マキナ

2020年7月に発行した乙普本「技師と天使」に収録したお話の再録です。時計職人太乙と用心棒普賢が旅をするファンタジーパロ。本には望月楓さんの素敵な挿絵がついています。
「私たちは単なる技術者なんだ」


「帰ってください!」
驚くほどの権幕でまくし立てられた。普賢がびっくりして固まっている横で、太乙はいたって冷静に「どうして」と問い返す。
足を運んだのは村はずれの家だった。一見して裕福ではないとわかる粗末なあばら家の戸口で、住人であるらしい夫婦が一歩たりとも家には入れないという態度で立ち塞がる。
「私たちには、時計なんかの修理に払うお金も、あなたたちを泊めてあげる部屋もないんです」
「そんなものはいりません。だからせめて見るだけでも」
「とにかく、帰って!」
壮年の女が叫ぶように言い放って強引に扉を閉めた。バタンという音の後、男女が言い争う声が聞こえた。
これまでも修理を拒否されることがあるにはある。ただ、修理はいらないといわれた場合でも、一目見せてほしいといえばしぶしぶ家にあげてくれた。ここまで拒まれるのは初めてだ。
「どうする?」
訊ねた普賢に太乙は「出直そう」と肩を叩いて、もと来た道を戻り始める。

安い宿に部屋を取り、階下の安い食堂で、いちばん安い昼飯を頼んだ。宿の女主人はいかにも面倒くさそうに二人を見、ガチャガチャと音を立てて用意をする。運ばれてきたのは粗末なスープと硬いパンだった。
「何らかの理由で私に見せたくないんだろうね」
「何らかの理由?なに?」
さあね。ほとんど具の入っていないスープをすくって、太乙はいかにもまずそうに口に入れる。
「もう売っちゃって、あそこにはないとか」
「あると思うよ。あんなもの金にならないし、あそこで見たって人もいるし、ここにもそう書いてある」
ボロボロでところどころすり切れた紙切れを太乙は丁寧に広げ、確かめる。師が生前、どこでどんなものを作ったか、簡単に書き残したそれに、消えかかってはいるが、ちゃんと記されている。洋服箪笥ほどの大きさで、もうすぐ生まれてくる子供が喜ぶよう、時間に合わせて白い鳩が鳴く仕掛けを施してあるらしい。
どうする?あきらめる?そう訊ねる普賢に、太乙はだが答えないまま黙々と目の前の食事を平らげていく。
師匠が残した時計を網羅するのも一つの目的だった。修理しなくても見るだけでもいい、と食い下がるのはそのためだ。それが師匠を弔うことになるからさ、と普賢には言ったが、嘘ではないが真実でもなかった。弔うなんていう湿っぽい思いよりも、あの酒浸りの師匠が震える手で作った、信じられないほど繊細で美しいからくりを、実際に目に焼き付けておきたかったからだ。
あの家にあるのは間違いない。師匠は嘘はつかない。彼らが見せたくない理由があるとすれば――
太乙はやや厳しい表情で「ちょっと思い当たることがある」と言い、その紙切れを見つめる。首を傾げる普賢に「明日もう一度行ってみるよ」とスープを飲み干した。

朝、いつもよりずいぶん早い時間に太乙は起きだし、身支度をはじめた。眠い目をこすりながら普賢も体を起こす。安宿の寝床は固く冷たく、眠りは浅かった。これが終わったら次の宿ではふかふかの布団でぐっすり眠りたいな、そんなことを言いながら靴紐を結ぶ。道具一式をつめた鞄を太乙は背負いこみ、普賢も背丈ほどもある武器らしい包みを背負った。まだ明けやらぬうちに宿を出て、昨日行き来した道を進む。遠くの山々の背景に、うっすら橙色に夜が明けていくのが見えた。
(素直に見せてくれないなら)
黙々とついてくる普賢をときおり気にしながら、太乙は考える。
(少々強引に行くしかないな)

