心ではない僕は絶句した。目を逸らす事は許されない。僕はこの瞳に弱いのに。それでいて、豊前がまついって僕を蕩けさせる声で呼びかけてくるものだから――

……いいよ」

気づいたら僕は豊前の腕の中にいて、痛いぐらいに背骨が折れそうなぐらいにきつく抱き締められていた。心の臓が放つ鼓動はまるで早鐘で、僕のものか豊前のものか区別できないぐらいに早かった。

*****


朝の透き通った空気が流れてきて、僕はむくりと起き上がった。壁に掛けられた暦には卯月の文字。そうだ、弥生は終わっていた。書類仕事をすっかり忘れていた主を長義とともに叱咤し、もう無理だと泣き言を漏らす主を励ましながら、ひたすら目の前の書類の山に向かっていた弥生の終わり。栄養剤と珈琲で疲労と眠気を誤魔化しながらの行軍。日に二回の差し入れが美味しかった。心に染みるというのはまさにこの事だ。
時間ぎりぎりですべて終わらせ、滑り込みで提出した。中身の出来映えはともあれ、提出したという事実が重要なのだ。ちっとも眠気が訪れなかった僕は、湯浴みを終えて縁側で涼んでいた。皆寝入り、静まりかえる本丸。夜風が気持ち良かった。そこに豊前がやって来て――

……っ!)

所々記憶の飛んでいる部分もあるが、あらかたの所は覚えている。触れる日が来るなんて思っていなかった豊前の体は焼けそうなぐらいに熱かった。身も心も彼の手で拓かれて、もう少しと請われるたびに頷く事しかできなくて、気づけば流しに流された。

(怒濤の勢いだったな……

口を滑らせてしまったのが十日前。忘れてくれと告げ、後悔を打ち払うかのごとく主の仕事を手伝った。豊前に会わなかったのはわざとだ。どんな顔をすればいいのか分からなかったから。忘れてくれと言ったけど、本当は忘れてもらいたくなかったんだろうなと思う。
何も聞きたくなかった。蒸し返されても困るし、本当に忘れてもらっても悲しくなる。主の手伝いという大義名分を隠れ蓑に、僕は豊前から逃げたのだ。最後は捕まってしまったが。
あの射貫く紅玉が焼き付いて離れない。彼があんな目で見てくるなんて知らなかった。こんなにも想われていたなんて知らなかった。――それもそうか。自分の中ですべてを完結させてしまっていた僕は、彼を見ようとしなかったのだから。

とはいえ……

(流されてしまった僕が言うのもおかしな話だけど、展開が早すぎる気がする……

僕の葛藤にも百面相にも気づくことなく、隣ですやすやと寝こける豊前。あまりにも健やかな寝顔に腹が立ってきたので、僕は美丈夫の鼻を思いっきり摘まんでやった。

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一目惚れかつ片想い(だと決めつけている)の松井と、実は両想いだったぶぜまつ。
豊前に弱い松井。でも豊前も松井に弱いだろうから、お互い様でちょうどいい。


松井が缶詰状態の時の豊前の心境を余談がてら次ページに。

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