マキナ

2020年7月に発行した乙普本「技師と天使」に収録したお話の再録です。時計職人太乙と用心棒普賢が旅をするファンタジーパロ。本には望月楓さんの素敵な挿絵がついています。
「私たちは単なる技術者なんだ」


「頼む!そいつを俺に譲ってくれ!」
そんなこんなな出来事を経て、ようやく次の街へ向かおうと広い通りを歩いていたときだった。
いきなり背後からそう叫ばれ、振り向いた先で声の主が土下座していたものだから、太乙と普賢は顔を見合わせた。互いの顔に(誰だこれ)と書かれているのがわかる。大声に気づいた街の人たちが、なにごとかとこちらを見ている。
……きみ誰。というか、こんな往来でやめてくれるかな」
ほら、みんな見てるから。そういいながらしゃがみ込む。男は砂まみれの顔をがばっと上げた。
「失礼した。どうしてもそいつを譲っていただきたく」
「そいつって……この子?」
そうだ、と男は大きく頷く。
とはいってもと、しゃがみ込んだまま太乙は普賢を見上げ、また普賢も太乙を見下ろして困惑したように首を傾げた。
まだ旅の途中だし、なんだかんだで普賢がいなければ安全な旅は続けられない。「譲ってくれ」と言われて、はいそうですかと譲るわけにはいかない。
「私もこの子がいないと困るんだよ」
「一目惚れなんだ……こんなことは初めてなんだ。金なら出す!」
「あのね」
深くため息をつきながら、太乙はやれやれと肩を竦める。
「この子はただの用心棒だ、そういう目的なら」
「どれだけ出せばいい?言い値で買わせてくれ!」
太乙が止める間もなく、男はその場で懐から札束や金貨を出しはじめる。
「だから、そういうんじゃないって」
「これでは足りないのか」
「お金じゃないってば」
「これだけあれば別の用心棒を雇えるだろう。頼む!譲ってくれ!」
何を言っても耳に入らない男の様子に、太乙は天を仰ぐ。ちらりと普賢を見ると目が「どうする?」と笑みを含んでいる。その成り行きを面白がっているのだろう。
あーあ。こんな面倒なの、いったいだれのせいだと思ってるんだよ。
そう言いたいのをこらえて、太乙は立ち上がった。
「それだけお金を持っているなら、どうにでもなるだろう。ともかく、私はこの子を手放すつもりはないから」
「ただの用心棒というなら、それこそいくらでも代わりはいるじゃないか」
男は膝をついたまま普賢に薄ら笑みを向けた。
「ほら。俺の方が金を持っているし、落ち着いていい暮らしができる。食べるものにも着るものにも困りはしない。さあ、俺のところに来い」

「しつこいなあ……
普賢はぼそりと呟いた。そして立ち尽くしている太乙の腕を引き、空を見上げるように背伸びをする。
普賢、と。言いかけた太乙に、唇を重ねた。
彼らを取り巻いていた野次馬たちからどよめきと冷やかしの拍手が起こる。男は目を見開き、膝を付いたまま意味不明な唸り声を上げた。
「これでわかった?」
普賢はにこりと男に微笑みかけた——決して笑っていない目で。
「僕は好きで彼と一緒にいるんだ。離れるつもりはないよ」

茫然としたままの男に背を向け、そして同じように茫然としたままの太乙に「ほら、行くよ」と促して、普賢は歩き出す。人垣を抜け、ある程度街並みを外れたところまで歩いたところで、太乙はようやく息をついた。
「ねえ普賢」
半歩前を歩く普賢は答えない。
「普賢、さっきの」
「ああでもしないとあきらめないでしょう」
振り向かないままそう言った、普賢の頬がわずかに赤らんでいるのを見つけて、太乙は苦笑する。
まあいいか。そういうことにしておいても。
「さて、先を急ごうか」
肩をぽんとたたいて、少しだけ歩調を早める。空はもう暮れかけていた。