再び訪れた家で、夫婦は驚きのあまり声を失った。太乙は呆然とする二人を一瞥し「上がらせてもらうよ」と言うなり、扉を無理に開いて止めるまもなく家に上がり込む。
「待って、待ってください!」
男がおろおろとあとを追うが、太乙はまっすぐその部屋へ向かった。何か叫びながら女が太乙の背負う袋を掴もうとする。それを普賢が寸でのところで引き留めた。
「やめてよ!あんたたちに用はないって言ったでしょう?!」
「ごめんね。僕らのほうにはあるんです」
普賢がそんなやりとりをする間にも、太乙はその部屋にあった箱らしきものを覆った黒い布を取る。現れたのは紛れもなく、彼らが求めていたからくり時計だった。
「頼むからやめてくださいもうそれは動かないんです……!」
太乙の足に男が縋りつく。
「動かない?」太乙が眉をひそめ、そして男を見据えて静かに言った。
「止めたんでしょう」
夫婦はそれぞれ目を瞠り、男は力が抜けたようにその場にへたり込む。
「この大きさで、この仕掛けの時計は、意図的に止めなければ止まらないはず。あなたたちが止めたんだ。おそらく理由は」
女は両手で口元を覆い、言葉にならない悲鳴を上げる。太乙は道具を取り出して螺子を外す。よくある歯車の下の部分に小さな引き出しがあり、普賢は目を瞠った。これまでいくつも太乙の傍でからくりを見てきたが、こんなものが付いているのは初めてだった。
「太乙、それは」
言いかけた普賢に小さく首を振って、太乙はそっと取っ手を引く。中から出てきたのは両手に乗る大きさの、白い布で包まれた塊だった。
……お子さんだね」
太乙の言葉に、普賢ははっと息を飲む。夫婦はうなだれたままはらはらと涙を落とすばかりだった。

師のメモには確かに記されていた。もうすぐ子供が生まれる夫婦のために、鳩が時間を知らせる仕掛けを作った、大切な思い出の品をしまっておける引き出しも付けた、と。しかしその家に子供が暮らしている気配はなかった。日々の生活にも困るような荒んだ様子と、頑なに訪問を拒む態度、そして走り書きの設計図とを結びつけたとき、思い当たったのはただ一つの悲しい仮説だった。
「あなたたちのことは誰にも言わない。そのかわり」
太乙は両手で顔を覆ったままの女に、一枚の金貨を握らせた。
「あなたに何がわかるのよ!」
女はキッと太乙を睨み、涙声で叫んだ。
「さぞいい気分でしょうね。こんなもので私たちの弱みを握ったつもり?」
たたみかけるように言い放つ女に「そうじゃない」と太乙は答えた。
「あなたたちになにがあったかなんて知りようがないし、そのことに興味もない。でも、これを強引に止めたってことは、見たくなかったんだろう?」
二人ははっと息を飲んだ。
「ずっと苦しかったね」
どんなに悲しくても昼も夜もなく泣き通しても、毎日変わらず時を刻み続け、決まった時間を鳩が知らせる。生まれ来る子供のためにと設えられたそれが、嫌でも二人に喪ったものの大きさと、葬ることすらできない罪悪感を突き付けてくる。その苦痛はいかばかりだっただろう。
「そのお金で花を買ってあげてほしい。その子のために」
太乙のひと言で、女は泣き崩れ、夫が膝をついてその肩を抱いた。彼らが抱え持った悲劇をなかったことはできないが、二人だけで長年、人知れず抱えてきた重荷を、ようやく一つだけ下ろせたのかもしれなかった。
動かない時計に、太乙は少しだけ手を加えてから、二人に告げた。
「あなたたちの気持ちに区切りがついたら、この螺子を二回だけ巻くんだ。そうすればまたもとのように動きはじめるよ」
それが何年先でも、いっそ動かすことがなくてもかまわない。でも
「いつか動かすことができるかもしれないっていう可能性は、ないよりあるほうがいいだろう?」
道具を片付ける手を止めないまま言うと、普賢は神妙な面持ちで頷いた。

次のまちへと歩きながら、太乙は「私たちは単なる技術者なんだ」と呟く。普賢は並んで歩きながらその横顔を見上げた。
「時計を作ったり直したりするけれど、時間をかけて、技術の粋を尽くして作ったものが、必ずしも人を幸せにするとは限らない。だからこそ私たちは、自分の生み出すものに過剰な期待をせず、自分の腕を過信せず、誠実に目の前のものと、それを使う人に向き合わなければならないんだ」
——太乙の師匠は」
普賢は訊ねる。
「わかっていたのかな。あの人たちの運命を」
そんなことあるわけないよ、と太乙は苦笑した。
「予言者じゃないんだから。目の前の人に必要だと勝手に思って勝手に作って押し付けた、それだけだよ。私たちに、そんな大それたことはできない」
だれかを幸せにすることも、不幸にすることもできない。ただそこにあるだけ。それだけのことが時にひどく切なく、やりきれなくさせるけれど、それをきちんと見届けるのも作ったものの責任だと、太乙は思う。
「それでもまだ旅を続けるの?」
いつになく心配そうに普賢がそう訊ねるので、太乙はにやりとして見せる。
「当たり前だろう?ほかにできることもないんだからさ」
普賢はそれでようやく、少しほっとしたように笑った。